002.起き抜け状況説明
夢を見た。
見渡す限りの星空、地平線の彼方まで続く水面、ほのかに光を帯びる彼方、淡く広がっては消えゆく光の粒子。
音もなく匂いもない。ただ、穏やかな暗闇だけが世を満たす空間。
私以外に誰もいない。そう思ったけれど、誰かがいた。
誰かと話した。
誰かは不機嫌そうに目をそらした。
私はなんだかおかしくて笑った。
そんな夢を、そう確かに夢を、夢を見た。
そんな夢は、眩い光と共に消え去った──。
そうして、事態は冒頭に戻る。
再び目を覚ました私は、何度目かの妖精タックルを華麗に避けて、とりあえず目の前にいる人たちの正体を伺おうとした。
若草色の長髪の美形、山吹色の髪を持つ妖精。どっちもなーんかどっかで見たことがあるんだよなぁ。やっぱコミケのコスプレとかかなぁ。
「あのー、お名前とかお伺いしてもいいですか?」
と聞いてみる。それを聞いて「うぇぇ!?」と驚愕の声を漏らしたのは、妖精だった。
「覚えてないの?忘れちゃったのボクたちのこと?ねぇ嘘だよね、また冗談とか言ってるんだよね?そうだって言ってよナオ!」
物凄い気迫でじりじりと詰め寄ってきて、また顔面にでも貼りつきそうな勢いでまくし立ててくる妖精を、エルフの人が首根っこを掴んで引き離しながらこう言った。
「私はオルフェ、こちらのちびっこいのはムム。少なくとも、貴女とは切っても切れない縁があるはずですよ。」
縁?いや知らんがな。でも待てよ、オルフェとムム…やっぱどっかで聞いたことがあるような…
「それで、貴女のお名前をお伺いしても?」
「ああ、えーと、私の名前は奈緒…赤羽 奈緒です。」
「アカバネ?」
「えっはい」
「ここがどこか分かりますか?」
「いやそれこっちが聞きたいくらいですけど」
「ふむ…」
エルフの人は何かモガモガ言ってる妖精の口をその手で押さえ付けながら、しばし何かを考え耽っていた。そして、困惑する私の目線に気がついたのか、また顔を上げてこちらを見る。
「ここは人々から安らぎの森と呼ばれています。エストワード王国の南西部にあるささやかな森ですよ。」
「安らぎの森…エストワード王国…」
聞いたことある、聞いたことあるぞ。古い記憶が…学生時代の記憶がまざまざと呼び起こされていくのを感じる。
10年前にどハマりしたRPGゲーム、その序盤。安らぎの森からエストワード王国へ。相方の妖精を連れて冒険の旅を始めるRPG。
ゲームタイトルはそう、スカイオフィリア!
待て…まってまってまてまてまて、おかしい色々とおかしい。スカイオフィリア、10年前のゲーム。その夢を見てる?いやでも夢じゃないって言われたし?確認、そうもうちょっと確認をとろう確認確認
「オルフェ…さん?」
「はい」
「オルフェナンド・ユグドラシルさん?」
「ええ…はい」
「えっじゃあ…ムシェームス・ズゥ・オベロン?」
妖精を指差しながら言う。
「知ってんじゃん!覚えてんじゃん!」
エルフ…オルフェの拘束を解いてムムが大きく飛び跳ねた。え、やっぱりそうなの?当たったって事はやっぱりそうなの?ていうかうーーーーーんこれはどういうことだ??
オルフェナンド・ユグドラシルを肯定されたのはともかく、ムシェームス・ズゥ・オベロンも肯定されたってことは…?
「なーんだやっぱり冗談言ってたんだね!それとも寝ぼけてたとか?まあしょうがないよね、10年間もずーっと眠りっぱなしだったもんね!」
「えっ」
なんですと?
10年間眠りっぱなし?
「あの…ちょっと、鏡とかある?」
「えっ、あるけど」
ムムが重たそうに手鏡を渡してくる。私は恐る恐る手鏡の中を覗いて見た。
そこに映っていたのは、黒髪に茶色い瞳の見知ったごく一般的なジャパニーズフェイスな自分の顔…ではなく、蒼銀の髪に紺碧の瞳を持つ見知らぬ様で見知った顔。私好みのキャラクター。スカイオフィリアでキャラメイクした私の分身、主人公。付けた名前は私と同じ、ナオ。おそらくそれと同一人物が、鏡の向こうで素っ頓狂な顔をしていた。
あ か ん ま た 気 絶 し そ う 。
遠くの方でムムが「まあ10年も寝てたしそりゃ寝癖とか顔色とかも悪いよねー」と見当違いな事を言ってるのが聞こえる。じんわりと遠くなっていく意識は手の上に不意に重ねられたオルフェの手の感触で引き戻された。
「赤羽奈緒さん、貴女は自分の事が分かりますか?」
「えっ…あっはい、多分…」
「直前の事を覚えていますか?」
「直前の事…」
思い出せない。
プレミアムスペシャルフライデーのことくらいしか思い出せない。
私は力なく首を横に振る。
「貴女はナオですか?」
オルフェが確信的な質問をする。
「ナオ…じゃないけど、ある意味ナオというか…ナオじゃないけどナオみたいなもんというか…私は3次元の住人で、貴方達は2次元の住人でしょ?でもナオを…女主人公を操作してたのは私で、展開も結末も全部知ってるというか…」
まだ整理のつかない頭で支離滅裂な事を言ってしまったけど、オルフェは何か分かったようだ。1つ深呼吸すると「落ち着いて良く聞いてくださいね」と前置きした。
「あなたは恐らく他の世界の住人です。何かの因果があってナオとして今、目を覚ましたのでしょう。そして、その話が本当なら…貴女はナオを人知れず導いていた異界の神霊のような存在…そうですか?」
神霊とかそんな大仰なもんじゃないけど、あながち間違ってもいないのでとりあえず頷く。
「貴女は目覚めないナオの身体に憑依して、目を覚ました。その様子だと貴女自身が望んでそうなった訳ではなさそうですが」
首を縦にブンブンと振る。
そしてなんとなく察しはついていたけど、できるだけ考えないようにしていたことをハッキリ言われた。
憑依。
私はゲーム世界の主人公に異世界憑依したんだ。
痛みもある。感触もある。現実離れしてるけど夢じゃない。私は異世界憑依したんだ!
なんで???????????
「なんで!?!?」
同じセリフをムムが言った。
「どう見てもナオじゃん!10年前にみんなでここに運び込んで、治療も魔法もたっくさん試したじゃん!正真正銘のナオじゃん!なのになんでナオじゃないなんて酷いこと言うんだよオルフェ!」
「私が話してるのはそういった事ではないんですよ。確かに身体はナオのものです。ですが中身が…意志が、魂が、ナオのものとは少し違うのです。」
「えぇ…どうみてもナオだよ?」
ムムが私のことをまじまじと見てくる。いや、そりゃ見た目はそうだろうよ。
「スピリットの形が少しだけ違います。」
「そうなの?魔力の流れとか全く一緒だよ?」
「ほーんの少しだけの違いですからねぇ」
オルフェが苦笑する。ああ、そういやそんな設定あったなぁ。
スピリット──全ての生命が持つ力。生命の根源であり、大いなる神からの愛。スピリットがあるからこそ、人は神々が持つ力のほんの一端を行使することができる。
まぁ、要するに魔法とかスキルを使うために必要なポイントであり設定だ。スピリットポイント略してSP。
オルフェやごく一部のキャラは、そのスピリットの見た目を見る事ができるらしい。私には見えんけど。
「とにかく、あなたは今こうしてナオとして目覚めました。それが意味するところは私にも分かりませんが、きっと何かしらの理由はあるのでしょう。」
「何かしらって?」
「何かしらは何かしらです」
悪びれもせずそう答えよる。
はーそうだった、この人こういうキャラだったわ。飄々として掴みどころがなくて、私もプレイ中は序盤の意味深な隠居エルフにしか見えなったし。
「エルフの始祖ならなんか知ってるんじゃないですか?」
「ほう?」
オルフェが片眉を持ち上げる。
「私やムムの真名を知っている辺りから察しがついていましたが、その事もご存知とは。ナオを見守っていたというのは本当のようですね。」
「まあ嘘ついても仕方ないし…」
オルフェのフルネームと正体は、ストーリーの終盤で明らかになる事実だ。オルフェ本人もできるだけ言わないようにしているため、その真実を知っている人は少ない。
「残念ながら今回の様な事例は私も存じ上げませんね。」
「えぇーそんなぁ!」
ガックシですよ!
露骨に項垂れる私におずおずと話しかけてきたのはムムだった。
「…帰りたいの?」
「えっそりゃあもちろん!めっちゃ!今すぐ!帰り!たい!」
私は全力で力強く肯定した。
だってそうでしょ?異世界転生にせよ異世界憑依にせよ、現実でなんか不憫な人生とか死に方をした人がなるもんじゃないの?私は別にブラック企業の社畜ではないしニートでもないし、トラックに轢き殺されたわけでもない!と思う!多分。
それに未練だってめっちゃあるよ?1ヶ月ずっと楽しみにしてたブレブレ4は?ストレス発散のサブローのラーメンは?アブラナシヤサイカラメマシニンニクスクナメは??
1人暮らしとはいえ家族だっているし、恋人とかは…まだいないけど…でも、交流のある友達とかだって普通にいるんだよ?
いくら10年前にどハマりしたゲームの世界とはいえ、永住とかは普通に嫌だよ?
揺るぎない決意に燃える私をよそに、何故かムムはその大きな瞳いっぱいに涙を浮かべた。
「どうして?せっかく目を覚ましたのになんでそんなこと言うの?」
「どうしてって…」
「ずっと一緒にいようよ、みんなナオのこと待ってたんだよ?ナオが笑いかけてくれるのを、ずっと待ってたんだよ?」
必死に呼びかけてくるムム。
え、こいつ話聞いとったんか?
私はナオ本人ではないんだぞ?ナオが聞いたらショック受けるぞ?
「いやだから私はナオじゃないんだよ?他の世界の住人なの」
「ナオはナオだよ?どうして?」
「だーから名前は同じだけど私は奈緒であってナオじゃないの!」
「ボクやオルフェの事を覚えてたのに?」
「それ…は…、ナオの物語を知ってるからというか…」
「やっぱりナオじゃん!」
「なんでそうなる!?」
あかん話が堂々巡りで進まない!
頭を抱えそうになる私を見かねたのか、オルフェが遠慮がちに呟いた。
「とりあえず…場所を変えましょうか?片付けなきゃいけないですし、一息吐いてもいいでしょう」
そう言われて、私はハッとなって辺りを見渡した。めちゃくちゃのシーツ、割れた花瓶やランプ、空き巣の犯行を思わせるほどに散らかった凄惨な部屋を。
「片付け手伝います!!!」
私は敬礼しながらそういった。