20 突貫工事の共同作業
ツチグモの存在感に怖気づいた鈴緒の前へ、牧音と繰生が躍り出る。
「繰生!」
「合点承知ノ介でさぁ!」
鋭く叫ぶと共に、牧音が光る何かを投げる。それを能天気に、繰生が受け取った。
投げられたものは、指輪だった。大きな赤石が中央にはめられた、古めかしい意匠のものだ。
ツチグモが人面樹から飛び降りると同時に、繰生が指輪を小指へはめる。
そして大きく踏み出し、その手をツチグモへかざした。
ツチグモは手近な繰生へ、まず牙を剥けた。だが彼へ肉薄した途端にバチンッ、と大きな破裂音がした。
黒い光が、化生の巨大な顎を跳ね返した音だった。
巨体は勢いよく跳ね返され、後方へ一回転した。
霧の黄色すら飲み込む黒い輝きに、鈴緒はただただポカンとなる。
「あの指輪、お守り石がはまってんだよ」
腰を抜かす鈴緒へ、牧音が言葉少なに解説した。しながら、ジャージのジップを降ろす。
黒いジャージが翻り、牧音の引き締まった体に巻き付く、革製のサスペンダーが見えた。
そのサスペンダーには、軍人よろしくナイフが装着されていた。手慣れた動作で、彼女はそれを抜き放つ。
「ほらほらぁ! 来いよ、化け物。日向家伝来のお守り刀で、お前を賽の目にしてやるよ!」
ナイフではなく小刀──らしい──をちらつかせて舌なめずりする牧音は、彼女への苦手意識を除外しても悪人にしか見えない。それも、かなりクレイジーな。
「相変わらず、チンピラみたいだなぁ。お父さんが見たら、泣いちゃうんじゃない?」
あっはっは、と笑い、繰生がそれを代弁する。しかし彼も指輪をかざしつつ、ポケットにねじこんでいたお札を素早く抜き取る。
お札の一枚が、投げられる。それは矢のごとく、一直線にツチグモ目がけて飛んだ。
いつかのヤマノモノのように、お札を貼られたツチグモは悶絶した。
そこへ小刀を構えた牧音が接近する。距離を詰めつつ、ツチグモの動きを読み、長い脚をかわしながら一閃した。
白く光る刃が、虎模様を斬った。しかし、いかんせん刃渡りが短い。何より、ツチグモが大きい。微々たる一撃だった。
素早い足さばきで再び距離を取り、牧音も舌打ちをする。
「日本刀どころか、薙刀でも持ってくりゃ良かったよ。こんなデカブツ相手じゃ、割に合わない」
痛いじゃないか、程度のリアクションしか取っていないツチグモへ毒づきつつ、更に後退する。
だが、彼女は再び顔をしかめた。全身を走る違和感に、ようやく気付いた。
さっと顔を四方へ振り、ますます牧音は顔を強張らせる。
彼女の全身に、赤い糸が結び付けられていた。
「何しやがんだよ、ロンドン野郎!」
糸の出所である鈴緒へ、唾を飛ばして怒鳴りつける。
震える足を叱咤しながら、鈴緒は彼女のすぐ後ろに立っていた。両手の先から発現させた糸を引き絞り、自身も声を絞り出す。
「あたしが、助太刀です。牧音さんの、お助けです」
「は? 生まれたての鹿みたいな足して、何言ってんの? 余計なことすんじゃ──」
「慣れてます! 手数で攻めるキャラを、何度も使ってるのだ!」
声を張った鈴緒へ、牧音も呆気に取られる。
「キャラって……これは、現実なんだけど」
「大丈夫! 最近のゲーム、性能すごい!」
やや斜め上方の反論と共に、鈴緒が両手で大きく円を描く。
途端、牧音が跳んだ。
「うぎゃあああ!」
美少女面に似つかわしくない悲鳴を上げる彼女だったが、その身体だけは雄々しく動く。
跳躍し、ツチグモの顔面へ着地し、その目を刺す。
表皮を斬られた時の比ではない悲鳴が、ツチグモからも上がる。
痛みに暴れる化生から、鈴緒操る牧音は再び大きな跳躍で離脱した。目から体液を流し、痛みと怒りに任せてツチグモが、彼女を追撃する。
牧音は軽やかに後転して避ける。
この間に、繰生が再びお札を投げつける。
お札で再び痺れた身体を、くるくると舞う牧音が斬り、そして刺す。関節部を的確に狙い、徐々にツチグモの動きを縛り付けて行く。
「うわー、牧音ちゃんが忍者みたい」
鈴緒の元へツチグモが来ないよう指輪をかざし、繰生が呑気に感動した。
全神経を最大まで稼働させ、鈴緒も牧音を操る。体格の違い故か、銀之介と違いフワフワと浮ついた操作感があった。それに引きずられないよう、指先に全てを注ぎ込む。玉の汗が、白い額に浮いていた。
いつしか、足の震えも消え去っていた。
「牧音さんは、一姫に似ている」
吐息と一緒にこぼれ出た呟きに、繰生がにんまりと笑った。
「あー、『ファイターズ・クロニクル』だよね? 僕も好きなんだー。一姫って、手数が多いから強いよね」
「さすがです! あたしも一姫に、いつも困ってます!」
「そうそう。対戦とかで使われると、また厄介なんだ」
「ハメ技多い、とても困りますね」
「ねー」
思わぬところで同志を見つけ、鈴緒は汗だくで笑った。
「ふざけんなよぉ! 何のんきにしゃべくってんだよ、コラァ!」
しかし、前線で飛び跳ねている牧音が激怒した。それはそうだろう。彼女は短い刃で、ツチグモの顎と競り合っているのだから。
「こっちはさっきから、何度も死期を悟ってんだよぉ! もっと真面目に戦え、ロンドン! 繰生!」
「ごっ、めんなさい!」
「ごめーん」
委縮した鈴緒と、能天気に頭をかく繰生が、異口同音に謝る。
しかし謝りつつも鈴緒は休むことなく両手をひらめかせ、そしてツチグモを見事にいなした。
大きく左右に開いたツチグモの顎が、空振りする。化生の視線が逸れた隙に、牧音の体が軽やかに旋回した。
勢いを付けての一斬りは、ツチグモの脚を一本切断した。
薄緑色の体液が、スプリンクラーのように吹き出す。
「オゥ……」
「うわ、汚い!」
顔をしかめた鈴緒の支配が揺らぎ、牧音は悪態を付きながら、自主的に飛び退った。
その間に、バランスの崩れた身体を揺らし、ツチグモが痛みにうごめく。
だが、動きが途中で止まった。
鈴緒たちへ背を向ける形に方向転換するや否や、残った七本の脚を素早く動かす。
そしてそのまま、逃走した。思わず、少年少女たちは声を上げた。
「えー、まだ動けるの? もう止めようよー」
「どんだけタフなんだよ! おいコラ、待てぇ!」
うんざりしている繰生を引っ立て、相変わらず口の悪い牧音がそれを追う。
「牧音さんも、とても頑丈……」
小さな声で鈴緒もぼやき、二人を慌てて追いかける。長い時間糸を使い続けていたためか、全身が汗だくである上に重い。
しかし二人に置いて行かれる恐怖が先行し、足を叱咤して走る。




