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Good Bye My  作者: 尾道貴志
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春の幽霊

「そうなの・・左手が動かないんだ」

「・・・」

「全然気づかなかったよ」

「気づかれないように隠してたから」

「ちょっと、触ってもいい?」

 圭子の問いかけに琴はすぐにうなずいた。

「はい」

 圭子はおもむろに琴の左手の掌を触ってみた。

「少し、冷たいかも」

「触られている感覚がないんです、ひじから先の感覚が全く」

「神経に何か異常があるのかな」

「わかりません・・」

 琴の表情がまた少しだけ影を見せる。

「それで、琴ちゃんは今日はなぜここに?」

「・・はい・・実は・・」


 琴は圭子に今の自分のすべてを話した。手が動かなくなってから初めて自分の気持ちを他人に吐露した。同じように心に傷を持つ今の圭子になら、どんなことでも話せる気がしたからだ。今まで誰にも言えなかった自分の本当の気持ち、持て余し続けていた悲しみと絶望、カチカチに硬く固まっていた心が圭子に話すことで少しずつ溶けていくのを琴は感じていた。


「あたし、ピアノがとにかく好きで好きで、だから、ピアノが弾けなくなることは自分にとって死んだも同然・・・」

「それはつらいね」

「はい・・」

「もしかして、死ぬつもりで来たの?女の子の一人旅はちょっと珍しいかも」

「いえ、そこまでは・・・家にずっといたけど重苦しいだけで・・・お母さんにもひどい言葉を毎日言ってた・・」

「お母さんもきっとつらかったね」

「・・・ わかってる」

「気持ちの整理がしたかったんだ」

「そうかもしれません、でも、結局一人でずっと考えこんでました、悪い方へ悪い方へ、家にいるか外にいるかの違いだけで」

「一人でいたら危なかったかもね」


 圭子の言葉に琴はドキッとした。

 その通りだ、ほとんど人のいないこのユースの部屋でもし一人きりでいたら・・・自分で自分を追いつめてとんでもないことをしでかしていたかもしれない。ほんの数時間前までの琴は、人との接触をすべて拒んでいた、誰とも話したくなかった、自分の気持ちは誰にもわからないと決め込んでいた。もし、圭子がいなければ・・・そう思うと今こうして自分の気持ちを話すことができた自分を思い、琴は心の奥底で秘かに安堵した。


「よく声をかけてくれたわね」

「圭子さんがうなされてなかったら声をかけなかったと思います」

「あたしの悪夢が人の役に立ったわけだ」

 圭子はそういうと琴の肩に手をかけて笑った。


 圭子自身も自分の境遇を話したことでやはり心が少し軽くなっていた、そして普段ならば話したくもない嫌な思い出を話すことができたのは、琴の表情と雰囲気に自分と同じ悲しみのにおいを感じたからに他ならなかった。


「手は治る見込みはないの?」

「今のところ、原因が分からないから治療のしようがないって」

「左手以外は大丈夫なの」

「はい、足も、身体も、それから右手も・・」

「ふーん、素人考えだけど、右脳に何かが起きてるのかもしれないね」

「ずいぶん調べたけどお医者さんは脳にも異常がないって」

「まだ、見つからないだけだよ、原因さえわかればきっと治してくれるよ、日本の医学は優秀なんだから」

「ありがとうございます」

 琴も圭子に向かいそう言うと笑顔を見せた。


 圭子の言葉に琴は少しばかりの希望を手に入れることができた。

(治る・・かもしれない)

 二人の間には何とも言えぬ気持ちの交流が生まれていた。親近感だろうか、連帯感だろうか、心に傷を持った者同士が、相手の傷を見つめ、そして癒そうとすることで、自分の傷の痛みを一瞬忘れることができたのかもしれない。


 二人が話を初めて1時間も過ぎたころだろうか、時計の針は零時を過ぎ、携帯電話の液晶画面はすでに次の日付を表示している。何気なく二人が一緒に時間を確認したその時だった。


 ドン!


 何か壁を叩くような物音に琴と圭子は思わず目を合わせた。


「今の・・何の音?」

「けっこう大きな音でしたね」

「宿の人かな」

「隣の部屋?」

「でも、今日の泊り客って女は私たち二人だけじゃなかったっけ」

「・・・」

「よし、もう一度確認・・」


 二人は耳を澄ませる。


「ねぇ・・・いゃだ、やっぱり何か聞こえるよ」

「ほんとですか?」


 さらに耳をそばだてる二人、今度は音ではなく何か別な気配だ。


「もしかして・・・幽霊?」

「えっ」

「ほら、聞こえるよ、声かな」


 琴は緊張してそれでも廊下の外から聞こえてくる物音に全神経を集中させた。


「誰かの泣き声じゃありませんか?」

「うん、そんな感じ」


 耳を澄ますと部屋の外、廊下のはるか先からだろうか、誰かのすすり泣く声のようなものが断続的に聞こえてくる、それは男の声のようでもあり、女の声のようでもあり、大人の声のようでもあり、小さな子供の声のようでもあった。か細く、悲しげな声が冷たい空気を伝わりかすかにかすかに部屋まで流れ込んでる。二人はさらに緊張し、琴は圭子の腕にしがみつくようにして体を摺り寄せた。


「やっぱり、誰かが泣いている声です」

「幽霊にしちゃ季節はずれよね」


 圭子が自分を奮い立たせるかのように強気な言葉を口にした。


「よし、見てくる、琴ちゃんどうする、ここにいる、それとも一緒に行く?」


 圭子は琴の目を見て選択を促す。


「一緒に・・・行きます」

「よし、私につかまって」


 二人はともにパジャマの上にカーディガンを羽織り、ゆっくりと一歩目を踏み出す。半分開いていた部屋の扉に圭子が手をかけそっと開くとまずは部屋の中から廊下の左右を恐る恐る覗いてみる。琴は圭子の後ろからその腕に右手を絡めながら同じように廊下に顔を出してみた。

 人影は見当たらない。


「廊下にはだれもいないみたいよ」

 二人は再び耳をそばだてる、やはり聞こえる、かすかなすすり泣く声が廊下に響く。

「あっちだわ」

「えっ」

「左側、廊下の先の方」


 二人は部屋を出て声のする方へ向かい、ゆっくりとゆっくりと歩いていった。一つ隣の部屋を通り過ぎる、この部屋は誰も泊り客はいないはずだ。この先はミーティングルーム、そして図書室、その先はフロントだ。二人はさらに慎重に足取りを進める。そして、ミーティングルームの前に差し掛かった時、圭子が不意に足を止めた。そして腕にしがみついている琴の右手をそっと握りその眼を見つめて小さな声を出した。


「ね、聞こえる、ここだわ」

「ええ、確かに聞こえます」


 すすり泣く声は確かに曇りガラスのガラス障子を隔てたミーティングルームの中から漏れ出でていた。非常口の案内の灯りだろうか、ガラスの奥は真っ暗ではなく、ぼんやりとした光が廊下からでも確認できる。二人に緊張が走る。


「ううっ・・・ううっ・・・」


「間違いないよ、この中だわ」

 圭子は振り向き様に琴の目を見て確認した、同時に琴の動かない左の掌を両手で固く握ってみせた。

「どうするんですか」

「確かめるしかないでしょ」

「こわい・・・」

「いい?開けるよ」


 圭子は障子の窪みに手をかけると大きく一つ深呼吸をする、そして勢いよくガラス障子を横に滑らせた!







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