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二章 失ったもの、手に入れたもの

 二月に入り、ヨハンにアクアマリン公爵ルドルフから手紙が来た。

『ヨハン殿、シンシア令嬢は元気でいらっしゃるでしょうか。私の愚息も世話になっているようで本当に面目ない。

 私はユーカリ殿下の元に行こうと思っております。恐らく、この戦争で私は死んでしまうでしょう。シンシア令嬢は私も守るとおっしゃっていますが、殿下を守護しようと必死な中でそこまでは大変なハズ。唯一の救いは、アイリス先生が彼の元に戻って来てくれたことでしょうか。とにかく、これ以上令嬢の負担になるわけにはいきません。私は王家に伝わる神の遺産「ファヴール」を持ち出すことに成功いたしました。これを持って殿下の元に参ります。ブルガトーリョで引き渡す予定ですが、恐らく密偵者がいるだろから気を付けてほしいと言われております。

 ヨハン殿、どうか私のかわりに殿下の支えになっていただきたい。きっと、シンシア令嬢は殿下を支え、全てを背負われるでしょう。私もどうなるか分からない。そうなってしまった時、頼れる砦であってほしい。

 親愛なるヨハン大公爵よ、あなたに全てを託します。どうか、シンシア次期大公爵と共に王国を勝利へと導いてください。

ルドルフ=ベルク=アクアマリン』

 それを読み、ヨハンは今なおユーカリの傍にいるであろう孫娘を思い出す。

 ――もし必要であるならば、殿下のためにその命を捨てろ。

 自分はそう言った。そして孫娘はそれを了承した。……きっと、本当にそうしてしまうだろう。あの子は母が死んでしまったのは己のせいだと思い込んでいる。そのせいで自分の命を軽く見ているのだ。

 ヨハンは孫娘に手紙を送ることにした。ルドルフのことと、ユーカリのこと。そして、自分を大事にするように、ということを。



 二月に入っても、ヴァイオレットはユーカリの傍にいた。いつも通り長椅子で書類を見ていると、手紙が混じっていることに気付く。

 それを読み、返事を書く。そしてすぐに配達するよう告げる。

 次の日、アイリスに二月の最後の週にブルガトーリョに行くことを伝える。

「ブルガトーリョ?」

「女神の怒りが落ちたと言われる場所です。王国は寒冷な土地ですが、そこだけは人が住めぬほど暑く、近付く者はいません。ここである人と会います。ただ、この軍は暑さに強くない者が多いので覚悟して行かねばならないでしょうね」

 明日の軍議で伝えていてください、とヴァイオレットは告げる。ある程度の策も立てているので意見があれば紙に書いていてほしいと言われ、アイリスは頷く。本当なら軍師である彼女も会議に出るべきだと思うが、ユーカリのことを考えるとこの方法がいいだろう。ヴァイオレットにもかなりの負担をかけていると思う。

 次の日、軍議を開いていると一人の修道女が慌てた様子でやって来た。

「せ、先生!大変です!」

「どうしました?」

 彼女の耳打ちを聞くと、「すまない、少し待っていてくれ」と言ってアイリスはすぐに行ってしまった。

「どうされたんです?」

 アダリムがその修道女に尋ねると、彼女は「実は、ユーカリ殿下が……」と先程よりいくらか落ち着いた様子で答えた。


 アイリスは走って聖堂に向かう。早く、早く――!

「ユーカリ!落ち着け、その子は味方だ!」

聖堂での光景を見た途端、そう叫んでいた。ユーカリがヴァイオレットの首を強く絞めていたのだ。

担任の声が聞こえたのか、ユーカリは力を緩める。ゲホゲホと咳込んでいるヴァイオレットの頭からは多量の血が流れている。ガレキには血がついているので、恐らく勢いよくぶつけられたのだろう。

 アイリスは座り込んだヴァイオレットに自分の上着をかける。

「大丈夫か?ヴァイオレット」

「えぇ……」

 彼女は頷くが、顔色が悪い。血を流しすぎたのだろう。

 他の人達が追いかけてきた。そして、ヴァイオレットの様子を見て息を飲む。

「アドレイ、ヴァイオレットを部屋まで連れて行ってくれ。軍議は明日以降に持ち越そう。ヴァイオレット、君はアンジェリカ先生に診てもらって休むように」

 声が出ないのだろう、ヴァイオレットは頷く。アドレイが肩を貸し、ヴァイオレットを支えながら部屋に戻った。

「ユーカリ、どうした?」

 それを見送ったアイリスはユーカリの背を軽く叩きながらどうしてあんなことになったのか分析する。彼は「あいつを、始末しろと……」となおも虚ろな目で呟いた。

 ――なるほど、死者のせいか……。

 しかし、ヴァイオレットもなぜ抵抗しなかったのか。彼女ほどの実力者なら振り払うことも出来ただろうに。

 ……いや、わざとか。

 妹の性格は、自分がよく理解している。見捨てられないのだ、苦しんでいる人を見ると。たとえどんなに傷ついてしまっても、死んででも助けたいと思っている。

「皆、各々で休んでくれ。ユーカリは私が何とかする」

「で、でも、危険では……?」

「何かあったら対処出来るのは私だ。大丈夫、安心して」

 他の人達は不安そうだったが、元傭兵である担任教師が一番適任であることは誰もが理解している。それに、士官学校時代に慕っていた担任と五年間ずっと一緒にいた義賊の言うことならある程度聞いてくれる。深く考えた結果、渋々彼女に任せることにした。


 アンジェリカに手当てしてもらい、ベッドに座っているヴァイオレットにアドレイはどう声をかけたらいいのか分からなかった。

「すみません、アドレイさん。私はもう大丈夫なので」

 仮面を外した少女はとても美しくて、頭に巻かれた包帯が場違いな雰囲気を醸し出している。それでも、彼女は女神のように微笑んでいた。

 横目で見ると、机の上には書類が積み重なっている。そのほとんどは既に終わらせていた。ユーカリの近くにいる傍ら、いつやっているのか。……いや、何となく分かっている。寝る間も惜しんで片付けているのだ。

 何度か眠れずに聖堂に向かった時、僅かな灯りだけで書類に目を通している少女の姿があった。ユーカリはガレキのところで寝ていて、それを確認した後に見ているのだろう。本当は眠いだろうに、嫌な顔一つしていなかった。

「最低でも三日は安静に、か……。だったらとりあえず、仕事を終わらせて……」

「ま、待って。その怪我で仕事をするの?」

 アドレイが尋ねると、彼女はさも当然のように「時間があるんですから」と答えた。口が塞がらない彼にヴァイオレットは首を傾げた。どうしてそんな反応をするのか分かっていないようだ。

「あの、ね。アンジェリカ先生は、仕事はしなくていいから、ゆっくり休むようにって意味で言ったんだよ?」

 説明するが、「だって、何もしないのはもったいない」とまるで子供のように唇を尖らせた。そうだ、彼女は義賊だった。怪我をしても、余程のことがない限り休む暇など全くなかったのだろう。

「……だったら、僕が話し相手になってあげるから」

 そう申し出ると、少女はキョトンとした。

「ですが、アドレイさんも仕事が……」

「君や先生よりはるかに少ないし、他の人に回せる内容だよ。君の仕事も他の人に回せないか先生に聞いてみるから」

 もちろん、軍師だから自分達より難しい問題を抱えているハズだろうし、簡単にはいかないと思うが、何も一人で抱えなくてもいいだろう。特に彼女はこの軍の中で一番年下だ、頼りになるが自分達も彼女に頼りにされないとしないといけない。

「うーん……。それでも少なくしてもらっているんですけどね……」

(これで⁉)

 どう考えても少なくなっていない気がするのだが。

 ヴァイオレットの目はトロンとしている。日頃の寝不足から身体が休息を求めているのだろう。

「ヴァイオレット、寝たいなら寝ていいよ」

「ん……でも、仕事……」

「だから、気にしないでいいよって。それに、無理して倒れたらもっと遅れるよ?」

「うー……それは、駄目ですね……」

 アドレイの言葉ももっともだと思ったのか、ヴァイオレットはおとなしくベッドに転がった。数分もしない内に寝息が立つ。

 ――やっぱり、疲れていたんじゃないか。

 優しく頭を撫でていると、扉をノックする音が聞こえた。部屋の主のかわりに答えると、入ってきたのはアイリスだった。ユーカリは落ち着いているので、少し外しているらしい。

「……ちゃんと寝ているね、よかった」

「ついさっきやっと寝て。直前まで仕事をしようとしていたんですよ」

「ヴァイオレットは根っからの仕事人間だからね」

 アイリスは笑うと、少女の顔を見た。

「安心して寝ているね。この子も、今日は悪夢を見ないかも」

「悪夢?」

「この子は昔から夢見と寝つきが悪くて。何でも、母を殺された時の夢や死者達の恨みに苛まれる夢を見るそうだ」

「……彼女から聞きました。それで、殿下と同じように復讐に走ったのだと」

 そう聞くと、話してもいいかとアイリスは続けた。

「私がこの子と会ったのは、その一か月後だった。王国領での依頼場所に行く途中でね、血の足跡があったから辿って行ったら返り血まみれのこの子がいたんだ。あまりに痛々しくて、手を差し伸べたんだよ。この子が傭兵団に入ってから半年はずっとユーカリみたいな感じだった。でも、この子を庇って怪我をした時、この子は泣きながら白魔法を使って傷を癒してくれたんだ。そこから、この子は人々を救う「天才軍師」に変わったんだよ」

 それが、「天才軍師」と呼ばれるようになった経緯……。今の彼女からは考えられなかった。だが、それがなかったら彼女が義賊になることはなかったのだろう。

「……アドレイ、君さえよければだが……この子の支えになってくれないか?」

「え?」

「この子がこうして安心出来る相手はなかなかいない。君も知っているだろう?この子は人前で無防備な姿を見せることはない。いつも気を張っている。……義賊をやっていた時も洞窟で寝泊まりしていたみたいだからね」

 だが、そんな役目を自分が引き受けていいのだろうか。彼女を支えるなんて、そんなこと本当に出来るのか。

「支えるって言っても、ただ傍にいてあげるだけでいいんだ。私もこの子の傍にいてあげたいけどね。私も忙しい身だからそれは出来ない。この子も理解しているから甘えてこない。……甘えることを知らないんだ、人を殺したっていう罪悪感があるから」

「……………………」

「君は盗みを働いていたって言っていたね。なら、分かると思う。悪いことをしたから、他人を頼れない……ヴァイオレットの場合、それが顕著に出てしまっているんだ。この子のそういった苦しみを分かってあげられるのは君だけだと思う。もちろん、嫌なら強制はしないが……」

 アドレイはヴァイオレットの顔を見る。純粋な、自分達より幼い少女。しかしその肩にはその身に似合わない重荷を背負っている。

「――ヴァイオレットがいいと言うのなら、支えさせてください」

 その重荷を、少しでも軽くしてあげたい。

 そう思うのは、ただのエゴだろう。でも、それでもいい。彼女を守れるのなら。

 アイリスはただ、「ありがとう」と微笑んでいた。



 久しぶりに、悪夢を見なかった気がする。

 目を開き、第一に思ったのはそれだった。起き上がろうとして、傍に気配があることに気付く。そちらを見ると、アドレイが寝ていた。

「……傍にいてくれたんですね」

 その頭を撫でる。彼は義賊になりたての時に助けた男の子によく似ている。アイリスやアルフレッドの他に初めて、強く守りたいと思った少年。

「……愛おしそうに見ているわね」

 ユスティシーの言葉にヴァイオレットは静かに笑う。

 しかし、そろそろ仕事をしなくてはいけない。ヴァイオレットは一度立ち上がり、アドレイを抱えベッドに寝かせた。そして、机に向かう。……相変わらず、頭の痛い問題が山積みだ。ルスワール地方の民の問題に、王都奪還に……。一部を除いて、今までのツケが回ってきたのだろう。ユーカリが正気であるなら一緒にすることも出来たのだが、今の状況ではそれも無理だろう。フレットの悲劇の件も解決しないといけないし……とにかく何か手を回さないと王都を奪還したとして、攻められてしまったら本当に王国は潰れてしまう。

 ……一度現地に行けたらいいけど。

 今の状況ではそれは不可能だ。行くとしても戦争が終わってからになるだろう。幸い、ルスワールの民は今のところ反乱を起こすつもりはなさそうだ。王都奪還は……どうにかする。これに関してはユーカリの意向次第だ。

「うーん……」

 頭を悩ませていると、アドレイが目を覚ました。

「おはようございます。……あぁ、まだ朝という時間ではありませんが」

 外はまだ暗い。実際は起きる時間ではないだろう。ただ、ヴァイオレットは義賊だった期間が長いためか、それとも悪夢を見るせいか睡眠時間が割と短いのだ。

「休んだ方がいいよ?」

 ベッド、使ってごめんねと起き上がろうとした彼をヴァイオレットは止める。

「アドレイさんこそ。私はもう十分寝ましたからゆっくり寝てください。朝になったら起こすので」

「僕も大丈夫だよ。……それなら、それを一緒に見ていいかな?」

「構いませんが……眠くなったら気にせず休んでくださいね」

「君の方こそ」

 アドレイが近付くと、ヴァイオレットの手に持っていた資料を見る。

「……ルスワール地方?」

「あー……これは戦争が終わった後、早急に解決しなくてはならない問題なので。王国が衰弱している時に攻めてこられたらすぐに崩壊してしまうでしょうから」

「これは……戦略?」

「いついかなる時にも対処出来るように、いろいろ考えているんです。……あぁ、丁度いいですね。意見をくれませんか?」

 二人で話していると、すっかり夜が明けていた。時間が過ぎるのは早いものだ。

「シルバーさんに見られたら厄介ですね……今のうちに部屋に戻った方がいいですよ」

「そうだね。じゃあ、また後で」

 アドレイが部屋から出ると、ヴァイオレットは頬を赤く染めた。その様子は、恋する乙女そのものだった。



 アドレイがヴァイオレットの心の闇を見たのは、それから一週間後だった。

 明け方、聖堂に向かうとヴァイオレットが長椅子のところで寝ていた。どうせこうなっているだろうと思っていたアドレイは持ってきていた上着をかけようとすると、彼女はうなされ始めた。

「い、や……おかあさまを……うばわないで……」

「ヴァイオレット?」

「やめ、て……」

 苦しそうな表情を浮かべていたが、やがてそれは憎悪に変わっていく。

「ゆる、さない……ころして、やる……」

 普段の彼女からは聞かないような、物騒な言葉が出てくる。

 ――今の彼は、昔の私。

 そんなことを言っていたことを思い出す。アイリスがその時の夢を見るとも。

「……違う、おかあさまは、そんなこと……」

 苦しそうに呻き出す彼女に、アドレイは「大丈夫だよ」と手を握った。そうすると少女は僅かに目を開いた。そして、その赤い瞳にアドレイを映す。

「大丈夫?随分うなされていたけど」

 尋ねるが、少女は答えない。その瞳はアドレイの後ろに向いていた。何もいない、後ろを。それも、怯えと恐怖が混ざった目で。

「どうしたの?」

「……………………」

「本当に大丈夫?」

「…………ごめんなさい…………」

「え?」

 誰に、何で謝ったのか。少なくとも、自分に向けてではないことだけは確かだ。

 それは、彼女の口から告げられた。

「ごめんなさい……お母様……殺してしまって……ごめんなさい……」

 幻覚に悩まされているのは知っていた。だが、ここまでだとは思っていなかった。

「ヴァイオレット、僕を見て」

 そう声をかけると、ビクッと身体を震わせ、恐る恐るアドレイの顔を見た。その顔は今だ怯えていた。

「分かる?ここには僕しかいない。君を脅かすものはどこにもいないんだ。だから安心して」

「……アドレイ、さん?」

「何が見えているの?僕でよければ、聞くから……」

 現実に戻ってきた少女の頭を撫でながら、アドレイは尋ねる。ヴァイオレットは震えながら答えた。

「……死者の、声が……私に、「殺せ」と……「仇を取ってくれ」と……迫ってくる……」

 その死者から逃れようと彼女は耳を塞ぎ、目を強くつぶった。呼吸がどんどん荒れていく。アドレイは落ち着かせようと必死にその背を撫でていた。

「アドレイ、どうした?」

 その時、アイリスが来た。そしてヴァイオレットの様子を見て、納得したらしくその背に触れ、

「ヴァイオレット、大丈夫だよ。誰も君を責めていない」

 優しく、包み込むように囁く。アイリスは目でアドレイも一緒にやるよう指示を出す。

「先生の言う通りだよ。僕達は君に、無責任にそんな命令を出さないから」

 少女は身体をこわばらせていたが、少しずつ緊張をほぐしていった。

「……ご、ごめんなさい。お手を煩わせてしまって……」

 やがて、ヴァイオレットは顔を赤くしたり青くしたりしながら二人に謝る。アイリスは「いいんだよ、君にとってはトラウマなんだから」と優しく諭した。

「でも、こうなる前に話してほしい。君がさっきみたいにパニックになったらこの軍は成り立っていかないから」

「……気を付けます」

 その通りだ。軍師はいわば行軍の要だ、勝利のために策を立てる役目を受け持つ。そのためには物事を冷静に分析しなくてはならないのだ。

「あ、あの、僕にも話してくれていいから。他の人より、頼りないかもしれないけど……」

 アドレイが申し出ると、ヴァイオレットは頬を染めて「あ、ありがとうございます……」とお礼を言った。

 ――あぁ、この子はアドレイのこと……。

 何となく、ヴァイオレットがアドレイに抱いている感情を理解したが、あえて言わなかった。



 それから軍議を開き、念入りに策を立てる。そしてその数日後、ブルガトーリョに向かった。

「いやぁ、相変わらず暑いですね~」

 シルバーが汗を拭きながら陽気に笑う。「中心はこんなものではありませんよ」とヴァイオレットが涼しい顔で告げる。

「ヴァイオレットちゃんは暑くないのかしら~?」

「いろいろな場所を旅していましたからね。さすがにここほど暑いところはありませんが、耐えられないほどではありませんよ」

 アンナの言葉に義賊は笑う。王国出身者は暑さに弱い人が多い。そうでなくてもこの暑さは堪える。その中で彼女のような人はなかなかいないだろう。暑さにも寒さにも耐えられる人は。

「……ここは女神の天罰が下った場所らしいな」

「そうですね。まぁ、今の私達には関係ないことですが」

 珍しくユーカリが言葉を発し、ヴァイオレットがそれに答えた。彼は「ふん。それもそうか」とやはり悪人の笑みを浮かべた。

「ここから先は本当につらいので私一人で行っても構いませんが……どうしますか?」

 ヴァイオレットが確認する。入り口で待っていていいと言っているのだ。だが、これは一人で行かせるわけにはいかないと首を振る。それにしても、

「誰と会うの?」

 まずはそこを聞きたい。ヴァイオレットは「あぁ、そういえば」と話していなかったことに今思い出したのだろう。

「ルドルフ殿ですよ。フィルディアさんの父でアクアマリン公爵ですね。神の遺産である「ファヴール」と「シルト」を渡したい、そしてこちらさえよければ共に戦うことを申し出ています」

「親父殿が、か?」

 フィルディアが露骨に嫌そうな顔をする。しかしヴァイオレットは「私は彼を戦力に入れてもいいと思っていますが」と自分の意見を告げた。

「彼は剣だけでなく魔法も使える。それに、信用も出来ます。フィルディアさんは嫌かもしれませんが……」

「……勝手にしろ」

 公爵の息子はそっぽを向く。ヴァイオレットはそれを許可と捉えたようだ。

「本当は嬉しいくせにな」

「黙れ、シルバー」

「照れなくていいのに」

 幼馴染組がワイワイ騒ぎ出す。ユーカリはそれを冷めた目で見ていた。……本当はその輪に入っていい立場なのに、とアイリスは思う。

「ファヴールとシルトって……?」

「ファヴールは王家に伝わる神の遺産、シルトはアクアマリン家に伝わる遺産ですね。ルドルフ殿が回収することに成功したみたいです。これはユーカリ様が持たれるべきだろうと言われていました」

 なぜそんなことをヴァイオレットが知っているのだろうか。疑問に思うが、軍師だから連絡が来たのだろうと思うことにする。

 暑い中歩いていると、突然ヴァイオレットは立ち止まる。

「……やはり、間者がいましたか」

 目の前には帝国軍。やはり、ということは気付いていながら泳がせていたのだろう。これは実際にある作戦だ。ユーカリもそう思ったらしく、彼女を睨むがそこに殺意はなかった。そこでふと先程の質問が頭をよぎる。

「……ヴァイオレット。もしかして、私達が行かないと言っていたら……」

「えぇ、一人で戦おうと思っていました」

 この大軍を相手に……?

 この義賊様ならやりかねない。何しろ今まで一人で戦ってきたのだ、一人でいけると判断したのかもしれない。

 とにかく、この大軍を倒さないことには始まらない。全員が武器を構えた。ヴァイオレットが指示を出し、それに従う。

 ……さすがだな。

 アイリスはヴァイオレットの裁量を見て思う。彼女は兵士達をよく見ている。そうでなければ、暑さが極端に苦手な者と比較的大丈夫な者で戦闘させる場所を変えないだろう。それでいて、ヴァイオレット自身は一番苦しい場所で戦っている。なぜなら彼女は、自分がこういった特殊な地形では一番戦い慣れしていると知っているからだ。だからこそ、慕われる軍師になっているのだろう。

 そうやって戦っていると、後ろから魔法が飛んできた。

「ヴァイオレット殿!助太刀いたします!」

「ルドルフ殿!ならば、ユーカリ様の傍に!公爵としての役目を果たしてください!」

 馬に乗ったフィルディアによく似た男性――ルドルフは軍師の指示に頷き、ユーカリの傍に向かう。アクアマリン家は公爵という立場だけあり王家の盾として仕えてきた。それを知っているがゆえの指示だったのだろう。

「……なんでヴァイオレットが、そのことを知っているんだ……?」

 フィルディアがボソッと呟くが、本人に聞こえているかは分からない。貴族、というのは知っているが今まで旅してきた人間だ。そんなことを知っているとは思えないのだろう。

「……まさか、あんたがここまで堕ちるとは思っていなかった」

 ヴァイオレットが敵軍の将の首に槍を突きつける。そんなことを告げるところから、この将は元王国将であることが分かった。

「その菫色の髪……貴様、まさか……!」

 彼はヴァイオレットを見て、目を見開く。対照的に少女は冷めた目をしていた。

「この「女神の器」が……!貴様のせいで、この世界は……!」

「……悪いですが、それを私に言われてもどうすることも出来ませんよ。私はただ「そうさせられた」だけなんですから」

「黙れ!化け物が!」

 仇を見るような目で見られても、少女は動じない。アイリスはどういうことなのか分からないが、かつてアモールに言われたように彼女には秘密があるのだと思った。

 ヴァイオレットは容赦なく槍で突き刺す。そしてこちらを見、「大丈夫ですか?」と頬についた血を拭いながら聞いてきた。

 ブルガトーリョから近くの涼しい場所に行き、ルドルフがヴァイオレットとアイリスに頭を下げる。

「ヴァイオレット殿、アイリス先生、お初にお目にかかります。私はルドルフ=ベルク=アクアマリンと申します」

「こちらこそ、初めまして。……改めて、ヴァイオレットと言います。ルドルフ殿、援軍感謝いたします」

 ヴァイオレットがルドルフと対応しているので、アイリスは他の人のケアにあたる。白魔法はヴァイオレットに教えてもらっているのでそれなりに出来るハズだ。

「ありがとうございます、先生」

「助かったわ~」

「あたしも手伝います!」

「俺も手伝いましょうか?」

「……俺も、手伝うぞ」

「照れなくていいのよ、フィルディア」

 生徒達がアイリスの周りに集まり、手伝ってくれる。そんな中、ユーカリだけが遠くでそれを見ていた。

「心配なら、彼の元に行っていいんですよ。こちらは私がやりますから」

 アダリムに言われ、アイリスは頷いてユーカリの近くに向かった。

「……なぜ、来た?」

「寂しそうだったから?」

「俺に構うな」

「断る。私からしたら、君も大切な生徒だから」

 二人であーだこーだ言い合いをする。

「……どうしましょう?止めますか?」

「先生ならば大丈夫ではないですか?」

「まぁ、先輩ならいざとなったら自分で対処出来るでしょうし、大事になりそうになった時に手助けすればいいでしょうね」

 ヴァイオレットとルドルフがそれに気付くが、様子を見ることにしたようだ。

 長時間言い合いをしていると、さすがに見かねたのかヴァイオレットがアイリスに「そろそろ休んだ方がいいですよ」と告げた。そしてユーカリにも「天幕で休んでくださいね」と言った後、火の番をするために戻っていく。アイリスも「ちゃんと休むんだよ、ユーカリ」と言った後天幕に戻った。



 修道院に戻ると、ヴァイオレットは聖堂でユーカリを見守りながら次の行軍を確認する。

(……次は、フィデスの三つ巴か……)

 一花繚乱の模擬戦の時と同じような、しかしあの時とは確実に違う争いが起ころうとしている。そしてそれに勝たなければならないのだ。じっくり考え、少しずつ方針を固めていく。

 やがて外も暗くなったので、ユーカリに近付く。

「ユーカリ様、お部屋で寝た方がいいですよ」

 声をかけると、彼はヴァイオレットの頭を掴み、ガレキに強く打ちつけた。血が流れるが、少女は気にせず彼の頭を撫でる。

「大丈夫ですよ、私もアイリスもちゃんといますから。だから安心して」

「……………………」

 ユーカリは手を離し、虚ろな目で少女を見つめる。「部屋までついて行きますよ」と言うと、彼は小さく頷いた。

 王子の手を引き、義賊は部屋まで送る。そしてちゃんと寝たところまで確認して聖堂に戻った。

 さて、この怪我をどう誤魔化すか……。

 見回りしていたら突然襲われた?いや、それだと騒ぎが起こるため不可だ。転んだ?苦しい言い訳だ、アドレイの時も気を遣わせてしまった。これもよくないだろう。なら鍛錬なら?アイリスあたりに気付かれそうだ。だからと言ってユーカリのためにも正直に話すわけにもいかないし……。

 やはり、隠すしかないか。それで気付かれたら適当に誤魔化そう。そう思い、血を止めて傷薬を塗り、髪で隠した。



 三月に入り、ブルガトーリョの戦いから数日、修道院内で騒ぎが起こった。

「ガザニアが戻ってきたって⁉」

 そう、死んだと思われていたユーカリの従者が生きていたというのだ。入り口のところに向かうと、ヴァイオレットが対応しているところだった。

「あ、先輩。よかった、その様子だと聞いているみたいですね」

「先生、今まで行方をくらませていてすまない」

 ガザニアが頭を下げる。アイリスは「いいんだ、君が無事だったなら」と微笑んだ。

 ユーカリにも知らせなくては、と思い聖堂に向かう途中、ガザニアがこの五年何をしていたのか聞く。

 ヴァイオレットと共にユーカリを助け出したこと。

 自分が囮になり、大怪我を負ったこと。

 死ぬかもしれないというところでユースティティア領の者に助けられたこと。

 助けたその人に尋ねると、シンシア嬢に頼まれて助けたと言われたこと。

 怪我がある程度治り、ユーカリを追ってきたということ。

 それを聞いていると、聖堂に着いた。ユーカリはガザニアを見て目を見開く。

「お前……生きていたのか?」

「はい、遅くなり申し訳ございません」

 信じられないと言いたげだが、アイリスのこともあると彼はガザニアに触れた。そしてそれが亡霊ではないと確認すると、僅かに頬をほころばせた。

「よかった……もう、どこへも行くな」

 一瞬だけ、ユーカリは「人間」に戻ったように見えた。ガザニアは「えぇ、今度こそ、あなたのお傍に」と優しく笑った。



数週間が経った時、数日後にフィデス平原に行くので準備をしてほしいとヴァイオレットに言われた。

「フィデス平原って……」

「一花繚乱の模擬戦が行われた場所ですよ。帝国軍がここに来ようとしています。また、同盟も止めるためにやってくるでしょう。……今回はただの模擬戦ではない、本気の殺し合いであることを忘れないように」

 ユーカリを交えてだったので聖堂で話をしていると、不意にユーカリがヴァイオレットのチョーカーを掴んだ。

「殿下、彼女は……!」

 ガザニアが止めようとするが、彼女の首を見て驚く。

 ――その首筋には、「ジェニー」の刻印……皇族の血を引いている証が刻まれていた。

「貴様、帝国の人間なのか?」

 低い声で、ユーカリは尋ねた。その目は冷たく、今にもひねり殺しそうだ。

「……そうですね。血筋的には、皇帝の血も引いていますよ」

 しかしそれでも、ヴァイオレットは怯まない。だが、それは悪手だった。

「なら、貴様は俺を殺す気か?」

「そんなわけないでしょう。もしそうなら、軍に合流する前に既に殺している」

「黙れ!忌まわしいあの女と同じ血が流れているだろう!」

 ユーカリはヴァイオレットに向かって槍を振り上げる。今の彼は冷静に物事を判断出来ないのだ。

「ユーカリ!やめ――!」

 アイリスが止めようとする。――しかし、その前にヴァイオレットが自ら槍をお腹で受け止めながらユーカリを抱きしめる。

 石床に血だまりが出来る。ヴァイオレットの血だと頭が認識するには時間がかかった。

「大丈夫、私はあなたを傷つけないよ。裏切ったりしない」

「……………………」

「傷つけてもいい。殺してもいい。何度だって、私はあなたを許すから。あなたが満足するのなら、この命だってあげるよ」

 だから、どうか生きて。

 そこまで言って、ヴァイオレットはユーカリに倒れ込む。それをユーカリは呆然としながら受け止めていた。

 ようやく認識したアイリスは慌ててヴァイオレットの容体を診る。かなりひどい状態だ。大慌てで医務室に運び、何とか一命はとどめた。しかし、意識は戻らず悪化してしまうかもしれないとアンジェリカは言った。不幸中の幸いと言うべきか、ある程度の作戦は既に伝えられているのでフィデスでの戦いはなんとか出来るかもしれないが、かなりの痛手だ。

 アンジェリカにヴァイオレットを任せ、アイリスはガザニアと共にユーカリの傍にいた。

「……ヴァイオレットはどうだ?」

 ふと、ユーカリが尋ねる。罪悪感から、聞きにくそうだった。

 ――あぁ、もうすぐで「化け物」から「人間」に戻るかもしれない。

 アイリスもガザニアも、ユーカリを化け物だとは思っていない。もちろん、元級友達もだ。しかし、修道女達はそうではない。ユーカリは人の心をなくしたと思っているのだ。だが、もしかしたら何かきっかけで正気に戻るかもしれない。かつてのヴァイオレットのように。


 夜、ユーカリをガザニアに任せ、休憩がてらアイリスが外を見ているとルドルフが声をかけた。

「先生、こんな時間までお仕事ですか?」

「ルドルフ殿もですか?」

「いえ、私は眠れず……ヴァイオレット殿が心配で」

 ルドルフはハハハ……と苦笑いを浮かべる。まるで実の娘を心配するように。

「……あの子は本来、私の愚息とも関わるハズだったんですよ」

「あぁ、王国貴族だと言っていましたからね。まさか、皇族の血を引いているとは思っていなかったのですが」

「私は知っていましたよ。彼女の祖父に聞いていましたからね」

「そう、ですか……」

 やはりヴァイオレットは王国貴族の中でも、それなりに高い身分なのだろう。そうでなければ、彼女は帝国にいなければならない身だ。

「彼女は殿下を守る立場にありましてね。どうしても王国にいさせたいんですよ、私としても」

「そうなんですか?」

「えぇ。彼女の家系は、王族を前線で支える貴族。彼女の祖父も、前の国王を献身的に支え、今なお殿下も支えようとしておられる。だが、年の関係上どうしてもそれが難しくもある。だから彼女が必死に支えようとしているのでしょう」

「でも、皇族ということは……」

「はい。敵国の皇女ということでもあります。王国にいさせるということは、彼女にとって帝国を裏切る行為。そしてその逆もしかり。……彼女にとっては板挟みだったでしょう。姉であるアネモネに就くか、騎士として殿下に就くか。苦渋の末、彼女は王国を選んだ……私達はそれを深く噛みしめないといけない」

 アイリスは傭兵だったということもあり、国という概念がほとんどないが、それでも辛いことは分かった。

「……あなたが、オキシペタルムクラッスの担任でよかった」

 不意に、そう言われた。なぜかと問うと、彼は「もしあなたがオキシペタルムクラッスを担任していなければ、きっと彼女は別の道を選んだでしょうから」と答えた。

「どうか、ユーカリ殿下を導いてください」

 そして、頭を下げた。

 彼が何を考えているのか、アイリスには分からなかった。



 フィデスに向かおうというその日、アンジェリカが「ヴァイオレットちゃんが目を覚ましたわ!」と皆に知らせた。その後ろから、ヴァイオレットが来た。

「すみません、ご迷惑をおかけして……」

「ヴァイオレットちゃん!傷口が開くから安静にしなきゃダメって言ったでしょ⁉」

「いえ、大丈夫です。それより、フィデス平原での戦いの準備をした方がいいでしょう」

 まさか、一緒に来るつもりなのか?その予想は正しかったらしく、「足手まどいにはなりませんから」と笑った。

「……だったら、後衛を任せたよ」

 こうなったらヴァイオレットは聞かない。なら、出来る限り負担の少ないところを任せた方がいい。ヴァイオレットは少し不服そうだが、「分かりました」と頷いた。……指示を出さなかったら前線で戦うつもりだったな、とすぐに気付く。全く、この子はすぐに無茶しようとしてしまうのだから。

 ヴァイオレットが準備をしに行くと、アンジェリカに「いいの?」と聞かれた。アイリスが「一度決めたら、折れないので」とため息をついた。

「……ふふっ」

「どうしました?アンジェリカ先生」

「いいえ、ただ、先生があの子を本当に大切に思っているんだと思って」

 そうなのだろうか?……そうかもしれない。手のかかる子だが、目が離せないのだ。はたから見たら、本当の姉妹に見えるだろう。

「本当に可愛がっているのね、羨ましいわ」

「い、いえ、そういうわけでは……」

「あの子、あなたの言うことならすぐに聞くのよ。何と言うか……ネコみたいね、あの子。特定の人にしか懐かないところとか」

 クスクスと、本当に優しく笑う。アイリスは僅かに頬を染めるのだった。



 フィデス平原に向かい、やはり帝国、王国、同盟で三つ巴の戦いが始まる。ユーカリは真っ先にアネモネの元へ向かった。

「先輩、彼と共に」

 ヴァイオレットの指示に頷き、アイリスはユーカリの元に行った。

「あんたは……噂の義賊様か」

 グロリオケがヴァイオレットを見て、笑う。義賊は「盟主様、ですか」と怪しげに微笑む。彼の野望を知っているがゆえ、だろうか。彼に関しては、自分達の道に弊害がないから放っておいても構わないと思っている。

 しかしながら、これは戦争。とりあえずは退かせようと弓をひいた。それを見たエメットがヴァイオレットの肩に矢を当てた。傍にいたアドレイが槍で重症にならない程度に攻撃してエメットを退却させ、ヴァイオレットの矢がそのままグロリオケのお腹を貫いた。もちろん、退却させるためにわざとそこを狙ったのだ。それが分かったらしく、彼は「いてて……ここは一度退こうかね」とわざとらしく告げた。

 一方、アイリスとユーカリはアネモネと対峙していた。

「頭を潰されるか、首をへし折られるか、胸を抉られるか……。死に方は選ばせてやる」

 義弟は義姉に尋ねる。彼女は「悪いけど、私はここで死ぬつもりはないわ」と答えてやった。

「貴様に殺された者達も、皆そう思っていただろうよ!」

 きっと、それはこの戦争やフレットの悲劇で死んだ者のことを言っているのだろう。彼はただ、死んでいった者達に報いるために彼女の首を取ろうとしているのだから。アネモネはチラッとアイリスを見つめる。

「……あなたがいなければ、きっとこの道は……」

 呟くが、もう叶わないと分かっている。今更後戻りなど出来ないのだから。

 ユーカリはファヴールを振るう。アネモネに重傷を負わせ、撤退させた。

 アイリスが周囲を見渡していると、少女がユーカリを後ろから短剣を突き刺そうとしていた。

「この化け物が……!死ねぇ!」

「ユーカリ!」

 アイリスが止めるより前に、ルドルフがかわりにその短剣を受け止めた。

 ユーカリが、目を見開いている。アイリスはその少女を斬り捨てて、すぐに誰かを呼ぼうとする。しかし、本人がそれを止めた。異変に気付いたヴァイオレットが走ってきた。

「……ヴァイオレット殿、殿下、申し訳ない。私はここまでのようです」

「…………………………」

 ヴァイオレットは泣きそうな顔をしている。それにルドルフは力なく笑った。

「そんな顔をなさるな、我らが大貴族令嬢。こうなることは、あなたも知っていたのでしょう?だから、無理やり身体を動かしてでもこの戦場に立ちたかった」

「……その通りです、ルドルフ殿」

 あぁ、そういうことだったのか。怪我で痛む身体を無理やり動かしてまで、彼を守りたかったのだろう。自分は、それに気付かなかった。

「私からの最期の言葉だ。ヴァイオレット、ユーカリ、自分の信念のために生きろ。そのために槍を振るえ。それが、死者への手向けだ」

「ルドルフ……」

「あぁ、すまないな。結局、私もあなたに重荷を背負わせる。どうか、殿下を守って……くれ……シン……」

 ユーカリとヴァイオレットに伸びていたルドルフの手は力なく地に落ちた。アイリスはただ、それを見守ってあげることしか出来なかった。



 夜、修道院に戻った時は雨が降っていた。ヴァイオレットは傷口が開いていたらしく、無理やり医務室に行かせていた。他にも負傷者がたくさんいるので、医務室は満室状態だ。そんな中、ユーカリが外に出るのを見たアイリスは追いかける。

「ユーカリ、どこに行くの?」

 外に出たところで声をかけると、ユーカリは足を止めた。アイリスは彼の前に立つ。二人共雨に打たれているが、気にする余裕はなかった。

「そこをどけ」

「帝都に向かうつもり?」

「……………………」

「無茶だよ。それに、君には他にもやることがあるでしょう?」

 アイリスの言葉にユーカリは自嘲の笑みを浮かべる。

「まさか、死んでいった者達のために前に進めと?……綺麗ごとだな、それは生ある者の理論だろ?死んでいった者達は、復讐することさえ出来ない。……ただ、嘆くことしか出来ないんだ。その無念を、生き残った者が引き継ぐのは当然だろう?士官学校に入学したのも、全ては復讐のためだった。……俺には、それ以外なかった」

 しかし、彼は知っているハズだ。そんなことをしても、死者の叫びは鳴り止むことのないことを。

「なぁ、先生。教えてくれ。どうすれば、彼らの嘆きは止むんだ?どうすれば……彼らに報いてやれる?」

 その瞳は、迷子になった子供のようだった。

「君はもう、十分に苦しんだハズだ。……これ以上、自分を責めなければいい」

 だから、アイリスは答えた。ユーカリは驚き、俯く。

「なら、俺は何のために……誰のために、生きていけばいい?」

「ルドルフ殿が言っていたでしょう?自分の信念のために生きたらいい」

「自分の、信念……だが、俺にそんな生き方が……許されるのか?人殺しの化け物に成り下がった俺が、自分のために生きていいのか?」

「ヴァイオレットを見て。あの子だって、昔は君と同じだった。だけど今は他人を救うために生きているでしょう?それはあの子の「信念」だ。同じようにすればいい」

 尋ねてくるユーカリに、アイリスは手を差し出す。王子はその手を握る。

「……お前の手は、こんなにも温かかったんだな」

 ユーカリの心の氷が溶けていくのが分かる。あぁ、「化け物」から「人間」に戻ったのだと、アイリスは心から喜んだ。



 ヴァイオレットは魔法では治せないほど大きな怪我を負っていたので、別部屋で施術を受けていた。

「うっ……!ぐぅ……!」

 普通なら大の大人でも泣き出してしまう程の痛みだが、ヴァイオレットは泣きもせずただ耐え続ける。

 やがて、施術が終わると「すごいですね」と施術をしていた人が驚いた。十八の少女がまさか泣きもしないとは思っていなかったのだろう。

「施術は終わりましたが、どうか安静になさって――」

「私にそんな時間はありません。少しでも仕事をしなくては」

「いえ、せめて一日はここで……!」

 制止の声も聞かず、ヴァイオレットは立ち上がる。施術したところがズキズキと痛むが、義賊にそんなことは関係ない。とにかくある程度仕事を片付けないと、アイリス達の仕事が増えてしまう。それだけは避けたかった。

 部屋に戻る途中、アドレイに会った。

「あれ?ヴァイオレット、確か施術を受けていたんじゃ……?」

「ついさっき終わりましたよ」

「歩いて大丈夫なの?」

「少し痛みますが、これくらいなら平気です」

 これ、絶対に駄目だと言われたパターンだ。

 今までの行動で、ヴァイオレットの性格は分かっているつもりだ。本当に酷い時にしか助けを求めない、休まない。しかも、これと言ったら全く聞かない。

「……はぁ」

 アドレイはため息をつき、ヴァイオレットを抱きかかえる。

「あ、アドレイさん⁉」

「こら、暴れない。傷口が開くよ。部屋まで送って行ってあげるから」

「うー……」

 ジタバタと暴れていたヴァイオレットだったが、やがて顔を赤くしながらアドレイの首に顔を埋めた。これは羞恥心から……だろうか。まるで妹に甘えてもらっているようで気をよくしたアドレイは微笑んで、少女を部屋まで送って行く。

 部屋に着いたアドレイは少女を降ろす。

「すみません、アドレイさん……」

「いいよ、これぐらい。いくらでも頼って」

 やはり、頼られるのは好きだとアドレイは思う。根っからのお兄ちゃん精神であるゆえか、甘えてくれると嬉しいのだ。

 部屋から出ようとすると、袖を引っ張られる。振り返るとヴァイオレットが耳まで赤くしながら掴んでいた。

「どうしたの?」

「……って」

「え?」

「構って……」

 その言葉が聞こえた時、アドレイは固まった。ヴァイオレットはハッと我に返ったのか、慌てて手を離す。

「ご、ごめんなさい!」

 私、何を……と顔を手で覆う。無意識だったのだろう、やはり、自分より年下なんだとほのぼのする。

「わ、忘れてください……」

 そっぽを向く少女の頭をアドレイは撫でる。

「ううん。いいよ、君にも休憩は必要だからね」

「……じゃあ、ソファーに座って下さい」

 ちょこんと二人はソファーに座る。アドレイは一向に顔を上げない少女を見ていた。……やはり、あの時自分達きょうだいを助けてくれた少女に似ている。

 ……身長、高いな……。

 五年前に会った時はもう少し低かったのに、今では自分とほとんど変わらない。彼女は前に測った時、百七十二cmと女性にしては高かった。自分とはたった三cm差しかない。自分を救ってくれた少女も、割と背が高かった気がする。

「……アドレイさん?」

「あ、ゴメン。不躾に見ていたね」

「いえ、大丈夫ですよ」

 ヴァイオレットは笑ってアドレイの顔を覗き込む。そこで気付いた。左目に、首にあったものとは違う刻印があることを。

「え、その刻印……でも、君は首にあったハズじゃ……」

「ん?あぁ、左目の……首にある刻印は皇族のもので、左目の刻印は王国貴族のものですよ。私は生まれた時から刻印を二つ持っているんです」

 なるほど、だから……。

 そこで初めて、本当の意味で辛かったであろうと思った。皇帝の血と、王国貴族の血……どちらに就けばいいのか、かなり迷ったハズだ。悩んだ末に王国を選んで、それでもこれでよかったのかと迷っただろう。いっそ、刻印が一つだったならよかったのだが、二つも持ってしまった。それがさらに迷いを助長させていたに違いない。

「そんな顔しないで。これは私が選んだ道、あなたが悲しむ必要はないんですよ」

 困ったような笑みを浮かべ、少女は灰色の騎士の頬に触れる。あぁ、だから彼女は強いのだ。自分の決めたことに、ちゃんと責任を持てるから。

 彼女の傍に、女神がいた気がした。



 次の日、ユーカリが皆にこれまでのことを謝った。ヴァイオレットはこの場にいなかった。怪我の具合が酷いからだろう。

「皆、今まですまない。自分勝手な行いばかりしてしまって……」

 頭を下げる王子に皆は顔を上げるよう言った。

「それはヴァイオレットに言った方がいいんじゃないですかね?殿下をずっと支え続けたのは彼女ですし?」

 シルバーはイタズラっぽく笑うが、事実その方がいいと思っている。

 ――彼は知っているのだ。ユーカリが部屋で休んでいる時は、ヴァイオレットが手を回してくれていたことを。それで身体中を怪我していたことを。

 見かけたのは偶然だった。ある夜、聖堂に行くとヴァイオレットがユーカリを説得しているところだった。すると突然、ユーカリがヴァイオレットの頭を掴んでガレキに強くぶつけた。シルバーのところまで聞こえるほど大きな音だったので、それなりの衝撃だったハズだ。しかしヴァイオレットは至って冷静に対処した。やがてヴァイオレットはユーカリの手を引き、彼を部屋まで送って行った。その数分後にヴァイオレットが一人で聖堂に戻り、自分で怪我の手当てをした後に長椅子でコーヒーを飲みながら書類を見始めたのだ。少なくとも、シルバーが見ている範囲では寝ていなかった。自分達よりも幼い少女にそこまでの負担をかけていたと思うと、どうしてもやるせない思いになるのだ。なぜ自分達を頼ってくれないのかと。なぜそこまで我慢するのかと。

「そう、だな……。あいつにはずっと迷惑をかけっぱなしだったからな」

 ユーカリも心当たりがありすぎるのだろう、俯きながら呟く。

 その時、歩いてくる音が聞こえてきた。

「ユーカリ様、よかった。正気に戻ったみたいで」

 ヴァイオレットだ。彼女はいつもの黒いロングコートを脱ぎ、仮面は頭に乗せていた。

「だ、大丈夫なの?」

「えぇ、大丈夫ですよ。心配しないでください、先輩。……ルドルフ殿の件、申し訳ありませんでした」

 アイリスが駆け寄ろうとするが、それを制止してヴァイオレットは謝る。ユーカリと、恐らくフィルディアにもだろう。しかしあれは不可抗力だ、彼女のせいではない。

「……別に、お前のせいじゃないだろう」

 フィルディアも思ったらしく、そう言った。ヴァイオレットは「ですが、あなたは……」と目を伏せた。きっと知っているのだろう。彼はフレットの悲劇で、兄も失っていることを。

「お前は最後まで親父殿……いや、父上を守ろうとした。その事実さえあればいい」

 だが、彼はこの五年で大人になっていた。無意味に責めることはしないし、父が国のために主君を守ろうとしたことだって分かっている。

「こちらこそ、すまない」

 ユーカリが謝ると、ヴァイオレットは驚いた目を向けた。

「俺はお前を傷つけ、責任を負わせてしまった。本当に、申し訳ない」

「いえ、私は当然のことを……」

「……シンシア」

 ユーカリがその名を呼ぶと、ヴァイオレットの瞳は揺らいだ。

「お前、シンシア=ブルーローズ=ユースティティアなんだろう?」

 その名前は確か、ユースティティア大公爵の孫娘だったハズだ。

「……今は、義賊「ヴァイオレット」ですよ」

 少女は否定しなかった。つまり、彼女がユースティティア領主の孫娘……。

 他の人達は目を見開いていた。当たり前だ、まさかこんな近くにユースティティア令嬢がいるとは思わなかっただろうから。

「それにしても……なぜ分かったんですか?」

 昔とは髪色も瞳の色も違うし、私はそんな仕草を一切していなかったのに、と疑問符を浮かべていた。ユーカリは口角をあげる。

「五年前、ヨハン殿の元に行った。その時に手紙と魔法石をもらったんだ。俺の身の危険を感知したらすぐ助けに来ることが出来るように、とな。それで処刑されるだけだった俺の前に現れたのはお前だった。あの時は気にしなかったが……タイミングがよすぎるし、いくら王国貴族であろうと、お前が出てくるのはおかしいだろう。……お前が「シンシア」でない限りはな。書類を見ている限り、国務もしているな」

「なるほど……そこまで考えていませんでしたよ」

 降参です、とヴァイオレットは笑う。なら、彼女は今まで国務もしていたのか。道理で仕事が多いハズだ。

「本当にすまなかったな。これからは俺も出来ることをやろう」

「いえ、別にまだ……⁉」

 大丈夫だと言おうとしたところで、ヴァイオレットはお腹を抱える。見ると、血がにじんでいた。無理して動いたために傷口が開いたのだろう。

「昨日無理やり動いたら駄目だって言ったよね?全く……」

 アドレイが近くの椅子に座らせる。シルバーが「いつの間に仲良くなったんだ?」とからかうが、メーチェににらまれてやめる。アンナが応急処置として白魔法を使った。

「あー……情けない……この程度の怪我で……」

「情けなくなんかないわよ~。むしろもっと休むべきだわ~」

 はぁ……とため息をつく少女にアンナは微笑みながら答える。サライも「そうだよ!今日はもう休んで!」と告げた。

「ヴァイオレット殿!」

 その時、兵士が書類を持って訪ねてきた。ヴァイオレットは立ち上がり、彼に向き合うが、

「あ、えっと……」

「実は、ここを教えていただきたく……ヴァイオレット殿?」

 ヴァイオレットは少し焦ったような恥ずかしそうな表情を浮かべ、やがて耐えられなくなったのか慌てた様子でアドレイの後ろに隠れる。そしてそこから少しだけ顔を出した。

「あー……すみません。ヴァイオレット、ちょっと調子が悪いみたいで……また明日訪ねてください」

「そうでございましたか。申し訳ございません、ではまた明日教えてください」

 どうやら緊急を要するものではなかったらしく、アイリスが誤魔化すと兵士は頭を下げ戻っていった。

「ほら、ヴァイオレット。もう大丈夫だよ」

 アイリスは振り向き、少し怯えた様子の少女に声をかける。ヴァイオレットは頷き、アドレイと顔を合わせると数秒動きを止め、炎魔法が放てるのではないかというほど顔を真っ赤にして離れた。

「わぁあああ!ごめんなさい!」

「いや、別に大丈夫だけど……どうしたの?」

「先に話していたらよかったね。この子、大人が苦手で……いつもは気を張ることで何とか過ごしているみたいなんだ」

 そういえばヴァイオレットは母を目の前で殺されたのだった。トラウマで大人が怖くなっていてもおかしくはない。それならアダリムに対する最初の態度も納得がいく。だが、なぜアドレイの後ろに隠れたのだろうか?

「うー……ごめんなさい……先輩と思って、つい……」

 その言葉で理解する。昔はアイリスの後ろに隠れていたのだろう。だが、ヴァイオレットはアイリスよりも背が高くなってしまった。だから自分より背が高くてそれなりに仲がよく、近くにいたアドレイの後ろに隠れたということだろう。

「……可愛い……」

 近寄りがたい人だと思っていたが、軍師の意外な一面が見られたからかその場にいた人達はほっこりしてしまう。アイリス自身、ヴァイオレットには悪いのだが微笑ましい。こんな姿を見せたらもっと好感を持たれそうなのに、そうしないのはこの少女らしい。

 ユーカリはヴァイオレットの頭を撫でる。

「この子が自分の妹……可愛い」

「からかわないでください、ユーカリ様」

 からかう兄とそれに顔を赤くする妹は、まるで最初から本当の家族だったような雰囲気を持っていた。

 失ったものは大きかったが、そのかわりに得たものもあったと、ユーカリは心の奥が温かくなった。そして、もうこの温もりを失いたくない、そのためにこの力を使おうと誓った。

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