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1 宙ぶらりんの子

 祖母が死んだ。


 優しい祖母だった。両親ともに疎まれていた私の、唯一の居場所。彼女は今、目の前で黒い額縁に入れられて微笑んでいる。読経の声が朗々と響く。


『あまりちゃん、次あなたの番よ』

囁かれて重い腰を上げた。抹香(まっこう)を額に押し当てる。


『おばあちゃん、どうして私を置いて逝っちゃったの』

遺影の祖母は、微笑んだまま何も答えない。


○●○



 法要が終わり、精進落(しょうじんお)としの会食の用意が始まる。慣れない和室で中学の制服を着て俯く私に声がかかる。

「ほらあまりちゃん、ぼうっとしてないで手伝って」


 名も知らぬ親戚であろうおばさんがお盆を片手にこっちを見ていた。

「すみません、気分が悪いので……失礼します」

目を逸らして立ち上がり部屋の外へと急ぎ足で歩いていると、背後からひそひそと囁き声が追い縋ってきた。


_なあに、あの子。感じ悪いのねぇ。

_ 時江(ときえ)さんとこはおかしな人ばっかりやねえ。時江さんは、しょっちゅう家を空けていっつも怪しげなこと呟いてはったし、息子の大樹(たいき)さんはこないだ離婚しはったし、それでもって孫娘があれやろ?


 時江(ときえ)は、祖母の名だ。確かに変わったところはあったけれど、優しくて芯が強くて大好きな祖母だったのに。


 陰口から逃げるように板敷きの長い廊下をひた走る。春だというのにしんと冷えた廊下の突き当たりを曲がったところで、誰かにぶつかった。


「す、すみませ……お父、さん……!」

ぶつかった男は、私を認識するとまるで臭いものでも嗅いだかのように鼻にしわを寄せて目を逸らし、そそくさと脇を通り過ぎる。

「待って、待ってよお父さん! 何で無視するの?!」

「もうお前は俺の子じゃない。あの女の子供だろう」

くるりと振り向いた父は、そう吐き捨てた。『あの女』とは母のことだ。


 私の父と母は、数年前に離婚している。原因は母の浮気だ。外見も収入も父より魅力的な義父に、母はあっさりと乗り換えた。そして、二人いる兄たちは父の元へ、私は母の元へと引き取られたのだ。


「あの女とあの女の浮気相手に可愛がってもらってるなら、俺はいらないだろ」

そうして父は踵を返す。違う、違うのお父さん。私、お母さんに可愛がってもらってなんかない。


 母は……母は、私を居ないものとして扱うのだ。


 母は、夜の仕事をしていた。義父は堅い職業の人で、義父の連れ子の男児は立派な高校に通っていた。そんな彼らに、母は頭が上がらなかった。


『お父さん、これ、あの人の。出来の悪い娘で申し訳ないのですけれど』

母が初めて義父に私を引き合わせた時の言葉だった。

『ああ……あの』

そして、義父が私に向ける目はそこらの置物を見る様なものだった。


『あんたはあの人の娘だから、どうせ何も出来ないでしょう。お父さんの邪魔にならないようにしてなさい』

母は私のことを決まって『あの人の娘』と言う。そして別れた父のことを『あんたのお父さん』と呼んだ。


 お母さん、私、お母さんの娘だよ。どうしてそんな他人みたいに扱うの。お父さんはもう私が嫌いみたいなの。お母さんに見捨てられたら生きていけないのに。


 そんな悲痛な叫び声も、母には届かない。


「お父さん、置いていかないで!」

咄嗟(とっさ)に父の腕を掴むと、ドンと突き飛ばされた。思いの外強い力に、勢いよく身体が飛ばされる。そして、背後にいた誰かにぶつかってしまった。

 

「おや、危ない。大丈夫かい?」

柔らかな声。振り向くと、知らない男がいた。

「こんな幼い子に、酷いことをするものだ」

戸惑っている私に、男は問う。


「精進落としの会場はどこだい?」


○●○



 祖母の旧友だという男は美味しそうに冷酒をぺろりと何杯も飲み干している。他の参列者には目もくれず、ひたすら杯を重ねる様子にこの人はこれだけのために来たのではと疑いがつのる。

 「君の祖母……トキには色々と恩があってね。亡くなったとあらば門出を祝わなければ」

「……」

こんな若い男の人が、祖母と旧友?信じられない。いよいよ眉間の皺を濃くする私に男は言った。

「君はあまりだろう。トキから聞いているよ」

「!」


「君が不憫(ふびん)だって、ある程度の事情は聞いていたけどね。あれは酷い。実の娘を突き飛ばすなんて」

スッと男の掌が、私の頭に置かれる。撫でられているのだと把握するまでに、数秒かかった。

「え……?」


 それから、懐から包み紙にくるまれた飴を出す。

「あ」

「え……」

「口を開けて」

子供のような扱いをされ、思わず目を逸らして飴だけ摘み上げる。

「いいですよ、自分で食べられます」

「そうか、すまない」

男は柔らかな声音で笑った。先ほどから思っていたのだが、彼の声は聞いていて妙に心地よかった。


「居場所がないなら……俺と来るかい?」

「!」

思わぬ言葉に、ぽろりと口に含んだばかりの飴が零れ落ちる。慌てて紙ナプキンに包んでもう一度男を見る。彼はくすくすと笑ってさらに言葉を重ねた。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「え。」


 はらり。まるで幻影(ゆめ)から()めたように我に返る。男は……男は、真っ白な髪をしていた。着流しを着て、顔の上半分を布で覆っている。まるで彫刻のように完璧な骨格は、人間離れした異様な美しさを男に与えていた。布に描かれた縦に並んだ二つの目がギョロリと(うごめ)いて私は悲鳴をあげる。


 そうだ、なぜ気づかなかったのだろう。この男は異様だ。思えば、明らかにおかしな格好をしているのに誰も気に留めなかった。そして私も、それが不思議なこととは思わなかった。


「や、やだ……こわい……!」

咄嗟に立ち上がると、卓に膝をぶつけて寿司の乗った盆を落としてしまった。かなり大きな音が鳴ったのに、誰も何も言わない。


 否。誰も、いない。


 精進落としが行われていたはずの部屋はすでにもぬけの殻で、あちこちに食べ残しの皿が放置されていた。


 何が、どうして、さっきまであんなに賑やかだったのに。一体、何が起こって。怯えている私を見て、男は唇を引き結ぶ。


「……うーん、連れて行こうと思ったけれどやめておくよ。トキとも、君を連れて行かないと約束していたしね」

男は面布(めんふ)を揺らして立ち上がった。そして、布に描かれた目と僅かに見える唇でどこか寂しげに微笑む。


「じゃあね、あまり。二度と会うことはないと思うけれど、君の幸運を祈っている」

もう一度、私の頭に手を置いて部屋を出て行く。追いかけた時には、その姿は跡形もなく消えていた。


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