24 正美と呼ばないで
驚いて目を開ければ、障子のすき間から、女の子が顔をのぞかせていた。おかっぱ頭に、少し色褪せた着物姿の女の子だった。背丈は、鈴緒よりやや低いぐらいか。
「ひぇっ」
裏返った声を上げて、鈴緒は慌てて身を起こした。はずみで、彼女の額が銀之介の鼻っ柱にぶつかる。勢いよく。
声も出ずに、銀之介はそのまま畳へ横倒しとなった。
「ごめんなさい、銀之介さん!」
額を右手でさすりながら、低くうめく彼の背中を左手でさする。
間の抜けたやり取りをする二人を見て、女の子はまた甲高い声で笑った。
「やーい、やーい! やらしいことするから、バチが当たるんだよー。ざまあみろ、岩鬼―」
ドカベンの親友と揶揄され、鼻を押さえたまま銀之介も起き上がる。確かに少し似ているかもしれない、と彼へ眼鏡を返しながら、鈴緒も胸中で納得した。
「ザシキワラシさん。人の濡れ場をのぞくもんじゃありません」
銀之介の反論には、色々と言いたいことがあったが。
「この子が、ザシキワラジさんですか? 牧音さんが追いかけていた?」
まず食いつくべきは、女の子の名前であった。まじまじと見るも、服装をのぞけば、その辺りの子どもと大差ない。
しかし銀之介は、一つうなずいて肯定。続いて人差し指を立て、いつかのごとく教え子を諭すような口調となる。
「ワラジじゃなくて、ワラシですね」
「ザシキ、ワラシさんか?」
復唱すれば、満足げな笑みが浮かべられた。
「はい、よくできました。子どもの魂から生まれた、と言われる化生ですね。見た目も中身も……この通りでして。異界から連れ戻して、正気に戻してもこの有様です」
説明しながら、徐々に肩を落とす。鈴緒をからかっていた時には見受けられなかった疲労が、その岩鬼面に浮かんでいる。なかなか、この化生の女児に振り回されているらしい。
銀之介が哀れに思え、鈴緒は出来る限り怖い顔でザシキワラシを見据える。
「お兄さんを困らせるの、だめですっ」
めっと叱るも、着物の袂を振り回し、ザシキワラシは平然としている。
「こわくないもーん、平ら胸のお姉ちゃんなんか!」
「たッ?」
目を白黒させながらも、鈴緒は咄嗟に、胸の前で腕を交差させる。
肩を落としていた銀之介が、ゆるゆると顔を持ち上げた。腕で隠された、鈴緒の胸元へ視線を移す。続いてしみじみと、自分の手を見下ろした。
「うん、確かに小さかった」
「ひどい!」
どこか感慨深げな声音で呟かれ、鈴緒は涙混じりに怒鳴った。
ヒステリックにがなる彼女へ、ザシキワラシが追撃する。小さな指で鈴緒を指さし、飛び跳ねて嘲笑した。
「やーい、胸平ら、ムネ・タイラー! エアロ・スミスのボーカルの娘!」
意外に博識である化生へ驚くと同時に、岩鬼以上に貶められている気がした。
「あなたたち、最低ッ!」
鈴緒は赤い糸を繰り、自分を指さすザシキワラシの腕を捻り上げ、ついでに銀之介も締め上げようとした。
だが、途中で頭を殴打されたような痛みが訪れ、額を押さえて思わずうずくまる。
シトリ糸はぶつ切りになって消えた。靄となって消えゆく糸へ目もくれず、銀之介は鈴緒を抱え起こす。
「無理しないで下さい。異界では、ずいぶんと頑張られたんでしょう?」
「はい、でもあなたも悪い」
「ですね。すみません、浮かれていました」
からかいは鳴りを潜め、銀之介は苦々しさの混じった表情を浮かべている。心配してくれている事実は、頭痛を吹き飛ばしてはくれないものの、束の間忘れさせてくれる程に嬉しかった。
根っこが子供であるザシキワラシも、銀之介の肩越しに鈴緒をのぞきこむ。あどけない顔立ちは、間近に見ても人の子と大差なかった。
「お姉ちゃんは、病気だったの? うるさくしてごめんね」
「大丈夫、疲れているだけ。寝れば元気です」
シュンとなった化生へ笑い返し、鈴緒は彼女を追いかけていた二人組を思い出す。
「牧音さんと繰生さんは? 元気ですか?」
銀之介へ問えば、なんとも渋い顔で見下ろされた。
「はい、殺してもくたばらない程に。ザシキワラシさんの家主さんへ報告すると、先に自宅へ帰りましたよ」
どうやら彼は、二人──というか牧音が苦手あるいは嫌い、らしい。どちらも我が強いためだろう、と鈴緒は分析した。
それを口に出す代わりに、穏やかな声で彼女の功績を語る。
「牧音さんと繰生さんに、とても助けてもらいました。ありがとう、言いたいです」
「ああ、繰生君から聞きましたよ。鈴緒さんも、大活躍だったそうですね」
「ううん。最初は何も出来なくて、牧音さんのお守り石なければ、オダブツでした」
冗談めかして肩をすくめる。
しかし、銀之介が固まった。
眼鏡の奥の目は、困惑するように少し揺れていた。
「……お守り石?」
沈黙の末、彼が絞り出した問いは、これだった。
驚く理由が分からず、鈴緒も戸惑いつつ首肯する。
「はい。ツチグモを、跳ね飛ばしてくれました」
「お守り石に、そんな力はありません」
金剛石のような声音で、きっぱりと否定された。
「持ち主を化生から隠したり、危険を知らせたり……お守り石に出来ることは、その程度のものです。そもそも牧音さんは、お守り石を持っていないはずです」
鈴緒は混乱した。痛みでうずく額をさすりつつ、おろおろと視線を彷徨わせる。
「だけど、牧音さんは、指輪を呼んでました。お守り石と」
事実その指輪に、助けられたのだ。
彼女と同じように、銀之介も混乱している様子だった。落ち着かない様子で、頑健な顎を撫でた。
そして自分の肩につかまる、ザシキワラシを見た。
「ああ、そうか……アガシオンか……」
きょとんとする化生を見下ろしたまま、銀之介はぼんやりと、呪文のような言葉を口にした。
「どうしました?」
鈴緒も、どこか上の空の彼をのぞきこんだ。
目が合うや否や、大きな両手で肩を掴まれる。
「その指輪ですよ」
「えっ? です、とは?」
「『異なる者』の正体が、その指輪なんですよ。それならば、彼女が家から逃げ出した理由も分かる!」
銀之介が指さしたのは、ザシキワラシ。きょとん、と小さな頭を傾けている。
彼女は、牧音の隣家に宿る存在だ。
記憶の中にある島内地図を思い返し、鈴緒もあ、と声を上げる。
化生が狂った一帯には、二軒の「日向」が隣接していた。
一軒はここ、本家。
そしてもう一軒は、牧音の家だ。




