告白
「人を死なせたって・・・」
琴は緊張を隠さずに圭子の顔を見る。
「ちょっと驚かせちゃったね、事故なんだけど、あたしが死なせたようなもんだから」
圭子は琴から視線を外すと遠くを見るような目を見せた。
「クビ・・・ですか?」
「勧奨退職という形にしました、退職金も出ます」
校長の徳田の言葉に圭子は一瞬言葉を失う。
「・・・わかりました、あたしも覚悟はできていました」
「宗田先生、私としてはとても残念です、先生はとても優秀な教師です、熱心で筋が通っていて、できればずっとこの学校で力を発揮してほしかった」
「いえ、辞めたからといって、自分の罪が消えるわけじゃありません、一生背負って生きていくしかないんだと・・・」
「私立学校である以上、理事長の意見は絶対なんです、力になれなくて申し訳ない」
徳田はすまなそうに圭子向かって頭を下げた。
「とんでもありません、頭をお上げください、謝らなくてはいけないのは私の方です」
圭子は徳田の肩に触れ、その顔を起こすと、反対に両手を前に組み直して深々と頭を下げた。
「校長先生、本当にご迷惑をおかけしました」
「先生はまだまだ若い、今回の事故は本当に不幸だが、人生先は長いんです、決してくじけることのないよう」
「ありがとうございます、それで、山下君のご両親は?」
「・・おそらく訴訟になるでしょう」
「・・・」
「この先、しばらくはつらい場面で会うことになるでしょうが」
「謝っても、謝りきれません、取り返しがつかないことですから」
「生徒たちが、さびしがるでしょう」
「クラスと部活の生徒を残していく事だけが少しばかり心残りです、校長先生、どうかあの子たちをよろしくお願いします」
「・・・わかりました」
「ではお世話になりました」
「今後のことはあらためて連絡します、お元気で」
宗田圭子は学校を裏門から出るとそのまま駅へと歩いた。人間は必ずミスを犯す、しかし、世の中には取り返しのつくミスと、取り返しのつかないミスがあることを圭子は思い知った。自分のうかつさをあらためて心から呪った。
「次は飛び込み前転行くよー」
「ほーい」
「じゃあ、前回は跳び箱1段だったから、今日は2段の高さを跳び越えるよ」
「先生、オレ無理だよ、体操苦手」
「何言ってんの、男でしょ、がんばれ」
「ほーい」
「その返事が間が抜けるの、君、どうして体育係になったの?」
「オレ、女子と話すの苦手で、体育係だけは男同士のペアじゃない、気を遣わなくて済むからね」
「なるほど・・・理由としては本音でよろしい、はい、跳び箱用意して」
「ほーい」
2月の寒い午前中だった。体育館では中一の男子が器械体操の練習をしていた。
圭子は体育館いっぱいに響き渡る声でまだあどけなさの残る男の子たちを叱咤激励していた。
「ほら、思い切って!」
「そうそう、いいよ!」
練習を続けている中、体育係の俊一が圭子のもとに駆け寄ってきた。
「先生、隼人が足捻ったってさ、結構痛がってるよ」
「ありがと、悪いけど肩貸してあげて保健室に連れて行ってくれる」
「えっ、無理だよ、あいつオレの2倍体重あるもん」
「2倍はオーバーでしょう、・・・まあ、そうね」
圭子は小柄な俊一とぽっちゃりとした隼人を見比べながら納得した。
「ストーップ!みんな聞いて! 先生、三島君を保健室に連れて行くから、その間自分たちで練習しておくこと!一人3回跳んだら休憩しててよし! わかったー?」
この言葉が後になってどれだけ圭子に重くのしかかったことか、その時圭子は分からなかった。
「大丈夫?」
「篠田先生、どうですか?」
養護教諭の篠田薫が隼人の足首を慎重に持ちながら声をかける。
「ちょっと曲げるわよ、どう?」
「少し痛い」
「大丈夫みたいね、軽い捻挫でしょう、骨折してたら今ので悲鳴を上げるはずだから、湿布してあげるからこのまま少し休んでいきなさい」
「ありがとうございました」
圭子が篠田に礼を言った時、廊下を走る何人かの激しい靴音が響いた。
「先生!大変だ!」
体育係の俊一と豪が息を切らして保健室に駆け込んできた。
「どうしたの?」
二人のただならぬ気配に圭子の顔にも緊張が走る。
「山下が飛び込み前転に失敗して頭から落ちた!」
「そのあと全く動かないんだよ!早く来て!」
圭子は青ざめ、その言葉が終わるか終わらないかのうちに体育館に向かって駆け出した。
体育館では山下の周りを全生徒が囲んで心配そうに見守っていた。
「山下君!山下君!」
圭子が声をかけたが反応がない、顔が青く意識がなかった。
「このまま、動かさずに、篠田先生!救急車を、救急車を、お願いします!」
篠田が知らせたのか、体育館には次々と教師が駆けつける、10分後、救急車がサイレンを消さずに学校に入ってきた。状況を見つめていた副校長の田口が口走った。
「しまった、サイレンを消してくれというのを言い忘れた」
体育館のみならず学校全体が騒然となる中、救急車は再びサイレンを鳴らし学校の外へと消えていった。
「先生!どうして生徒をほっぽらかして練習をさせたんですか!」
「申し訳ありません、お母さん・・・」
「謝れば息子が還ってくるんですか!先生がいたらこんな事にならなかったのよ、お願いあの子を返して!」
母親は泣き叫び、そして泣き崩れた。
「その間自分たちで練習しておくこと!」
圭子は自分の発した言葉を思い返して心の底から激しく後悔した。
教師がいない間に起きた授業内での死亡事故、たとえそれがけがをした生徒を運んでいた間に起きた出来事だとしても、教師不在で危険の伴う体操の練習をさせたことはどんなに説明しても過失である。圭子に弁解の余地はなかった。責任うんぬんよりも自分のせいで生徒が命を落としたのだ、取り返しのつかないミス、圭子は自分で自分を責め続けるしかなかった。
「つらいですね・・」
琴は圭子の顔を見つめて小さな声でつぶやいた。
(そうだったんだ・・・)
琴が初めて圭子の顔を見た時に感じた何とも言えない憂いの理由が今初めて分かった。
「そうなの、学校も辞めたし、これから先、裁判で罰もうけるわ、でもそれじゃ済まないのよね、一生背負っていかなくちゃいけないし、ご両親には土下座をしたって許してもらえない」
「・・・」
「これが今のあたし、聞いてくれてありがと、ほんの少しだけど気持ちが軽くなったわ、関係者だけは事情を知ってるけど、自分と関係のない誰かに話したのはあなたが初めて」
「わたし、何も慰めてあげられませんけど・・あたしでよければもっと何でも話してください」
「うん、ほんとにありがと」
圭子の目にわずかに涙がにじんだ。
琴は心の中にひとつの疑問が浮かんだ。圭子に聞いてみたかった。だが、その疑問について、果たして尋ねていいことなのか躊躇した。琴はしばらくの間自問自答をしたのち、思い切ってその疑問を圭子に問うてみた。
「圭子さん、絶望・・してるんですか?」
琴の質問は圭子にとっても意外だったようだ、圭子もまたしばらくの間どう答えていいのか迷ったが、その迷いを振り切ったかのように顔を上げた。
「絶望・・そうね、絶望って言葉が正しいかどうかわからないけど、とにかくつらいわ、死んじゃえば楽になるのかなって思ったこともある、でもそれもできないのよ、死んだらまた誰かに迷惑をかけるわけでしょ、生きなくちゃいけないから・・つらい」
琴は圭子の話を聞きながら、この人のために何かがしたいと感じた、それはこの二週間自分の事だけを考えていた琴にとって久しぶりに芽生えた新鮮な感情だった。
「どう、琴ちゃんの気持ちは楽になった?」
「はい、本当に失礼かも知れないけど、圭子さんあたし以上につらいのかなって・・」
圭子はクスッと笑った。
「勉強ができるために一番いい方法って知ってる?」
「えっ、すぐにはわかりません」
「それはね、人に教える事、人に教えるためには自分が分かってなくちゃいけないでしょ、だから必死になるの、それは実は一番自分の勉強になるわけ」
「わかります」
「悩みも同じ、自分が苦しくて仕方がないって人には、他人の悩みを聞かせるのが一つの方法なんだって、カウンセリングで習ったわ、悩んでいる人って、実は自分のことだけを考えている人が多いの、知らず知らずにわがままになってるのよね、自分の悲しみは誰にもわからないってね」
琴は自分の身を振り返ってみた、手が動かなくなってから、自分には周りの人が見えなくなっていた、自分だけが苦しくてつらいのだと思っていた。
「ここで二人きりで会ったから、私はあなたと話したかったの、でもあなたは話すことを拒んでいたから・・だから、今日は夢でうなされてよかったかも」
「すごく苦しそうだったから」
「琴ちゃん、よかったらあなたのことも聞かせてくれない」
圭子は頬杖をつきながら優し気に問いかけた。
「はい」
琴はわずかに微笑んで答えた。それは二週間ぶりに取り戻した笑顔だった。