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カレーライスと霰

 夕方、イッくんから、しつこくメールが来たけれど、私はそれを無視し続けた。畳の上で寝返りをうつメグと、ガラガラで遊んだり絵本を読んだり。こんなにゆっくりメグと遊んだことがあったかと思うと、やっぱり泣けてきた。

 そして夜、母さんが作ってくれたカレーを食べていたら、イッくんから着信があった。それを律儀に取ってしまって瞬時に後悔した。


「ノリちゃん、今どこ?」

「実家」


 そう短く答えた私の声はとても不機嫌で、電話向こうのイッくんはとても焦っていた。何も言わないで帰ったらびっくりするじゃん、という声に紛れもない安堵が混じっていて、私は無性に苛ついた。苛ついて何も言えなくなって、泣いてしまって、一方的に明るい声で喋るイッくんの声がスマホから流れて続けて。背後からにゅっと伸びてきた手が、私からスマホを奪い取った。ノッブだった。


「啓一義兄さん? お久しぶりです、信之です。はい、はい、それなんですけど、今田植えで忙しくて。ねえちゃんに手伝ってもらっています。はい、メグちゃんは、ばあちゃんが見てくれてます」


 すらすらと嘘を吐き、私が実家の手伝いをしていることにしたノッブは、イッくんとしばらく喋った後、にこやかに通話を切った。その直後、その好青年らしい表情を一転させ、


「ねーちゃん、着信拒否しといたらええのに」


 不機嫌そうに、私にぽいっとスマホを渡して、ノッブはメグの方に行ってしまった。

 メグが嬉しそうな声を出している。まだ言葉にならない声だけれど、大阪にいる時よりずっとのびのびしている。お隣さんを気にしなくてもいい、ぐずりそうだから外に出かけなきゃなんて思わなくていい。


 夕飯の時間になったら、母さんがカレーを作ってくれた。だから、ゆっくり授乳できて、ゲップまでさせることができた。病院で習った通りのことを丁寧にできたのは、これが初めてかもしれない。

 いつもは飲み込むように食べているごはんも、ばあちゃんやノッブがメグを見てくれているおかげで、一口一口大事に食べられる。美味しい、母さんのカレー。こんなにゆっくりしてていいのかな。そう思ったら、美味しいはずのルーに、私の罪悪感が混じった。


 カレーの後も次の日も、私はイッくんに電話をしなかった。

 田んぼの手伝いをしているときにイッくんから、いつ帰ってくるの、という短いメールが届いたけれど、私はそれにも返信すらしていない。私たちの間はこの二日でどうなってしまったのだろう。


 朝は晴れていたのに、お昼を過ぎたら急に空全体が暗くなった。雨が降ってくる、とノッブは早めに仕事を切り上げて、納屋でトラクターの整備をし始めた。

 メグを抱っこ紐に入れて、ノッブの仕事を見る。油差しの匂いが懐かしい。私も小さい頃は、じいちゃんが機械いじりをするのを見るのが好きで、「危ないけん、下がっとけ」と怒られながらも周りをウロウロしてたっけな。

 そうしていたら、納屋のトタン屋根がバラバラバラと派手な音を出し始めた。外を見たら、小さな白い粒々が庭を転がっている。あられだった。納屋の隅で紐を片付けていたばあちゃんが、ひょこひょこ歩いてきた。金バケツを持って、大きな目を開けたメグを覗き込んだ。


「メグちゃん、霰じゃ」


 ばあちゃんはそう言って、納屋の軒先に金バケツを出した。霰が金バケツの中で跳ねてカラカラと言う。メグはその音がどこから聞こえるのかと、手足をうんと伸ばした。


「危ないけん、軒の中で見るんやで」


 ばあちゃんの目は優しい。

 

 ここで農家をしているばあちゃんだけど、前にちょっとだけ聞いたことがある。本当は学校の先生になりたかったって。ばあちゃんの里は男女関係なくみんな勉強ができた、大正から昭和にかけての時代としてはとても珍しいことだったらしい。ばあちゃんも女学校まで出て、それでも卒業後じいちゃんのところにお嫁に来たのは、そういうことが当たり前の時代だったから。


 夢を諦める、ということをまだ10代だったときにどうやって納得したのだろう。それとなく聞いてみたら、

「賭け事せん人だったから、お嫁に行ってもええかと思ったんよ」

と教えてもらった。

 ばあちゃんは、私の中では一番強い女だった。状況に悲観するでもなく、自分のやるべきことを一個づつ丁寧にやる。怒った時は声を荒げるわけでもなく、たった一言「いかん」と言って絶対に譲ってくれない。

 私もばあちゃんの孫なんだから、こういう風になれたらよかった。

 優しくて強い、はとても難しいのだ。


 

 コロコロ転がっていく霰が、庭を白くしていく。ばあちゃんは、金バケツに溜まった霰を少し取って、メグの手に握らせた。メグが目を一層大きく開いて、固まった。


「これが霰」


 ばあちゃんの目は、メグとは正反対に細くなった。初めてを赤子に教えるばあちゃんは、先生になれなくても尊敬すべき師の姿をしている。

 私もいつかこんな風に、子どものことを優しく穏やかに見られるようになるのだろうか。この世で一番愛おしいはずの生き物を、真っ当に愛おしいと思いたい。それにしては私は弱すぎるのだろう。

 ばあちゃんとメグをかわりばんこに見ていたら、心臓がギュッと締まった。

 

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