21 鳥虫戯画
※ちょっとだけ流血描写がございます。ご注意ください。
脚を一本失っているのに、ツチグモは速かった。
輪をかけて厄介なことに、化生の向かう先は──
「あの先にあるの、鏡の入り口じゃない! おいロンドン!」
先頭を走る牧音がツチグモへ、続いて鈴緒へ鋭い眼差しを飛ばす。
「あんたの糸で、あいつをくくりつけろよ!」
白い頬を赤く染め、上がった息で鈴緒が反論した。
「む、むむっ、無理、です! 速い、大きい、力は強い!」
「うまい、太い、大きい、みたいな言い方してんじゃないよ! 役立たず!」
がなった牧音は、今度は真後ろの繰生を見据える。
「お札も使い切っちゃった」
繰生は肩をすくめ、ちろりと舌を出す。牧音は無言であったものの、今まで見たどの怒り顔よりも、恐ろしい表情を浮かべていた。
解決策も見いだせぬまま、追いつけぬまま、ツチグモを闇雲に追う。
しかし、鏡へ通じる雑木林の入り口には、人影が立っていた。
上背のある、肩の広い人影が、仁王立ちをしていた。
ノンフレームの眼鏡を光らせて、その人影はニヤリと笑んでいた。
不遜この上ない表情を見とめ、鈴緒は疲れた顔を輝かせる。
人影は、銀之介だった。今度こそ正真正銘、本物だ。
偽物はあんな、悪い顔をしないに決まっている。
失った脚からは体液を垂れ流し、残った脚を素早く動かして、ツチグモは銀之介目がけて突進する。
彼が逃げる、あるいは怯む、と判断したのだろう。
だが銀之介は、巨大なクモを真正面から受け止めた。
大きな顎が胴に食らいついたものの、両手を突き出して、ツチグモの前脚を押さえこんだ。
砂煙を上げて、ツチグモはつんのめる。
なおも前進しようとするが、踏ん張る銀之介は動かない。腰を落とし、両足で堪える。
力むたびに、顎が突き刺さる腹部から血が吹き上がった。
「金次郎さん!」
その彼が叫ぶ。
同時に、雑木林から小さな影が飛び出した。金次郎だ。
彼は腕に烏──狩穂を止まらせていた。
「よし、任された!」
覇気に満ちた声で応じるや否や、金次郎は狩穂を飛ばした。
飛び上がり、空を一度旋回すると、狩穂の体が膨らんだ。体だけでなく羽の一枚一枚まで、見る見るうちに巨大化する。まるで水に戻した、乾燥ワカメだ。
そして狩穂は、ツチグモと大差ない大きさになった。そのまま、前へ進もうともがいているツチグモの横っ面へ食らいつく。
鋭いクチバシに突き上げられ、ツチグモはとうとう倒れた。
それでも最後の力を振り絞り、七本の脚をやたらめったらに振り回すも、全て防がれる。加えて、クチバシでつつき返されていた。
まるで怪獣対決だ、と鈴緒は疲労困憊の頭で考えた。
お互いの生存権利を賭けた攻防戦であるはずだが、スケールが大きすぎると滑稽ですらあった。化生が相手だから仕方ないのだろうが、現実感に乏しいのだ。
ふと斜め前を見れば、牧音と繰生もどこか呆けた顔で、その光景を眺めていた。
鈴緒にも、脱力したい気持ちは分かる。あんな大物相手に、こちらは三人がかりで死に物狂いの戦いをしたのだ。
なのに先代守り人は、巨大カラスで簡単に撃退した。はっきり言ってずるい。
ずるいな、といつになく凛々しい祖父を苦笑交じりに見つめ、そして最後に銀之介を見た。
腹を押さえてうずくまっていた彼だったが、鈴緒の視線に気付いたらしい。
慌てたように立ち上がり、腕を上げようとして顔を引きつらせていた。まだ、両脇腹の傷は癒えていないらしい。
血の気を失った顔には、返り血も飛んでいた。眼鏡も汚れ、凄惨極まりない有様となっている。
それでも焦る彼の様子が愛おしく、鈴緒はクスリと笑う。
笑ったままの表情で体をぐらつかせ、膝を落とした。
膝だけでなく、全身から力が抜け落ちていた。
ざわつく草の上に、体を放り投げる形で倒れ込む。
どうやら、張り切り過ぎたらしい。
「鈴緒!」
誰かに呼ばれた気もしたが、それを確認する間もなく、鈴緒の意識は暗転した。




