三章 王都奪還と同盟からの協力要請
四月、王都を奪還するために策を立てる。
「シンシア、ここはどうしたらいいと思う?」
ユーカリが地図を見せながらヴァイオレットに尋ねる。彼女は考え、
「……ここはこうした方が効率的かつ犠牲者も少ないと思います。この作戦なら、もしものことがあった場合にすぐ変更することも出来ますし」
そう答える。この兄妹が軍議に参加しているのを見ると感慨深く思った。今までロクに出ていなかったから、というのもあるがこうして仲良くしていると本当の兄妹という感じがしてアイリスはこの光景を好んでいた。
「先生の意見は?」
ユーカリに声をかけられ、アイリスは見惚れていたことに気付いた。なぜか、ユーカリがキラキラして見えているが、恐らく彼の髪が金色だからだろう。
「私は……」
意見を聞いていくと、すっかり夕刻になってしまった。この日は解散しようとヴァイオレット以外が立ち上がった。
「ヴァイオレット、どうした?」
アイリスが聞くと、ヴァイオレットは「あぁ、私はもう少し仕事を片付けようと思って」と笑った。
「なら、俺も手伝うぞ」
ユーカリが申し出ると「いえ、ユーカリ様は夕食を食べてください。流浪中も軍と合流した後もあまり食べていなかったんですから」と言った。
「それを言うならお前もだ。お前は俺より酷いだろう」
「私は慣れているからいいんです。ユーカリ様は王族、貴族とは全く違うんですよ」
「ユースティティア家はかつて公国の王でもあっただろう。知らないとは言わせないぞ」
「……二人共だからね」
……とりあえず、この軍将と軍師の生活を何とかしないといけないかもしれない。
結局、食堂に行っても仕事の話をする兄妹に見かねたシルバーが「二人共、ゆっくりした方がいいですよ」と声をかけた。
「だが……」
「今までロクに休んでいなかったんですから、いきなり無理すると倒れますよ。特にヴァイオレットはただでさえ仕事が多いんだから」
幼馴染の中で年上であるということもあり、ユーカリはおとなしく従った。しかしヴァイオレットはなおも仕事をしようとしていた。書類を持とうとして、シルバーにとられる。
「はいはい、せめてちゃんと飯食ってからやれよー」
「ちょっと、それ重要書類……!」
必死になって身を乗り出しながら手を伸ばすヴァイオレットが可愛い。何というか……ほのぼのする。
「シルバー……これ以上シンシアをいじめると……」
――ただし、隣に兄がいなければ。
「わー!すみません、殿下!で、ですが食事はちゃんとしないと……!」
既に槍を構えているユーカリをシルバーは慌てて止める。いつの間に槍なんて持ってきていたのだろうか。
「殿下からも言ってくださいよ!」
「む……そうだな。シンシア、飯を食ってからならやっていいみたいだぞ」
「……分かりました」
そうじゃないんです殿下。いやさっきの自分の言い方的にはあっていたけど、どちらかと言えばちゃんと休むように言ってほしいんですが。
しかし、この二人は根っからの仕事人間。休息の取り方と言えば鍛錬あるのみ。他に何をするかと問われたら時々本(戦術書)を読む程度。そんな人間に休憩しろなど、ある意味無茶ぶりだったのかもしれない。
「あ、ヴァイオレット。一緒にいいかな?」
「私もいいか?」
その時、アイリスとアドレイが来た。ユーカリとヴァイオレットは頷くと二人はそれぞれ席に座る。
「今日はちゃんと味付けしたよね?」
「時間がなかったので、食堂の人に作ってもらって……」
「ユーカリも栄養あるものを食べなさい」
「こ、心がけよう」
その様子を見て、シルバーは気付く。ユーカリはアイリスに、ヴァイオレットはアドレイに好意を抱いていることを。そしてその逆もまたしかり。俗にいう「両片思い」というものだ。からかってやろうかと思ったが、殺されそうだ。主にユーカリとヴァイオレットに。
後はこの二人に任せるかとシルバーは書類を机に置いて立ち去った。
深夜、シルバーが歩いているとヴァイオレットを見かけた。
「よう、ヴァイオレット」
手をあげると、気づいたらしく近付いてきた。
「こんばんは、シルバーさん。また女遊びですか?」
「挨拶して第一声がそれって酷いぜ……?」
「冗談です。いや、半分は本気で聞きましたが」
ヴァイオレットは軍師という立場上、それなりの個人情報は耳に入っている。メーチェからいつも怒られているということもあり、シルバーの女癖の悪さは知っていた。
――彼が本当は、女性嫌いであることも。
「今日は一人なのか?」
「息抜きしているだけですよ。すぐに戻ります」
「なら、少しつき合ってくれよ」
「まぁ、構いませんが」
許可を取り、少女の隣に立つ。何でもない話をしていると、不意にシルバーが黙ってしまった。
「どうしました?」
「いや……その……ごめん」
「何が?」
いきなり謝ってこられたのでヴァイオレットは驚く。何に対して謝ってきたのか分からない。
「殿下が部屋で寝ている時、あんたが手を回してくれていただろ?」
「あぁ、そのこと……別に、私が一番傍にいたんですから当然でしょう」
「あんた、そのたびにいつも怪我していたよな?」
「……………………」
まさか、それを知られていたとは思わなかった。ヴァイオレットは視線を逸らす。
「偶然見ちまってな。あんた、全く言わないから知らなかったよ」
「知らなくてよかったのに」
「自分の主君を救ってもらった上にずっと支えてもらったんだ、その間にどんな苦労があったか知る権利はあるだろ」
「……そんなものですかね」
ヴァイオレットは基本的に秘密主義だ。だから内緒にしたいのなら聞かないし、話さない。気付いていてもわざわざ聞かないのは本人から話してくれるのを待っているから。
だから、彼の女嫌いだという話も自分から話してくれるまで待っている。そうするしか、出来ないから。
相変わらず、心の中は寒い嵐が吹き荒れていた。
平日、皆でヴァイオレットの講義を受けていた。彼女は義賊としての知識と貴族としての知恵を教えてくれる。
「この薬草は止血する成分があって……」
「軍はここをこうやって進めたら……」
そうして受けていたが、
「と、まぁここまで話してきましたが……王都奪還を目指すにあたり、この作戦は使いません」
そう言ってのけた。じゃあ今までの講義は何だったのかと皆が思うが、
「今回使う戦術はこれを応用したものです。これを実行するには今話した戦術を理解してもらなければいけなかったので話させていただきました」
分からないところがあったら聞いてください、と質問を受け付ける。次々質問され、それに答えていくと皆が納得したようなので話を進める。
「では、ここは……」
さすが天才軍師だとアイリスは思った。皆が納得する戦術を生み出すのは簡単なことではない。五年前、戦いしか知らなかったアイリスは生徒達を守ることで必死だった。今でこそ余裕があるが、あの時はそうではなかったと思う。
「……リス、アイリス」
自分を呼ぶ声にハッとなる。目の前にはヴァイオレットの顔があった。
「どうしたの?ずっと上の空だったけど」
首を傾げる少女を見て、自分はぼうっとしていたことに気付く。
「あ、ううん。大丈夫、少し考えごとをしていただけだよ」
「……………………」
アイリスは笑いかけるが、彼女は納得していないらしい。数秒考えて、
「……今日はここまでにしましょうか」
ノートを閉じ、そう言った。大丈夫と言おうとするが、つんつんと顔をつつかれ、
「疲れた、って顔してる」
微笑まれた。アイリスは僅かに頬を染める。
「盗賊退治に魔獣討伐、仕事もありながらの講義だから仕方ないよ。すぐに王都奪還、というわけでもないからゆっくりしていこう」
「でも、君の時間を使っているわけだし……」
「私は仕事を前倒しするなり何なりすればいいだけだから大丈夫。どうせこの後もやることがあったから丁度いいし」
「やることって?」
「えっと……おじい様からもらっている仕事に国務、それから武器や傷薬の確認に……」
「…………………」
分かっていた。分かってはいたが……やはりこの少女は働きすぎだ。
「……何か手伝おうか?」
「え?いいんですか?」
「君は働きすぎだ、私や他の人に回せるものならそうするよ」
「……なら、少し意見をもらいたいんですけど……って休むように言っているのに申し訳ないですね」
「意見ぐらいでいいならいつでも構わないよ」
アイリスの言葉に他の人達も反応する。
「そうだよ!あたし達もちゃんと協力するから!」
「ヴァイオレットちゃんが民のために一生懸命働いていることは分かっているわよ~」
「わ、私も将来のために勉強したいです!」
「俺もアドバイスしてやるぜ?」
「……俺も、父上に頼まれたからな」
「殿下を助けてくれた恩は返す」
「ぼ、僕も何か手伝えるなら!」
「一緒にやろう。俺の仕事でもあるからな」
「私も王国をより良い国にするためにお手伝いします」
キョトンとヴァイオレットはそれを聞いていたが、頬をほころばせた。
「ありがとうございます。では、これなんですけど……」
皆で書類を見て、意見を出し合う。ヴァイオレットは「なるほど……そんな意見が……」と呟いていた。
「何とか報告書が書けそうです」
「これ、何だったの?」
「うちの領地の仕事ですよ。いろいろ面倒なことが積み重なってて……」
首を押さえながら困ったように笑う。彼女曰く、領地内にも盗賊や謎の集団が現れていていつ対処するべきか悩んでいるようだ。
「シンシア」
その時、後ろから男性の声が聞こえてきた。振り返ると、そこには……。
「……おじい様?」
「ヨハン殿ですか?」
そう、ヨハンだ。彼は神の遺産であるディルエロヒームを持っていた。それは五年前、シルバーの兄ニールが魔獣になった際、ヴァイオレットが使っていた弓だ。
「どうしたんですか?領地は……?」
「テレンスに任せている。一日でも早くこれをお前に渡したくてな」
ヨハンが弓を差し出すと、ヴァイオレットは戸惑った様子で受け取る。
「ほ、本当にいいんですか?私、まだ嫡子でもないのに……」
「当たり前だろう。本当は戦争が起こった五年前に渡さなければいけなかったんだ。私のかわりにたくさんの仕事をしながら戦場に出ている孫娘に出来ることと言ったらこれぐらいだろう」
ユスティシーの加護があらんことを、とヨハンはヴァイオレットを抱きしめる。祖父に抱きしめられて、ヴァイオレットは少し恥ずかしげだが抵抗はしなかった。
「お前には報奨を与えないとな。何がいい?」
「まだ戦争も終わっていないのに、気が早すぎます」
「いや、私からすれば遅すぎるぐらいだ。フレットの悲劇の真実を探り、闇に生きる者「トリスト」の情報を集め、一花繚乱の模擬戦の時も仕事の合間を縫って私に付き添ってくれ、処刑されそうになっていた殿下を救い出し、ずっと支え続け……今なお戦争の終結とその後の民の生活のために動いてくれている。これまでの働きを見ていると報奨程度でいいのか疑わしいぐらいだ」
「もう、大袈裟です。私は私に出来ることしかしていないんですから」
その光景は甘えさせたい祖父とそれを少し困ったようにしながら嬉しそうにしている孫娘に見えた。しかし、一つ疑問を持つ。
「一花繚乱の模擬戦の時……?君、いたの?」
そう、それだ。ヴァイオレットの姿はどこにもなかったような……。少し考え、少女の剣を見て思い出す。
「あぁ、もしかしてあのフードの男の子……」
彼女の持っている剣はあのフードの男の子と同じものだ。見たことあるなと思っていたが、ヴァイオレットだったのか。あの時から女の子にしては背が高いからか遠目から見るとやはり男の子に見える。
「そうですね。でも、先輩は既に気付いていると思っていました」
イタズラっぽく笑う少女は年相応のもので、本当に自分達より年下なのだと思わされた。
「それにしても、男の子、か……」
「あ、ごめん。君は女の子なのに」
「いや、むしろ少し嬉しい。男装しているから、男に見られた方がいいし」
「君の場合、中性的な顔立ちをしているからね……」
ヴァイオレットは男性でも女性でも通じる顔だ。どちらかというと性格のせいで、男性と思われることが多いだけではないか。
それにしても、ヨハンの話を聞いていると彼女は随分と暗躍していたのだろう。それこそ、自分が教師になる前から。そう考えると、ヨハンの言う通りただの報奨だけでは足りない。
「先輩?何か言いたげですね」
「あ、いや。ヨハン殿の言う通りだなって」
「報奨のこと?……そうですね、なら一つだけ」
「なんだ?」
ヨハンが身を乗り出す。他の人達も気になるらしく、ヴァイオレットを見る。
「ユーカリ様が王位に就き、全ての民が誇りを持てる国を作ること。それだけで、私の働きは報われますよ」
ヴァイオレットは笑って、そう答える。それに皆してキョトンとした。
「それでいいのか?」
「当たり前です。それ以上は望むつもりもない」
彼女らしいとアイリスは思った。他人の幸せのみを最優先にする、この少女らしいと。
「だから、絶対に王都を奪還しましょう」
あぁ、そのために前に進めるこの子が眩しい。貴族でありながらそんな暮らしに甘えず、他人のために全ての障害を壊すこの子が。
「ところで、おじい様はどうされるんですか?今日は泊っていかれます?」
「そうだな。帰るには遅いし、そうさせてもらおう」
「なら、私の部屋を使ってください。どうせほぼ使っていませんし、掃除ぐらいはしているので」
「……お前はどこで寝るつもりだ?」
「え?もちろんここで。大丈夫、少し首が痛くなるぐらいで支障はありませんし」
……この子の生活習慣も一度壊して直してあげた方がいいのかもしれない。
王都奪還に向けての作戦を何度も練り直し、四月の最終週に王都に向けて遠征を始める。
野営をしていると、ユーカリが傍に来た。
「先生」
「ん?どうしたの、ユーカリ」
「隣、いいか?」
「構わないよ」
ユーカリが座ると、沈黙が流れる。(恐らくヴァイオレット以外は)皆寝ているので、自然の音しか聞こえない。
「……シンシアは、な」
やがて、その沈黙をユーカリが破る。ヴァイオレットは二人の数少ない共通の話題だ。
「エステル嬢と一緒に、一度だけフィリア城に来たことがあるんだ。まぁ、彼女が覚えているハズがないんだがな」
「そうなの?」
「あぁ。シンシアはその時赤子だった。会ったのも、本当に偶然だったんだ。父がエステル嬢と話していてな、それをたまたま見かけた。エステル嬢の腕には、俺によく似た女の子が抱えられていた。その子がシンシアだった。エステル嬢は「この子は泣きも笑いもしない」と困ったように言っていたが……幼い俺がシンシアを抱えたら、僅かに笑って小さい手を伸ばしてくれたんだ」
「可愛かっただろうね」
赤子のヴァイオレット……想像しただけでかなり可愛い。しかし彼は「問題はそこじゃないんだ」と言った。
「シンシアは俺と同じで「金髪碧眼」だった。だが今は違う、菫色に赤眼だ。……恐らく、先生と同じで女神から力を授かったんだと思う」
「そう、なの?」
「多分だけどな。……「女神ユスティシー」というのは恐らくあんな姿なんだろうな」
そういえば五年前、エメットに「妹の女神は菫色の髪だ」と言っていた気がする。ユースティティア家は女神の血を引いているからか、ヴァイオレットからは自分と似たような力を感じる。
「先生がシンシアと会った時はどんな姿だった?」
「その時は既に菫色の髪だったよ」
「そうか……彼女が住んでいた村……ラメント村は荒廃する前、一度謎の集団に襲われたんだ。その集団を追い払ったのは五つにも満たない少女だったらしい」
「何の話をしているんですか?お二人共」
不意に後ろから話しかけられ、二人は同時にビクッと震える。
声をかけたのはヴァイオレットだった。
「あ、あぁ。丁度お前の話をしていたんだ」
「私の話?」
「そうだ」
「私の話など、面白いこともないでしょうに……」
おかしそうに笑うが、その瞳には僅かな寂しさが宿っていた。その理由を聞くことが、二人には出来なかった。
王都に着き、共和国の軍と戦う。魔獣も混ざっていたが、慣れているヴァイオレットが引き受けてくれた。
あっという間に共和国の軍は落とされる。アマンダは膝をついた。
「くっ……!やはりあの時貴様とシンシアを逃がしたのが失敗だったか……!」
ユーカリを前にして、アマンダが悔しそうに睨みつける。彼はファヴールをアマンダの首に突き立てた。
「聞きたいことがある。貴様、「フレットの悲劇」について知っているか?」
「知ったところで何になる?」
「答えろ。誰が関わっていた?」
すると、アマンダはニヤリと笑った。
「貴様の継母が関わっている、と言ったら?」
「なっ……」
彼の継母……つまり、アネモネの実母が関わっているということだろうか。ユーカリは動揺しているが、魔獣を倒したヴァイオレットが傍に来て、
「……ユーカリ様」
心配そうな顔をする。ユーカリは「……っ。なら、他には?」と尋ねる。
「どうだろうな。私から言えるのはそれだけだ」
「これ以上は情報を得られないのでは?」
ヴァイオレットが言うと、ユーカリは一つ息を吐き、アマンダの首を飛ばした。
「ユーカリ様の継母……エイミー王妃が……もう少し情報を探ってみる必要が……?」
ヴァイオレットがブツブツと何かを呟いているが、ユーカリが声をかけると「あ、すみません」と彼を見た。
「どうしましたか?ユーカリ様」
「すまないが、もう少しフレットの悲劇について調べてくれないか?」
「もちろんです。ガザニアさん達フレット人のためにも」
「悪いな、俺が出来たらいいんだが……」
「隠密行動は慣れていますから」
どうやら二人はまた一から洗い直してみるようだ。真実を追い求めるため、その方がいいと思ったのだろう。
「そうだ、ユーカリ様」
ヴァイオレットはユーカリとアイリスの手を引き、テラスに連れて行く。そこには、
「……これは」
「あなたの帰りを待っていた民ですよ」
目の前に広がる光景は、ユーカリが予想していたものと違っていた。ただ、自分を求めていた声。
「ユーカリ殿下、万歳!」
「ユーカリ殿下、我々を救っていただき感謝いたします!」
「シンシア嬢、殿下を導いてくださりありがとうございます!」
「そちらの女性も、殿下を守っていただき感謝します!」
自分達をほめたたえる声。それを見て、聞いて、ユーカリの頬からは一筋の雫が流れた。
「いい、のか?俺は、ここにいて……」
その雫を、アイリスが拭った。ヴァイオレットも彼に微笑みかける。
「いいんですよ。そのために私はあなたをここまで導いたんですから」
「そうだよ。君は立派な王族だ」
恩師と妹に言われ、ユーカリはぎこちなく笑った。それはもう、死者に囚われている者の笑みではなかった。
その夜、フィリア城で祝勝会が開かれる。思えばヴァイオレットは初めてではないだろうか。
「ほら、ヴァイオレット!もっと食べな!」
「そんなに食べられないのでやめてください、シルバーさん」
「飲み物がないな?これを飲みな!」
「私は未成年なのでお酒は飲めません、アンドレアさん」
……随分絡まれているが、多分大丈夫だろう。かの有名な義賊ヴァイオレットだし。なんか助けてくれと目で訴えられている気がしないでもないが、こうなるとどうしようもない。頑張れ、と返しておく。
アイリスはそっと抜け出す。夜風に当たっていると、ユーカリが来た。
「先生、どうしたんだ?」
「ユーカリか、私はちょっと疲れてね。君は?」
「俺もそんなところだ。皆、シンシアを構っていたからな」
「あぁ。あの子も疲れているだろうけど、あの状態じゃ抜けられなさそうだね……」
あはは……と二人で笑う。やはり年下には構いたくなるものだろう。それが滅多に甘えてこない子であるならなおさら。
「……先生、ありがとう」
「急にどうしたの?」
「先生とシンシアがいなければ、俺は王都を奪還するどころか今頃どこかで野垂れ死んでいただろうからな。感謝してもしきれない」
「私は当然のことをしただけだよ」
「お前は元傭兵でただの教師だろう。シンシアもだが、本当ならこうして王国軍として戦争に出なくてもいい人間だ」
ヴァイオレットは義賊、アイリスは傭兵。本当ならどこかに与して戦う、なんてことをしなくてもよかったのだ。特に目の前の女傭兵が自分達と共に戦う理由は「教え子だから」だろう。同情で、この戦争に巻き込んでしまったのではないか。
「……ユーカリ、何か勘違いしているみたいだけど」
アイリスがユーカリの手を取る。その強い瞳にユーカリの胸は高鳴った。
「私はただ、君達を守りたいという「自分の意思」でここにいるんだ。ヴァイオレットだってそう。君を支えたいという一心で君についてきた。だから、君が気に病む必要はない」
先生の言葉に、何度救われただろうか。自分は彼女に助けられてばかりだ。そんな彼女に、自分は何を返せるのだろうか。
何も思いつかないが、せめて、この戦争が終わったら皆で笑い合おう。ユーカリは一人、星空に誓った。
それから、戦争の終結のために修道院に戻る。王都は信頼出来る者に任せているので大丈夫だろう。
修道院に戻って数日後、五月に入るとグロリオケから手紙が来たとヴァイオレットが持ってくる。
「グロリオケから?なんて?」
「何でも、ユーカリ様と話がしたいと。……彼が嘘をつく理由もありませんし、応じても構わないと私は思いますが」
ただしその場合、帝国軍と戦うことも想定した方がいいでしょうという軍師の意見にユーカリは考え、
「そうだな。場所はどこだ?」
「カキツバタ領の中心都市です。地理は私がよく知っているので安心してください」
「分かった。……悪いな、何から何まで」
「いえ、仕事量が減って逆に何かしたいぐらいですから」
なぜこの子は休むということを考えないのだろうか。いや、義賊で休む暇がなかったからそんな生活に慣れてしまっているだけだろうか?
「……ヴァイオレット、倒れないようにしろよ~」
シルバーが少し呆れた声で言うが、それが本人に届いたかは不明である。
準備に準備を重ね、同盟国に向かう。指定の場所に行くと、既に帝国軍と同盟軍が戦っていた。早く援軍に入ろうと前線に出る。
「グロリオケ!援軍に来たぞ!」
「ユーカリか!ありがたい!」
同盟軍にはネモフィラとエメットもいる。彼らに矢が当たりそうになるが、ヴァイオレットとアイリスがそれを剣で斬り捨てる。
帝国軍はアネモネの伯父……つまりヴァイオレットの伯父がその軍の将だった。ヴァイオレットもそれに気付いたが、それでも前に立つ。
「……初めまして、そしてさようなら。伯父様」
「お前は……もしかしてシンシアか?今からでも遅くない、帝国に来るんだ」
「嫌ですよ。私は王国軍の一員、今更彼らを裏切ることはしない。……今度は、地獄で会いましょう」
ヴァイオレットは剣で、伯父の胸を貫いた。それを抜いたと同時に彼女の伯父は倒れる。少女は剣についた血を払い、鞘に収めた。
――あぁ、やはり彼女には辛い選択だ。
こうして自分の身内を敵に回し、殺さなければいけないのだから。どちらを選んでも、彼女が苦しいだけだ。それを表に出さないのが、さらに胸を締め付ける。
「グロリオケさんのところに行った方がいいのでは?」
ヴァイオレットは平然とした顔でユーカリとアイリスに告げる。その通りであるため、二人はグロリオケのところに向かう。
「ユーカリ、正気に戻ったんだな」
「あぁ、申し訳なかったな」
「いや、構わないさ。あんたらをここに呼んだのは他でもない、同盟は解散するからだ」
突然告げられた言葉に二人はキョトンとし、「はぁ⁉」と声をあげる。
「同盟領の貴族達には既に伝えている。俺もやりたいことがあってな、後は任せた」
「いやいやいや、突然すぎるだろう」
ユーカリが考え直すように言おうとするが、その前にグロリオケは「言っていなかったが」とあっさり白状する。
「俺、実はヘオース王国の王子でもあるんだ」
「……は?」
「俺はヘオースで外からディオースを変えたい。だからお前達に頼むんだ」
ヘオース王国はディオースの外の国で、同盟国とは敵対関係にあったハズなのだが……。そこまで考え、ヴァイオレットの出生を思い出す。……恋とは、難儀なものだと思った。敵同士という概念すら飛び越え、その上で愛していても別れなければならないこともあるのだから。
「ヴァイオレットには先に手紙で伝えたさ。ただ、これは自分で直接言った方がいいだろうと思ってな」
「ヴァイオレットは知っていたの?」
「あぁ。彼女からは俺と同じ「異物感」を感じたからな。同類だと思ったんだ」
それは先生からもだな、とグロリオケは笑った。異物……皇族と王国貴族の血を引いている、ということだろう。だが、自分もというのはどういうことだろうか?
それに答えることなく、グロリオケは手をあげて「また会えるように祈っているよ」と去っていった。
「……行ってしまった」
「……そうだね」
とりあえず、盟主である彼が解散すると言ったのだから、本当にそうなるのだろう。そうなった時、誰が同盟領を支配するのか。答えは言わずもがなだろう。
「……あいつは本当に、面倒な役目を押し付けるな……」
困ったように笑うユーカリはまんざらでもなさそうだった。その様子を菫色の少女は微笑んで見ていた。
修道院に戻った夜、ヴァイオレットは温室に来ていた。そんな彼女の元に、ユーカリが来た。
「シンシア、まだ寝ていないのか?」
「ん……ちょっと見たい花があって」
「見たい花?」
少女の瞳には、スミレと勿忘草が映っていた。
「……この二つか?」
「えぇ。スミレと勿忘草が好きなんです」
意外……というわけでもないかもしれない。スミレは「謙虚」、「誠実」という花言葉だ。しかし、勿忘草の花言葉は知らない。
「……勿忘草の花言葉は、「私を忘れないで」と「真実の友情」なんです」
「そう、か」
「兄様」
ヴァイオレットはユーカリを見つめる。――一瞬だけ、目の前の少女が金髪碧眼になった気がした。
「どうか、僕を忘れないで。「人間」だった、僕を」
その姿は、泣いているように見えた。
少女が兄の頬に手を伸ばす。そして僅かな光がその手から溢れた。
「眼帯、外してください」
指示されるまま外すと、視界が広がっていた。右目の視力が戻っていたのだ。そんな魔法があったのか、と少女の顔を見て、目を見開く。――彼女の右目の光が消えていたのだ。
「お前、何を……」
「ユスティシーの力って、知っていますか?」
突然聞かれ、ユーカリはキョトンとする。すぐに答えられない兄に少女は笑う。
「――未来を変える力、ですよ」
「未来を、変える……?」
「そう。姉アモールは時を巻き戻し、妹ユスティシーは未来を変える。それが出来るだけの力を持っている。……ただし、それを人間が使うには代償を払わないといけない。だから、変えられない時だってある」
その説明だけで、ユーカリは理解した。つまり、少女は右目を代償にして自分の右目の視力を戻した。
「何、馬鹿なことを……」
「私なら特に支障はありませんが、ユーカリ様には必要でしょう。それなら、渡した方がいい」
――この子が怖いと思った。簡単に自分を犠牲に出来てしまうこの子が。もしかしたらもう既に、人間ではないのかもしれない。
ヴァイオレットはただ、女神のように静かに微笑んでいた。