17 彗星の如き火矢
がしゃん。部屋の外から、大きな音がした。一瞬で座敷は静まりかえる。
「な、何の音……?」
ずる、ずる、ずる。続いて聞こえてくる、何かを引き摺るような音。
「ね、ねえ。なんか、蛇が這う時の音に似てない……?」
息をつめる。手足の毛穴から、どっと嫌な汗が吹き出してくる。やがて部屋の前でピタリと音が止まった。日が落ちはじめ暗くなってきた部屋の中で、唯一明るい色をした障子にそれの影が映る。ひっと喉から空気が漏れる音がした。大きく鎌首をもたげ、障子を突き破らんとしているそれは。
「「「蛇だ!!!」」」
絶叫と共に障子が吹き飛ばされ、巨大な大蛇が勢いよく部屋を突っ切った。
「きゃあっ!」
私の頭上を生温い風と共に通り過ぎ、格子窓を破壊する。びゅうと春の風が吹き込んできて、木片が降り注ぐ。
「あまり!」
浦風が禿と私を抱き込んで木片から庇った。
「っ浦風!!」
「大丈夫だ、何ともない」
「何ともないわけ……!」
何ともないわけない。木片は浦風の背中を直撃していた。負傷しているはずだ。
「平気だ平気。俺はそこそこ妖力があるから、多少怪我したところで回復する。それより、逃げるぞ。あの蛇は飢えている、危険だ」
窓を破壊した大蛇は、ぐるりととぐろを巻いて再び座敷へと戻ってくる。目は爛々と血走っていて、明らかに常軌を逸していた。は、はぁ、はぁ。蛇から漂う妖力に身体がすくむ。これは、深雪の時と同じだ。
「しっかりしろあまり。怯えると狙われる。俺が蛇を引きつけるから、その隙に……」
そう言った浦風が、次の瞬間あっという間に遠ざかってゆく。違う、これは私が飛ばされているんだ。大蛇の巨大な胴体に弾き飛ばされ、窓辺に強かに身体を打ちつける。
「っ!!!」
衝撃と痛みに、一瞬意識が遠のきかける。
「あまり!っ、妖力が強い奴は残ってあいつを引きつけろ!それ以外はその隙に部屋から出ろ!」
浦風の怒号が聞こえる。
__ 天霧サンと深雪は!
__ お二人とも見世にはいません! 特に天霧様は、花街の外へ用事っ、で、今夜は泊まり、うわぁっ!
__ クソ!
そんな会話を遠くに聞きながら、私はふらふらと立ち上がった。逃げなくては。怯えると狙われる。逃げなくては。足に力をこめる。ぼんやりする視界を無理矢理叩き起こし、正面を向いて、固まった。
大蛇が、真っ直ぐにこちらを見ていた。
「シューッ、シューッ、シューッ、シューッ……」
南天の実のように真っ赤な瞳が私を捉える。二股に分かれた舌がチロチロと見え隠れする。蛇が舌を出すのは、獲物の動きを捉えるためだとか。獲物の、動き……今の、私の。
「っひ、」
喉が引き攣れたように動く。その代わりに、足は畳に根が張ったように動かなかった。足の裏をピッタリと地面につけたまま、ガタガタと震えるだけの私の足。
「あまり!」
浦風の声が聞こえる。禿たちの悲鳴が聞こえる。シュウウウウウウウウッッッッッッ。得たりとばかりに、蛇の頭が私へと弾丸のように飛び込んでくる。
刹那。
彗星のごとく真っ赤に燃えながら飛んできた何かが、大蛇の脳天に突き刺さった。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
楼閣全体がグラグラ揺れるような唸り声を響き渡らせ、大蛇は私の眼前で身悶えた。見ると、その頭に立派な矢が高々と突き刺さっている。続いて二発、三発、四発。ごうごうと矢尻に火のような何かを纏わせて、それは窓の外から飛んでくる。
__ あッは!
夕暮れに紛れて高笑いが聞こえた気がして、思わず窓の外を振り返った。
「っ深雪?!」
どこかの見世の楼閣のてっぺんに立っているのは、間違いなく深雪花魁だ。濃紺の着物の片方をはだけて肌を晒し、弓を引き絞っている。ビキビキと白い肌に隆起する筋肉。ギリィッ、と引き絞る音が聞こえる気がした。ぺろりと舌を出し、楽しげに笑っている。彼が弓を引くと、矢尻がぼうっと燃え上がった。直感でこれは妖力だと悟る。大蛇を一撃で屈服させてしまうほどの、強い妖力。それが、再び放たれる。
「うわあっ?!」
ゴウっと火矢が大蛇に突き刺さる。のたうちまわり、天井から粉塵がバラバラと降ってくる。
__ そらもう一発ッ!あッはは!
高らかに笑い声をあげて矢を放つ深雪。何だ何だと妖怪たちが集まってくる。
__ 誰だ、うちの見世の屋根に乗っているのは!
__ 降ろせ降ろせ!
わらわらと、深雪を引きずり下ろそうと楼閣へよじ登る妖怪が現れる。深雪を見て、ギョッと後退りする。
__ 天両屋の深雪じゃねェか!
__うわぁっ、火矢だ!危ねぇっ!!
__ 深雪?!あの深雪花魁か?!
段々と騒ぎは大きくなり、次第に深雪のいる場所までよじ登ってくる妖怪たちが増える。
__ チッ、雑魚どもが!
舌打ちした深雪は、楼閣から飛んだ。それから物凄い速さで、様々な見世や茶屋を屋根づたいに移動する。鋭い指笛を鳴らして、現れた竜の背に飛び乗った深雪は立ったままぎりりと矢をつがえた。
ごうっ。頬を熱い火矢がかすめる。背後の大蛇が断末魔の絶叫をあげた。
そして、次の瞬間末期の力を振り絞ってこちらに突進してきた。
「!」
気づけば、窓の外に身体が投げ出されていた。真っ赤な夕焼けが眼前に広がる。え、ちょっと待って。ここ何階だったっけ。え。
「きゃああああああ!!!!」
私ではなく、遥か遠くの地面にいる妖怪たちが悲鳴をあげる。風がびゅんびゅんと私の身体の上を通り過ぎていって、みるみるうちに地面が近づいてくる。
あ、これ死ぬな。
どこか他人事のようにそう思った時、びゅんと私の側で矢の音が鳴った。着物の袖が、一瞬楼閣の柱に縫い付けられる。
「み、ゆき、」
竜の背の上の深雪は、無表情で続け様に矢を放った。着物の袖を、襟を、帯を柱に縫いとめる。ビリビリと破けてまた落下するけれど、確実に勢いは落ちている。ぎりり、びゅん。頬をかすめ、温い血が流れる。
やがて、地面に足がつく頃には完全に勢いは止まっていた。ずるずると腰を抜かしてへたり込む私を、竜の背から飛び降りた深雪が見下ろす。息一つ上がっていない。
「あ……りが、とう」
「はっ、お前のためじゃないよ。天サンが、お前に色々した罰として同じ数だけ助けろって言うから従っただけさ」
深雪はくるりと弓を回すと、着物の合わせ目を直しながらぞんざいに言い放つ。それから、私の方をじっと見てふゥん、と鼻を鳴らした。
「ひどいざまだねェ」
「!」
ばっと身体を縮こめる。そうだ、今の私、着物が破れて。羞恥で顔を真っ赤にする私の横を通り過ぎながら深雪は言う。
「傷があるならさっさと治してもらいなァ。じゃねェと俺が天サンに怒られる」
「あまりっ!!」
その時、こちらに走ってくる複数の足音と、浦風の声がした。それを聞いた深雪は、瞬時に冷たい表情に戻る。
「あぁうっとうしい鵺が来た」
頭を振って、今度こそ踵を返す。夜見世が始まったのか、シャンシャンとあちらこちらから三味線の音が響き始めていた。




