挿話
愛などいらない、と本気で思っていた。
居場所があるということが大切。
それ以外には求めない。
彼に心が揺れても。
彼への思いを自覚しても。
彼を愛してしまっていても。
彼からの愛を求めたりはしない。
新生活は幸せだった。
優しい夫、可愛い娘。
でも、いつのまにか芽生えたのは寂しい、という感情。
満たされない。
物足りない。
彼からの愛を求めている、と自覚した時には、もう手遅れだった。
その思いは、すぐに狂おしいほど大きくなって。
すぐに彼にも知られてしまった。
君に愛だけはあげられないよ。
彼は言い含めるように繰り返す。
私はそのたびに答えるのだ。
大丈夫、分かっている、と。
しかし、そのやりとりを何度か繰り返したある夜、彼が言ったのだ。
僕は、死んだ妻しか愛せない。
君を愛することは、ないのだ。と。
私はとっさに言ってしまった。
それでも、私はお慕いしています。
傷が癒え、前を向けるまで、そばでまちます、と。
彼は、苦しそうに顔を歪めた。
私は、その顔に、期待してしまった。
彼は優しい。
いつか、私を愛してくれるかもしれない。
そして、あの日。
私は彼に、口づけた。
目があった瞬間、動けなくなり、そのまま近づいて口づけた。
彼は軽く抵抗した。
でも、口づけは受け入れられた。
私は幸せで一杯になった。
その夜はそのまま、彼の腕の中で眠った。
温かな気持ちで。
幸せな気持ちで。
朝、目覚めると、彼は冷たくなっていた。
何がいけなかったのだろう。
愛のない結婚を始めたことか。
愛したことか。
愛されたいと思ったことか。
今でも夢を見る。
人生で一番幸せを感じた瞬間を。
しかし、夢は、毎回きっちりと、その代償まで見せてくる。
悪夢に震えて目覚めても、抱き締めてくれる人はいない。