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4 天の遊郭 その壱

 遊郭。アニメとか、漫画とかで何となく知識はあった。きらびやかな建物の中で豪華な着物を女の人が男の人を接待し、布団を共にする。しかし男娼とは。男の人が女の人を接待するのだろうか。しかも楼主(ろうしゅ)って、何。

「わ……たし、遊郭に売られるんじゃないんですか」

「はは、遊女になるつもりかい? 君を売り飛ばしたら、今度こそトキに殺される」

いつまで経っても尻餅状態から動かない私を天霧はひょいと抱き上げ部屋の中へと戻った。


「楼主って何ですか。」

「ここ、天両屋の(あるじ)だよ」

(あるじ)

「うちの見世(みせ)は花街一大きいからね。その楼主はこの花街で一番偉い」

「一番……?!」

ぎょっとする私を布団に下ろし、冷たい茶を注いで持たせる。


「楼主になればおかしな妖怪が手出ししてくることはないだろう。大きな怪異に目をつけられることはあるかもしれないけど」

あっけらかんと言い放つ天霧の面布が揺れ、楽しげに緩められた口元があらわになる。この人_この妖怪は、どの立場にあるのだろう。


「私、やります」

「おや、存外決断が早い」

「どんなお仕事であろうと、あの人たちの元にいるよりましです。……あんな、透明な私はもう嫌。居場所が欲しいの」

口元を引き結んで天霧を見上げると、面が百面相(ひゃくめんそう)をしていた。


「……え」

「あー……無理はしないでね」

「っ!してません! ちゃんと本気で!」

「そうじゃなくて」

面の目が垂れ下がる。雨の紋様(もんよう)が浮き出て面の中をしくしくと降り始める。


「君は庇護欲をそそるんだよ。心配なんだ、勧めたのは俺だけど……」

「もう、なんなんですか。やるったらやりますって」

頭の上で撫でくり撫でくり動く掌がむず痒くて逃げるように身をひねる。こんな扱いをされたことはなかった。嫌ではない。けれど、際限なく甘えてしまいそうで怖かった。


「……じゃあ、着替えようか。君をみんなに紹介しないとね」

撫でるのを諦めた天霧が立ち上がる。

「あの、天霧さん」

「天霧でいい、君は楼主なんだから。あと敬語もいらないよ」

「天霧。ここは何階なの?」

「ここは最上の百十五階」

「ひゃくっ……?!」

「楼主の私室だ。ちなみに天両屋のことを『百十五階』と表すこともある」


 天霧は畳の一部を叩いた。すると、吸い込まれるようにそこが消えて階段が現れる。ゆっくりと動き、ある場所で止まると段の両端に灯りが灯った。

「気をつけて」

天霧の手に掴まって急な段差を降りる。

「俺の部屋は百十四階。何かあったら来ればいい」

「はい……」

「敬語」

「う、うん」


○●○



 ほのあかい灯の元、香がたきしめられた階段をさらに降りる。百十三階。にわかに明るく賑やかになってきた。ちらちらとこちらを見上げる影がある。


「天霧様、そちらは?」

「ご楼主だ。名はあまりという」

「まあ……!」

着物を着た女に見えるその影にはしっぽがついていた。それが二、三人集まって、きらきらした瞳で私を見上げる。

「この子の着替えを手伝ってくれないか」

「喜んで!」

数本の手が私を階段から引き()り下ろす。こらこら。天霧の苦笑が背後で響く。板敷きの廊下を滑るように進んでゆく。一定の間隔で灯されている行灯を通り越し、部屋の一角に引きずりこまれてあれよあれよという間に

制服を脱がされた。


「変わったお召し物ですねえ」

「たまにトキ様が着てらしたものに似ているわ」

「今度のご楼主様は随分若いのね。肌のハリが素晴らしいわ。私は最近、若い人に化けるのも一苦労で。何か違うのよねぇ、何かしらねえ」

「あら姐さんは色々と古臭いのよ。眉墨(まゆずみ)の描き方から何から」

「まあひどい。ご楼主様、聞きました?」


 女が三つで(かしま)しい、とはよく言ったものだと私は最近学習した漢字を思い返していた。同じ着物を着た白い手が入れ替わり立ち代わり私の身体に触れ、顔の側を横切る。ご楼主様、と呼ばれて何か反応を見せれば嬌声(きょうせい)が上がった。可愛い、可愛らしい、けらけらうふふ。クスクス。初め数人だった女の数はいつの間にか膨れ上がり、部屋いっぱいにくらくらするような匂いが満ちる。母の匂いと同じだ、と思った。その匂いが近づいてきて、

私の顔をはたく。


「あらぁ!白粉つけすぎよぉ!若いんだから少しでいいのって」

「口紅の色はどうしましょうかねぇ。お顔が白いから、淡い色がいいかしら」

「髪も艶々!羨ましいわぁ」

あっちこっち引っ張られ、熱気と化粧と香の匂いに酔う。いい加減気持ち悪くなってきた頃、やっと解放された。

「あら」

女たちの口がはたと閉じられる。どこからか息を呑む音がした。


「ずいぶんと、変わるものねぇ」


 そんな言葉と共に鏡を差し出され、覗き込むとそこには知らない女がいた。着物の上に一際豪奢(ごうしゃ)な薄紅の打掛(うちかけ)を重ね着し、化粧をしている女が。時代劇の姫がこんな格好をしていた。


「可愛い子だとは思っていたけど、ここまでべっぴんさんになるなんて」

「でも、トキ様とは似てないのねぇ」

「どっちかっていうと__様似じゃ、」

「もういいかい」

また姦しさが戻る前に、部屋の外から天霧の声がかかった。私というより、女たちが作り上げた作品になった気分で彼の前にすごすごと進み出る

と、面の目が大きく見開かれる。


「驚いた、随分……」

「あんまり見ないで。恥ずかしいから」

「すぐ慣れるよ。それにしても見違えた。どこぞの姫神かと思ったよ」

褒め言葉に頬を染める。お世辞と分かっていても美しい造形をした天霧に褒められるのは嬉しかった。目を隠していても、整った骨格と端正な佇まいは隠せない。

「天霧の方が神っぽい」

そう言うと、女たちの間にさざ波のように笑い声が広がった。


「さあご楼主。百十二階からはいよいよ見世の中だ。心の準備はいいかい」

「うん、大丈夫」

少し息苦しくなった呼吸をして、天霧の手に掴まる。妖怪がいて、遊郭で、私が楼主?不安を煽る要素しかないのに、不思議と落ち着いているのは天霧がいるからか。母と見知らぬ男とその息子がいる家に帰る一歩より、安心して踏み出した一歩。(ふすま)を開け放った先に、喧騒(けんそう)が待っていた。



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