二話 学校と勇者様
一年前に遡ります。
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「……あー、どうも、長谷川隼人です。家庭の都合によりこんな中途半端な時期に編入、と言う形になってしまいましたが――えーっと、……とりあえず、よろしくお願いします」
冷や汗が止まらなかった。
握りしめた手いっぱいに汗が溜まっているのを感じて、こんなに緊張するものなのか、と思わず苦笑いをしてしまう。異世界では散々、貴族の、舞踏会だのお茶会だのに呼ばれ、その度に、おっかなびっくりやっていたものだが……。まさか、こんな挨拶でそれらのソレよりも緊張する羽目になるとは、まったくもって思ってもみなかった。
好奇心に染まった視線が、ちょうど、俺のところで交差する。
思わず回れ右して――そんなことをしたところで黒板にぶつかるだけだけれど――逃げ出したい、と思ってしまう俺は、おかしくは無いと思う。
「えー、とりあえずそう言うわけで、今日から我がクラスに新しい仲間が増えました。みんな仲良くしてくださーい」
小学校かよ、と言いたくなるような挨拶で締めた担任に促されるまま、クラスの最後尾に置かれた席に、俺は腰をかけた。
実に、三年ぶり、になる学校である。
思わず、なんとも言えぬ感慨が沸くのだが……、しかし、未だに多くの視線が俺に注がれていては、感慨に耽る余裕もない。
後ろ向いてないでちゃんと前を向けよ、高校生。
好奇心旺盛な現代日本の高校生たちは、その爛々と煌る目を一切隠そうともせず、俺を、まるで獲物を見つけた肉食獣のような目で笑い睨みつけてくる。
はっきり言って、怖い。
「帰っていいかな……」
思わずそんな泣き言を言ってしまっても仕方ないだろう。
やがて、朝のホームルームが終わると、件の肉食獣たちは見事な連携によって獲物を包囲し、質問攻めを始める。古今東西、よくある転校生のお馴染みイベントだが、いやはや、やられる側になるとここまで苦しいものだとは、今まで考えてもみなかった。引きつった笑いしか浮かばない。
もしかして、一時間目の授業が始まるまで、ずっとこんな感じか? と、思わず心の中で頭を抱える――丁度、そんな時だった。
「――ねえ、うるさいんだけど。静かにしてくれない……?」
酷く不機嫌そうな言葉が、俺の前の席から降ってきたのは。
しかし、その声の主は、クラスメイトの人垣に遮られ、見ることは叶わない。たしか先ほど、黒板の前から席に移動してきた時はうつ伏せになって寝ていたため、顔もわからないが、声からしておそらく、女の子だろう。
「ねえ、うるさいし邪魔って言ってるの、聞こえない?」
「そんな、お前の勝手でいちいち言ってくんなよ」
「ならあんたの勝手で私の邪魔しないで。廊下にでも移動して話せば? どうでもいいけど、うるさい」
人垣の中にいた男子生徒の一人が果敢にも反論するものの、少女は聞く耳ももたないようで。つまらなそうな顔、イラついた顔、バツの悪そうな顔、十人十色の顔色をうかべながらも、クラスメイトたちは、それぞれ散っていった。
正直、助かった。あの息の詰まる空間を、短くともあと十分は続けなければ、などと考えるだけで鳥肌がたつ。
やがて人垣が完全に散り、ようやく、俺は声の主である少女の顔を見ることができた。
「――なあ、ありがとな。助けてくれたのか?」
「……なにが?」眠そうな顔で、不機嫌そうに、彼女は言った。「……あんた、だれ?」
ようやく、騒つかしい騒動の中心にいたのが知らない人間だと気がついて、彼女は目を細めながら、睨みつけるように言った。
おそらく、眠いのだろう。彼女はあくびを一つこぼした。
「編入生だ。名前は長谷川隼人。よろしく」
少女はしばし俺を睨みつけながら沈黙する。
かなりの美少女だ。顔の作りが整っている、という観点で言えば、おそらくこのクラスで一番ではないだろうか。このクラスの綺麗所のレベルは相当高く感じるし――ずっと異世界で欧米系美人ばかり見てきた俺が言ってもなんの説得力もない気がするが――彼女はかなり、“モテる”のじゃあないかと、俺は勝手に想像していた。
もちろん、外見のみの話である。
「……あっそ、どうでもいいや」
特に名乗ることもなく、少女は周りから騒がしいハエ共がいなくなったのをいいことに、再び机に突っ伏して寝始めた。
どうやらボッチにありがちな寝るフリではなく本当に寝入っているようで、しばしもしないうちにすうすうと寝息が聞こえてきた。
少々小柄な外観と合わせ見るに、男子の人気を独り占めでもしそうな、とてもかわいらしい少女である。
もちろん、外見のみの話である。
――斎藤さん、ちょっと調子に乗ってると思わない?
――あーそれわたしも思ってたー。
――マジ同感!
ぎゃははと汚い笑い声が耳に聞こえるのを、俺はどうにか意識の外に追いやる。勇者召喚の副作用で強化されてしまった五感の一角、聴力は、このクラス内という限られた空間内の会話くらいならば簡単に聞き取れてしまう。今なら聖徳太子さんにも負ける気がしない。
女子からだけ、こう言う会話が聞こえるのならば、彼女の美貌に対するやっかみかとも思えるのだが、いかんせん、男子サイドからもまったく同じような内容の無い、馬鹿っぽい罵倒が聞こえてくるところを見るに、これが彼女の、このクラスでの立ち位置のようだ。
ああも毎日、色々な意味で自由奔放に振舞っているのなら、それも当たり前である。
まったく周りを気にせず寝続ける少女。それを周りから睨み嘲笑うクラスメイト。なんだか痛くなってきたように感じる頭を抱えーーどうしようもない、と一人納得し、漫然と一時間目の授業を受ける準備をする。
まあ、授業内容を理解できるとは思っていないが、それでも三年ぶりの学校の授業は存外楽しみだ……。
俺はそんな風に、まるで現実逃避でもするように、思考を進めた。
これが、俺の学校への編入当日、朝の一幕であり――後の親友であるワガママ美少女、斎藤千夏との、出会いであった。