お約束ハッピーエンド
父に対する母の狂気を孕んだ愛を代わりに注がれていたフレドリック。母が亡くなってすぐ父は新たな妻と娘を連れて家に来る。
当たり前に愛された義母と義妹に対して燃え上がる復讐心……などなく使用人達から愛され、友人にも仕事にも恵まれている侯爵令息が少しずつ幸せになっていく話。
多少の胸糞、都合のいい展開、ざまぁ有り。
「貴様を廃嫡する。二度と我が家の敷居を跨ぐことは許さん」
冷たい声と視線、最後まで名前を呼ばない徹底ぶりに感心すら覚える。いっそ名前をきちんと覚えているのかすら怪しいところだ。
「承知しました」
短く一礼すると予め纏められていた荷物を執事長のエディが渡してくれた。いつも完璧な執事たる彼は表情を変えることはほとんどないが今、その瞳には悲痛さが滲んでいる。安心させようと微笑んでみたが余計に彼を悲しませてしまった。いや、彼だけではない。他の使用人達も大きくは出せないものの皆が自分に対して憐憫を向けている。
そんな顔しないで。俺は君達のおかげでこの家にいても確かに幸せだったから。声には出せないので心の中で何度も感謝を告げる。
本当は挨拶をして回りたいがこれ以上この場に留まれば父の機嫌を損ねてしまう。そうなれば八つ当たりを受けるのは彼らだ。またそのうちきちんとお礼が言えたらいいなと考えながら足早に屋敷を後にした。
母と過ごした十二年が地獄でなかったのはひとえに使用人達の存在があったからだ。
俺にとって父とはおとぎ話に出てくる登場人物のようなものだ。よく知っているようで会うことのない存在。
母と父はよくある政略結婚だった。
母は同じ歳の伯爵から上の家の子達が集まった茶会で父に一目で恋をした。母の強い願いにより侯爵であった母の父は伯爵家であった父の両親に話を通し、事業提携や資金援助など様々な好条件であっという間に首を縦に振らせた。侯爵家の婿養子を嫌がる理由もない。特に珍しくもない、よく聞く話だ。拗れたのは母の恋心が恐ろしいほど燃え上がったこと。
母はたくさん父に手紙を出し、同じ量を父に強請った。一枚でも一行でも自分が書いたものより少なければ癇癪を起こし泣き喚く。茶会で他の女の子と会話するのをひどく嫌い、顔見知りだった友人の妹と話しているのを見てその子のドレスに紅茶をかけたり、時には頬を引っ叩くほどだったらしい。
父はその度に婚約の解消を両親に申し出たが向こうの家格が上であり、恩恵を受けている立場では頷いてもらえるはずもない。両親も味方になってくれず、常に自分に付き纏い交友関係にあれこれと口を出す母を父が疎むのも分からなくはなかった。
大人になるにつれ自分の行動を省みるようになった母が歩み寄ってみたがマイナスだった好感度は既に手遅れ。結婚した後の夫婦仲も好転することはなく、ある日母が父に色目を使ったと難癖をつけて侍女の一人を解雇したことが決定打となり、父は別宅を構えて本宅にほとんど帰らなくなった。
母は荒れ、暴れ、精神を病んでいった。俺を妊娠した時は父が帰ってくるのではないかと期待していたが、逆に役目は果たしたとそれまで以上に父は帰らなくなったばかりか母が解雇した侍女を囲っていた。俺が生まれた日も彼女と舞台の観劇に出かけていたと聞いた母はついに心を壊した。
心を病んだ母は父を呪い、父を奪った侍女を憎み、そして俺を溺愛した。
俺は父に瓜二つだったのだ。明るい茶髪に深みのあるエメラルドの瞳、つり眉タレ目で父に似てないところを探す方が難しい。成長するにつれて母の狂気はエスカレートした。父に受け取ってもらえなかった愛を父にそっくりな俺を代替品として注いだ。
「かわいい、かわいい私の坊や」
「愛してるわ、私の坊や。だから貴方も私のことを愛してね」
「私だけの……ヘンドリック」
ヘンドリックは父の名だ。母は途中から、いや最初から俺を息子としては見てなかったんだろう。幼少期の父が着ていた服と同じ物を仕立て、父が好物だった料理や菓子を膝の上に乗せて食べさせる。髪や額や頬だけでなく唇に口付けられた時は身の毛がよだった。助かったのは心の病で身体を壊していたので拘束される時間が長くて二時間だったことか。
同年代の子ともほとんど遊ばせてもらえなかったが代わりに執事や庭師が遊んでくれた。侍女は万が一にも母に見られれば解雇されてしまう為、交流は細心の注意を払った。
彼らがいたからまだ俺は狂わずに済んだのだ。
父の好物ばかりを食べさせる母に内緒で料理長がくれたおやつは美味しくて、「フレドリック様」って皆が俺の名前をちゃんと呼んでくれるのが嬉しくって。何人か母に苦言を呈してくれる者もいたが、激しく罵られ、物を投げつけられ解雇されてしまうから母の目のあるところでは皆素知らぬ振りをする。俺がそう頼んだから。解雇された彼らが次の働き口に困らないよう祈るしかできない自分の無力さが辛いが、優秀な彼らには杞憂だった。今でも俺のことを気にかけてくれると手紙のやり取りをしている侍女長が教えてくれた。
そうやって俺が十二歳になる前日に母は亡くなった。
親不孝かもしれないが母の亡骸を見た時とても安心したのを覚えている。十歳になった頃、母が侍女に「フレディが精通したら私の寝室に来させてちょうだい」と言っていたのを聞いた時は吐き気をもよおした。言っている意味は理解していなかったがうっとりと恍惚の笑みを浮かべる母に決して良いことではないのだけが分かった。執事長に後でこっそり意味を聞けば言いにくそうに説明してくれ、そこでつい我慢できずに嘔吐してしまった。優しく背中を摩ってくれる執事長の手の温かさにどれほど救われたか。実現しなくて本当に良かったと心から思う。
母が亡くなって三ヶ月、必要最低限の事務処理を済ませた父は囲った侍女と娘を連れてやって来た。
「妻のドロレスと娘のエマだ。今日からこの家で暮らすからな、くれぐれも失礼のないようにしろよ」
久しぶりに会ったにも関わらず父は一方的にそう告げた。拒否権は一切ないという態度に、元より拒否するつもりもないのにと苦笑する。
「初めまして! 今日から兄妹になれるんですね、私ずっとお会いしたかったんです。フレディお兄様って呼んでもいいですか?」
屈託のない明るい笑顔で前に出てきた義妹となった娘は三歳下で、義母となった女によく似ていた。波打つプラチナブロンドに長い睫毛に縁取られたラベンダー色の瞳は輝いている。彼女の為にあつらえたであろう淡いピンク色のフリルたっぷりの義母と合わせたドレスはよく似合っていると思う。赤や黒が似合っていた母とは正反対だ。
「よろしくお願いします。えぇ、好きに呼んでくださって構わないですよ」
業務的な対応になったが、眉をひそめたのは父だけで義妹は嬉しそうに笑っている。二人の元へ戻り挨拶が出来たとはしゃぐ姿に父も義母も柔らかく微笑んで彼女の頭を撫でた。絵になるほど仲睦まじい家族の姿がそこにある。その中に俺は含まれていない。
義妹は両親から溢れんばかりの愛を当たり前に注がれたのだろう。親が子に与えるものを惜しむことなく、何不自由なく。それに対して羨ましいと思うことはない。負け惜しみと言われればそうかもしれなかったが本当にどうも思わなかった。これから一緒だと言われてもただ家に他人が住むようになるだけとしか。
エマはよく俺の後をついて回った。「フレディお兄様」って用もなく呼んでは腰に抱き着いてくる。どうしていいか分からず固まっていると取られた手がエマの頭に置かれ、撫でろと催促された。望み通りに撫でればぎゅうぎゅうと抱き着く力が強くなる。その様子を見た父に後から呼び出され「エマの優しさにつけ込むな」と文句を言われた。向こうから来るだけだと言おうとして止める。父にとって自分は息子ではなく憎い女の血が流れる厄介者でしかない。それが可愛い愛娘と一緒にいるのは気に食わないだろう。
義母はそこまで深く交流を持つことはなかった。父が仕事で家を空けるのが増えるまでは。義母と義妹が本宅での生活が慣れるまではセーブしていた仕事も一年が経ち二人が安心して過ごせるとなればいつも通り、よりも溜まっていた分を消化しなければならなくなる。そうして夜遅くの帰宅が続くようになった頃、義母に廊下で呼び止められた。
「何か御用でしょうか?」
「いえ、用と言うほどじゃないのだけど」
用もなく声をかけるのは親子揃ってかと心の中で溜息をつく。不意に義母が手を伸ばして顔に触れてきた。細く長い指が頬の輪郭をなぞる。
「あぁ……本当にヘンディにそっくりね」
うっとり囁かれる言葉に、声色に、おぞましい記憶が目の前に蘇った。母に向けられたあの気色の悪い愛を、あろうことか義母まで持っていたのだ。父に愛されている彼女がなぜ。そこまで愛に貪欲だったというのか。
込み上げる吐き気になんとか我慢していると侍女が義母を探す声がした。階段を今上がってきましたと装っているが、本当は少し前に気付いて俺から義母を引き剥がすタイミングを図っていたのだろう。何も知らない様子で義母を遠ざけてくれる彼女に続いて執事長が来てくれた。
それから頻繁ではないが寝間着姿で俺の部屋の前まで来る義母をなんとか避け続けていると父が夕食までには帰って来るようになった。侍女長や執事長が上手く父に言ってくれたそうだ。義母や義妹が「旦那様がいなくて寂しい。でも旦那様に言ったら迷惑になってしまうかも」と遠慮していると。二人に激甘な父はそれを鵜呑みに早めに帰宅し、休日は家族サービスとして二人を外へ連れ出した。俺はその度に義妹や義母から誘われるが体調不良であったり用事であったりで躱す。その分お土産と称して色んな話を聞かされたり、菓子を持ってこられるのでプラマイゼロとなっている気はするが。
義妹には少しは悪い気はする。純粋に仲良くなろうとしているのが伝わるから。客観的に見れば可愛らしい彼女が慕ってくれるのは喜ぶべきことにも思う。でも無理だ。当たり前に愛し愛され、幸せを享受し、厳選された優しさだけを与えられ続けた彼女は自分にとって別の生き物にしか見えなかった。同じように不幸であれ、とは思わない。ただ周りが皆彼女のように生きてこれたと信じて疑わない思考回路が理解できず、ただただ気持ち悪かった。
十四になり貴族学園に入学してからは正に平和そのものだった。この学園では貴族として必要なマナー、教養、領土経営、外国語、さらには魔力適性があれば魔法まで学べる。十四から十八までの四年間、たくさん学び、交流できるこの期間の一日一日を大切にした。親しい友人もできた。はじめは我が家の醜聞とも言えるお家事情に子供じみた嫌がらせもされた。それも可愛い悪戯にしか思えないぐらいここでの生活は天国だったが、そのことを友人に話せば「お前は怒ることを覚えろ」と涙を溜めて怒られた。ちなみに嫌がらせをしてきた子とも今では良き友人だ。
寮生活は窮屈に感じる生徒が多いが俺にとってはあの三人がいる方が息苦しかった。使用人達がいないのは寂しいが彼らとは毎週手紙のやり取りをしている。友人ができたことを自分のことのように喜んでくれて胸の奥がむず痒くなった。
学園に通ったおかげで魔法士として働くことができ、自分で働いて得た給金で使用人達にプレゼントを贈ることができたのも嬉しかった。高価ではないがまるで宝物のように賞賛されて照れくさい。
元から母の家系は魔力適性のある者が多かったので俺にも魔法が使えた。特に希少な治癒魔法が得意で重宝されたことだけは母に(正確には母の血筋に)感謝した。本来成人前の貴族が働くのはあまり良い顔をされないが大魔法士に匹敵するほどの魔力量とそれに比例して優秀な治癒魔法の素質に特別措置として働かせてもらえた。本来なら延命しか望めない患者の怪我や病気を完治にまで導くことができる。
患者や家族からの感謝の言葉にこの道こそ天職と思えた。
学園生活と魔法士としての仕事の両立が最初は上手くできずに倒れた時は学友達だけでなく魔法士の先輩や上司まで駆けつけてくれた。たくさんの心配とお叱り、そして安堵の言葉と表情に気が付けば涙が零れていた。
母にとって俺は父の模造品のお人形でしかなく、父にとって自分の身代わりでありその役目を終えた後は邪魔な置物に近い。
心優しい使用人達のおかげで愛を感じないことはなかった。ただ成人すればきっとあの家から追い出される。そうなった時に外で一人で生きていけるか不安で仕方なかった。その不安を新しく築いた関係が払拭してくれた。
皆が言う。
「それはフレドリックが頑張ったからだよ」
嬉しくて、嬉しくて涙が止まらなかった。きっかけは同情や興味、邪推でも最後は境遇も家柄も関係なく俺を見てくれた。認めてくれた。
こんなに幸せでいいのかと問えば皆に頭を、頬をめちゃくちゃに撫でくり回される。
「当たり前だ!」
もっともっと幸せを強請れ、もっともっと自分を愛せ。そうして俺達のこともたくさん愛せと同室の友人は泣きながら笑ってくれた。
使用人達にも手紙を出した。倒れたこと、皆に言われたこと、いつもより多くの感謝を綴り「君達のおかげで幸せだ」と最後を締めれば涙で滲んだ便箋が使用人の人数分詰まった封筒で送られてきた。「私達もフレドリック様のおかげで幸せです」の文字に一生分泣いたと思った涙がまた流れた。
学園の長期休み中も家に帰ることはなかった。寮に残ろうと思っていた一年目の初めての長期休みの時から同室の友人の家へと招かれた。迷惑じゃないかと言えば家族への手紙でお前のことを書いたら会いたいから連れて来いってうるさいんだと言われた。連れて行かなきゃ殺されるとまで言われたらお言葉に甘えるしかない。後で他の友人に言えば「先を越された!」って叫んでいたし、魔法士の先輩や上司にも話すと「その手があったか」って悔しがっていた。皆彼の家に行きたかったのだろう。その枠を奪ってしまって申し訳なく思っていると「違う、そうじゃない」って皆に呆れられ、その後の長期休みは交代で皆の家に泊まらせてもらうことにいつの間に決まっていた。
どの家の人も皆優しくって面白い人ばかりで楽しかった。示し合わせたみたいにどの家でも「家の子にする!」って言われたけど最近流行りのジョークだろうか。
最終学年で義妹が入学してきたが特に感慨もなく、何なら向こうから接触してくるまではほとんど存在を忘れかけていた。
「フレディお兄様!」
人混みをかき分け、大股で走り大きく声を出す彼女に周囲の目は一気に集まる。大半が眉をひそめ義妹の行動に不快を感じていた。
紳士淑女の学舎、皆社交界に出る為のマナーの基礎は当たり前に入学する前に済ませている。カリキュラムにマナー講習はあるが基礎は最初の一回のみ、確認というか当たり前過ぎるので初めての授業の中の息抜き程度にしかされない。それ以降は応用だ。腹の探り合いの多い貴族社会、嫌味も牽制も酸いも甘いも覚えてこそ一人前というもの。
義妹は庶民であった義母の影響か元からあまり淑女の嗜みに馴染みがない。家で一応家庭教師を雇って学んでいるはずだが、普段の振る舞いでマナーを欠いたとして誰もそれを咎めないのだ。父も義母も何も言わない。本来ならばお茶会に呼ばれる時に恥をかかない為にマナーを覚えるものだがそもそも義母も義妹もお茶会に呼んでくれるような知り合いはいない。侯爵家ともなれば繋がりを持ちたいと思われるものだが前妻が亡くなってから三ヶ月で後妻と連れ子を迎えるような恥晒しとは仲良くなりたくないと思われているのだ。
まだ俺という前妻の子がいなければ受け入れられたかもしれない……というのは無理があるか。
とにかく義妹は幼かった。外に出て同じ歳の者と並べばそれはより顕著に映る。
「エマ、周りに大勢人がいるのだからあんまり走ってはいけませんよ」
やんわりと周囲を見渡せと伝えるが義妹は少し恥ずかしそうにするものの拗ねたように口を尖らせた。
「だって、お兄様と久しぶりに会えたんですもの」
聞き分けのない子供のような言い分に周囲の気温が下がる。ここでの正解はまず非を認め、周りへ謝罪するべきだった。
「確かに久しぶりだけれど、でもそんなに急ぐ必要はありませんよ。転けたりしたら危なかったでしょう?」
転けてもし周りの子達を巻き込んだら、下手をすれば大怪我だ。結婚前の我が子を傷つけられた親が烈火のごとく怒るのが簡単に想像できる。そういうことを考えなさいと続ける前に義妹はまた抱き着いてきた。
「エマの心配してくれるのね! フレディお兄様、大好き!」
ぐりぐり頭を胸辺りに押し付けられて痛い。周りの視線は呆れと嘲笑に変わりその全てが義妹に注がれていた。申し訳なく思って頭を下げるが皆が大丈夫と微笑んでくれて助かった。何とかフォローを入れたいが注意することが多すぎる上に義妹はその全部を自分に対する肯定と捉えてしまうため会話にならない。
その後友人達が先生に呼ばれてると嘘をついて義妹と引き剥がしてくれた。
「お前の義妹、話には聞いてたが評価が甘過ぎるぜ。あんなに頭空っぽお花畑だとは思わなかった」
深い溜息をつく友人に周りも同調する。特に令嬢達からの義妹の印象は最悪だった。
「学園に入る前はもう少しマシだと思ってたんだけど……やっぱり同年代と並ぶと幼いかな」
苦笑いをして肩を竦めると「その評価も甘い」と返される。
それから何度か義妹が突撃してくるがその度に友人達が追い返してくれた。
「私はフレディお兄様の妹なんですよ!」
目にいっぱいの涙を溜めて友人達を睨みつける義妹はさながら悲劇のヒロインの様で、しかしその姿に同情を誘われる者はこの場にいない。
「あら、私も去年までお兄様が通っていたけど貴女みたいにみっともなく付き纏わなかったわよ」
「フレドリックだって自分の学業があるし、用事だってある。君だっていい加減自分の学年で友人を作るべきだろう?」
「学園での生活は有限だ。家やお父上やお母上の顔に泥を塗らないように励むのが務めだよ」
僕の友人達に完膚なきまでに叩きのめされ、義妹は結局何も言えないまま自分のクラスへと戻っていく。家族のことを言われれば流石に引き下がるしかなかったようだ。
義妹がいなくなった後、部屋のドアから顔を覗かせ皆にお礼を言う。
「ありがとう、皆。ごめんね、嫌な役回りをさせてしまって」
「「「全然、足りないくらいだ(よ)」」」
綺麗にハモった返事につい噴き出した。
その後義妹から聞いた父が「もっと妹に優しくしろ。家族なんだぞ、それがお前の義務だ」「妹を貶めるのが兄の役目か? 恥晒しめ」「そういう性格の悪さは母親譲りだな。汚らわしい」と言った呪詛の籠った手紙を送られたが同室の友人が魔法であっという間に灰も残らず燃やしてくれた。手紙を持って返事を書くか迷っているところに友人が来て、見てもいいかと聞かれたので了承。読んだ後でボンッと音を立てて赤く弾けた炎はとても美しかった。「許可もなくごめん」と謝る彼に「他に燃え移ることもなく一瞬で対象だけを燃やせるなんて、やっぱり君の炎魔法はすごい!」と言えば目を丸くしていた。
それから父の手紙は一応目を通した後で燃やしてもらっている。そんなことに魔法を使うのはしのびないが鮮やかな炎は向けられる悪意を跡形もなく消し去ってくれるのに何とも言えない爽快感があった。それを火種に皆で焚き火をして焼いて食べたマシュマロは絶品だったから、途中から父の手紙が楽しみになっていた。
そこからもたまの義妹の突撃訪問を掻い潜りつつ学園を卒業。友人達との別れを惜しみつつ家に帰れば待っていたのは廃嫡であった。特に驚きもない。ただ予想より早かったなぁ、というぐらいだ。
父の目には明らかな憎しみが宿っている。俺は邪魔な置物から学園で愛娘を虐める憎悪の対象へと変わったのは使用人達の柔らかな表現で濁した手紙で知っていた。義妹の評価が悪いのは本人の過失であるが父は俺が悪いと信じて疑わない。
もう成人もしているし学園も卒業した。親としての義務は果たしたと言う父の言葉に笑いだしそうなのを堪える。正直に言えば母のいた頃の生活の費用のほとんどは母の実家である侯爵家が出していたし、学費も成績優秀者として免除がされ、魔法士として働いてからは自分の物は自分で買っていた。父の言う義務と言うのが種を残すことだけならば合っているが、それ以外については何一つ果たしていない。
侯爵家は母を溺愛していた母の父、俺の祖父に当たる人が俺が産まれる数年前に亡くなり母の母、俺の祖母に当たる人もそれから間もなく病を患い領地で療養している。だから領地経営のできる父を手放せないでいた。侯爵家の中では俺が成人した時に俺に侯爵家当主の座を譲ろうと考えていたかもしれないが、今はもうそれを叶えようと動く人間はいない。きちんとした手続きを踏まなければ俺はこの家で何の力も持たず、父は書類上の手続きは全て滞りなく行っていた。父は望まぬ結婚を我慢し愛する妻と娘、そして侯爵家当主の地位を確固たるものとした。
……と、思っているのだろう。
新居へと向かう途中、新しくオープンしたカフェのコーヒーの香りに誘われるままひと休みを入れる。数ヶ月前、使用人達が父が俺を廃嫡する手続きを始めた時に届いた手紙を開く。使用人達が普段使う便箋とは違う一枚へと目を落とし、コーヒーを一口飲んだ。
魔法士として本格的に働きだし、ようやく職場の空気にも慣れ始めた頃。執事長であるエディが紅茶を淹れながら思い出したように口を開いた。それも半年ほど前に終わった話題を。
「そう言えばキャンベル伯爵家はお取り潰しになったらしいですよ」
「そうなんだ。思ったより重い罪になっちゃったんだね」
キャンベル伯爵家は父の実家だ。それが意味することをエディは簡単に、夕飯の献立よりも軽い調子で話してくれた。
父は身分詐称による罪で投獄。後に屋敷に戻るも財産のほとんどを没収され、頼ろうと思った実家も既になくなっていた。身分詐称とは娘であるエマのこと。エマは父の子ではなく義母が従兄弟との間に儲けた子供だ。
父には子供が残せなかった。正確には残せなくなった、だ。
母は俺を妊娠した時、父に魔法を……いや呪いをかけた。
本来は避妊魔法であるそれは母の底のない憎しみに、怨みに、そして歪みきった愛により呪いとなって父の身に刻まれた。父が他の女との間に子を儲けられないように。
願って、祈って、呪った。
唯一解除できるのは母であったのに、その母ももういない。
きっと義母は父との間に子ができないのに気付いていたはずだ。子供ができなければ捨てられると思ったのは父が妻を捨てて自分の元へ来ているという事実があったから。
下手に適当な男と寝てどちらにも似ていない子ができるのを恐れたのだろう、自分と同じ髪と顔立ちで父と同じエメラルド色の瞳の従兄弟を選んだのは作為的だ。
そう考えると俺に対して色目を使ってきたのも俺となら父の血が混じった子が作れると考えたのかもしれない。案外母は間違えていなかった。彼女はなかなかの悪女だ。
俺がそれを知ったのはエディ達の手紙の中に昔母に苦言を呈し解雇された侍女の手紙が真実を語ってくれたから。
侍女は一番長く母に付き従っていたので他の使用人達よりも信頼されていた。嬉々として父に呪いをかけたことを話す母を怪物の様だと思っていたのも知らず。
侍女は教会に父の身分詐称を告発した。今になってなぜと問われれば簡単、父が俺を捨てたからだと。俺としてはちっとも気にしていなかったが侍女はずっと父達に復讐したかったのだと言った。それにはエディ達も一枚噛んでいる。十二年の母による虐待、父の無関心と無神経、義母と義妹の奔放な振る舞いを事細かに詳細に報告書として教会に届けた。証拠も証言も腐るほどある。彼等があの家に留まっていたのも俺の存在があったからだと言ってくれた。
きっと彼らが動かなければ父達は幸せに暮らしていたのだろう。それこそおとぎ話のハッピーエンドみたいに。
調査の行われた父は寝耳に水、しかし教会の厳格な調べと王族の印の入った証明書は王が父の不正を認めたと高々に宣言するものだった。
父は発狂した。愛した妻は別の男と寝て、愛した娘は自分とは血の繋がりがないと知って。妻を売女と罵り、頬を殴り、止める娘を汚らわしいと突き飛ばした。
何もかもを一瞬で失った父は暴れ回り、衛兵に捕まってそのまま静かに処刑された。
義母と義妹は助けてくれる人もおらず、俺を頼ろうとしたらしいが接触禁止令を出されそれを破ろうとして二人とも遠い北の修道院へ送られた。もう二度と会うことはないだろう。
使用人達は俺が廃嫡を言い渡されたその日にほとんどが辞職し、俺の住む新居へとやって来た。少しずつ迎えられたらと思っていたのが一気にやって来るから、一人で着いた時には広過ぎると感じた新居もすぐに手狭になった。広い屋敷は苦手だから嬉しい。
母の方の侯爵家はこのまま近くの男爵家が吸収することに決まった。男爵家当主は俺の学生時代の友人で最初に俺に嫌がらせをした子だ。近くに住んでいたから遊びに誘ったのにいつも断られるからつい嫌味を言ってしまったと。真実は母が俺に対する誘いを全て俺に言うことなく断っていたからだと知り、誠心誠意謝られた。どう考えても母が悪いから「じゃあ、これからたくさん遊んでくれる? 俺友達いたことないから色々教えてくれたら嬉しいな」って言えば本当にたくさん遊んでくれ、今でも手紙のやり取りと月一の割合で会っている。一気に拡大した領土も革新的な手腕で盛り上げてることもあり、近く伯爵に昇格するらしい。すごい。俺には勿体ないくらい良い友達だ。それを言うと同室だった友人は頬を膨らませてしまう。彼も随分大人びたのに、学生時代と変わらない癖に頬がついつい緩んだ。
俺は学生の時からの魔法士としての働きが王の目に留まり、新しく子爵位を賜ることになった。これからも魔法士としてたくさんの人を救いたいし、友人達とこの国を栄えさせたい。
大好きな人達の暮らすこの国を俺は心の底から愛している。