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Good Bye My  作者: 尾道貴志
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ペンション「銀河」

「マスター、お世話になりました、急に来て悪かったね」

「とんでもない! こちらこそありがとうございます、料理はどうでした?」

「最高! あり合わせだなんて言ってたけど、本当に美味かったよ」

「そう言ってもらえるとうれしいです」

「オレ一人のために家族みんなで迎えてくれて・・・心が疲れるとついつい足が向いちゃうんだよな」

「いつでも来てくださいよ、あったかさがうちの最大のサービスですから、なっ」

「そうですよ、結城さんは『銀河』の最初のお客さんなんですから、いつ来ても大サービス」

「ありがと、愛ちゃん、それにしてもマスター、いい嫁さんもらったよな、うらやましいよ、ウチの女房なんてガミガミうるさくってよ・・」

「おっと、そこまで、そこまで、人の悪口言うな聞くな」

「はい、はい、それじゃ、出発するかな」

「雪ちゃん! 空ちゃん! お見送りよ!」

「はーい!」

「おお、雪ちゃん、空ちゃん、ゆうべはお唄を唄ってくれてありがとう」

「またきてね、結城のおじちゃん」

「うん、また来るさ、約束だ」

「いってらっしゃーい」


 ペンション「銀河」は南アルプスを望む小高い丘の上にある。スキー場に近いペンション村は3月でもスキー客でにぎわうが、ペンション村から少し離れた「銀河」の3月はシーズンオフのようなものだ、平日ともなれば来客はゼロに等しい。

 オーナーの出水涼は、いつでも予約でいっぱいのペンションになればいいと思う時もある。でも、家族4人がこの大自然の中でのんびり暮らしていければそれでもいいと思う。土地は父親から譲り受けたものだし、物価も安い、隣の畑で野菜や果物は自給できる、サラリーマン時代の少しばかりの蓄えもあるし贅沢さえ言わなけりゃ暮らしていくのに困ることはない。それに何と言ってもここの星空は日本一だ。

「銀河」のウリは満天の星空だ、玄関前方に南アルプスを望むロケーションは、周りに建物らしき建物が一つもない。丘の上からは眼下にふるさと「峡北」の町並みが一望できる、車がなければ完全に陸の孤島だ。でも住んでみるとこんなに素敵な場所はない。

 辺りには灯りらしき灯りはなく、一年中が天然のプラネタリウムだ、大きめのロフトには自慢の天体望遠鏡がいつでも空を見上げている。

 ゲストの8割がリピーターだ。この星空を眺めにやってくる天体マニアと、ロマンにあこがれる若者たちが「銀河」の虜となり何度となく足を運ぶ。周りに遊ぶところもないのでちょっと泊まろうという客はなく、シーズン中の夏でも満室になることは少ない。

 それでも、やってくる人はみんな星空を見上げて心を充電して帰っていく。空を見ながら涙を流すゲストも珍しくない。涼はその姿を見るたびに(純粋なお客さんばかりでいいな)とうれしく思う。


「愛ちゃん、今日のお客さんは?」

「二人よ」

「へー、この時期に連夜の泊り客とは珍しいな」


 愛とは学生時代に出会った、勉強もそこそこにバイトをしては日本中を旅していた涼に愛が声をかけたのは北海道のユースホステルである。愛もまた女性にしては珍しく一人で日本中を旅行していた。初対面から気の合った二人はそれぞれの故郷に帰ってからも文通を続けた。卒業後、再会したのが涼の故郷ここ南アルプスの山荘だった。二人とも社会人になっていたが旅好きはずっと変わらなかった。

 プロポーズはその1年後、さらに5年後、涼は勤めていた旅行会社を辞め、その年に亡くなった父親の住んでいた土地を譲り受け「銀河」をオープンした。そして、あたかもそのオープンのプレゼントでもあるかのように雪と空の二人を授かった。


「若いカップルみたいよ」

「そうか、初めての人か」

「うん、電話でちょっと話したんだけど今度結婚するらしいの」

「そりゃめでたい、そうだ、僕らのお祝いも兼ねて、今夜はパーティーといこうか」

「お祝いって?」

「僕らも結婚して来月で10年目だ」

「ちょっと早いかも」

「おめでたいことは便乗しなくちゃ、幸せが4倍になるぞ!」

「それなら雪と空の誕生日も一緒にやる?」

「それも来月だな、よしプレ誕生会も兼ねよう、幸せは16倍だ!」

「賛成!」


 明け方の鈍色の空がお昼前には嘘のように晴れ渡り、甲斐駒ケ岳が澄み渡った青空を背に見事な雄姿を見せる。風は凍てついてはいるが微かに春の予感を感じさせる。


「買い出し行ってくるわ」

「うん、よろしく、吉田ファームのバターとヨーグルトも頼む、あとお祝いのケーキも」

「どんなケーキにする」

「まかせるよ、可愛らしいのがいいな」

「OK!」

「それから、国道に出る坂道のところ気を付けて、このところの寒波で道が凍ってるからね、一昨日もスリップ事故があったんだってさ」

「わかった、安全運転で行くわ、雪!空!、買い物行くわよー」

「行くー」


 雪と空が競走するように駆けてくる。

 白い服が雪のトレードマーク、青い服が空のトレードマーク、初めて二人に会った人はまさに「うりふたつ」の顔に必ずと言っていいほど目をパチクリさせる。

 初対面から顔で見分けることは至難の業である。そこで洋服で二人を見分けるのだ。二人はツインテールのおさげ髪を揺らしながら愛の両足に同時にしがみついた。


「今日は雪がお母さんのとなりね」

「だめ、今日は空の番だもん」

「けんかするなら、これからずっと二人とも後ろの席だぞ」

 涼がちょっと怒った顔を見せながら愛の両足にしがみついている二人に言う。

「そうね、順番からいくと今日は空の日かな」

「わかった・・・雪は後ろに座る・・・」

「さすが、雪、お姉ちゃんだけあるな」

「うん」

「5分間の違いだけどな」

「それでも私がお姉ちゃん!」

「はいはい、じゃ、行ってきまーす」


 3人を乗せたミニバンは銀色の景色の中を下界に向けて走り出す、お客さんの送迎用でもある車体には様々な星座が描かれている、走る「銀河」だ。


「こんにちは、秀さん」

「ああ、愛ちゃん、いらっしゃい」

「こんにちは」「こんにちは」

「これは、これは、雪ちゃん、空ちゃん、いらっしゃいませ」

「おじさん、バターとヨーグルトを下さい」

「はいよ、えらいね、お買い物のお手伝いだ」

「うん、雪が買うの!」

「空もだよ!」


 山麓にある吉田ファームはこの辺りでは有名な観光農場だ。広大な牧場と乳製品の直売所、宿泊施設も兼ねたコテージ風の小屋では夏の観光シーズンになると、地元の人たちによるイベントが毎日のように行われる。「銀河」からは車で40分ほどの距離である。

 オーナーの吉田秀が脱サラしてこの地に牧場を開いて25年がたった。今では地元のドンよろしくペンション村の経営者の相談に乗ったり、地元の高校生のイベントに協力したりと多くの人から慕われている。


「まだまだ寒いですね」

「ああ、でも春の予感ていうのかな、ここにいると感じるよ。空気が違うんだな、銀河はもっと寒いよね」

「ええ、ほとんど山の上ですから、春はもう少し先かな」

「あとは何か?」

「生ハムとバジルソーセージをもらえますか」

「今夜のお客さん用かい?」

「ええ、初めての方がいらっしゃるんです、ここのソーセージを食べてもらわないと来てもらった甲斐がないですから」

「おお、うれしいねえ、そうだ、おまけにこれ持ってきなよ」

「なに?」

「空ちゃん、見てごらん、おじさんが作った新製品のチーズだ」

「あ、あたしこれ見たことある」

「そうだろ、トムとジェリーのチーズ」

「ほんとだ、マンガに出てくるのとおんなじ形だ」

「わかるかい、雪ちゃん、マンガそっくりに作ったんだぞ」

「すごーい、おじさん、ありがと」


 雪と空は袋から両手に余るくらいの大きなチーズを取り出し、穴からお互いの目を覗き合う。


「すみません、ありがとうございます」

「溶かして食べても最高なんだが、こいつはこのままテーブルに出してくれ」

「はい」


 秀はちょっと気取ってウインクをして見せた。秀の気さくな人柄とこうした遊び心がこの農場が地元はもちろん多くの観光客の人気を集めている秘密のようだ。


「あら、いらっしゃい」

「あ、おばさん」

「秀さんにチーズをいただきました、いつもありがとうございます」

「ああ、あのマンガのチーズでしょ、まったく変なものばっかり作るんだからね」

「ううん、とっても素敵です」

 それを聞いた秀が勝ち誇ったように満面の笑顔で続ける。

「ほら、わかる人はわかるんだよな、今作ってるのもヒット間違いなしだ」

「まだ新製品があるんですか?」

「おお、名付けてヌンチャクソーセージ! ヌンチャクにもなるし食べると美味い」

「ほんとバカでしょ」


 店中に響く温かい笑い声に包まれながら3人は再び車に乗り込んだ。牛たちののどかな鳴き声を後に「銀河号」は冷たい春の空気の中を丘のてっぺんへ向けて軽やかに登って行った。



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