1話/ ヘタレ王子が婚約破棄してくれない
この小説はフィクションです。小説内に登場する地名や「カンサイ弁」は架空の地名・言語であり、実在するそれらとは一切関係ございません。
「カンサイ弁のここがおかしい」といったご指摘はどうかご勘弁願います。
「ディアナ!! 僕は君との婚約を、破……」
「にゃ~ん」
豪奢で荘厳な装飾が施された王立学園の大回廊のど真ん中で、ビシッとポーズを決めたエドワード・ジョー・バクフ王子がいざ婚約破棄をしようと大声をあげましたがその声は途中で遮られました。
王子の前を横切った黒猫によって。
「………」
「………」
大回廊は一気に静寂に包まれました。その場にいた王立学園の生徒全員が固唾を飲んで王子を見つめ、次の言葉を待ちます。
しかし、肝心の王子はその美しい顔を真っ青にして額に汗を垂らし、去り行く猫しか目に入っていないようです。
「……エド様?」
王子の傍らにいた愛らしくも美しい少女、フェリア・ハニトラ男爵令嬢がついにしびれを切らしたようで、彼の右袖を引きながら続きを促そうとしています。
そしてそれを見た王子の婚約者である銀髪の公爵令嬢ディアナも、まるでフェリアに加勢するかのように王子に要件を問います。
「エドワード王子殿下、ご機嫌麗しゅう。ワタクシにご用事ですか?」
「……っ!……いや、なんでもない」
その瞬間、遠巻きに様子を伺っていた生徒全員が膝をかくりと落とし、ズッコケました。カンサイ地方で人気の、新喜劇で披露されるようなぴたりと揃ったタイミングです。
きっと全員の心の中に同じことが浮かんでいたに違いありません。
(また? これで何度目!?)
実にこれで3度目です。先週からこの王子は学園内でハデに婚約破棄をしそうになっては、毎回途中で止めているのです。それというのも……。
ディアナはこの機会を逃すまいと、あくまでも上品に、完璧な標準語で、彼女にできうる限りの美しい笑顔を無理やり作って、王子に追撃をします。
「殿下、恐れながら申し上げますが、何かワタクシに仰りたいことがおありになるのでは?」
そう言った途端、遠巻きに見ていた女子生徒の一人が「ひえええっ」と言って倒れるのがディアナの目の端に映りました。
(あら、そんなにワタクシの顔、恐かったかしら? 外面は完璧に繕った筈なんですが内心のイラつきを抑えきれなかったのでしょうか?)
しかし王子は動じた様子もなく、くるりと踵を返しながら言います。
「いや……今日は日が悪い。また改める」
「エド様!待ってください!」
トボトボと元来た道を帰る王子を、馴れ馴れしく呼びながら追いかけるフェリア。ごく自然な動作でするりと王子の右腕に自らの左腕を差し入れます。
「はー……やっぱりあの娘、気になりますなぁ」
「カレン、『ねぇ』よ」
ディアナは横にいた女性の言葉遣いとイントネーションを無表情で注意します。
彼女の従者として共にこの学園に通うカレンは目だけでニヤッと笑いました。
◇◆◇◆◇◆
王都の公爵邸に帰って来たディアナは椅子のクッションに八つ当たりをしてボコスカ殴っていました。
「あー! もうホンマあのアホ王子、腹立つ!! はよ言えボケ!!」
「お嬢、口悪~」
「……わっ、私らの国なら普通やんか」
「庶民ならともかく、貴族のご令嬢としてはカンサイでもアカンと思います。いくらアイデアが沸くからってお忍びで街に降りすぎとちゃいますか?」
「……むぅ」
エドワード王子の婚約者、ディアナ・アキンドー公爵令嬢は、従者カレンと二人きりになったので標準語の外面を外し気兼ね無くお国言葉で話しています。
一人称も「ワタクシ」ではなく「私」ですし、先程までの氷の彫像のような無表情はどこへやら、ちょっぴり(?)怒りっぽいですが表情が豊かな様は年相応の女の子そのものです。
ディアナの従者のカレンも、侍女のお仕着せに着替えて窓を開け空気を入れ換えるなどそれらしく働いているものの、口調はかなりくだけた態度でこう言います。
「まぁしかし、エドワード殿下もええ加減にしてほしいですなぁ。今回は黒猫が前を横切ったから婚約破棄を中止て。……どんだけ縁起を担げば気がすむんかと」
「一昨日は宣言中に近くの鏡が突然割れて、不吉やからまたの機会に~とか言うてたわね」
「最初は先週でしたなぁ。確かその日が『13日の金曜日』だと途中で気づいて中止されましたわ」
「……婚約破棄宣言する前に気づけっちゅーねん!!」
「ホンマそれですわ」
「はぁ~。あほくさ。とっととあんなヘタレと縁切りしたいわ」
「お嬢の方から捨てたったらええんやないですか?」
「あほか! これはお上が決めた婚約やで。向こうから言わさな慰謝料ガッポリ取れへんやないの!」
「おお! さすがアキンドー公爵家ご令嬢! がめついですなぁ!」
「そら、もういつでも慰謝料を請求できるよう準備済みやもん」
ディアナがデスクの引き出しから慰謝料の根拠となる算出表を取り出してヒラヒラと見せます。
このバクフ王国の西にあるカンサイ地方は、アキンドー公爵家の領地が殆どを占めています。そこの中心地『アウサカ』は商業、娯楽とグルメの一大都市として王都に次ぐ規模の大きな華やかな街です。
商人が多く集まる事から公爵家も商売に強く『常に新しい商機を見いだせ。不当な稼ぎと無駄遣いは悪』という考えが代々の公爵のモットーです。
ディアナもその教えを守っているため、慰謝料の算出表に不当な項目や金額は全く含まれていません。
カレンが算出表のきっちりとした数字を見て笑いながら紅茶を淹れてくれます。
ディアナの前に紅茶のカップをそっと置きながら言いました。
「そやけど、ちょーっとだけ気になりますわ。あのフェリアさんとかいうお嬢さん」
「そやね。たった1ヶ月でエド殿下を落とした手腕は凄いわ。私にはあんな真似ようできんもん」
「……確かにお嬢と色仕掛けは対極に位置してますわ」
「うっさい。どうせ王都では標準語で外面を繕うのが精一杯で、無表情で固まっとる孤高の存在やっちゅーねん。それに元々色気もなければ可愛げもへったくれもないし」
(……ホンマは面白くて可愛げも世界一ってくらいあるんやけどなぁ。色気は……まぁ)
「ん? カレンなんか言うた?」
「いーえ、なんも言うてません!」
「話が脱線したけど、あの完璧を絵に描いたような殿下がメロメロになるて、普通の男爵令嬢やないかもしれへん」
ディアナはそう言って紅茶の入ったカップを眺めながら、先日から変化した王子の顔を思い浮かべました。
以前は常に穏やかな笑みを浮かべ、第一王子として公務や未来の国王としての勉強に励んでいたエドワード王子。
文武両道、才色兼備を絵に描いたような御方です。
その黒髪は光を浴びると玉虫色の輝きを見せ、新緑のような美しい翠の目はいつもにこやかな雰囲気をたたえています。
政略結婚の婚約者であるディアナとの間に甘い空気が流れた記憶はありませんが、ごくたまに王子から聞く話は興味深く楽しいものが殆どでした。
しかしフェリアと一緒にいる王子は全く違います。彼女だけを熱く見つめ、その言動を少しも見逃すまいとしているようです。
そして衆人環視の中で婚約破棄をしようとする浅はかさや、縁起を担いで破棄を中止しようとする情けなさ。
『人が変ったよう』とは正にこの事です。
「……それもありますけど、私が気になってるのは、フェリアさんが常に王子の右側にいる事ですわ」
「カレン、やっぱりフェリア嬢はどこかの間者や刺客と違う?」
「うーん……。間者や刺客なら王家側でとっくに調べがついてそうなもんやと思いますし……」
「でも常に殿下の右側にいるて、殿下の利き腕を封じるつもりやないの?」
「ちゃいます。私らみたいな女に言わせれば、あの状況ならむしろ逆を狙う筈です。王子が許してないのかもしれませんけど」
「逆? 許す?……全然わからん!!」
ディアナがイライラしてクッションをむぎゅ~っとするとカレンが再び苦笑します。
「まぁ、その辺は護身術の訓練の時にでもついでにご説明しますわ。それと無理かもしれませんが一応フェリアさんの周辺、軽く洗っときましょか」
「そやね。頼むわ」
カレンはディアナの侍女であり、姉妹のように気のおけない存在であり、そしてシノビです。
アキンドー公爵家の広い領地にはアウサカのような大都市とは対照的に長閑な風景や豊かな自然も多々存在し、深い森の中でひっそりと隠れ里を作って生活する人達もいます。
シノビとは、そんな隠れ里のひとつに住む「コウガシュー」の一族より選ばれた、諜報活動をメインとする影の存在です。
公爵家は代々優秀なシノビを何人も抱えています。彼らは公爵家の使用人や、弱小貧乏貴族、商人、庶民など様々な表の顔でその身を隠しているのです。
カレンはああ言いましたが、彼らであればフェリア嬢とそのご実家のハニトラ男爵家についてはすぐに調べがつく、とディアナはクッションを揉みながら考えていました。
「ところでお嬢」
「なに?」
「クッションに八つ当たりは止めといて欲しいんですけど。さっきは空気を入れ換えときましたけど、めちゃめちゃホコリが立ちますんで吸い込むと身体に障ります」
「……これ、クッションカバーの材質が悪いんとちゃう?」
「いやいやいや、お嬢の部屋の物は全部最高級ですがな」
「せやのうて、カバーになってる布の種類! 糸の質と布の織り方を変えて、更に織りの密度を上げたら毛羽が立ちにくくなるし、中の綿ぼこりも通しにくくなってホコリが出えへんと思う」
「糸の質と織りの密度て……簡単に言わんといて下さい」
「え? うちの領地の腕のええ職人さんならできると思うけど。意外とお貴族様の女性は陰でクッションに八つ当たりしてる人多いと思うねん。ついでに中綿も改良して……これ、上手く行ったら高級品でもかなり貴族階級に売れると思うわ!」
公爵のモットー『常に新しい商機を見いだせ』を地で行くディアナは度々アイデアを思いつくのですが、その時彼女の瞳の中には小さな炎が燃えて舞い踊るかのようにきらきらと輝きます。
今回も彼女の輝く瞳を見たカレンはクスリと笑って肯定しました。
「……確かに売れそうですね。流石お嬢。ちょっと職人のツテをあたってみます」