一話 機構と勇者様 前
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「あっつい……」
じりじりと日差しが肌を焼き、蝉が煩く騒ぎ立てる。この季節を夏と言う。
青春を謳歌しやがっている、親愛なるクラスメイト諸君は、今頃プールに行こう海に行こう、山に行こう旅行に行こう! などなどと楽しい楽しい夏休みを過ごしているのだろうと思うと、腹が立って仕方がない。
せっかく、各教室に配備されている冷房も、年間予算の関係だ、とかで動いておらず、教室の中はまるで蒸し風呂のようになっていた。
「ねえー、はやとー、暑いんだけどー、なんとかしてよー……」
「いや、なんとかって何だよ……」
「それはー、あれだよあれー……」
「だからあれって、何だよ……」
突っ込みにもキレがない。
残念王女に付き合って平日の真昼間に渋谷へ行ったり、お仕事関係で午後の授業を受けずに帰ったり、などなど。
そんなことをしながら、学校を、授業をサボり続けた“ツケ”として、俺は夏休みの真っ只中にもかかわらず、こうして学校にやってきて、補修を受けているのだ。
そんな俺を馬鹿にするかのように、気温はぐんぐんぐんぐん、上昇してゆく。
「あーつーいー! なんとかしろー!」
「なんとかってなんだって言ってんだろ! あと首を揺らすな!」
クラスメイトの一人であるお馬鹿娘――斎藤千夏が、熱にでもやられたのか、いつも以上に賑やかに、煩く絡みついてきた。
暑苦しい。
「お前、そんなこと言ってないでさっさと課題進めろよ……。まだ一文字も書いて無いじゃねえか」
「あ、それは大丈夫。後ではやとのやつ写すから!」
「おまえ最初からそれ狙いで隣に座ったな!?」
てへぺろっ、と呟きながらウインクを飛ばす千夏に、ひとまず拳骨を入れる。
――なんだかんだで、彼女とはすでに一年近い付き合いだ。いろいろと浮いている俺に、未だ仲良くしてくれるのは、残念なことに、このクラスでは彼女一人だけ、である。
彼女と出会ったときにも、それなりにいろいろとトラブルはあったのだが、今はおいておく。
だから一応、彼女がこうして仲良くしてくれていることを、感謝してはいるのだが……。両手を挙げてぷりぷり怒る、こんな様子を見ていると――そんな思いは虚空の彼方に吹っ飛んでいく。気がする。
千夏は俺の机の上から、器用に埋め終わっているプリントだけを取り去って、ようやく、自分の筆箱から可愛らしいピンクのシャープペンシルを取り出した。
「そんなところで女子アピールしても恐ろしく無駄だな」
「はやとはいつも一言二言余計だよー?」
「問題ない、わざとだ」
「余計だめだよ?」
にっこり笑いながら額に“怒りマーク”を浮かべる千夏から目を逸らし、教師から渡された、課題のプリントに集中しているようなフリをする。
横でぎゃあぎゃあと騒いでいた千夏も、俺が全く反応しないとわかると、ふてくされたように頬を膨らませながらも、渋々課題に取り組み始める。
……こんなんなのに、テストの点だけは学年上位だと言うのだから、世の中は不思議である。理不尽である。そんな彼女がわざわざ補修に出ているのは、お察しのとおりの理由、というか。彼女が“珍しく”教室にいるときでも、しっかり起きているところは、少なくとも今までの約一年間、一度も見たことがない。
ちなみに俺はといえば、未だ、異世界に居た三年間の遅れを取り戻すのに必死扱いている有様で、この課題だって、本来はそれほど難しくはない筈なのに、一問解くのに数十分という苦行をさせられている。
異世界で必死に、文字通り死ぬ覚悟で覚えた、魔術やら戦術やらなんかは、学校の勉強にはなんの役にも立たない。悲しすぎる。
もともと、平々凡々な一般的一生徒でしかない俺にとって、中学の大半を含む三年間もを、勉学から離れるということは致命的だったようであり、未だ、学校の授業が一ミリたりとも、まったく理解できなかったりする。
そんな状態なのにも関わらず、学校をサボりまくっているのだから……。
――本当に、よく、二年生に進級できたものだと思う。
◇
今から丁度、一年前。異世界から地球に帰還した、あの日。
憎らしげに俺を睨み、勇者ですら死の覚悟をする攻撃を仕掛け、家を飛び出していった妹――茉奈とは全く正反対に。両親は、涙を流しながら俺の帰還を嬉しがってくれた。
やがて俺に事情を聞くために、警察が数人、ドカドカとやって来たが、いろいろと、俺が疲れているだろうから、と母が警察に話し、調書を取るのは後日になった。
そのときの俺の顔色は、ずいぶんと酷いものだった、らしい。
その日の夕食はささやかな“ごちそう”で、三年ぶりの母のご飯に、思わず涙を流しかけたことは、恥ずかしくて、あまり思い出したくないことだけれど。
俺が両親との久々の会話を楽しんでいる時も、結局夕食を食べ終わっても――結局、妹は家に帰ってこなかった。
母には、友人の家に泊まる、とメールが来ていたらしい。そこそこ、よくあることなのだそうだ。
「隼人も随分と成長しているからなあ……。茉奈も、どう接すればいいかわからないんだろう」
涙ぐみながらそういう父の言葉に、そうかもね、と愛想笑いを浮かべる。もちろん、本心からそんなことを思っているわけではない。思えるわけがない。彼女の“あれ”は、決して、そんな理由で浮かび上がる感情ではない。
もちろん、そんなことを親に言うわけがないけれど――。
俺は、妹の発した言葉を、殺気を、瞳の奥で燃え上がる憎悪の炎を、忘れることはできなかった。
やがて、事態が少し変わったのは、翌日のお昼前のことであった。
★
「どうも、初めまして、長谷川隼人君。僕は岡野勇と言う。どうぞよろしく」
「あ、どうも……」
目の前に座る初老の男性が、ゆっくり伸ばしてきた右手を握り返し、俺は握手に応じた。
彼と俺とを遮る机の上には、名乗りと同時に差し出してきた、名刺が置かれていた。太い文字で書かれた“岡野勇”の文字と、その上にある聞き覚えも見覚えもない名前。
「青少年……社会復帰支援機構?」
「ああ、そうだ。僕は、その組織の局長を務めていてね」
「はあ、そうですか……」
間の抜けた返事になってしまった。
どうしても休むことができなかった仕事に、泣く泣く向かっていった父母から、今日の昼にやってくるという警察官を待っているため外出禁止を言い渡され、一人ごろごろと時間を浪費していたところにやってきたのが、この初老の男性であった。
彼は、にこやかな笑みを浮かべ、困ったように言った。
「あまり、歓迎されてはいないようだね」
「……いやあ、小心者の小市民らしく、警察がやってくるのをガタガタブルブル震えて待ってたら、やってきたのが、こんな優しそうなお爺さんだったんで、気が抜けただけですよ」
「優しそうに見えるかい?」彼は面白そうに、それでいて驚いたような口調で、そう言った。「そんな風に言われると、うれしいね。仲間からはいつも、うるさい爺さんだ、と、煙たがられているからね」
「若い人は、少なからずそう思うもんですよ、きっと。年齢が上ってだけで、無自覚に自分が弱者の立場に立たされているように感じてしまうんで」
まさしく、今の俺の心境である。
おどけて言った俺の言葉に、彼は一瞬、虚を突かれたようなポカンとした表情を浮かべる。
「――なるほど。確かに僕も、若い頃はそんな風に考えていたかもしれない」
「いやいや、あくまでただの、俺の持論ですから」
腕を組んで考え始めた彼――岡野勇に、俺は軽く手を振りながら言った。
おそらく、綺麗に年をとる、と言うのは正しく彼のような人のことを言うのだろう、などと、俺はぼんやりと、頭の片隅で考えていた。
「……それで、ええと――岡野さんが、俺を訪ねてきたのは、どんな理由で、なんですかね」
「岡野さん、だなんてよそよそしい呼び方じゃなくても大丈夫だよ。それに僕は、どちらかというと、自分の名前のほうが好きなんだ」
「いや、よそよそしいも何も、今さっき会ったばかりじゃないですか……」
思っていたより、茶目っ気のある性格なのかもしれない。
「――まあ、どっちでもいいんですけど……。それじゃあ、勇さん?」
俺がそう呼ぶと、彼はなんとも嬉しそうに笑顔を見せた。
「ありがとう。そう呼んでくれる子なんて、全然いないからね……。それで」彼は一回、言葉を区切った。「僕がここに来た理由、だったね?」
「ええまあ、そうですね」
ようやく、本題に入れそうだ、と、俺は内心ホッとした。
もしかしたら、このままずっと彼のペースで話し続けていたら、はぐらかされてしまうのではないか、と疑っていたからというのもあるし、後は単純に、そろそろお腹が空いてきたので昼食を食べたいからだ。
「――この後には、警察の人も来るらしいですし。それに、あまり岡野――勇さんを引き留めるのも、悪いですしね」
「――いや、その心配はいらないよ」彼は不思議そうか顔色でそう呟いた。「僕は今日、一日他の用事はないし、――それに、警察は来ない」
「え? ……あ、そうなんですか?」
再び、間の抜けた答えを返してしまう俺を見て、勇は苦笑いを浮かべた。
「どうやら、連絡が上手く行ってなかったみたいだね……。隼人君が、特に何も言わずに家に入れてくれたから、話は通っていると思っていたんだけど」
「特に、悪意はなさそうでしたからね」
正確には、“殺意”や“害意”が無かった、だが、今それを詳しく言う必要もないだろう。
「そうかそうか、なら、よかったかな」
勇はそう呟いて、また少し、言葉を区切った。
「ならば、もう一度、正確に自己紹介をしなくてはいけないね」
初老の男性――岡野勇は、もう一度、場を仕切りなおすように、朗らかに笑いながら、優しげな低い声で言葉を続けた
「青少年支援機構、関東支部支部局長、岡野勇だ。僕たちの主な活動は――君のような、勇者達の社会復帰を支援すること、だよ。長谷川隼人君」