22 やくそく
夢の続きを、見ていた。
今度も鈴緒は、狭く暗い中にいた。しかし三角座りをする自分が、自らその暗所に引きこもっていることは分かった。
ガタリと音を立て、暗所に光が入り込んだ。
暗闇に慣れていた目が、チカチカと痛い。細めた目で光の方を見れば、あの少年が膝立ちでこちらを見下ろしていた。
「押し入れに入って、何やってんだよ」
少年は少し、困り顔だった。
そんな顔にさせているのは自分である、と感じて罪悪感を覚えるも、幼い鈴緒はそっぽを向いた。
「だって、おかあさんが、おくににかえるって……」
押し入れの壁をにらんだまま、うわずった声で呟く。
当時は幼子であったため、そうなった経緯までは分からない。
父の仕事か、はたまた周囲の環境か。
それとも、両親には見えない化生に怯える娘を、彼らが案じたからか。
きっかけは定かでないものの、鈴緒は両親と共に、イギリスへ帰国することになっていた。
イギリスには、母方の祖父母や親戚もいる。いじめっ子もいるが、彼らはこちらにだって豊富に揃っている。
だが鈴緒が慕う少年は、この島にしかいない。
そのため彼女は押し入れへ引きこもり、「帰ってなるものか」と意思表示をしていた。
当の少年は、鈴緒の幼い恋心を理解しているのかしていないのか。
いずれにせよ、
「ふてくされてもいいけど、おれの部屋使うなよ」
「うわっ」
鈴緒の首根っこを掴み、易々と引きずり出した。そして自分の膝へ彼女を乗せ、呆れ顔を浮かべる。
「お前の親父さんの部屋でやれよ? 帰るって言いだしたの、親父さんじゃん」
「おとうさんのおへや、きたない」
物であふれかえった部屋を思い返し、鈴緒は頬を膨らませた。それもそうだ、と少年も笑う。
そして自分のシャツの、襟元へ腕を突っ込む。そして何かを、引っ張り上げる動作をした。
取り出されたのは、無骨な形の煙水晶がぶら下がった、飾り気のないペンダント。
「お守り石だ。お前にやる」
ぶっきらぼうな調子で、少年は鈴緒の小さな首に、それを飾った。
「あっちでも、その石がなんとかしてくれる。だから心配すんな」
「やだっ」
精一杯の真心を、鈴緒は首を振ってはねつけた。
少年は、一瞬だけ傷ついた顔になった。それに怯みかけるも、鈴緒は金切声で主張する。
「おにいちゃんがいい! おにいちゃんといっしょがいい!」
「わがまま言うんじゃねえ。親と一緒の方が、いいに決まってるだろ」
しかし、ピシャリとたしなめられた。
強い語調に、泣き虫の鈴緒はすぐさま目を潤ませた。
だが、それ以上の説教はなかった。
代わりに両頬へ手が添えられた。鈴緒の顔を挟み込んだまま、少年はじっと、彼女を真正面に見つめる。
「おれがデカくなったら、むかえに行ってやる」
「ほんと?」
どんぐり眼を更に大きく見開けば、にっかりと笑顔が返された。
笑顔のまま、少年は鈴緒の傍らへ顎をしゃくる。そこには、彼女の愛用の人形があった。人形のドレスは、少年のおかげで元通りになっている。
「あと、こいつみたいな服も、タンスいっぱいに作ってやる」
夢みたいな約束だ。鈴緒の表情が、うっすらと輝く。
「ほんとのほんと?」
「本当だって。おれがうそついたことあるか?」
考えるまでもない問いだった。
「ない!」
バラ色の頬で、鈴緒は力強く笑った。
意識はそこで、ゆっくりと浮上する。
長い長い潜水を終え、地上へ戻ってきたような虚脱感があった。全身が重い。
開かれることを拒否するまぶたに抗って目を開ければ、もはや見慣れた天井があった。
日向邸での、自分の部屋だ。幼い記憶が確かならば、ここは両親と共に寝室として利用していた部屋のはずだ。
続いて視線を、下方へ移す。こちらも見慣れた、ビタミンカラーの羽毛布団が視線に飛び込んでくる。
ようやく自分が、布団に寝かされているのだと理解した。掛け布団をかすかに持ち上げて中をのぞけば、ご丁寧にパジャマへ着替えさせられていた。
気恥ずかしさはあるものの、砂まみれだった服で寝かされているよりずっといい。
自分の状態を理解し、鈴緒は続いて視線を部屋中へ巡らせた。
まず、壁際のテレビに目が行く。電源は入っていない。
続いて机を見上げた。机の本棚には、お守り石の欠片が入った小瓶が飾られている。
最後に窓を見る。レースカーテンの引かれた窓の真下に、うつむいた銀之介がいた。
眼鏡をかけたその顔には、少年時代の面影が……あまりない。
目付きの悪さこそ変わっていないものの、昔はもっと線が細かった。どうしてここまで大きく、いかつくなってしまったのか。
その容姿で、編み物の本を読んでいるのだから、笑ってしまう。
事実、鈴緒はつい吹き出した。
小さな笑い声で、気付いたらしい。銀之介も跳ねるように顔を持ち上げた。
クスクスと笑う鈴緒を見とめ、幾分ホッとした表情を見せる。
そして口を開こうとした。
「鈴緒さ──」
「嘘つき」
「え?」
彼を遮って、鈴緒が言葉を紡いだ。
呆気に取られる彼をいたずらっぽく見つめたまま、彼女は続ける。
「嘘つき。初恋の人にお守り石、あげていない」
わずかに眼鏡をずり下げて、銀之介は数度目をまたたいた。
しばし固まった後、彼ははにかんだ。
「思い出して、くれたんですね」
鈴緒もうっすらと頬を紅潮させて、笑い返す。




