15話/ 昔のふたり
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「殿下は勉強が好きなん? 嫌いなん?」
「……何故そんな事を聞く」
ディアナと目も合わさず、相変わらず机で次の授業の予習をしながら返事をするエドワード王子。
メモを取る字は美しく、子供とは思えぬ高度で多岐にわたる内容を書きつけています。
「だってそんなに熱心に勉強してるのに、全然楽しそうやないし。なんか怒ってへん?」
「怒ってなどいない」
「ふーん? まぁええけど」
小さなディアナは王子の部屋の椅子にちょこんと腰かけます。新たに王子から貸して貰った本をしっかり抱えて読み始めました。
「……お前こそ、どうなんだ」
「何が?」
「せっかく王都に来たのに他の貴族子女と遊びもせず、ここで本を読むだけでつまらなくないか?」
「なぁんや、やっぱり勉強は"つまらない"と思ってるから嫌いやねんな!」
「違う。好き嫌いの問題ではなく、必要な事だ」
「へー。流石王子様は偉いなぁ。私は他の子と遊ぶより、ここで本を読んだり殿下に色々教えて貰う方が楽しいからやけど」
「!」
今まで机の上にしか視線を向けなかったエドワード王子が今日始めてディアナをまじまじと見つめます。しかし本を読みながら返答し、しかも今は別の事を考えていたディアナはその事に気づいていません。
(だって王都の貴族の子て、みんな感じ悪いもん。私の喋り方がオカシイて嗤ったり、自分で稼ごうとするなんて頭がオカシイ、それより新しいドレスや髪飾りも買わないの? ~みたいな事言うて!)
「……殿下。領民や国民から税金で得たお金を自分の贅沢のためだけに使うんと、巧く活かして増やしたり国を豊かにするんやったらどっちがええ?」
「なんだそれは。新手のなぞなぞか? どう考えても後者だろう」
「うん。そやね」
(殿下はあの子達とは違うから一緒にいて嫌な感じはせえへん。……まぁ、いっつも怒っとるみたいな顔やけど)
「?」
「失礼致します」
王子がディアナの言葉の意味がわからず首を傾げた所へ、王宮の侍女がお茶のセットを持って入ってきました。美しい手つきで3つのカップにお茶を入れ、王子の指示を待ちます。
「……手前の」
侍女は手前のカップに入った紅茶をぐっと飲み干しました。残りのカップの内ひとつを手にし、また指示を待ちます。
「それはアキンドー公爵令嬢に」
それをディアナの前に置き、最後のひとつのカップを手に取り近づく侍女に王子が声をかけます。
「ああ、それもお前が飲んでみせろ」
「!」
思わずディアナが侍女を見ると、真っ青になって震え出しています。カップがカタカタと音を立て、中の紅茶も溢れそうです。
そんな様子を見ても顔色ひとつ変えず、むしろ余裕の笑みを口元に浮かべるエドワード王子。
「どうした? 飲めないのか?――――毒でも仕込んだか」
カップを取り落としガチャンと床で派手な音を立てた次の瞬間には、侍女は部屋付きの侍従や護衛達によって取り押さえられていました。
床に這わされた格好の女は、王子を睨み付けながら叫びます。
「やはり悪魔の子だわ! その烏のような禍々しい髪!! この国の王子には相応しくな……!」
これ以上は口を塞がれ、何も言えなくなった侍女は拘束され引きずられていきます。目の前で起こった出来事にディアナは怯え、思わずドロランダのスカートを握りしめて抱きついていました。
「ははは。悪魔の子、ねえ……。どうせ金で買収されたくせに、悪魔側に立ってるのはどっちなんだか」
と、面白そうに言う王子の顔を見て、ディアナはハッとしました。
王子はディアナの前のカップを指差します。
「アイツは小者だからお前を巻き込むような事は指示しないだろうが、念のためそれも飲むな。代わりを用意させる」
「殿下……」
「お前の侍女は優秀だな。あの女が最後のカップを持った時にいち早く見抜き、僕に手の動きで『飲むな』と伝えたのはその者だ」
「ドロランダが?」
ディアナが涙目で見上げると、侍女が優しく頭を撫でてくれました。
「余計なことだとは思ったのですが……殿下に万が一の事があってはなりませんので」
「流石はアキンドー公爵家の者だ。敵に回したくはないな」
「!!」
ディアナはカッと頭に血が上りました。王子のその物言いが、まるでこの状況を楽しむようだったからです。
「何言うてんの……敵て! 私やドロランダが殿下の敵になるわけないやないの!」
「お前やヘリオスがそうでも公爵やその配下はわからん。それに昔のカンサイ国についていた外様の貴族達が、お前達を勝手に反王家の旗印に担ぎ上げる可能性だってあるんだぞ?……もっと言えば、今見たように僕は王宮の中にも敵がいるんだ。奴らと公爵か反王家が手を結べば、僕などあっという間に潰されるだろうな」
「……なんで、そない」
(なんでそないに面白そうに言うねん。……殿下がなに考えてんのか全然わからへん……)
ディアナはドロランダのスカートを更にぎゅうと握りました。その可愛らしい手が白くなって震えるほど力が入っています。
一方の王子はディアナの言葉を、なぜそんな事をする人間が王宮の中に居るのか、という意味に取ったようです。
「なんで?……さあ。僕が前王妃の息子だから……かな?」
「!!」
「僕の母上は異国から嫁いできたが、父上と母上は信頼しあっていたと思う。愛というものはわからないが……それもあったかもしれない」
エドワード王子は自分の髪に手を触れます。
「この髪は、母上譲りの色だ。だがいつからかこの見た目が烏のようだと……悪魔の子だと王宮内で陰口を叩かれるようになった。今の王妃は噂の出所を決して掴ませないが、まぁ予想はつく」
「そ、そんなん! 烏の何が悪いん!?」
「……さあ。何が悪いんだろうな? 過去の戦乱の時代には兵士の死肉をついばむ事もあったそうだから、縁起の悪い鳥なんだろう」
楽しそうに皮肉めいた表情で言う王子を見て、ディアナの心の中の小さなものが揺れ動きます。
「だから……だから怒ってたん?」
「何が? こんな事で今更怒るなんて、もうとっくに……」
「ちゃうよ! 殿下は勉強の時……ううん、それ以外も……いっっっつも怒った顔しとる!」
「!」
「そんで、今! 今こんな事されて怒らんといけんのに、笑てる!! 逆やんか! そんなん意味わからんわ!」
「……はは……。ははは」
「ほら! 笑てるやん!」
泣きそうな顔のディアナ。口元を抑え笑顔の王子。
二人が初めて会った時から彼の翠の瞳にずっと浮かんでいた攻撃的な色が徐々に消えてゆきます。
「いや、今のは本当に笑ってる。……確かに意味がわからないな。……多分、あれだ」
「あれ?」
エドワード王子は、自身の髪に再度触れます。
「髪の毛の色以外は、アイツらに文句を言わせないよう完璧な王子でいてやる、と思っていたから。無意識のうちに怒りをぶつけながら過ごしていたんだな。そして今のように攻撃された時は『余裕でいるぞ』と笑っていたんだ」
「?……やっぱり意味わからんわ。攻撃されたら余裕でも怒るやろ?」
「うん、そうだな。お前はわからなくていい」
ディアナは王子に、そして王子の言うことも考えも理解できない自分にチクチクとしたものを覚えました。
でもそれがなんなのかを客観的に理解できるにはまだ幼かったのです。
「……殿下。私は殿下の髪、好きや」
「はは、烏のようでもか? 物好きだな」
「烏もカッコええと思う。でも烏とちゃうわ。……こないだ殿下に初めて会うた時にね。窓から光が差して、殿下の髪の毛が虹色にキラキラ光って……まるでシャボン玉みたいやなぁと思てたの」
「シャボン玉?」
(あっ、しもた!)
驚いて目を見張った王子の顔を見て、ディアナは失言だったと思いました。
相手は国の第一王子。しかも驚くほど勤勉です。シャボン玉遊びなどしたことがないかもしれません。
「あっあの、シャボン玉は石鹸の泡からできるんや。そんで緑とか紫の虹が見えて、めちゃめちゃ綺麗やねん!」
「……いや、流石にシャボン玉くらい知っている」
「えっ、そうか……」
「ははは……。うん、確かに母上の長い黒髪にはシャボン玉に似た虹のような煌めきが現れる事が度々あったな。……そんな事も忘れていた」
懐かしそうに微笑んだ王子がディアナの方を見た時、彼女の心臓はドキリと強い鼓動を叩きました。
美しく整った少年王子の顔には今までのような厳しさは残っていません。新緑を思わせる瞳が優しくこちらを見つめてきます。
「ディアナ。何か欲しいものはないか?」
「欲しいもの……?」
ディアナは自らの心臓の動悸や、突然の王子の申し出と彼の笑顔に激しく混乱します。
(なんなん、これ……私の身体、どうなってんの? それに殿下が笑てるて事は……怒っとるん???)
「? いいから早く欲しいものを言え」
(え? え?……怒っとるんなら『お前の欲しいものを奪ってやる』とか言う物騒な話なん!? 胸が……苦しくて頭が回らんっ……!)
面白そうな王子に対してディアナは無理やり絞り出すように応えました。
「こ、紅茶を……」
「紅茶?」
「さっき、代わりを出すて言うてた……」
「……は? それでいいのか?」
慌ててコクコクと頷くディアナを見て、王子は弾かれるように笑い出します。
「ははは!!……そうかお前はそういう(施しはいらない)人間だったな! 本当におかしいな」
「オカシイ?」
「ああ、お前はおかしな事ばかり言う。今までお前のような人間に会ったことはない」
「私の言葉……そんなに変? 言い方? 中身が?」
「両方だ。変だ」
「!!」
楽しそうにニコニコと、そして面白がるような王子の顔。
「さあ、代わりの紅茶を出そう。お前のためにこの国で一番旨いのを用意させる」
「……」
真っ赤になって震えるディアナ。そんな彼女の様子を後ろで見たドロランダは少しだけ心配しました。
(この"おかしい"は、"面白い"の意味だと思うけれど、お嬢様は悪い意味にとってやしないかしら。……でもお顔が赤いのは、うふふ……)
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「……という訳だったんです。私は二人は仲良しだと思ったので、キチンと旦那様にも奥様にもその時はご報告したんですけどね。まさか私が産休を頂いている間にヘリオス様が暴走するなんて思いませんでしたよ」
アキンドー公爵家の侍女、ドロランダはお茶のお代わりを入れながら昔の話をしていたのです。
「……それと。もうひとつ意外だったのはお嬢様がこの思い出を黒歴史として記憶から消し去っていたことですね」
チラリとドロランダが目をやった先には、両手に顔をうずめて震えるディアナ。しかし耳までは隠せず、その先まで朱に染まっています。
彼女と同じテーブルを囲み、お茶を楽しんでいた『赤薔薇姫の会』の一同はディアナを微笑ましく見つめます。
(ディアナ御姉様、昔から殿下に『おもしれー女』と認定されていたのね……)
続きます。
かなり伏線回収しましたが、『もうひとつの目的』が残っています。
次はそれの説明回なので長めになります。




