一話 機構と勇者様 後
同時投稿、二話目
「青少年支援機構、関東支部支部局長、岡野勇だ。僕たちの主な活動は――君のような、勇者達の社会復帰を支援すること、だよ。長谷川隼人君」
「勇者の……、いや、勇者“達”の社会復帰を、支援?」
予想外の言葉だった。しかし、それと共に、妙に安心する言葉、でもあった。
俺は、数十秒の間、その言葉をゆっくりと噛み締めながら嚥下してゆく。
少し苦しいと思ったら、息を呑み詰めていたことにようやく気がつき、思い切り吐き出した。思いの外、気分が楽になる。
まるで、戦場の真っ只中に居たような緊張感を、なんとか解きほぐしながら、――俺はニヤリと笑い、言葉を続けた。
「――なるほど、やっぱり、俺以外にも勇者っているんですね」
「……へえ」勇の目が、一瞬きらめくのが見えた気がした。「そこに、一番初めに目をつけるなんて、君は実に冷静だね」
「俺だけが選ばれしもの、だなんて、そんな痛い発想は、とっくの昔に異世界で卒業しましたよ。――戦場って、厨二病に浸る余裕すら与えてくれなかったんで」
「そういえば、君が召喚された時は、中学生だったね」
勇のような“かっこいい”初老の男が、勇者や召喚なんて言葉を発するのはなんとも不思議な感覚だ。
何で俺が召還された時期を知っているのか、と聞いてみたい気もするがそれはひとまず後に回し、俺はまた言葉を続けた。
「俺が選ばれたのは、それこそただの偶然で、そんな例が他にもあると知れたのは、まあ、安心するようなことではあっても、取り乱すような類の話ではないですから。同じ境遇の“仲間”がいる、と知れたんですからね」
仲間、などと、一体どの口が語るのだろうと、思わず心の中で顔を顰めてしまうが、それは口にも顔にも出さず、俺は話を続けるよう、勇に促した。
「――おそらく、隼人君は何となくわかると思うけれど、異世界から帰ってきた勇者達は、主に価値観の違いからか、上手く日本社会に馴染めない傾向が強い。……僕は、君なら大丈夫な気がするけれどね」
「いやいや、そんなことないですよ? たぶん。まだ帰ってきて、たったの二日目ですし、きっと、当分いろいろな事に悩むことになるでしょうね」
俺は楽観的に見えるよう、へらへら笑いながらそういった。
「いや、隼人君はかなり“まとも”なほうだよ」
勇も、俺に釣られたように笑いながら、そんなことを言う。――しかし、彼の目だけは笑っていなくて、それがまるで、俺の心を見透かしているようで、ほんの少し、居心地が悪かった。
「全ての帰還した勇者達が、君のように落ち着いていてくれるなら、何も問題はないんだけどね。――しかし、大概そうはいってくれない。帰ってきたとたん、暴れまわったりする者も、少なくはないんだ」
「それで、その“機構”の出番、ってわけですか……」
「その通りだよ」
勇は、孫を褒める祖父のような、優しげな笑みを浮かべた。居心地の悪さを感じさせた瞳も、元の色に戻っている。
「そういう子達――勇者達を“保護”し、そして社会復帰を支援する……と言えば、聞こえはいいと思うんだけどね」
「暴れる野犬に首輪をつけて繋いで置く、ってところですかね」勇は困ったように笑った。「なるほど……、それで、勇さんが俺のところに来たって訳ですか」
「その通りだよ」
もう一度、先ほどと同じ言葉を繰り返しながら、勇は俺に向かって、優しい笑みを見せた。
「君が、異世界から帰還すると知って、こうしてやって来た、と言う訳なんだ。本当は昨日、話そうと思っていたのだけどね。少し、話せそうに無かったから今日にしたんだ。――ああ、ちなみに、なぜ分かったかは、企業秘密だから言えないけどね。……まあ、機構に入ればその限りではないけれど」
「…………」
何故俺が帰ってくるのがわかったのか。そう聞こうとしていたことが見抜かれていたようで、俺は少し気恥ずかしくなり、思わず言葉に詰まってしまう。
「……もっとも、僕が思っていたよりも、随分と落ち着いているようだったけどね。こうして話していても、勇者なら何かしら持つ、おかしさは感じられない。――いっそ、剣も持った事のない普通の少年だ、と言われた方が納得できるほどだ」
「そうですかね?」俺はおどけたように、オーバーなリアクションをとりながら笑った。「異世界じゃ散々、頭のおかしい人扱いされたんですが」
「おや、そうかなのかい?」
二人して茶化しながら、表向きに笑いあう。探りを入れようとする、彼の視線を避け、俺は、「それで、俺はどうすればいいんですか」と聞いた。
「ああ、話がずれてしまっていたね、申し訳ない」勇は言った。「順に説明していこう。既に決定しているのは、機構に関係のある高校へ、編入してもらうことだ」
「学校、ですか」
「悪い話じゃないだろう。君が異世界に召喚れなければ、今頃は高校生活を謳歌していたはずだからね」
確かに、学校についてどうしようか、とは異世界に居た頃も思っていたことではあったから、その懸念が無くなるのは良いことだ。
「――謳歌できたかどうかは、正直わかんないですけど、まあそうでしょうね」
「ああ。――残念だが、これは既に決定事項なんだ。申し訳ないね」
まったく申し訳なくなさそうに言う彼の態度に、思わず、苦笑いを浮かべてしまう。
「別の近所の高校に行く――とか、そう言うのもできないんでしょうね」
一応言ってみただけだが、それは言っている途中に、勇の顔色を見ただけで十分察することができた。
「ああ、その通りだ。聡明な君ならば、その理由もわかると思うがね」
「危険な犬に首輪を付けないで野放しになんてしていられない――大方、そんなところでしょう」
彼はイエスともノーとも言わなかった。
「そしてもう一つ。これは君の意思次第なんだが、……残念ながら詳しく説明することはできないんだ」
「俺の意思次第なのに、説明できない?」今度は本当に申し訳なさそうに呟く彼に、俺は思わず聞き返した。「なんでですか?」
「外の人に話してはいけない事だからだ。故に僕は、僕の申し出を受ける、と君が決断するまでこの内容の中身ついて、詳しく言うことはできない」
真剣に、そう言ってくる勇は、そのまま言葉を続けた。
「言えることは二つ。機構の仕事であることと、君の勇者としての力を必要とすること」
それだけだ、と彼はいい終わる。
俺はしばしの間、目を閉じて考えた。
「……それってつまり、機構に所属することになる、ってことですよね」
「ああ、そう言うことになるね」
どうだい、と言いたげな勇に向かい、俺は言葉を告げた。
「分かりました。受けます」
俺がそう言うと、勇は今日一番の笑顔を浮かべ、そして彼はどこからか、一枚の紙を取り出した。
「君が知っている名前で言えば、魔道契約書、にあたるものだ」
「なるほど。見るのは久しぶりですね」
魔道契約書。魔道文字、と呼ばれ魔法を使うための言葉で書かれた、破れない契約を結ぶための紙のことであり、その契約を破った場合には何かしらの罰――最悪では、死が与えられる代物だ。別名、死の契約書。
「君も読めばわかると思うが、基本的には、こちらの上層部が君に過干渉をしないための文面だ。それを許してしまうと、権力争いの魔窟になりかねないからね、機構は」
「やけに厳しくいいますね」
「なに、どうせ上司は皆が皆、こちらの実態も知らないような天下りの元議員どもだよ」
意地悪い顔で、面白げに勇は話した。
「逆に、隼人君に守ってもらう条件は二つだ」勇は人差し指を立てた。「一般人に、機構について、そして勇者について話さない事。そして」中指を立てた「一般人に向かって、もしくは見られる状況で、無意味に力を振るわないこと。これだけだ」
簡単に書面を斜め読みするが、書いてある文面は確かに、彼の言った通りの内容であった。
最初からつらつらと、小さく細かい字でひたすら、勇者に対して、強要しない、干渉しない、意思を尊重し、平和的に、などと言った文字を何度も使った、小学生の読書感想文のような文面が並び続け、最後の最後に、その二つの事柄が書き記されていた。
「よくこんな内容にサインさせられましたね、これ。頭の堅そうな御上の人に」
「あの人たちには、魔道文字は読めないからね」
悪びれもせずにそう言う彼の姿に、俺は思わず声をあげて笑ってしまった。
「たとえ、意味を理解していなくても、サインはサインだからね」
「まったく、本当にその通りです」
ひとしきり読み終えた俺はさらさらと、長谷川隼人、と紙の隅にサインし、勇に向かってペンと紙を返す。
彼も、俺から受け取ったペンで、俺の名前の下に、岡野勇、と書き込んだ。
「……とりあえず、今日する話はこれで終わりだよ。いやいや、時間を使いすぎてしまって悪かったね。思わず、話しをしすぎてしまった」
「いやあそんな。楽しかったですよ。またお話しする機会があれば、是非」
最初と同じように、手を伸ばしてきた勇に、握手で応じる。違いはお互い立っている所、だが。
ところどころにマメやタコがある、節くれだった手――歴戦の武人の手を、がっちりとつかんで、俺は言葉を交わした。
「……ああ、そうだ」玄関をでる間際になって、彼は思い出したように呟いた。「今度はまた、別の人間が機構の説明をするはずだ。おそらく、メールか何かで連絡が届くと思うが、驚かないでくれ」
「いや、今日の話でだいぶ驚かされましたからね。もう今更、何言われたって驚きませんよ?」
「そうなのかい?」彼は悪戯っ子のように、笑いながら言ってきた。「――それでは隼人くん、また会える事を楽しみにしているよ」
俺は思わず、苦笑いを顔に浮かべながら、小さく手を振った。
俺と、日本最強の異能使い――岡野勇の邂逅の一幕である。
◇
「じゃあ俺、課題終わったから先帰るな」
「え!?わたしまだ終わってない!」
「しらん、だからなんだ」
俺は、千夏の机から、奪われた課題のプリントを取り返し、一つにまとめて教卓の上にボンと置いた。
「はやと!わたしを見捨てるつもりか!」
「さっさとやんないのが悪いんだよ。じゃ、またな」
後ろから聞こえる罵詈怒言をひらひらと聞き流し、俺は玄関口に向かって歩き始めた。外では愛も変わらず、蝉が煩く喚き散らしている。
自然が近くにある、いい学校だとは思うのだが、こういう時ばかりは鬱陶しくて仕方がない。
靴を履いて外に出れば、じりじりと照りつける日の光で、不快指数は数倍に跳ね上がり、蝉の声はより一層煩く、どの方向からもけたたましく聞こえてくる。
思わずため息をこぼしながら、機構から借り受けた“家”に向かって帰ろうか、と足を動かそうとし始めたその時。
胸ポケットにしまっていたタッチ・フォーンが、一定のリズムで振動し始めた。
「はい、もしもし?」
「あー隼人くーん? おひさー。大丈夫聞こえるー?」
「聞こえてますけど、なんですか」
「あーごめーん。そっちの音がうるさくて聞こえないやあー」
「あーなるほど……」
蝉の大合唱は、どうやら電話すらも邪魔してくるらしい。
「ああ、もう。ほんと《少し黙ってろ》」
その言葉が波紋のように広がり、中庭から音が消え去る。
「明里さん、これで聞こえますか」
「うんおっけーおっけー。隼人くんおっひさー!」
「お久しぶりです相変わらずイライラするテンションですね」
「やだなあもう、隼人くん、言い方きついー」
思わず電話を投げ捨てようとしてしまうが(というかほとんど投げかけていたが)ぎりぎり気持ちを抑え込む。また、こんなことで何万もする修理代を払いたくはない。
「それで、要件はなんです」
「もうわかってると思うけどー、本社に出勤命令だーよー!」
「んなもん知っとるわ。そう言うのいらないんで。時間はいつですかさっさと教えろダメオペレーター」
「もう隼人くんこわいー! ……時間は今日、いますぐですよーだ! もう切っちゃうもんねぷんぷん!」
「殴りてえ……!」
このイライラをどこで発散させればいいのか。
もうなにがなんでもオペレーター変えてやる、と俺は心に決め――しかし珍しい、突然の出動命令に、俺は少しだけ気がかりを感じていた。