契約の意味
「紗椰。龍の契約は行為ではなく、心に反応するんだ。」
アオは、言った。
「婚約も、悪意を退けるでしょう?異種族間だからこそ、唯一のつながりは心の存在だからね。偽れないし、抜け道もない、とも言えるけれど。」
シロが続ける。
確かにそうかもしれない、と紗椰は思う。時々、どうしようもなく感情が溢れてしまうときが、あるのを知っている。感情は、嘘をつかない。
「何か、気付かない?」
シロに聞かれて、紗椰は考えた。
先ほどの話。
颯華が父を殺した、と言ったのは、口づけが契約に反したからだ、という意味だ。
しかし、アオは言った。
契約は、行為ではなく、心に反応する。
ならば、契約が発動したのは、颯華の口づけではなく、父の心・・。
それが意味することが、果たして救いと呼べるかは分からない。
だが、もう、明らかにすべきなのだ。
紗椰は確かめるように、口にする。
「父は、颯華さんを、義母を・・心から、愛してしまった。」
口づけは、きっかけにすぎなかったのだろう。
その時、父はおそらく、自分の心に抗うのをやめ、受け入れたのだ。
自分の気持ちを。
だから、契約は、発動した。
「だったとしても!」
颯華は叫ぶ。
「私が貴女たちの幸せを壊したことに変わりはないわ。紗椰。あなたは、私に復讐しなければ。貴女にしか私を終わらせることはできない。覚悟を決めてきたのでしょう?」
すがるような叫び。
颯華もまた、楽になる日を待っていたのだ。
だが、紗椰は首をふる。
「覚悟なんてしてないわ。だって、私は、国の施政について、まだ何も教わっていないのだから。覚悟を要求するのなら、私に全部教えることから始めてください。それまで、そんな無責任な覚悟なんか、してあげないわ。」
父が、義母への愛を自覚したのなら。
父の死について、義母を憎むことができなかった紗椰は、正しかったのだ。
「私たちは、結局、大切な人を失って、同じように苦しんでいただけなんです。その苦しみを分かち合えた唯一の人だったんだわ。」
不思議と、その事実は、スッと心に落ちた。
颯華が泣いているのを、そういえば初めて見た。
彼女も、隠れて泣く、一人の人間だったのだ。
「アオは、過保護すぎるんだよ。ね?サヤちゃんは大丈夫だったでしょう?」
「うるさい。俺だって、分かってる。」
後ろでは、シロとアオの言いあいが始まり、冷えた部屋が、最初より寒くなくなっていた。
・・父は、最後、なにを考えていたのだろう。
紗椰は帰り、シロの背で考える。
颯華のことか。
紗椰のことも、考えただろうか。
「かばうわけじゃないんだが。」
不意に、耳もとで、アオが言う。
「龍の寿命は長いんだ。」
人間とは比べ物にならない時間を生きる。
紗椰の母との生活は、5年程だったという。
番の契約を交わすほどの相手が、あっという間に自分を残して行ってしまった喪失感。
颯華がそれを埋めたのは、不幸とは呼べない。
「もし、人間だったら、新しい幸せは、祝福されるものでしょう?それが、死につながるなんて・・。」
紗椰は今さらながら龍の遺伝子を継いでいることが怖くなる。それは、逃れられないのだから。
「あとな。これは俺の予想だが、多分紗椰の父は、紗椰の母に再開して、怒られる自分を想像して、結構明るい気持ちで、最後を迎えたような気がする。」
紗椰は見透かされたようで驚く。と同時に、ああ、確かに、そういう人だったなとも思う。
ちょっとそれが本当なら、腹も立つけど救われる気もする。
「私、帰ったら、自分がどう生きるのか、ちゃんと考えることにします。」
紗椰は、決意する。
「シロに乗る練習だって、頑張って、義母から、もっといろいろ教わらなくちゃ。」
「いや、それは・・チッ。」
アオの小さな舌打ちは、奇跡的に、シロにだけ、はっきり聞こえたようだった。