8 ヒメは踏んだり蹴ったり
また、今日も一人である。
教室で弁当をつつきながら、鈴緒はしばし嘆息した。身にまとっているものは、セーラー服。
島で唯一の高校、県立玉依高等学校の制服だ。
守り人などという役職に就いたとはいえ、彼女も世間的には高校生。学校に通わなくてはいけない。
しかし、島という少々閉鎖的な空間では、異国の血が混じった彼女はかなり異質である。クラスメイトたちも、興味深そうに鈴緒を眺めているものの、話しかけてくることは稀だ。鈴緒の怪しい日本語も、彼らの戸惑いを助長させているかもしれない。
他にも、生徒たちがたじろぐ要因はあった。
その要因がお供を連れて、学食から戻ってくる。
「あ、牧音さん」
「黙っていればモテる」の典型例である牧音は、鈴緒が笑いかけてもにらみ返すだけだった。お供である繰生が、代わりに鈴緒へ手を振る。二人も、同じクラスであった。
「やっほー、鈴緒ちゃん。相変わらず、お弁当豪華だね」
「やっほー、繰生さん。銀之介さんの手作りです。食べる?」
色味と栄養配分、そして盛りつけまで考慮された弁当を、繰生へ向けた。
煮物のニンジンは花形に切られ、リンゴの皮はチューリップ型に剥かれ、黒ゴマの目が付いたタコさんウィンナーの並ぶそれは、銀之介作だ。
「鈴緒さんは細いので、もっといい物食べて下さい」
とは、彼の言い分である。遠まわしに「もっと太れ」と言われている気もして癪なのだが、彼の作る料理は美味しい。
切干大根の甘辛煮など、和食に飢えていた鈴緒にはたまらない。
繰生もおかずを見渡し、ごくりと生唾を飲み込んだ。
「いいの、本当に食べても? この、レンコンの挟み焼きも?」
「いいのです。一人じゃ多いから」
うなずけば、人なつっこい顔がへにゃりと崩れる。
繰生は根っからのお人好しらしく、鈴緒に対しても敵対心や、不審感を見せない。
「そうだ。牧音ちゃんもさ、貰ったら?」
反面、配慮に欠けていた。あえて鈴緒を無視している牧音にも、レンコン片手に手招きする。
もちろん牧音は、腕組みをして怒鳴った。
「いるか! 学食のおばちゃんのカレーうどんで、腹一杯に決まってるでしょ!」
「でもさ、今日はコーヒーゼリーが売切れてたよね? ちょっと口寂しいんじゃないの?」
「んなわけあるか、タコ! 人のことを、砂糖依存症みたいに言ってんじゃないよ!」
ガルルと唸る牧音には、砂糖よりもカルシウムが不足しているように見受けられる。
彼女はさっさときびすを返し、険しい顔で自席に座った。
牧音が鈴緒に見せる敵意も、クラスメイトと距離を詰められない大きな要因だった。
積極性に富む彼女はどうやら、この学校の中心人物らしい。日向家の縁戚であることも、関係あるかもしれない。
「牧音ちゃんは気が短いなぁ。早死にしそう」
レンコンの挟み焼きを頬張りながら、繰生は率直過ぎる感想を口にした。
鈴緒があけすけな感想に目を丸くしていると、彼は肩をすくめた。
「でもあれでさ、この前気絶したこと、気にしてるみたい。鈴緒ちゃんにも、引け目感じてるんじゃないかな」
「引け目、ですか?」
「うん。いいとこ、全部持ってかれたから。ああ、でも短気な分、すごい忘れっぽいから。気にしないで」
指に付いたタレも舐め取りつつ、繰生は呑気に笑った。
「それじゃ、ごちそうさまでした」
「どうもです」
こうして繰生も離れれば、鈴緒はまた一人だ。
銀之介の気遣いが目一杯詰まった弁当を見下ろし、小さくため息をつく。
なんだかご飯と彼を裏切っている気がして、少し滅入った。
学校へ通わせてくれている祖父にも、罪悪感を覚える。
落ち込んだ気持ちのまま、午後の授業を受け流したことが悪かったのか。
それとも、一人で寂しそうに山道を帰っていたのが駄目だったのか。
鈴緒は帰路の途中で、変質者に遭遇した。
分類としては「露出」系統に属する、若い変質者だ。変質者である時点で、若さや容姿など二の次なのだが。
「ヌーディスト・ビーチないのに、何故服着てないか!」
日向邸へ逃げ帰った鈴緒は、膝を震わせながら涙混じりに怒った。
怒りをぶつけられた金次郎と銀之介は、困った様子で顔を見合わせている。彼らが脱いだわけではないので、どう返していいものか、分からないらしい。
「まあ、あれじゃ」
ヒゲを撫でつつ、もごもごと金次郎が口を開いた。脇腹を、銀之介に小突かれながら。
「見せられただけじゃろう? 実害がなくて、良かった良かった」
「よくない! 汚いもの見た! 害ある!」
正座が出来ない鈴緒は、縁側に面した茶の間で三角座りをしながら怒る。頭に血が昇るあまり、また日本語がつたなくなっていた。
「おまわり呼ぶ! ヘンタイ捕まえる!」
「とは言っても、もうずいぶん前のことじゃろう?」
金次郎は呆れ顔だ。男であり、年寄りでもある彼に、痴漢の恐ろしさを理解することは困難だ。
「そもそも、おまわりさんに頼らずとも、お前の糸で捕まえれば良かったじゃないか。うん?」
続いて、したり顔でこう言ってのけた。
これが鈴緒の逆鱗に触れた。
「おじいちゃん、馬鹿!」
言うなり、三角座りした膝に顔を埋める。
「あっち行って!」
「あっちと言っても、ここで茶を飲んでいる途中なんじゃが……」
戸惑い、顔をしかめた金次郎を、銀之介がなだめすかす。
「お茶なら、後で書斎へお持ちしますから」
丁寧に言いつつ、グイグイ金次郎を廊下へ押し出す。
「ワシ……ひょっとして、言っちゃいけないこと言ったのか?」
有無を言わさぬ銀之介の強引さに、金次郎も弱気になった。糸を使う案も、彼にとっては妙策だったのだろう。
白い眉を下げる上司へ、銀之介は努めて静かに笑った。
「性犯罪に関する資料を、後ほどお持ちしますので。それまでごゆっくりして下さい」
「いっ、要らんぞ、そんな資料は! よからぬ匂いがプンプンするじゃないか!」
「そう仰らずに。書斎のパソコンで、ソリティアでもしていて下さい」
敷居の外へ金次郎を押しやって、ピシャリと引き戸を閉じた。そして振り返り、鈴緒を見下ろす。
彼女は少しばかり顔を持ち上げ、二人を伺っていた。しかし銀之介と目が合うと、再び膝に伏せてしまう。
ふて腐れる彼女から、一メートル程距離を置いて、銀之介も正座した。
「そのままだと、スカートが皺になりますよ」
「いいもん」
「そうですか。……怖かったですよね。一人だったんでしょう?」
静かに問われ、鈴緒はかすかに頭を上下させた。
「無事で何よりです」
優しい声音でそう言われると、目頭が熱くなった。うつむいたまま、かすかに鼻をすする。
鈴緒の耳に、銀之介が畳の上を移動する音が聞こえた。気配が、少しばかり近くなる。
彼女はそれを拒まずに、膝を抱えたままだった。
「ひょっとして、鈴緒さんは、男の人に免疫がないのですか?」
「メンエキ?」
鼻声で問い返せば、変わらず落ち着いた口調で言い直される。
「あまり、慣れていないのでしょうか?」
「慣れてない。男の人も、女の人も。友達いないもん」
自嘲気味な答えにも、銀之介は笑わない。
「それでは俺が、文字通り一肌脱ぎましょう。要は裸に慣れれば良いのですから」
代わりに、ギリギリな発言をぶちかます。
「慣れないでいい! なんで銀之介さん、変なこと言うか!」
思わず顔を跳ね上げれば、にんまりした顔が鈴緒を覗き込んでいた。
むくれっ面で、鈴緒は目を細める。
「からかった?」
「ああ、はい、半分。もう半分は、本気で心配してますよ」
「嘘言ってない?」
「嘘言ってないよ」
細身の眼鏡越しに笑いながら、銀之介は風呂敷包みを眼前に出した。
「では、お顔を見せてくれたところで。気分転換に、山登りに行きましょう」
途端に、インドア人間の鈴緒は顔をしかめた。
「山? 何しに行くの? もう夕方よ?」
「大丈夫ですよ。家の裏手にある山ですから」
「でも……右近さん、鍛えないと」
なおも鈴緒は渋った。指先でいじいじと、畳をつつく。
煮え切らない彼女へ、銀之介は凛々しい顔で告げた。
「右近さんも、たまにはお休みしたいはずですよ。毎日ダンジョンに潜っているじゃないですか」
「毎日じゃないよ、一週間の六日だけ」
「どれだけ彼を酷使させているんですか、あなたは。……なお、もしご一緒していただければ、夕ご飯のおかずが一品増えます」
「行く」
今度は即答であった。
山登りと言うことで、鈴緒は制服から着替えた。
クリーム色のシャツに、グリーンを基調としたチェック柄のショートパンツという出で立ちだ。サスペンダーの付いたパンツが、どことなく古めかしく、可愛らしい。
もちろんこれも、メイド・バイ・銀之介である。
「今回は、女トレジャー・ハンターというテーマで攻めました」
誇らしげに、彼は胸を反らしている。
相変わらずサイズがピッタリの服を見下ろし、鈴緒は細い鼻筋にしわを作る。その襟元には、テーマにふさわしいオレンジ色のスカーフが結われている。
「銀之介さんは、いつ服を作ってるのですか? 仕事忙しいね?」
「ああ、就寝前や休日を利用して」
「信じらんない! 銀之介さんの夢は、カローシか?」
悲鳴を上げて、鈴緒は青ざめた。なお「カローシ」は、「過労死」という日本人特有の死に様を指している。
しかし銀之介は何故か微笑み、スーツの内ポケットからデジタルカメラを取り出した。そのまま何気ない動作で、己を案じる鈴緒をパシャリ、と撮った。
束の間、二人の間に沈黙が立ち込める。
「……今の、何」
「気にしないで下さい」
「気にする。写真で何する」
据わった目で糸を出現させた鈴緒だったが、それを放つ前に腕を取られた。
銀之介のもう片手には、先ほどの風呂敷が握られている。正体不明のそれが、怪しさを増長させる。
「はいはい、行きますよ」
「ヘンターイ! おまわり呼んでー!」
踏みとどまって叫ぶが、コンパスの差で負けてしまう。彼女はずるずると、銀之介へ引きずられた。