16話/ 公爵令嬢は慰謝料を請求すると誓う
今回はちょっと話が長めです。すみません。お付き合いください。
「……っ、もー! せやのうて……そうじゃなくて!!」
赤い顔を隠しながらドロランダに抗議するディアナ。ここは公爵邸の庭園で開かれているごく私的なお茶会のため、ディアナは外面ではなく本音で標準語を使えるよう練習中です。
「私は王立茶葉研究所の設立について訊いたのに、なんで小さい頃の話をしてん……してるのよ!」
ドロランダはニッコリして答えます。
「ですからこれがきっかけですわ。あれから殿下は、新しい茶葉が手に入ったとかお茶を淹れるのが上手な専属侍女を雇ったとか理由をつけては王宮へ誘ってたでしょう? お嬢様が紅茶が好きなのだと思われていたのですね。一度なんてお嬢様が殿下に『お茶が勿体ない!』と言った事さえございましたわ」
「……全然覚えてないわ」
「あらあら、殿下に『言葉も内容もおかしい』と言われたのがよほどショックでしたのね? あれから殿下に会う時は殆ど標準語の外面でお人形のようでしたし。あの後すぐに領地に引っ込んで王都には大きくなるまで寄り付こうとしませんでしたもの」
「……むぅ……そんな事……は……。殿下一人でのう……なくて! 王都の貴族の子ぉは全員何考えてんのかわから……ないし、話が合わなかっただけだもの……」
むくれたディアナを見ながら、テーブルの向かいに座るアリスが頬を染めつつ言います。
「ひえええっ、尊いですわ! ドロランダさん、これっておふたりは小さな頃からの初恋同士って事ですわね?」
「もう! アリス様ったら! あくまでも他人の恋愛事ですのよ。そこは根掘り葉掘り訊かないのが令嬢としての美しい振る舞いですわ! ねぇシャロン様?」
ミレーユがアリスを嗜めますが、それは建前だけのようで彼女自身もニヤニヤが止まりません。話をふられたシャロンも同様で、コクリと頷きながら膝の上の小さな手帳に高速でメモをとっています。
エマは笑いながら紅茶を飲んだ後、真面目な顔つきになって言います。
「そこも気になりますが、私は殿下に毒を盛ろうとした勢力が気になりますわね。アイツとは誰ですか?キチンと排除されたのでしょうか?」
ドロランダは侍女らしい微笑みを崩しませんが、そこに何らかの圧力のような物を覗かせます。『この件に関しては他言無用』と言外に匂わせているのでしょう。
「ああ、その事は全く問題ありませんわ! 国王陛下が色々と手を打ってくださいましたし。殿下自身もあの一件以来、とても良い方向に変わったのですから」
「変わった?」
「今、皆様の知る殿下のようになったのです。以前は周り全部が敵かのようにピリピリとなさっていたのがにこやかになりましたし、年の近い従者を置き、信頼するようになったのですよ」
「ああ、セオドア様の事?」
「そうです。あの方はお嬢様にとってのカレンのように信用できる存在ですから、殿下への危険は常に察知し排除致しますわ」
(ああ、やっぱりセオドア様はドロランダの知っているシノビだったのね。それに私にとってのカレンみたいな存在なら、あんなに殿下にキツく言っても不敬扱いにならない訳だわ。ふふっ)
ディアナがドロランダの話に心の中で納得していると、シャロンが控えめにおずおずと訪ねます。
「あの……今日はカレン様は? あの、ドロランダさんは流石公爵家の立派な侍女さんでいらして、決して他意はないのですけれど……いつもディアナ御姉様とご一緒のカレン様がいらっしゃらないのが不思議で……」
ドロランダが一瞬ニヤリとしたのは気のせいでしょうか。
「申し訳ございません。カレンは今少々忙しくしておりまして。今回の件の後処理に駆け回りながら、合間にヘリオス様に"ざまぁ"もしていますからね」
「ぷっ」
「「「「ざまぁ?」」」」
四人の『赤薔薇姫の会』のメンバーが首を傾げる横で、その状況を思い出して吹き出したディアナが慌てて顔を繕いながら答えます。
「そうなの。お兄様は酷いのよ。今回の事、本当は私じゃなくてカレン絡みで始めたん……だわ。だからカレンがずーっとお兄様に『ざまぁ』って言い続けてるのよ」
ディアナの言葉を受けてドロランダが説明します。
「ヘリオス様は今回一番はじめに旦那様と奥様を説得する必要がありました。殿下とお嬢様の事を"二人は冷めた関係だ。強引に政略結婚の駒にするなど妹が可哀想だから、二人を試す。俺の見立てが間違っているなら首を賭けても良い"と主張していたそうです」
「首を!?」
ギョッとする四人の令嬢達。
「殿下に色仕掛けの女性を差し向けるなんて、どう考えても王家への反逆者ですもの。ヘリオス様の首ひとつですむならまだマシですわ。ですが陛下の了承を取り付けたことで、奥様と『賭けに負けたら首を差し出すのではなく、婚約者を選び身を固める』という約束になったそうですけど」
恐ろしいことを言う時も淡々と微笑んで語るドロランダ。しかし次の瞬間、表情が曇ります。
「そして僭越ながら、私がその時に居ればお役に立てたかもしれず、後悔しております。エドワード殿下とお嬢様はスレ違いつつもお互いを想いあっていました、と改めて旦那様と奥様に申し上げたでしょうから。……事態を止められず申し訳ございませんでした」
「それはええのよ。オカ……あ様は多分最初から全部わかっていて、私達がうまく行けばお兄ちゃんの結婚までまとめて片付けられると踏んでたんでしょ。……けど、ドロランダに休んで貰っていた時期にフェリア嬢が現れたのは偶然やなかったって事ね。全くお兄ちゃんは……」
(あっ、貴重なカンサイ弁&"お兄ちゃん"呼び!)
(頬をぷくっと膨らませて怒っている御姉様も可愛い!)
(御姉様に"妹属性"まで追加されてしまうわ……どうしましょう)
他の三人がディアナに対して心の中で萌える中、ニヤニヤしていたエマが一番最初に素の顔に戻りました。
「そう言えば。あの時パーティ会場で殿下とヘリオス様が話していた内容ですけど、色仕掛けの罠を仕掛けておいて不問にする契約を水面下で国王陛下と結んでいただなんて驚きですわね。……最近辺境近くの外様貴族の動きが変だとは父から聞いていましたけど……『もうひとつの目的』って彼らの事なんでしょう?」
ディアナも硬い表情になり、外面に戻って答えます。
「ええ。この婚約を殿下の方から破棄するような事があれば、外様や反王家の勢力はワタクシを……"辱しめられた西の国の姫"を旗印にして王家を攻撃するのに最適だと考えるでしょう? あわよくばカンサイ国を再興してバクフ王国から独立し、どさくさに紛れて自分達もそこに混ざる事まで狙っていたでしょうね」
自分の事を"西の国の姫"と言う所で耐えられず、少しだけ恥じらうディアナ。これは古い言い回しですが、彼女が元カンサイ王家の血を引いている事からたまに言われる事です。
「……罠を仕掛けたのは殿下だけではなく、この機会にワタクシに接触しようとした外様や反王家の貴族まで丸ごと釣り上げて叩くつもりだったのよ。……そしてお兄様自身は賭けがどっちに転んでも王家に絶対の忠誠を誓う事と、釣り上げる成果を契約書で約束して自らの首を守ったわけなの」
この後、外面で無表情の筈のディアナが若干呆れたような雰囲気を匂わせます。
「だけど陛下に賭けをもちかけるなんて信じられないわ! 確かに陛下側が有利な条件で申し入れしてはいるけれど」
「有利とは?」
「もしも殿下がハニトラ男爵令嬢に本気になって婚約破棄をしたとして、王家としては政略結婚でワタクシを縛り付けて反感を買うよりも、ワタクシを諦める代わりに公爵家の絶対の忠誠と反王家の正体を抑える機会を得られれば悪い取引ではないでしょう? しかも『最初から王家と公爵家の罠でした』と宣言して反王家の勢力を処分すれば、殿下が色仕掛けに落ちた事も誤魔化せるもの」
「「「「……」」」」
ヘリオスの狡猾さにドン引きする品行方正な令嬢達。
「でも多分、陛下は賭けに勝つ自信もお有りでいらしたからお兄様の申し入れを受けたのでしょうね。実際、勝って一番良い結果を手に入れたのですもの」
「……ヘリオス様、あの美しいお顔でそんな恐ろしい事を考えていたなんて」
「元々腹黒いわよお兄様は。あのパーティで王家と公爵家の仲は強固だし、殿下もお兄様も、外様の令嬢達なんかより何枚も上手だと周りに示して見せたんですもの。おまけにあの四人以外にも反王家の候補が居たとしっかりチェックしているし」
「「「「え?!」」」」
「殿下が婚約者以外の女性をエスコートして現れたから私にダンスを申し込もうとしていた何人かの貴族令息。重複する者もいるけど殿下が『一旦婚約を白紙に』と言った時におかしな動きをした者。それと……」
「「「「それと?」」」」
「……」
「御姉様?」
今から言う内容の恥ずかしさに外面が剥がれ、赤くなり黙り込んだディアナを見てドロランダが後を受けます。
「お嬢様のファンクラブに後から入会を希望した中にも疑わしき人が」
「「「「『赤薔薇姫の会』に!?」」」」
「希望者のリストを握っているのはカレンですから。今ヘリオス様と洗っている所なのです」
「あ、カレン様が駆け回っていらっしゃる後処理ってそういう意味ですのね……」
呆然とする『赤薔薇姫の会』の面々ですが、その中でアリスがはっと気づいて疑問を口にします。
「……あのう、カレン様がヘリオス様に『ざまぁ』って仰ってるのは何故ですの?」
「んもう! アリス様ったら! この事はカレン様絡みで始まった……ってさっき御姉様が仰ったでしょう? それでわからない?」
ミレーユがアリスに言うと、アリスは首を傾げます。
「ヘリオス様の見立ては外れて、殿下と御姉様が皆様の前でお気持ちを表明されたから、ヘリオス様は婚約者を決めないといけなくて『ざまぁ』なんですよね? カレン様が絡んでいると言うのは……あら? もしかして?……ひえええっ」
「やっとわかったのね! ディアナ御姉様が王家に嫁げばカレン様も当然、御姉様専属の侍女としてついていくから、それを阻止したかったのよ!」
「では、今までヘリオス様の婚約者が決まらなかったのは……」
ディアナが外面を崩し、苦笑します。
「ねぇ、酷いでしょ? 本当の気持ちをずっと隠していながら、周りには私が一番可愛い、と言って誤魔化していたんよ! 今になって慌ててカレンと婚約したいって言い出して、きっぱりフラれ続けてるの。最近ではお兄様がカレンに話しかける度に『早く身を固めて下さい。……ざまぁ』しか言われなくて……ぷふっ」
その場面を再度思い出し、堪えきれずに口元を隠して吹き出すディアナ。ドロランダが彼女の言葉を部分的に否定します。
「ヘリオス様の『お嬢様が一番可愛い』というお言葉にはかなり本気も混ざっていたと思いますよ。……何せ、カレンは小さな頃からお嬢様を世界で一番可愛らしくて美しい、と溺愛しておりましたもの。その価値観がヘリオス様にも刷り込まれたのかと」
「!!……あぁ、もう! カレンもお兄様もハタ迷惑なんだから! 私を巻き込まん……ないでほしいわ!」
一転、ぷりぷりするディアナを見てミレーユがシャロンに言います。
「それは無理ですよねえ? 今までの外面で他人を寄せ付けない冷たい美貌の御姉様も素敵でしたけど……こんな素顔を見たら、可愛らしくてついついかまってしまいたくなるというものですよね?」
「カレン様の仰る事も尤もですわ。私が知る中でも一番可愛いげのあるご令嬢ですもの。創作意欲が刺激されますわ!」
「!!……あ」
シャロンの言葉にある事を思い出し、ディアナがサーッと顔色を悪くします。
「あの……シャロン様……」
「なんでしょう?御姉様」
「あの『王子と凍える赤薔薇姫』の事ですけど……そ、その、私は自分の事だと気づけへ……気づけなくて……その、申し訳ないですが、公認とか本にするというのは、撤回でき……ませんか……?」
「えっ!」
今度はシャロンが顔色を失ったのを見て、ディアナは慌てて話を続けます。
「勿論シャロン様の小説を素晴らしいと思った気持ちは本物です!! 今後も後ろ楯としてシャロン様の才能を磨くための協力は惜しみません!!……でも、あの、その、私をモデルにした話は……アカンというか……この場の皆様の胸に納めて頂けませんかと……」
段々と言葉尻が小さくなっていくディアナを見ながら、お互い顔を見合せ、気まずそうな四人の『赤薔薇姫の会』。ちょっと間を置いてからシャロンが口を開きます。
「申し訳ございません。ディアナ御姉様。もう遅いですわ」
「えっ?」
「あれは今、多分学園中に貸し出され、回し読みされています」
「ええっ?」
「あの日、私が御姉様に苛められた……と勝手な噂を立てる人がいましたの。ヘリオス様側の人達が御姉様の評判を落とそうとするとは思えないので、おそらく外様か反王家の人間だったのかもしれません」
「えええっ!?」
「アレス・ノーキン様も否定して下さったんですけど、ヘリオス様とノーキン様がご友人だから、その妹を庇っていると益々勝手な事を言われて……思わず完全否定する為、あれを見せて『ディアナ様はこの小説を認めて下さるほど寛大で、殿下と"こんな恋をしたい、永遠に添い遂げたい"と仰るような健気な方なのです』と皆に言ってしまいましたの」
「ええええっ!?!?」
「それで、ぜひ読みたいという方が後を立たず……御姉様が本にしても良いと仰っていたので、てっきり見せても問題ないかと……も、も、ももも申し訳ございません!!!」
頭をテーブルに擦り付けんばかりに下げるシャロン。その横に座るディアナは先程まで青かった顔に急速に血が上り、真っ赤になってパクパクと口を開けたり閉じたりしています。
「……そ、そんなん、聞いてへん……」
ドロランダがカレンと良く似た笑い方をしました。
「お嬢様、私はカレンから聞いていますよ? それを本にすると言い出した時に、お嬢様が恥ずかしさでのたうち回ってベッドをゴロゴロ転がる羽目になっても知らないですよ、とちゃんと忠告したそうですけど?」
「……"恥ずかしさでのたうち回って"が抜けとる!! しかも何があっても守ってくれるって言うてたのに!! カレンの嘘つき!!」
その深紅の瞳が涙で潤み、吊り上がった目尻をへにゃりと下げて真っ赤な顔で抗議するディアナを、まるで幼い子供を扱うように撫でるドロランダ。
「良いじゃないですか。お嬢様の可愛らしさと健気さが皆に広まれば、未来の王太子妃としての立場を守る事にも繋がりますよ。ねえ皆様?」
ドロランダの言葉と、ディアナの可愛らしい様子にコクコクと頷くその場の四人。しかしディアナは納得できず悔し紛れに呟きます。
「もうっ! もう…………請求してやる!! こんなアホな事しよったお兄ちゃんと、ついでにカレンにも……絶~っ対に慰謝料請求してやるわ!!」
続きます。
次回いよいよエピローグです!




