改変の危険性。細田守という男が米国で評価されない本当の理由。
島根にパソコンはあったんですが、メール受信機能に不具合があったみたいです。
Outlookが文字化けでもしたかな?(すっとぼけ)
異文化というものは厄介な存在だ。
思想が異なるとちょっとした表現が炎上の火種となる。
娯楽作品と呼ばれる創作活動を広域に行う場合においてはそれよりも前の段階で問題となることがある。
「言語」だ。
他国には「直接表現する言葉がない」というような言語の壁というものが存在することがある。
国外へ向けて創作活動を展開する場合、必ず障壁となる問題だ。
それを「埋め合わせよう」または「合理的に解釈しよう」とした際に問題が発生することもある。
今回はそれと合わせ、様々な事象が組み合わさった結果評価を落としているアニメやアニメ監督の話。
まず最初に、恐らく結構な人間が嫌っている翻訳家がいるんじゃないだろうか。
戸田なんたらさんである。
一部米国の映画監督からは「お前じゃ駄目だ」と下ろされた事もある人だ。
皆さんは一体どれだけの映画を見たことがあるだろう。
特に「吹き替え」「字幕」などだ。
例えば「金曜ロードショー」や「日曜プレミアム」とDVD版で若干内容が違うと感じた人はいないだろうか。
同じ吹き替えなのに台詞などが異なりイメージが違うと。
声優が違うだけでも作品的イメージが変わるのだが、吹き替え声優が全く同じなのにDVDと放映版で台詞が変わっててキャライメージが変わるなんてことがある。
それは当然、吹き替えを担当する翻訳担当が違うからである。
かつて映画界で戸田なんとかさんが大暴れしていた頃、筆者は金曜ロードショーが唯一の救いだったことがあった。
放映版やVHS版の吹き替えがひど過ぎて、金ローなどの方が「内容がまとも」だったりしたからだ。
それぐらい妙な改変をぶっこんでくるのが件の人物。
私は、その系統のジャンルについて詳しくない人間が翻訳をやるというのがあまり好きになれない。
少しだけ英語が出来るからという立場でもあるが、とにかく「変な翻訳するな」と思う。
最近、その議題で仲間内とワイワイやった話題がある。
日本にて「パロウッド」というyoutubeの「HISHE」と呼ばれるパロディ作品群の吹き替えだ。
宣伝動画が見られるので是非見比べてほしい。
私が問題視したのは宣伝動画で見られるハリーポッターの翻訳。
この中でもスネイプ先生が特にひどい。
登場した彼は銃でラスボスを射殺した後、日本語版では「結局、銃がいいんだよな」という。
これ英語版では「AH……Muggle weapon」といっている。
スターウォーズみた人なら、この意味が即わかるだろう。
これ、EP2のオビワン・ケノービの1シーンのパロディなんだよね。
だから実際には「はぁ、全くもって野蛮な武器だ……」が正しい。
EP4とEP2でブラスターを小バカにする一方で、EP2にてそれに助けられた自身を嘆く台詞をスネイプ先生が発する。
なんでそんな事を言わせたかは、恐らく両者が「イギリス人」で、かつユアン・マクレガーはハリーポッター内に登場するルーピン先生(スネイプを虐めた同級生グループの1名)にオーディションで落ちたことが若干関係してるのかもね。
接点がないわけじゃない。
そもそもキャライメージ的には間違いなく上の台詞のが正しいだろう。
いくらパロディとはいえ、キャライメージはそれなりに大切にするHISHEでどうしてスネイプ先生が絶対言わないような形に改変してしまったのか。
ちなみに上記の英語台詞はアラン・リックマンの演技を模倣している。
そこから考えると吹替のようなリスペクトもまるで感じられない。
吹替版がアラン・リックマンリスペクトを崩したのは過去に戻る時計を使う時の台詞でもだ。
ロンが「20万回は回すことになります!」という主張に対し、スネイプ先生は直訳では「なら数えるのを邪魔しないことだ。Mr.ウィーズリー(本編内でもよくあった彼がトラブルメーカーでいたずら好きで自身も何度か巻き込まれたことがあったのを嗜める意味合いも込めている)」というが、こっちはハリー本編のリスペクト。
ロンがそれなりに成長してきたことで、相応の態度で接するようになったスネイプ先生が言いそうな台詞回しであるが、本編でも似たようなやり取りがあるのだ。
それを吹き替えではどうしたかというと……「腱鞘炎になるかもな」――である。
おいおい、パロディだからって原作キャライメージまるで捨て去らなくていいんだが?
私からすればパロディイメージをさらにギャグ化して完全に「元ネタと繋がらない」状態にすることに何の意味があるのか理解できないが、いわば戸田なんとかさんも含めて「作品イメージ」すら変えうる改変というのは、控えたほうがいいと言える。
そんな被害者となったアニメが2つある。
今日はこの2つのアニメを中心に話をしたい。
1990年代。
米国で熱狂的に支持される日本のアニメがあった。
ポケモンである。
例のポリゴン事件の後、一旦映画が仕切りなおしになったことは他の私の作品にて話題にしたが、実はこの作品、吹替版が3つ存在する。
1つは放映版、1つは放映版の吹替を字幕の翻訳内容に近づけた改良版、1つはSP短編映像も付けた日本でTV放映されたものの吹替版。
ルギア爆誕などが1つしか吹き替えがない所からすると明らかにおかしい。
まぁやらかしたからなんだが。
後にそれで喧嘩になったという現地での話を参考に、
ちょっと、当時の子供の混乱した状況を双方のバージョンから会話劇にて説明する。
吹替「おい、ポケモンの映画みたかよ!」
字幕「ああ、最高だったな」
吹替「いやもうわけわかんなかったわ。お前ちゃんと内容理解できたか?」
字幕「いやあ、結構難しい内容だったぜ。生命の尊厳とか生きる意味とか生まれた理由とか、とにかく哲学的で……」
吹替「は?」
字幕「へ?」
吹替「いや、そんな深い話はしてなかったはずだが?」
字幕「え?」
吹替「お前ちゃんと見た……んだよな」
字幕「見たさ、字幕で。台詞が長くで見辛かったけどがんばったんだぞ」
吹替「ふーん……もしかしたら字幕だとちゃんと説明されてたのかな……なぁ、ミュウツーがラストどうしていきなり心変わりしたのか教えてくれよ」
字幕「心変わり? いや、心変わりはしてないだろ。生というものを享受して生きる意味を探しに旅立ったんだよ」
吹替「はあ? あいつそんなこと悩んでなかっただろ」
字幕「いやいやいやいや、お前、私は誰だ、自分はなんだ、何のために生まれてきたってずっと悩んでたじゃんか。ミュウツーの台詞とかそれ以外にあったかよ」
吹替「いや、俺が知ってるミュウツーは自分を生み出した人間が憎い、世界征服だ!とかしか言ってなかったが」
字幕「……お前、本気か? それならまずミュウツーは誰に作られたんだよ。作った人間だけなら悪とは一概に言えないミュウに魅了されただけのマッドサイエンティストだったぞ」
吹替「サカキの命令でポリゴンに次ぐ人工の最強ポケモンを作れって命じられ、ロケット団の研究者は古代に絶滅した最強のポケモン、ミュウの遺伝子だかなんだかを探しに……とかなんとかナレーションで言われてたんだが(無駄な唯一の原作ゲームリスペクト)」
字幕「いや、サカキは離島に作られた研究所にそんなポケモンがいるのを知ってて、ミュウツーに声をかけただけだぞ。一時期ロケット団にいたのは本人の意思だ」
吹替「じゃあなんでロケット団が現場に向かったんだよ。あいつらサカキから捕獲命令受けてたはずだが」
字幕「受けてるはずないだろ。あんな三下向かわせるわけがない。本家本元はもっと大規模に展開してる悪の秘密結社のはずだろ」
吹替「公開命令として探すことを全団員に命じてたが、ミュウツー自体が姿を現してトレーナーを呼び出した件にて偶然居合わせたんだよ」
字幕「いや最初は姿を現していないはずなんだが……待てよ、世界征服が狙いならなんでトレーナーを招待したんだよ」
吹替「典型的な悪の枢軸みたいに、ドラゴンボールのセルよろしく、来なければ世界を破壊し尽くすみたいな煽りをしてたはずだ」
字幕「それならもっと優秀なトレーナー集まれってか集めろよ。明らかに罠臭い手紙で優秀なトレーナー(笑)を集めて晩餐会をやるみたいな内容で、主人公が引っかかったんだが?」
吹替「…………なあ、本当に見たんだよな」
字幕「神に誓って言う」
吹替「悪の枢軸じゃないなら、どうしてクローンなんてものを作った?」
字幕「命の大切さをまるで理解できないからだ。いや、命自体、作られたものと自然に生まれたものの差はないと、その時点では考えていて…その上で自らの、すべての生命の存在の意味の無さを周囲に訴えかけようとした」
吹替「そんな盛大な話ではなかったはずなんだが……終始、人類よ、滅びよ! みたいな口調だったんだが」
字幕「ベガ(バイソン)じゃないんだからさー。大体、お前の話じゃどうしてサトシ(アッシュ)が戦闘の仲裁に入ったかわからないじゃんか」
吹替「いやそれは、なんか周囲が戦いは無意味だとか戦うことはいけないこととか言ってて……」
字幕「いやいやいやいや、ポケモンってポケモンとかいう謎の生物を戦わせるのがメインテーマだろ」
吹替「そうなんだが……確かに今にして思うと後半意味がわからなかった。突然周囲のポケモンがみんな泣き出すし……クローンの連中もみんな人類滅べで一致団結してたはずなのに」
字幕「ニャースもかよ」
吹替「自分は戦闘力低くて戦えないとかギャグ要因だったけどその意志はあった」
字幕「ひでぇな……」
吹替「サトシ(アッシュ)が倒れて復活になんのカタルシスも感じなかったが……もしかして俺が間違ってたのか?」
字幕「そういえばお前、ミュウツーの心変わりがどうとか言ってたよな。一体最後どうなったんだ」
吹替「なんかお前らとは分かり合えないから俺は新たな大地を探すとかいって飛んで行ったぞ」
字幕「ミュウツー成長しないのかよ……」
吹替「それでなんか時間戻されたんかな……記憶も消えて夢オチで終わったわ」
字幕「ウッソだろお前、劇中誰一人として成長しないの?」
吹替「いや、それが気になって何がなんだか……」
字幕「よしわかった。お前もう一度字幕見て来い!」
吹替「まぁそれはそれとして、あの終わり方だと続編映画でまたミュウツーが出るな!」
字幕「出るわけねーよ」
後に二人はTVSPが公開されて両者の設定が微妙に混在して困惑することになったが、その前の段階でTV放映されたミュウツーの逆襲はきちんとした翻訳に修正されてましたとさ。
ってなことが冗談抜きで起こった。
これは何が原因か。
本編の作品内容が「子供にはわかりにくい」ということで子供向けにわかりやすくしようとしたら、まるで違う何かになってしまったのである。
ちなみに似たような話はドラゴンボールでもある。
クウラの映画とかで変身後のクウラが「悪の力が目覚める」とか中二臭いこといって手をビシッとやると岩が大量に浮くシーンとか。
後は「悪の力の前に落ちろ」とかいって巨大なエネルギー弾を落とすシーンとかね。
クウラのイメージは極悪だけど、これじゃ本編以上に小物になるだろ。
特にクウラ様なんかは改変された台詞だと「いやお前なんで悟空逃がしたんだよ」ってなるからな。
最後まで自分の甘さを反省しないから。
まあでも反省しないからメタルクウラの作品でもやらかしたような気がする。
むしろ逆にあのキャライメージだとメタルクウラとの繋がりは良かったかもしれない。
こんな事で死ぬわけが無いとか言ってたから、続編意識したキャラ付けだったか?
まぁそれはおいといて、これはまだマシではある方だが、本家米国では吹替と字幕を見た人間がストーリーがまるで合わず大混乱。
特に吹替版はいくつか映像を差し替えてしまっており、余計に意味がわからぬ内容に。
そういった事というのは「人気の無い日本の映像作品」にてよくあった。
よくわからない追加シーンを入れたり、逆にカットしたり、追加シーンが「正」の方向に向かうことがないレベルに。
ただしハッキリと断言しておくか、ビーストウォーズ2や3のように本家のイメージを大切にした上で作品内容を完璧に吹替えたパターンもあるわけで、すべてそうだったわけじゃない。
でも、いい意味での改変というのがまるで無いから叩かれる。
米国は妙に勧善懲悪に拘る部分が90年代にはあって、それが後を引きずった形となった。
後にこれが問題視され、以降、いくつか放映されたポケモンの映画や放映はされなかったがDVDなどで展開された映画版の吹き替えは本編をきちんと表現したものに。
まああっちの人をして「初代3部作とは違い、ラティアスがでてきた作品の後あたりじゃ、吹き替えに苦労することはないような内容だしなぁ」と実際には作品レベルが当時の吹替版レベルに落ちたと認識されているが。
ポケモンですらこんな事があったわけだが、こっちはまだ後でどうにかなったからマシである。
しかし世の中にはもっと悲惨なことになった作品があるのだ。
「デジモン」である。
デジモン。デジタルモンスター。
まあバンダイがポケモンの波に乗ろうとたまごっちの技術を流用して展開したシリーズなのだが、こちらもアニメ作品は米国で放映された。
問題は、ポケモンほど人気にならなかったのでデジモンの映画がひどい編集を受け、その上で監督「細田守」にされたことなのだが。
一体何が起こったか。
デジモンの映画というと、いくつあるかというと結構あるのだが、大体リアル世代は「アドベンチャー四部作」を例に出すだろう。
アドベンチャー、ウォーゲーム、02、ディアボロモンの逆襲の4つである。
この中で完全にストーリーが独立しているのは02だけ。
ディアボロモンの逆襲はウォーゲームの続編。(監督は違う)
細田守はこのうち、1作目と2作目を担当。
2作目が神として評価されている。
しかし米国では「妥当ポケモンとしてわざわざ版権購入したのに戦闘力低くてかなわんわー、でも劇場版まで版権もらっちゃったからなーどうしようかなー、あ、じゃあ編集しちまうか」
といって編集してしまった。
何をやったかというと。
「アドベンチャー、ウォーゲーム、02を1つの作品にして時系列をつなげてしまった!!!!」
恐らく熱心なファンがそれを聞いたら、そのまま怒りでワープ進化するかスカルグレイモンにでも進化しそうなレベル。
というかそのうち4つ全部見た筆者としても「どうやってつなげるんだよ!!」というぐらいつなげるのが難しい。
なぜか。
ここでちょっと情報整理をしよう。
まず1作目のアドベンチャー。
ここに登場するデジモンは、後のTV版のアグモンやグレイモンとは別固体。
この作品自体はTV版の前日譚にあたり、主人公はTV版と同一人物。
だがここで出会いを果たし、グレイモンに進化したデジモンは同一じゃない。
この時点でストーリーはくっつかない。
だが、さならる問題として「02は主人公自体が交代している」
1作目、2作目で登場する主人公の妹は02でも続投したが、主人公自体は1作目、2作目の後輩にあたる人物だ。
これを「1つの作品」とするなんて不可能に近い。
だが米国はやってしまったのだ。
何をやったか。
まず最初に「一番最初に出会ったデジモン=TV版のアグモン」という設定にしてしまった。
なので、途中からコイツはしゃべりだす。
急成長してグレイモンになってーみたいな展開で20分。
まあ全体40分程度の構成を20分に仕立て上げた。
どうやったかって「グレイモン」までに成長する前のホノボノ展開を「序章」みたいな展開にしたわけだ。
20分が過ぎるといきなりウォーゲームへ。
突然数年後に飛ぶが、主人公と妹は、別段TV版みたいな出会いや冒険などしていない。(TV版は放送されたが別時間軸なんだろうか)
あくまで「現実世界でアグモンと一緒に成長しました」みたいな展開。
「実は世界には君みたいな少年たちがいたんじゃよ」みたいな展開になり、主人公は顔も知らない、名前もよく知らない、とりあえず所有者という共通項のみの見知らぬ仲間と定義された者と協力して「ディアボロモン」と戦うことに。
アグモンは「オラ修行してたからワープ進化できるようになったぜ!」みたいなノリでいきなりワープ進化するようになっている。(殆ど戦わずにワープ進化まで行くとかヤバくない? 太一の才能凄すぎない?)
加えて、劇中一番協力して戦う事になるヤマトくんは、もの凄く素直すぎてまるで違和感があり、この丸すぎて素直すぎる彼のイメージに、きちんとしたTV含めた原作を知る者は「わっけわからねぇ、友情とかどこ行った」ってなることだろう。
あとどうでもいいけど島根ですぐPCは見つかる。
島根でPCが困るわけないだろという米国による謎の島根のイメージ改善。
そんな改変が多々ある。
でも逆にそういう丸くなったりした部分が「協力して戦う」という意味では誤魔化しがきいてしまったのかもしれない。
しかし問題はここから。
みんな誰しもが思うことだろう「こんな名前も顔もよくわかってない連中が協力できるかよ。アレは選ばれし子供たちのTV版の冒険あってこそどうにかなって事態を収拾できた作品だろ」と。
その通りである。
脚本家はどうも編集する際にそのあたりがんばったのか「バッドエンド」にしてしまうのだ。
ディアボロモンの逆襲の前にディアボロモンに負けてしまう。
オメガモン? 何それおいしいの?
そんな救世主出るわけないじゃないっすか。
オメガモンが登場する前の段階での敗北シーンでウォーゲームは幕を閉じる。
んー、なんか衛星だかミサイルだか落ちてきていた気がするけど、多分日本は吹き飛んでしまったのだろう。
ディアボロモンに敗北した後の展開から02へ。
ここでナレーションが入る。
「ディアボロモンが大暴れしたせいでデジモンが正常進化できなくなった! デジモン達は新たな戦いの場へ」
世の中、ネット関係含めて大変なことになり、世界が混沌とした時代になっている。
ここで02の主人公たちが登場。
再び時間が経過して数年後になっているが、彼らの目的は「ディアボロモンを倒す仲間を探すこと」
そのため、米国に来た理由は「人類史上初のデジモンテイマーとなった少年を探し、味方とする」ことが目的。
なんか02の導入部よりちょっといい気が……いやそんなわけないか東京吹っ飛んだか。
まあ後は02の展開で行くわけだ。
ようは「チョコモンがああなった原因はディアボロモンのせい」ということで、デジモンは進化する場合、問答無用で「悪」の進化をしてしまう。(ある意味これはなんで邪進化したのかやや不明だったから理に適った説明になっているような気はするが)
ウォレスが米国短縮編集版で劇中悩むのは、「デジタルパートナー」だったか「デジモンテイマー」だったか、とにかくその状態なら進化を静止できるので何とかなったのに、行方不明になったことで「悪」に堕とした責任を感じて。
こうすると02本家よりナヨナヨしないイメージになるかな。
まぁ後の展開は同じだ。
チョコモンは改変の影響で「ディアボロモンによる命令のようなものの影響」でデジタルパートナー達を誘拐しまくってる。(1作目や2作目の主人公すら誘拐に成功。まあこっちの世界線だとオメガモンを生み出せなかった程度の戦闘力だから別にどうでもいいがそれでも洒落にならない戦力低下ではある)
無論理由はシンプルだ。
「別にそんなの存在しないハズなんたけど、ほら、子供たちがちゃんとメール送ってきていたりしたら、その時、奇跡が起こった! とかいってオメガモンとかいう名前した最強クラスのやつが出てきて負けた気がしたからね。だからそういう芽は全部刈り取っておかなきゃ」みたいな感じ。
オメガモンは存在していないどころか東京も吹っ飛んだはずだが。
ところで、ディアボロモンは本家02のディアボロモンの逆襲にてオメガモンなど一連の問題の対策を裏でコソコソとずっと行っていたことを考えれば「命じられただけで短縮を担当した者はデジモンをある程度理解はしていた」と思えなくもない。
最終的にストーリー通りの展開で黄金のデジメンタルで、チョコモンを倒す。
チョコモン自体は概ね原作と同じく「本当はこんな事したくない」
すべては「東京吹き飛ばしたディアボロモンとかってヤツの仕業なんだ」ってことに。
もっというと「こんなわけわからない作品は細田守ってヤツの仕業なんだ」ってことにされた。
しかもラストではディアボロモンとの決戦、恐らく02のディアボロモンの逆襲の展開を匂わすシーンで終わる。
まあ02のディアボロモンの逆襲よりかはいい導入かもしれないのだが、それにしてもひどい。
3つの作品をすべて編集せずに合わせると140分。
2時間20分の長大な作品になる。
それが90分ぐらいに全体が圧縮されたものが米国のデジモン映画。
後年、デジモンがプチブームになった際、きちんとしたVHSやDVD版が出たのだが、今でも米国のデジモンファンの中で「黒歴史」となり、恐らく米国で細田守が評価されない理由の1つに間違いなくこれがあると思う。
まぁサマーウォーズの時点で私はかったるい展開であんま好きではないんだけど、それよりも短縮ツギハギ編集作品によって「ポケモンのパクリなのにさらによくわからない作品を作った」なんてイメージがあるようで、オオカミこどもが米国で上映された際にそれに触れる人間がいた。
今回の話は作品をグローバル展開する場合は「そういう状態も加味して」やっていかなければならないという教訓的存在といえよう。
ポケモンは不動の人気でそれを乗り越えられたが、デジモンはそうはならなかった。
ちなみに最後に余談だが、デジモンよりメダロットの方が評価上だったりするが、メダロットはメダロットで魂のほうが米国では高い評価。
これは前述の「改変」が上手く行った例。
メダロットをただのおもちゃに落とし込んだことで不評とされる魂だが、1つ1つストーリーをすくい取って見ると案外良く出来ている展開もあった。
魂の米国版は「メダロットは単なるおもちゃじゃない」ということを強調した上でイッキふくめて「それでも命を自分たちで弄んでいるんだろうか」みたいに悩ます。
メダロット1漫画版の突然シリアスになったメダロット博士の「……どのような理由があれ命を操作するのは…………どうだろう」というような漫画版であったイメージを大きく前面にピックアップし、
ロボットという機械の体がないと満足に動けないメダロット達と、それをホビーおよびスポーツという形で各社展開しつつも実際はメダルは生きものであることを理解している者たちの葛藤、そして人造メダル製造に成功し、国際スポーツとして発展したものに目を突け、それで大規模にブランド展開するデスメダロット社と命の大切さという存在を母を失ったと同時に忘れた少年との悲劇。
確かに台詞とかを整えればアークダッシュとかの復活は感動モノだからね。
こんなもん描いたらそりゃデジモン上回りますわ。
イッキくんの賢さが+150ぐらいされている影響でそれとなく人気になったわけだけど、全く……どうしてこうならなかった!!