こぼれ話その1・後編/ 公爵令息は妹の従者にずっと連戦連敗である
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「おい、カレン。ディアの事だが……」
「何ですかヘリオス様、早く身を固めて下さいませ………『ざまぁ』。」
とてつもなく冷たい目で、且つ"本当は見るのも嫌だ"とでも言うように一瞬だけチラリと侮蔑の視線を向けたカレンの態度と『ざまぁ』の言葉。
もう何度も繰り返されているこのやり取りに、ヘリオスの心と鼻っ柱はバッキバキに折られていました。
「……だから、今回の事は俺が悪かったと言っているだろう?!」
「ええ。ですから早く婚約者をお決めになって身を固めて下さいませ………『ざまぁ』。」
最早ヘリオスの方を見もしないカレンが、手元の書類を捌きながら吐き出す言葉は外面のディアナもビックリの冷たさです。
「……カレン、お前、俺が下手に出るって滅多に無いんだぞ……」
「下手に出て当然でしょう。賭けに負けたのにその賭け金をまだ支払われていないのですからね。『ざまぁ』。」
賭け金とは、今ふたりがシノビを使って調べている反王家の勢力の洗い出しと、ヘリオスが母親である公爵夫人と約束した『婚約者を決めて身を固める事』を指しています。
「……だから! おっ、俺と結婚してくれと言ってるだろう?!」
「何度もお断り申し上げていますが、改めてお断り致します!! 私のような日陰者よりも次期公爵夫人に相応しいご令嬢は何人もいる筈です。……『ざまぁ』。」
「いや! お前が最も適任なんだ。ディアナの手伝いをしていたから領地の商売や職人にも詳しいし、俺の愛想笑いに惑わされることもない。公爵夫人として妬まれたり狙われそうになっても、大抵の危険は自分で対処できるだろ?」
矢継ぎ早に理屈を並べた後で、カレンの目を見たヘリオスはハッと昔の事を思い出しました。
あの時も『たまには息抜きをしろ』と、いかにも正論の理屈でカレンを自分の思うように動かそうとして強く反発された事。
そしてドロランダに『嘘は良くないですね、素直さが肝心です』と諭された事を。
今にも『ざまぁ』と言い出しそうなカレンを手で制し、ヘリオスはじっとカレンを見つめて心の内をさらけ出します。
「違う。……すまない。本当は適任だとかシノビだとかじゃない。……俺はお前を愛している。結婚するならカレンとしたいだけだ」
「!!」
「きゃっ」
唐突な愛の告白に思わず固まるカレン。そしてつい声を出したその場のもうひとり。
しかしその存在など居ないかのようにヘリオスはカレンだけを見て、立ち上がり一歩二歩と迫ります。
「頼む。俺に出来ることなら何でもするから俺と婚約してくれ!」
「……無理です。私にはディアナお嬢様という主がおりますので、お側を離れることはできません」
カレンが一瞬だけ冷たさを失い『ざまぁ』も出なかったのを好機と見たヘリオスは、そのままカレンの左右に両手を伸ばし壁に手をつきました。
愛する人の逃げ場を塞ぐように腕の中に閉じ込めたまま、至近距離で話を続けます。
「それでも構わない。お前が望むならディアナの側に侍女として居て良い。次期公爵夫人は体調不良で領地で静養中とでも周りに言っておけば済む。だから俺の妻に……ごふっ!?」
カレンが右手の中指と親指で輪を作り、中指を弾いてビシリとヘリオスの喉に当てました。
普段それで小石などを弾くとそこそこの攻撃力を与えるよう訓練をしている為、結構なダメージにヨロヨロと数歩下がり、背を丸め喉に手を当てて咳き込み続けるヘリオス。それを再び冷たい目に戻って見下ろすカレン。
ふたりの間に細身の身体が割り込みます。先程ヘリオスの告白につい声を出したこの場のもうひとりの、ふわふわとしたピンクブロンドとサファイアブルーの目を持つ愛らしい少女です。
「も~、カレン姉、やめてよ。王はあたしの主なんだよ! そんな酷いことしないで!」
「あら、お顔を傷つけなかっただけでも手加減してるのよ。ヘリオス様の最大の武器ですからね。キャリー、貴女も主を持つシノビならわかるでしょう?今のヘリオス様の言葉は詭弁だと」
キャリーと呼ばれた少女……元、偽物のフェリア・ハニトラ男爵令嬢は、カレンに言われて一瞬だけ詰まりましたがすぐに答えてみせます。
「え?……あー、主至上主義! 主以外に大事な家族を作ればそこが弱点になり、敵に狙われかねないから結婚出来ないってこと? でもドロランダさんは? 結婚して子供も三人もいるじゃん!」
「あれは例外。ドロランダさんは最初の赤ちゃんの時に世話係やシノビを引退して公爵家を去るつもりだったの。でもその優秀さを惜しんだ旦那様が引き留めたから、今は殆どシノビの仕事はしないのよ。今だって育児休暇を前倒しにして戻ってきて貰ったのは私や他のシノビ兼侍女がこの洗い出し処理で忙しいから、ただの使用人としてそこを埋める為なのよ」
「じゃあカレン姉も例外になれば良いじゃん。ただの優秀な侍女としてディアナ様の側に居れば良いよ」
「ドロランダさんとは状況が違うわよ。これが婚約ではなく結婚したら? 王太子妃の側仕えの侍女が、その実家である公爵家の嫡男と結婚しました。しかし表向きは領地で静養中として出てこない。実際は別人のフリをして側仕えを辞めていません……よ?」
「あははっ。ふたつの顔を使い分けていつでも王宮と公爵家を行ったり来たりできる! 完全に公爵家の間者だね!……あ、違うか。そのつもりならもっと上手いこと潜り込むもん。でもどっちにしろ、正体が誰かにバレたらと~っても面倒くさいのは間違いないねぇ」
「でしょう? こっちはそんなつもりはさらさら無いのに、疑われるだけで百害あって一利なしよ。……キャリーは理解が早くて助かるわ。良い子ねぇ。おまけにすっごく可愛いし」
誉められた彼女はうふっと軽く笑い、次いでその大きな瞳を潤ませてあざといポーズでカレンの顔を見上げました。
「……ねぇ、今のは王の詭弁だったとしても、その前の愛の言葉は本物だと思うの。だからあたしの王を許してあげて? あたし今までカレン姉とは会った事がなかったけど、今回の事でシノビとしても女性としても憧れになったの! ふたりがケンカしてるの見たくないなぁ~」
まるで小さな子供がごほうびをおねだりをするような無垢な表情を作ってみせたのを見て、カレンは心の内で感心します。
(最大の武器がその顔ってのもだけど、使い方の上手さも主と同じね。……あら、良い事を思い付いた)
「げほっ……キャリア、その"王"というのはやめろと……ごほっ、何度言ったらわかるんだ?」
やっと声が出せるようになったヘリオスが抗議すると、キャリアは自分の桃色の髪の毛をくるくると弄びつつ、少し間抜けな少女をよそおう口調を崩さずに返答します。
「ええ~、人前では言ってないんですから許して下さいよぅ。あたし、初めてお逢いした時から『この方こそ王の器だ!』と思ったんですもん! それに、その気になればクーデターを起こしカンサイ国を独立させて次の王様になる事も可能でしょ?」
「ごふっ、物騒な事を……言うな!」
「確かに物騒ですわね。キャリー、そんな可愛い天使みたいな顔をして言う事じゃないわよ?……ねえ、ヘリオス様も天使みたいだと思うでしょう?」
「げほっ……いや、ディアと同列に扱うのはどうなんだ」
「お嬢様はとっくの昔に女神に昇格しておりますから」
「ごほん……ならば……まあ、そうだな。見目は天使のようだ」
主に誉められたキャリアが、まるで犬のように瞳をきらきらと輝かせます。その横で全く違う種類の光を目に宿らせ、ニイッと笑うカレン。
「良かったわね、キャリー。もっと頑張って誉めて貰いましょう!」
「うん、カレン姉!」
「まずは、今やっている洗い出し処理の手伝いね。……それから空き時間にこれを覚えて貰える? ちょっと量が多いけれど」
カレンは棚から綴じた書類の束をいくつか取り出し、机にドサリと置きます。
「ん、これっぽっち? まかしてよ。戦闘はカレン姉みたいに得意じゃないけど、これでも運び屋って呼ばれてるんだから。全部頭に入れられるよ!」
額を指差してドヤ顔をするキャリアの方をふっと見たヘリオスが、カレンが置いた書類が何だったのかに気づき、顔色を少しだけ失います。
「待て、待てカレン……! げふっ」
「流石ね~。賢くって可愛くって何でも教えたくなっちゃう! 領地の商売や職人を覚えれば、きっとヘリオス様のお役に立てるわよ!」
「ごほっ……それはお前、キャリアを」
「貴女はヘリオス様の愛想笑いにも惑わされないし、可愛くて演技も上手いから周りの妬みや危険に対処できるものね!」
「ダメだ……カレン! げほっ、げほっ……アカン!」
「私が色々教えてあげるわ! 私の分までヘリオス様をしっかり支える存在になるのよ。可愛いキャリー!!」
「うん! カレン姉!」
「それはアカンて!! カレン!!! ごほっ、げほげほ……」
部屋の中にヘリオスの絶叫と咳き込む音が響き渡りました。




