番外編:王立茶葉研究所設立秘話 その4/そして全ては記憶から消去された
番外編最終話です。
ディアナの疑問に一瞬、眉を寄せるエドワード王子。
「ああ。この前のあの件で尚一層厳しくなったが……」
王子はそこではたと気づき、セオドアに小声で侍女の身元を確認しました。
王宮の深部でもある王子付きの侍女は、この国の貴族の娘しかなれないと以前から決まっています。しかし多忙だったり婚約者の決まっている上位貴族の娘が侍女になる事はまずありません。
子爵家や男爵家の様な下位貴族か、伯爵家でも力や資産のない家の娘が王宮勤めを希望するのです。
そしてあの件とは侍女の一人が何者かに(王子はその正体を知っているようですが)買収され、王子のお茶に毒が入れられた件です。
あれで国王陛下が色々な対策(セオドアもその一つでしょう)を取ったので安心して良い、と父である公爵からディアナは聞いていました。
セオドアの答えを聞いたエドワード王子はその翠の目を優しく細め、楽しそうに笑いました。
「この件に関してはディアナに完敗だな。この侍女のうち一人はシゾーカ地方の子爵家の娘、一人は王都に近い男爵領の娘だが、母親が古都の茶を扱う商家の出だそうだ。ついでに言うともう一人は北地方の伯爵家出身だ。……皆、それぞれ自分の慣れ親しんだ茶なら他の者より上手く淹れると証明した訳だな」
ディアナは自分のカンが当たっていた事にほっと胸をなでおろしました。眉間にシワを寄せていた侍女はシゾーカ産のお茶を淹れるのが上手で、涙目の侍女は古都産のお茶を淹れるのが上手かったのです。
「じゃあ、簡単には選べんわ」
「そうだな。お前の好みを知りたかったが、これで専属を決めては今後使用する茶葉の産地に偏りが起きる可能性がある。『王族が国を把握するために各地から食材を集める』という大義名分にも反するし、な」
最後はドロランダの言葉を引用して皮肉気味にニヤリと笑う王子。
しかしディアナは二人の侍女を見て彼女らが少し気落ちしているのがわかり、ドロランダにひそひそと話します。
「なぁ、やっぱり紅茶専属侍女になりたいもんなん?」
「それはそうでしょう。陛下はあまりお茶に興味がなく王妃様は今臥せっておられますから、殿下の専属となれば実質この国で一番お茶を淹れるのが上手という地位を与えられた事になりますよ」
(なるほど……『箔が付く』っちゅーやつね)
まだ子供のディアナにはよくわからない話ですが、貴族が客人を招くお茶会ではそのホストである貴婦人が手ずからお茶を振舞うこともあります。その時に『この国一番の箔』がついていれば、そのお茶会は大変な人気になるに違いありません。
下級貴族の子女からすれば最強に近いステータスです。彼女らが花嫁修業を兼ねた王宮勤めを終えた後、自分より格上の貴族への嫁入りも夢ではなくなるでしょう。
「なぁ、殿下。この三人を専属として協力させつつ、競わせるのはダメなん?」
「ん?……まあ、無理ではないが……」
「彼女らが紅茶の研究を深めながら、更に自分のスキルを他の侍女にも教えあって広めてくれたら、回り回って私たち貴族も美味しいお茶が飲めるようになるんやないかな?」
「ふん……確かに。それは国が豊かになる事に繋がるかもな。それに紅茶専属侍女の地位を高めれば、純粋な気持ちでそこを目指す侍女も増える。努力した末に手に入れた地位を捨ててまで買収される奴は少ないはずだ……悪くないな? セオドア」
「ええ、殿下」
「……だが、こちらの希望を満たせなかったのに、お前の提案を素直に聞くのも何だかシャクだな。ディアナ?」
王子の研ぎ澄まされた刃物のような美しい笑みにドキリと……いえ、ヒヤリとするディアナ。
「はい?」
「お前がこの三人の侍女の紅茶を時々飲みに来てくれるなら、専属にする価値もあるのだが」
「え!?」
「どうだ? 王都は芝居見物や夜会など、楽しいものも沢山あるぞ。このまま領地に戻らず王都に居ても良いだろう?」
「え……と、それは」
(どないしよう。王都に居続ければ、他の貴族の子ぉらとも交流せなアカンやろし……嫌や。皆何考えてるのかわからんし、私の言葉や考えがオカシイてからかうし……)
「王都の水が……合わんので」
「水? 飲む水か?」
(むう、比喩やったけど……もうそういう事にしとこ!)
「そうなんよ! やっぱり私にはカンサイの水瓶、琵琶湖の水が一番や! あれで淹れた紅茶でないと、なんか飲んだ気がせえへんの!」
「……そうか」
"ちくり。"
「……?」
あきらかにがっかりした顔の王子。それを見たディアナは胸に小さな痛みを感じ、そしてその痛みがなんなのかわからず不思議に思います。しかしすぐさま顔を上げた王子の言葉に度肝を抜かれました。
「……じゃあリュート湖の水を王都まで引っ張ってこないとな! これはバクフ王国始まって以来の大規模な治水工事になるぞ」
「なっ、何ゆうてんの!? リュート湖から王都までって無茶苦茶やろ!?」
「はははっ。冗談だ。そんな事をするくらいならお前にこちらの水に慣れてもらった方が早い」
王子はこの日一番の笑顔になりました。先ほどの冗談で酷く驚いたせいか、ディアナの心臓の鼓動が早くなります。
「……まぁ、冗談でもこんな事を考え付くのは、お前のせいだな」
一転、エドワード王子の頬がほんのりと染まり、黒く長い睫に縁取られた宝石のような翠の瞳が優しくディアナを見つめています。僅かに色気まで醸し出されたその美しい微笑に、周りの侍女からは小さな溜め息まで漏れました。
「え?」
ディアナの心臓は更に早く高鳴り、ドキンドキンという音が王子に聞こえてしまいそうです。
「今日だけで、どれだけおかしな事を言った? お前はやっぱりとても変わってるな」
「……!!!」
王子の言葉を聞くやいなや、ディアナの首、顔、耳の先まで血がのぼり真っ赤になりました。
(やっぱり私のカンサイ弁がオカシイて……いや、それよりも! よくよく考えたら、私"ど阿呆"とか"お花摘み"とか"見損なった"とか言うてもうた!! わ、わああああ、殿下に何言うてんの!? ど阿呆は私の方や!!!)
「…………で、でんか」
「ん?」
「ほんじつのかずかずのひれい、こころよりおわびもうしあげます……どうか、かんだいなおこころをもって、ワタクシのはつげんはなかったことにしていただけませんか」
「え!?」
「では、しつれいいたします……」
「おい、ちょっと……ディアナ!」
再び人形のような無表情で(ただし顔は真っ赤なまま!)サッと淑女の礼をとり、ディアナはくるりと踵を返してサロンを退出しました。
そのまま少女の足だとは信じられない程の早歩きで王宮の出口に向かいます。
「お嬢様!」
「ディアナ様!」
ドロランダとセオドアが慌てて追いかけてきますがディアナのスピードが緩むことはなく、むしろ更に増したようです。
「!!」
走ってきたセオドアがディアナの前に回り込んでぎょっとしました。ディアナは赤い顔のまま、涙をぼろぼろとこぼし鼻水まで垂らしそうになっています。
「ど、ど、ドロランダぁ~」
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「無理、無理や……どうしよう。恥ずかしくて死にたい……」
「そんな事を仰らないで下さい」
「だってぇ……うぐっ、ひっく。あんな事言ってしもた……殿下が、殿下が『オカシイ』て……『変』やて……もう、全部無かったことにしたい……!! うっ、うええ……!!」
ドロランダに抱きつき、しゃくりあげるディアナ。セオドアはその様子を見てそっと離れ、サロンに戻ります。
「セオ、ディアナは?」
「かなり恥ずかしがっておいででした。淑女のあのようなお姿をじっと見ているわけにもいきませんし、引き留めるのも難しいと判断しました」
「そうか、恥ずかしがって……」
暫く嬉しそうに思案する王子。
「なぁ、セオ。ここだけの話だが……」
エドワード王子はセオドアにだけ聴こえるような小声でそっと耳打ちをします。
「将来彼女を妃に迎えたいと言ったら、お前は反対するか?」
「……いいえ。見た目のお美しさや家柄だけでなく、あの頭の回転の早さ、下々の者や民を思う心、殿下への諫言も厭わない強い志。……どれを取っても素晴らしいご令嬢だと思います」
「そうか。お前もそう思うか……ふふふっ」
満足げな王子に、セオドアは後に続く言葉をそっと噛み殺しました。
(……ただし、あのご令嬢を口説くのはなかなか難しそうな気も致しますが)
◇◆◇◆◇◆
三月ほど経った後。
カンサイに戻ったディアナに王子から贈り物が届きました。
中身は『王立茶葉研究所』のラベルが貼られた紅茶と、この紅茶が一番美味しく飲める淹れ方のレシピ、そして瓶に詰められた水です。
「これで旨い茶を飲め」と王子からの一言も添えられています。
今日はドロランダがディアナの兄、ヘリオスに付いて行ってしまった為、別の侍女がディアナに付いています。彼女は箱の中身を見て興奮しきりです。
興奮し過ぎたためか、敬語にかなりカンサイ訛りが混じっています。
「こ、こ、こ、これ! 王立茶葉研究所ブランドの最高級のお紅茶! めちゃめちゃ高いけどめちゃめちゃ美味しいって噂ですよ!」
「へぇ、そうなん?」
「そうです! なんでもエドワード殿下がこの国で一番お茶を淹れるのが上手な三人の侍女を紅茶専属に引き立てただけでなく、日々お茶の研究をするよう一棟の建物を与えたそうですよ! もう全国の下級貴族の娘達がそこに勤めたい~って目の色を変えているらしいんですわ!」
早口で説明する侍女の言葉に、首を傾げるディアナ。
「うん? なんかどこかで聞いたような話やな……。気のせいか。異国や過去の歴史の話でも王立でそんな研究所を作ったって話は聞かへんもんな?」
どうやらこの侍女は王子のファンなのか、いやに力のこもった話をします。
「そうですよ。エドワード殿下のオリジナルのアイデアです! しかも凄いんは、研究に使ったお茶を『勿体ないから有効利用することも考えろ』って仰ったんですって。王族やのに私達カンサイの人間には親近感を覚えませんか?」
「ああ、それは好感度があがるなぁ。有効利用か……お茶を淹れた後の茶葉は干して食べたり肥料にする、みたいな事を本で読んだ気がするけど」
侍女が待ってましたという感じで話します。
「それがですね! 二番煎じを街の人に無料で出してるんですって!」
「二番煎じ???」
「二番煎じというのは、一度お茶を淹れた後の茶葉を捨てずに、もう一度お湯を入れて二杯目を煎じる事です。『勿体ない』の究極形です! 私達使用人もたま~にやっとります」
ディアナは目をぱちくりとさせました。
「……え、そんなんで、お茶の味、出るの?」
「良い茶葉ならバリバリ出ます! まあ味と香りは一番目には大きく劣りますけど……でもでも、普段紅茶も満足に飲めない庶民から見れば、二番煎じでもめちゃめちゃ贅沢な一杯やと思いますよ!」
「ふうん……捨てるはずのもんを有効利用として、タダで街の人に振る舞うのか……おもろい試みやな」
「しかも! 予想外に良い効果があったらしいんですよ!」
「へえ、どんな?」
「私も庶民の出ですからわかるんですけど、日雇いで働く男の人って、その日の稼ぎを酒代にしちゃう人がちょこちょこいるんですわ」
「え? 稼ぎを!? 家族はおらんの!?」
「これが、おるんですわ……当然妻と子供は困るわけでしょう? だけど怒っても泣いても止めてくれない」
「はぁ……気の毒な話やな」
「それがですね。なんと砂糖をたっぷり入れた二番煎じのお茶で解決したらしいんですよ!」
「??? さっぱりわからん。なんで?」
「日雇いで働く仕事っちゅーのは、キッツい仕事が多いんです。寒空の下、重労働だったりするわけです。仕事が終わったら、どうしても温まりたいし疲れを癒したいと思いますね?」
「ふんふん」
「今まで彼らは温まりたいとか疲れを癒したい為に、手に入れたばかりの稼ぎを持って手近な酒場に行っていたんです。そしてついつい稼ぎの全てを酒代に換えてしまう者もいてました。でも酒場に向かう途中で温かくて甘い紅茶をタダで飲めればどうなると思います?」
「温まって、砂糖のお陰で疲れも少し和らぐなぁ……あぁ、お酒の必要が無くなるってこと?」
「そうです! そやから彼らの内の半分以上は、酒場に行かずにそのまま家に帰るようになったんですよ!」
「……なるほど、それは凄いわ」
ディアナは深く息をつき、感心しました。侍女は興奮覚めやらず、立て板に水のごとく喋り続けます。
「ねっ、ねっ、私、その話を聞いてすっかりエドワード殿下と王立茶葉研究所のファンになってしもて! 飲んだくれ亭主を持つ妻や子供のヒーローですよ! もー、そこの紅茶が、しかも殿下直々の贈り物なんて! 目に映るだけで嬉しいですわ!」
「え、そんなにファンなら……これ、ちょっと飲む?」
ディアナの気軽な提案に、これ以上ないほど動揺する侍女。
「だだだだだ駄目です!! とんでもない! これは殿下からディアナ様へ贈られたものですからディアナ様以外は飲んだらあきません!!」
「……あ、うん。ごめん。……じゃあ私が全部飲むけど、飲んだ後の二番煎じは好きにして?」
「え!? ホンマですか!? ありがとうございます……!!」
感激に震える侍女。彼女はうっとりとしてディアナに話しかけます。
「でも特にお祝い事や記念日でもないのに、こんな贈り物を下さるなんてエドワード殿下とディアナ様はとっても仲良しなんですねぇ……」
「うん?」
「え?」
「仲良し……なんかな?」
首を傾げるディアナ。その目は本心で不思議がっている様子を表しています。
「え? だって、何度も王宮にご招待されたとドロランダさんから聞いてますけど!?」
「それはそうなんやけど……王宮で何を話したか、さっぱり覚えてないねん。思い出そうとするとなんか……こう……嫌~な感じに」
「まあ、殿下がお相手やったら緊張して何も覚えてないのも無理ないですわ。私だったら心臓が口から飛び出るかもしれません!」
「ふふふ。そうかもしれんね。……あ、でも」
「でも?」
「黒い髪の毛がシャボン玉みたいに光ってね、翠の瞳がとっても綺麗で見惚れてしまうような王子様やったのは覚えてるわ」
ディアナは少し頬を染め、はにかみながら言いました。
こうしてディアナの「黒歴史」は封印され、王家から婚約の申し入れがあっても100%政略結婚だと思っていた……というお話でした。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました!
次は追加エピソードです。エドを亡き者にしようとしたあの人へのざまぁになります。




