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可愛い僕の婚約者さま  作者: 一花カナウ
本編
6/9

*5*

*5*



 手渡された紙片には、《父親の事業を助けたいのなら、誰にも見られないように一人で裏庭のガゼボに来い》とだけ、丁寧な文字で書かれていた。

 アルお兄さまは関わるなとおっしゃっていたけれど、話を聞くだけなら……。行かなかったばかりに嫌がらせをされるのも困りますし。

 アルフレッドという婚約者がいるのを承知していながら、恋人になろうと声をかけてくる男も多かった。そんな彼らの申し出を断って面倒になったことも数知れない。今回もそうなるとは限らないが、行くだけであればすぐに済む。

 一人で、というのが気になりますけど。

 アルフレッドに相談しようかと一瞬考えたが、あの様子では問答無用で行くなと言われるのがオチだろう。もしも父を救う手立てがあるのなら、一意見として聞いておきたいとテオドラは思ったのだ。

 周囲の視線を気にしながら、お手洗いを出たテオドラは裏庭を忍んで歩く。知人と顔を合わせることもあったが、軽く挨拶をして別れた。不審がられることもなかっただろう。



 そうしてやってきた裏庭は、秋の薔薇の芳香がかすかに漂っていた。月明かりはぼんやりとしていて薄暗い。

 木々に囲まれたガゼボの中はランプが灯されていて、ほんのり明るくなっていた。人影もある。

 一人ではないみたいですね。

 影が動いている。一人は猫の尻尾のような長い影が動くのが見えたので、先ほど自己紹介をしてきたデーヴィッドだろう。ほかの二つの影は彼よりもずっと大きく、身体つきをみるに少なくとも男性だ。加えて、その影は燕尾服のシルエットではないように感じられる。

 招待客じゃないってこと? デーヴィッドさんの護衛かしら?

 あれだけ指にたくさんの貴金属を身につけ、首や耳のあたりまでジュエリーをつけていた派手な人物だ。物盗りに襲われても対応できるように護衛の一人や二人をつけていてもおかしくはないかもしれない。

 気になるところはいくつもあったが、まずは顔を見せることが先決だろう。テオドラは足音を消してゆっくりとガゼボに寄った。

「デーヴィッドさん」

 ガゼボの明かりが届くところに立つと、テオドラは小声で呼びかけた。

 中にいたのはデーヴィッドと、大男が二人。大男は町で見かける町民たちのような格好をしている。およそパーティには合わない格好だ。

「ああ、テオドラお嬢さん。ようこそ」

 デーヴィッドはにたっと笑う。美男子だというのに、もったいない笑いかただ。正直なところ、気持ちが悪い。

「指示のとおり一人で参りました」

 テオドラは招くデーヴィッドを警戒しつつ、ガゼボの中に足を踏み入れる。茶髪の大男がテオドラの背後をじっと見ている。そして、頷いたのが見えた。

「よかった。二人きりでお話がしたかったのです。――ああ、この二人は俺の護衛ですよ。お気になさらず」

「はあ……」

 パーティ会場の一部とも言える裏庭に、ドレスコードを守らない人間がいるというのはテオドラには慣れない。そういう意識が商人の感覚なのだろうか。自分から望んで来たはずなのに、この秘密の会談にテオドラは気が乗らない。

 気づけば背後に大男の一人が回り込んでいて、退路をふさがれてしまう。ガゼボの周囲は低木ながら木が植えてあるので、今入ってきた入口以外にはデーヴィッドが立っている場所の裏しかない。

 邪魔をされないようにだとしても、なんかおかしい?

 テオドラが違和感を気にしていると、デーヴィッドはふっと笑った。

「実に健気ですね。父親の事業をどんなことをしてでも助けたいとお思いなのでしょうな」

「どんなことをしてでも、というわけではありませんが、どうにかできるならそうしたいと思うのが娘というものでしょう?」

「本当にお美しい」

 会話になっていない。デーヴィッドはさっとテオドラの手を取って、手袋越しに口づけをする。

「なっ⁉︎」

 手を引っ込めようとするが、しっかり握られて振り払えない。

「テオドラお嬢さん、あなたは御自分の価値を考えたことはありませんか?」

「自分の……価値……?」

 熱を帯びた視線は身体中を舐め回すように動く。商品として見られている気配に、テオドラはゾッとして声が震える。

「ええ。あなたほどの美貌と肉体があれば、金を稼ぐのはたやすいということですよ。まずは手始めに俺に買われてみてはいかがでしょう?」

「じょ、冗談じゃないわ!」

 必死にデーヴィッドの手を振り払って後退する。

「私には伯爵令嬢としての誇りがあります。そんなことをするほど、落ちぶれてはいませんわ!」

 懸命に腹の底から大声で宣言してやった。パーティ会場の外に出ていれば、かろうじて声は届くはずだ。

 テオドラの宣言は意外だったらしい。デーヴィッドが目をまんまるくし――そして大笑いをはじめた。心底おかしかったらしく、額と腹にそれぞれ手を当てて、あざけり笑う。

「ははは。誇り? 親子して愚かだな。身体を売れば融資してやるって言ってるのに、誇りなんていうくだらないもののために断るのか」

 そう告げてテオドラの背後にいた大男を一瞥する。

「やっ⁉︎ んっ!」

 打ち合わせてあったのだろう。大男はデーヴィッドの視線だけで、テオドラをいとも簡単に拘束した。口元を押さえられて声が出せない。噛みついてやったが、分厚い手袋の前では意味をなさなかった。

「んんっ!」

 腕ごとしっかりと抱きかかえられてしまい、身動きも取れない。抵抗しているのに相手は涼しげだ。

 やだ、どうしてっ! 助けて、アルお兄さま!

 もがくテオドラにデーヴィッドはゆっくり近づき、強制的に視線を合わせられる。

「気の強いお嬢さんは好みだよ。だんだんと従順になっていく様は快感だからね。ただ、あんたは美人すぎる」

 言って、首筋を、鎖骨を、胸の先に連なるラインを手袋をはめた指でなぞる。

「この身体も本当に美味しそうで実にいい。高い金を出してでも抱きたいと思う男は多いんじゃないかな」

 個人的に囲うよりも娼館で働かせたほうがずっと金になる――そうデーヴィッドが考えているらしいことが、テオドラにもようやくわかってきた。

 早く逃げ出したいが、デーヴィッドにされるがままだ。屈辱的な行為に、テオドラはきっとにらみつける。

 デーヴィッドはバカにするように笑った。

「くくくっ。まずは誘拐ってことでマクダニエルズ伯爵から高い金をぶん取って、でもうっかり殺しちゃったとか言ってポイっとして、あんたは娼館で壊れるまで働く――それが一番お金ができる。この錬金術を思いついちゃった俺って天才だよね」

 悔しい。

 騙された愚かさを最初は呪いはしたが、それ以上に父親を侮辱され、自分を商品としかみてこないことに怒りも感じる。

「身体の開発はまだなんだろう? 俺が手ほどきしてやるからな。あのダライアスのお坊っちゃんは女の抱きかたもわかっていないようだったし」

 テオドラにはなんのことを言っているのかはっきりとはわからなかったが、アルフレッドが軽んじられたことだけは察することができた。

 絶対にくじけない。くじけてなるものか!

「しかし、泣きもしないとは意外だったな。もっと泣きわめいて面倒になると考えていたが……ふうん。では、場所を変えようか」

 冷ややかな眼差しがテオドラに向けられる。大男が動き出したとき、さらに抵抗を試みたが無駄だった。

 アルお兄さま、ごめんなさい。素直にあなたのいうことを聞いておくべきでした。ちゃんと相談しておけばよかった。

 もう彼に会えないかもしれない。それだけでなく、捧げるつもりでいた純潔も奪われてしまうのだろう。

 いうことを聞かなかった代償としては重いと感じたが、殺されるわけではないことに一縷の希望を抱く。

 さようなら、アルお兄さま。私の初恋の人……。

 アルフレッドのことを考える。彼と過ごした日々のことを振り返れば、これから待っているだろう悲しみにくれる日々を乗り切れる気がして。



 だから、アルフレッドの叫び声が聞こえたとき、テオドラはそれが幻聴だと思った。

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