25 指輪の魔人
アガシオンとは、指輪やランプに宿る化生だという。名前が示す通り、この国に存在する化生ではない。
別名を「ジン」と言い、アラブ世界の裏側に住む超自然的存在だ。
「ジン、なら知ってます。ゲームで会いました。すごい魔法使ってました。ちょっぱやで殺された、怖かった」
「それは災難でした。頭も良くて、人間なんて比較にならないぐらい、凄い魔法が使えると言われていますからね」
生真面目顔で、ゲーム内にて遭遇したジンの恐ろしさを語れば、銀之介は笑いつつ注釈を加えてくれた。
イスラム教が布教される以前も以後も、その強い力故、神に準ずるものと位置付けられているのだという。
などと呑気に、即興のオカルト講義を行う二人の背後にて、金次郎が吠えていた。
「バカモォォーンッ! ネット通販で指輪を買っただとう? 霊験あらたか? アンティーク? そんな怪しい文句に、ほいほいと釣られたのか! 恥知らずめいッ!」
黒電話の受話器片手に、口角泡を飛ばしていた。金次郎の怒鳴り声の合間に、機械の奥から不銅の声も聞こえている。
「ジプシーのまじないがかかっていて、悪霊を払ってくれると言われたんです! ただただ、牧音が可愛かっただけなんです!」
悲鳴混じりの弁明が、また痛々しい。
知らずに鈴緒も、小さく肩をすくめていた。
「不銅さんは、牧音さんが心配で可愛い、コボンノーですね」
「あんなふてぶてしい娘でも、親は可愛いんでしょうね」
銀之介はやや、皮肉っぽい表情である。やはり、牧音に好感情を抱いていないらしい。
その点に関する疑問が、顔に表われていたのか。鈴緒と目が合い、彼はぎこちなく笑った。
「今回の指輪のおかげで、俺は二回も化け物に腹を食われました。鈴緒さんも、結果的には守り人になってしまい、挙句痴漢に遭いました。なかなかどうして、いい気持ちになれませんよ」
「うーん。そこを言われると、あたしもプンとしてしまう」
鈴緒も苦笑いすれば、ふ、と銀之介が真顔となる。
「鈴緒さんを目の仇にしているのも、腹立たしくて。こんなに可愛いのに」
「ふぁいッ?」
声を裏返しにし、おまけに目を白黒させてしまったが、話は途切れた。
金次郎が「待っておれい、今指輪をぶっ壊してやる!」と吠えるや否や、ガッチャンと受話器を叩きつけたのだ。
三角座りで静観していた二人も、慌てて金次郎と向き合う。
胡坐をかいて座り、金次郎も険しい顔だ。
「銀之介や」
眼鏡の位置を正し、銀之介も顔を引き締める。
「はい」
「鈴緒に手を出すのは、十八歳を過ぎてからじゃ」
「は?」
ぎくり、と肩がこわばる。
持ち上げた眼鏡も、すぐさまずれた。
「バレていない、と思っておったのか? 狩穂に見張らせておったのじゃよ、起こりうる危機を想定してな」
「は、い」
顔が引きつり半笑いである。
対する金次郎は、いつもと打って変わって険しい目つきだ。
「高校卒業までは、お手付き厳禁じゃからな」
そして、本気の声音である。
「承知、しました」
やや不服そうであったものの、銀之介は神妙にうなずいた。
いい気味だー、ざまあみろー、と鈴緒は心の中で茶化す。
しばし話は脱線したものの、話題はすぐに指輪およびジンへと移る。
「不銅の馬鹿が、やはり事の発端じゃったよ……娘可愛さに、ジプシーから買い付けたそうだ。それもインターネットで」
「ジプシーもネット通販をする時代なんですね」
「今は電子の海を放浪かぁ」
銀之介と鈴緒も、ジプシーの商魂に関心する。
その点に関しては金次郎も同意らしい。抹茶色の着物の袂に腕を突っ込み、歯を見せて笑う。
「ジンが封印されていた指輪を売り渡したのじゃから、ある意味良心的ではあるな。この場合は、それが裏目となったが……さて、指輪を回収せねばな」
「車、回して来ますね」
銀之介が真っ先に立ち上がり、廊下へ消える。金次郎も身支度すべく、自室へ向かう。
鈴緒も自分がパジャマ姿であることを思い出し、更にノーブラであることにも気づき、顔を真っ赤にして茶の間を出た。
そして金次郎を追い抜いて、部屋へ駆け戻ろうととしたのだが、
「これ鈴緒や、何を慌てておるんじゃ? お前は留守番に決まっておるじゃろう」
祖父に腕を取られ、慌てて立ち止まる。
金次郎を振り返った緑の瞳は、驚きと憤慨で丸くなっていた。
「どうしてですかっ。あたしも守り人だと、おじいちゃんは認めていないですか?」
噛みつかん勢いの孫娘の肩を、金次郎は優しく叩いた。
「認めておるさ。将来有望、自慢の孫娘だとも。しかしそれ以前に、お前は病み上がりじゃろう?」
鈴緒は咄嗟に、うつむいた。だが納得できない、とばかりに頬をむくらせている。
そんな彼女のパジャマを、小さな手が引っ張った。ザシキワラシだった。
ザシキワラシはそのまま、鈴緒にへばりつく。
「おねーちゃん、あそぼー」
場の流れを無視して、己の欲望を真っ向から主張する子ども化生へ、金次郎も白い歯を見せて笑う。改めて間近に見れば、年齢の割に健康的な歯をしている。
「その子を一人で、放っておくわけにもいかんじゃろう?」
「うん、そうだね」
「だからお前には、ザシキワラシのお守りを頼みたい。彼女は福の神でもあるから、責任重大……なのじゃが、大丈夫かね?」
金次郎の声音が、途中で気遣わしげなものになった。鈴緒の小柄な体を山に見立て、ザシキワラシが登山を開始したのだ。
「た、ぶ、ん」
ザシキワラシに背中をよじのぼられ、反り返りそうになりながら、鈴緒は引きつった声で答えた。
本音を言えば、辛かった。パジャマが引っ張られ、首回りも厳しい。
しかし、金次郎が自分に任せてくれたのだ。自慢の孫だと言ってくれたのだ。嫌であるはずがない。
鈴緒は諦めてザシキワラシを背負い、駐車場まで二人を見送った。背後でザシキワラシに何度かはしゃがれて、そのたびに踏まれたカエルのような声が出た。
運転席から顔をのぞかせ、銀之介が憐憫に満ちた表情を作る。
「屋敷には結界が張られています。中にいる限り、ザシキワラシさんが逃げ出すこともないと思いますが。もう面倒だったら、糸で縛り上げても構いませんよ」
表情の割に、言うことはえげつない。鈴緒も思わず眉を潜める。
「子どもにひどいことしちゃ、いけません」
「そーだー、ぎゃくたいだー」
ザシキワラシも同調する。甲高い非難の声に、助手席の金次郎は肩をすくめた。
「見た目は子どもじゃが、ワシより年上だと思うぞ」
「オゥ。中はカピカピのミイラでしたか」
どうりで大きさの割に軽いわけだ、と納得する。




