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5 フリルに真珠に謎の趣味

 黄色い霧の向こう側には、亡霊や妖怪といった化生の住む「異界」がある。

 古くは交易の中継地点として栄え、ついでに自然も豊かであった玉依島には、多くの命と感情が渦巻いていた。よって化生や、異界への入り口も、数多存在している。

 異界への橋渡し役および、悪意ある化生から島民を守ることは、島を束ねていた日向家の務めとなった。

 長い歴史の中で、アオネコから力を授かり、守り人となって矢面に立つ者は必然的に、日向家の当主も兼ねるようになっていった。


 つまり当代の守り人は、金次郎である。

「あたしは、おじいちゃんの跡継ぎになるのですか?」

 鈴緒は無邪気にそう尋ねた。

 何だか大事らしい、という実感はあったものの、後悔はなかった。あの状況下では、それ以外に選択肢がなかったのだから。

 対する金次郎は、少し痛ましい表情をたたえていた。

「本来ならばそうなるのじゃが……お前はやむにやまれぬ状況で、何も知らずに契約をしてしまったのだからなぁ」

 声に少しばかりの恨みがましさが混じった。しかし、鈴緒を守り人にしたアオネコの姿はもうない。

 首を振って、金次郎は気持ちを切り替えた。

「先のことは、追々考えるとしよう。それよりその格好を、どうにかしなさい」

 顎を撫でた彼は、二人へ風呂を勧めた。鈴緒も銀之介も、血まみれであった。

 肉と一緒に服も食い破られた銀之介だが、鈴緒へ先に入浴するよう提言する。

「レディ・ファーストいらないよ」

 鈴緒はムッと頬をむくらせるが、笑顔で受け流される。

「俺はまだ、仕事があるんですよ。分家の方々も、お呼びしなければいけませんし」

「ブンケ? それは何ですか?」

「鈴緒さんや金次郎さんの、親戚の皆さんですよ」

「成り行きとはいえ、新しい守り人が生まれたわけじゃ。皆の衆にも知らせねばならんのだよ」

 金次郎も続ける。

「つまりは田舎の決まりごと、ルールですね」

 銀之介の総括に、そういうものなのか、と鈴緒は一応納得する。


 そして分家の人々は、本家を重視しているのだという。これも田舎ならではの「ルール」とのことだ。

 来日して早々、入浴で人を待たせるのも気が引けるため、鈴緒は手早く風呂を済ませた。

 服は捨て置くとして、両手と顔に塗りたくられた血を洗い流す。まだ乾き切っていなかった赤い染みは、案外あっさり消え去った。

 ミルク色に戻った体をしげしげ眺めながら、さっと腕を振った。

 するとたちまち、指先から赤い糸が生まれた。たらりと垂れ下がったそれは、細い割に頑丈だった。麻糸を思わせる質感だ。

 振れば振るほど、糸は伸びた。試しに、シャンプーボトルめがけて糸を振る。

 狙い違わず糸は飛び、シュルリとボトルを巻き上げた。

すごい(ラヴリー)っ!」

 祖父は鈴緒の身に起こった出来事を嘆いていたが、彼女は案外喜んでいた。

 自分に異質な力が宿ったことを自覚している反面、生還出来たことが何よりも嬉しい。恩人である銀之介も、理屈は分からないが蘇生した。

 加えて、手に入れた技術は地味なものの、存外便利だ。大きな弊害があるとも思えない。

 そう結論付けた鈴緒は、能天気に風呂場を出た。洗剤と陽光の匂いがするタオルで、やわやわと身体を拭った。

 親戚一同での会合ということで、銀之介から「よそ行きの服」を手渡されていた。

 丸まっているのでよく分からないが、赤いワンピースらしい。

 前後を確認するために広げて、絶句した。

「オゥ……これ、着るですか?」

 渡された衣服を知らんぷりして、手持ちの服を着ようかとも考えた。

 だが、その手持ちの服が現在、手元にない。あるのはこのワンピースと、下着ばかり。

 長い廊下を下着姿で闊歩する程、鈴緒はこの家に心を許していない。

 顔をひきつらせながらも、よそ行きワンピースを恐る恐る着込む。そして隣の、洗面所へ駆け込んだ。

 そこに備え付けられた鏡と向かい合い、改めて叫ぶ。

なんてこったい(ブラディー・ヘル)!」

「鈴緒さん、どうしました?」

 風呂の順番待ちをしていた銀之介が、すかさず洗面所をのぞきこんだ。

 噛みつかん勢いで、鈴緒は振り返る。

「あたし、どうしてない! 服が変!」

「会合にふさわしい礼服を、用意したのですが」

 あっさり言われ、鈴緒は改めて己を見返す。


 花模様が織り込まれた赤い服は、たしかにワンピースよりもドレス寄りだ。開いた襟元や袖、大きく広がる裾にもふんだんにレースがあしらわれている。

「だけど派手だよ。フリフリだよ」

 ふくれっ面の鈴緒へ、銀之介は少し弱腰の顔を向ける。

「事前に赤がお好きと伺っていたので、こちらの布で作ったのですが」

何ですって(エクスキューズ・ミー)? 作ったのですか? 誰が?」

「俺が」

「嘘だ」

「本当だ」

 はにかまれ、鈴緒はあんぐりと口を開いた。

 まるでアンティーク人形が着込んでいそうな服は、恐ろしいまでに完成度が高い。

 おまけにサイズもぴったりだ。スカート部分は膝よりも、ほんの少しばかり上に整えられている。

 小柄な鈴緒にとっては滅多に出会えない、理想的な長さのワンピースである。

 だからこそ余計に、甘さを全面に押し出したデザインが気恥ずかしい。


 間抜け面を浮かべる彼女の心中を、読み損ねたらしい。

 銀之介は眼鏡のつるをつまみながら、ほんのりと眉を潜めた。困っているようだ。

「イギリスの映画も参考にして作ったのですが、お気に召しませんでしたか?」

 慌てて我に返り、鈴緒は首を振った。

「とても可愛い、と思う。似合っているのか、分からないけれど。だけど、どうして大きさ分かった?」

「鈴緒さんのお母さんに採寸を、あらかじめお願いしました」

「お母さん、共犯者か!」

 言われてみれば、覚えはある。引っ越し準備で忙しいというのに、母・セリーナが、メジャー片手に追い回して来た時期があった。

 どうせまた何か思い付いただけだろう、と移り気な母の行動故に深く考えていなかったことが悔やまれる。

 脳内で母を罵倒していた鈴緒は、銀之介の言葉を反芻し、首を傾げた。

「映画を参考にした、と言いました。何を観たらこうなった?」

「ええと、『落下の王国(ザ・フォール)』や『プライドと偏見プライド・アンド・プレジュディス』を」

 銀之介は天井を見上げ、分かりやすいよう原題にて回答する。

「時代が違う。昔話です」

 呆れ顔で返しつつも、鈴緒は妙に納得した。胸元が開き、腰回りを絞ったデザインは、確かに前時代的だ。そこがかえって新鮮、とも受け取れるが。

「ですがとても、お似合いですよ」

 呆れる彼女にも、銀之介は動じない。鏡越しに鈴緒を眺めながら、至極満足そうに笑っている。

 よくよく観察すれば、満足感の裏側に、にやけが見え隠れしている。


 一歩退いて、鈴緒は彼を見上げた。

「銀之介さんは、少し変か?」

「ああ、それはよく言われますね。男なのに、裁縫や料理が好きなので。ちなみに、洗面所の暖簾も俺が作りました」

「キヨウビンボーか、銀之介さん。……デザイナーは、ゲイが多いと聞きます」

「安心して下さい。女の子が大好きな、ただの秘書ですよ」

「できない、安心。もしかしてヘンタイか?」

「心外です。俺は普通ですよ」

 ちっとも心外ではなさそうに、肩をすくめている。

 その反応がますます胡散臭く、鈴緒は口をすぼめる。

「日本人のフツーは、とてもあいまいと言います」

「どこでそういう知識を手に入れるんですか」

 銀之介は苦笑したが、彼女の言葉を否定しなかった。

 彼の評価を「きっといい人」から、「いい人だけど変人らしい」と改める。

 ついでに、「ヘンタイの可能性あり」とも注釈を付けた。


「俺のことを、怪しいと思っているでしょう」

 それを素早く見抜かれ、鈴緒は束の間躊躇し、ややあって小さくうなずいた。

「たくさん怪しいと思っています。難しい服を作るから」

「自他ともに認める変な趣味ですが、これは鈴緒さんの、戦闘服でもあります」

「どうして戦闘服を着る?」

「分家の人たちと本家は、決して仲良しではありませんから」

「みんなは、おじいちゃんを嫌い?」

 鈴緒の表情が強張る。身構えるように、両手を胸の前で合わせる。

 笑顔でなだめながらも、銀之介はかすかに首をひねった。

「難しいですね。色々とあるんです。鈴緒さんのことを、よく思っていない人もいるようで」

うん(アイ・シー)

 日本人ともイギリス人とも呼び難い彼女は、軽んじられることにも慣れている。

 だからこっくり、うなずいた。

 しかし銀之介は表情に、苦いものを混ぜた。

「鈴緒さんは許せても、俺は許せません」

「どうして?」

「鈴緒さんがいい子だからですよ。金次郎さんのお墨付きも、ありますからね」

 再びにっこり笑い、銀之介はスーツの内ポケットから、カチューシャを取り出した。

 腹部の破けたスーツをうかがいながら、鈴緒は目をまたたく。

「銀之介さんは、もしかするとドラえもんか?」

「だったらどうします? とにかくはい、どうぞ」

 やや強引に、真珠があしらわれたそれを装着される。向かうところ敵なしの、隙のないドレス姿の出来上がりだ。

 銀之介の気遣いに、鈴緒は肩を落として観念した。

 怒る代わりに、彼へはにかむ。

「あたし、いい子に見える?」

「見えますよ」

 うんうんと応じ、銀之介はふと腕を組んだ。

「次は、どんなデザインがいいかな」

「銀之介さんは、やはりとても変に違いない」

 きっぱり、と鈴緒は言い切った。

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