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下校時間、部活に行くクラスの皆や、がやがやと帰宅する人の間をすり抜け、創樹は校門に向かう。
例の一件から十日ほどたった日のことだ。
あの後、長門に見てもらったが、もうひとつの鬼を集め、変質させる機械はどうしようもなく、シグとザットだけが部屋に残ると、機械を破壊すると同時に一気に鬼を祓った。
遼介の記憶も元に戻した。もう、完全に問題ないだろう。
新しく創樹の宿神となった乱和は、癒しと平和、均衡を司る宿神で、遼介の記憶の修復や、峰春の腕の傷を治すことに、全力を注いでくれた。
己の宿主であった、本間の起こしたことだから…と、気に病んでいることが、創樹にもわかった。
創樹は三日三晩、高熱にうなされ、学校を休んだ。
兄の咲也は、創樹本人がびっくりするほど心配していた。
以前は創樹が高熱を出すと、学校への連絡のみ父がしてくれていた。父と兄は普通に会社や学校に行ったし、母も、そんな日は食事だけ用意してくれ、父か兄のどちらかが家に帰るまで家に寄り付こうとしなかった。創樹を恐れるかのように。
だから創樹はそんな時、砕牙たちにご飯を部屋まで届けてもらって過ごしていた。
しかし…今回は咲也が会社を休もうとするのを、創樹が止め、頼み込んで、ほとんど無理やり出勤させた。
両親が、二人の態度の変化を、奇妙な瞳で見て居た。
高熱くらい、創樹は平気だった。宿神を受け入れたあとは、いつものことだったから。
創樹が寝込んでいる間に、町から変質した鬼は消えていた。
あの日以来、シグやザット、峰春とは連絡もなく、会ってもいない。
もう、この町にいないのかも知れない。
それならそれでも、構わない。
縁があれば、また会えるだろうから…。
会えなかったら、縁がなかっただけの話…。
創樹は、己が人の記憶から消えてしまうことに、慣れていた。
「カ・ミ・シ・ロ・サン」
声を掛けられ、創樹は振り返る。
「ちょっと、いい?」
五人の女に囲まれ、創樹は無表情に皆を見回した。
半ば連れ去られるように創樹は、中庭にあるテニス部の部室に押し込まれた。
「この前も聞いたけどさ~泰善高校のテツヤくんと、リョースケくんのことだけど~」
初めに声を掛けてきた女が、口火を切る。
「前に、テツヤくんからやっと電話かかってきたと思ったら、アンタの居場所聞く電話だったんだよね」
ドンッと創樹は突き飛ばされる。香水の臭いが鼻を突いた。
「私はテツヤくんのケータイに電話したら、『今忙しいから』ってすぐ切られたんだけど、そのあとアンタとテツヤくんとリョースケくんが一緒にいるの見たんだよ」
「リョースケくん、ケータイの番号もルインも教えてくれないけど、アンタ知ってるみたいじゃん」
「何、二人とダチってんだよ」
「何で知ってんのさ」
あちこちから突き飛ばされるが、創樹はたいしてよろけることもなく平然と体勢を整える。実際、ダメージはない。脅しのためだろう。
「教会で会った」
表情を変えることもなく、創樹は淡々と答える。
「教会? アンドロイドが何祈るんだよ」
ギャハハハッと笑いながら別の女が言う。
「別に。猫を探して教会に入っただけ」
創樹は静かに言った。
「猫ぉ?」
馬鹿にするように初めに創樹を突き飛ばした女が言う。
「そう。この子たち」
創樹は静かに言って床に手を差し出す。二匹の猫が創樹の肩に登り、一声鳴いた。
ビクッと皆が笑うのをやめ、幽霊でも見たような顔で創樹と猫を見つめる。
「いつの間に…」
「どこから…」
女たちは室内を見回す。入れるはずがない。入り口に鍵をかけたのは自分たちなのだから。
「…じゃあ」
青ざめる皆に構わず、創樹は平然と言って、女たちの間を抜けて、鍵を開け、部室の外に出た。
女たちは動くこともできず、呆然とその背中を見つめる。
部室を出た瞬間、注がれる視線。創樹がテニス部の部室に連れ込まれるのを目撃した生徒たちだ。
猫たちはどこかへ駆け去った…ふりをし、創樹の中へ消えた。
恐る恐る己と、静まり返ったテニス部の部室を見ている者たちの視線。創樹は平然と歩き、帰途につく。慌てたように、女たちは後を追った。
校門を出る。
「あ、出てきた」
「よっ。神代さん」
かけられた声に、創樹は立ち止まる。
追ってきた女たちも、立ち止まる。驚いたように。
「谷村さん、久保田さん…」
創樹がつぶやく。
「ほら」
遼介は、己の背後に隠れていた、小さな人影を前に出した。
少し、恥ずかしそうに顔を覗かせる女の子。
「優梨江ちゃん…」
創樹は三人に歩み寄る。
「そーじゅお姉ちゃん」
優梨江は嬉しそうに創樹に飛びついた。
「どうしたの?」
創樹がしゃがみ込み、優梨江と視線の高さを合わせて、首を傾げる。
「あのね、そーじゅお姉ちゃんに会いたかったからきたの」
優梨江はにっこりと笑う。
「ゆりえちゃん、俺たちの学校に来てさ」
「『そーじゅお姉ちゃんの居場所教えて』ってさ」
哲哉と遼介は顔を見合わせ、苦笑する。
「すみません。ありがとうございます」
創樹は一礼する。口許に微かな笑みを浮かべた。
「優梨江ちゃん、一人でお兄ちゃんたちの学校に行ったの?」
それから創樹は優梨江に問う。
「うん! おうちの近くだもん」
優梨江は頷いた。
「お姉ちゃん、教会に行こ? 新しいお机が、今日くるんだよ!」
優梨江は創樹の手をとる。
創樹は頷き、立ち上がる。
「俺たちも行かねぇとな。机運びの手伝いに」
「ああ。教会でタカ先が待ってるんだ」
哲哉が肩を竦め、遼介が嫌そうに言う。
「誰のせいだと思ってる」
もっと嫌そうに哲哉は言った。
「ちょっと授業中にお菓子食っただけなのに…ひでぇよなぁ…」
「ひでぇのはお前のその考えだ。巻き込まれる俺の身になれ」
遼介が頭をかき、哲哉がため息をつくと、歩き出す。
優梨江がクスクスと笑い、創樹と手を繋いで、二人を追い越した。
呆然と見ている女たちを、一瞬、遼介と哲哉が鋭い瞳でにらんだ。
創樹は気づかず、己の腕にぶら下がるようにする優梨江を抱き上げた。
最終章です。