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2 大きな屋敷の小さな老人

 山道を抜けて、車が到着したのは平屋建ての大きな日本家屋だった。周囲は掃き清められており、垣根からのぞく松の木も手入れが施されている。

「ワーォ、素敵(グレート)!」

 鈴緒にとっては異国情緒あふれる住居に、声を跳ねさせる。

 子供のように浮かれる彼女を見下ろし、銀之介はどこか誇らしげに車を裏手へ回す。

「こちらが、鈴緒さんの新しいお家ですよ」

 敷地の裏側も、丹念に手入れされていた。青々とした苔の生す涼しげな風景に、鈴緒は何度も辺りを見回している。

「大きいですね。地図ありますか?」

「ええ、島内の地図でしたら、おそらく。一応、観光地でもありますので……ただ、家にあったかな」

 理知的な顔を一時緩め、銀之介はぼんやりと視線を上へ向ける。

 車から飛び降りた鈴緒は、考え中の彼へ首を振った。

「ノー。このお家の、地図が欲しいです」

 車の荷室からトランクを降ろしていた銀之介は、真剣な顔で日向邸を指さす鈴緒に笑った。

「残念ながら、ございません。大丈夫です、その内覚えますよ」

「カラクリは……」

「ありませんよ。代わりに襖だけは、たんまりあります」

「フスマ?」

分厚い紙製の扉ですシック・ペイパード・ドア。これを取っ払えば、パーティーも出来ますよ」

 知識階級然とした見た目に違わず、銀之介の発音は滑らかだった。

「ワォ!」

 軽やかな歓声を上げ、鈴緒は垣根を伝って門前まで走る。

 重さを感じさせずにトランクを持ちあげた銀之介も、小さく微笑みながらそれを追った。


「鈴緒さん。止まって下さい」

「はい?」

 木造の古めかしい門戸をくぐり、庭を見渡していた鈴緒へ、銀之介は手招きする。

 そして彼は、庭の片隅に設けられた、石造りの小さなお堂の前にしゃがみこんだ。

「こちらに日向家の、守り神様が住んでいます」

 熱心なキリスト教徒でもない鈴緒に、異教への抵抗はない。銀之介の隣にしゃがみこみ、年季の入った半球形のお堂を、ためつすがめつ眺める。

「守り神は、どういう人ですか?」

「猫の神様だと伝えられています」

「猫? 猫大好き!」

「それならきっと、アオネコ様も鈴緒さんを好きになってくれますね」

 アオネコが、この守り神の名前だという。銀之介曰く、かつてこの島を治めていた日向家を支えつつ、道を踏み外さぬよう律してくれた、有難い猫神らしい。

「猫も神様になるのですね。日本はすごいです」

「恐縮です。ご挨拶も兼ねて、お祈りしていきましょう」

 銀之介にならい、鈴緒も手を合わせて黙祷を捧げる。

 祈りの形式も分からないので、彼女は心中で名を名乗った。

 続いて、ここで暮らす旨も報告する。

 初対面が肝心なのだ、と父から散々教えられてきたのだ。


──チリン


 かすかに聞こえたその音に、鈴緒は顔を上げ、周囲を見回した。

 しかしあるものといえば、池まで備えられた庭に、驚いた様子の銀之介と、すっかり忘れていた己の荷物であった。

 表情を整え、銀之介は鈴緒をのぞきこむ。

「どうしました?」

「いいえ、何もないです。大丈夫です」

 何かの聞き間違い、あるいは虫の鳴き声だろうと結論付ける。

 鈴緒は笑って、銀之介からトランクを受け取ろうとするが、

「レディ・ファーストですので」

「ありがとうです」

そつなく微笑まれ、鈴緒も素直に厚意を受け取る。

 その時だった。

「金次郎さん! あなた、何を考えているんですかッ!」

 二人をなぎ倒さんばかりの怒声が、屋敷内から飛んできた。今度は聞き間違いなどでは、絶対ない。


不銅(ふどう)さんの声ですね」

 大音声にも怯むことなく、むしろ銀之介は、呆れたように肩をすくめる。

 彼の様子から危険は少ないと判断し、鈴緒も身をすくめることを止めた。代わりに、銀之介を仰ぎ見る。

「フドーさんは、誰ですか?」

「鈴緒さんのお父さんの、従兄ですよ」

「怖い人ですか?」

 長身の銀之介をずっと見上げていると、首がムチウチになりそうだ。

「いえ。普段は静かな人ですよ。今は少し、金次郎さんと喧嘩をしておりまして……鈴緒さん、無理して俺の顔を見なくていいですから」

 つま先立ちで自分を見上げる彼女に、銀之介は忍び笑いをこぼす。

 かかとを石畳に乗せたものの、鈴緒は不満げに口をすぼめた。

「顔を見ないお喋りは、難しいです」

「それでは、中に入りましょうか。座ればまだマシでしょう」

「フドーさん、怒りませんか?」

「怒られているのは金次郎さんなので、俺たちは安全です」

 一瞬躊躇したものの、それなら、と鈴緒も銀之介に続く。

 山の中だからだろうか。家屋の中も、ひんやりとした空気に包まれていた。全てが木製の屋内に、鈴緒は再び小さな歓声を上げる。

 ペリドットのような瞳を輝かせる彼女を、銀之介は微笑ましげに見下ろしていたのだが。

 再び、男の怒鳴り声が飛んでくる。

「鈴緒ちゃんにとって、この島は危険ですよ! 彼女は小さな頃、化生(けしょう)が見えていたじゃありませんか!」

「だからと言って、孫を東南アジアの僻地に送るのが優しさか? どんな病気に罹るか、分かったもんじゃないぞ! 治安だって、お世辞にも良いとは言い難い。それなら化生がうろつくこの島の方が、いくらか安全じゃ」

 それに反論するのは、少ししわがれた声。恐らく、金次郎のものだろう。

 早口で応酬する二人の言葉を、鈴緒は正確に聞き取れなかった。ただ、どうやら自分が議論の的である、ということだけは判断できた。

 次いで、聞き慣れぬ単語を耳にした。化生、とは何なのだろうか。

 不安顔になった彼女に気付いたのだろう。銀之介が二人分のスリッパを用意しながら、こっそり耳打ちしてくれる。

「化生は、お化けみたいなものです。年配の方が信じている、迷信ですよ」

「信心深いのですね」

「そうですね。不銅さんも、鈴緒さんがお化けにだまされないか、心配しているようですよ」

 半端に日本語を操っている立場として、銀之介の言葉を裏付けるものはない。

 しかし、このまま玄関で棒立ちになっていても仕方ないので、彼の保証を信じて廊下へ上がる。

「金次郎さんへの挨拶は、後回しにした方が良いでしょうね」

 声が漏れる一室へ視線を巡らせ、銀之介はそう口にした。

 しかし、その呟きを耳ざとく聞きつけたらしい。

「なんじゃ銀之介? 戻ったのか?」

 先ほどのしわがれ声が、間髪入れずに問いかけて来た。

 鈴緒が知らずに背筋を伸ばすと同時に、締め切られていた障子が開く。

 顔をのぞかせたのは、薄くなった白髪にブラシ型の白い口髭を生やした、小柄な老人だった。あずき色の着物がよく似合っている。

 おぼろげではあるが、鈴緒の脳裏にも記憶されている顔だ。

 当の老人は、もっとはっきり鈴緒を認識できたらしい。彼女を銀之介越しに見とめると、たちまち破顔した。

「おお、鈴緒! 待っとったぞー!」

「お久しぶりで、わぷっ」

 かしこまった挨拶の途上で、思いきり抱きしめられる。驚くと同時に、歓迎されているようだ、と実感できた。

「大きくなったのー! セリーナさんによく似て、別嬪に育っとるじゃないか! 安心したぞ!」

 孫娘を抱きしめつつ、栗色の猫っ毛を撫でくり回しつつ、金次郎は明るい声で言った。なおセリーナとは、鈴緒の母の名前だ。

 祖父の台詞をくすぐったそうに受け取りながら、彼女ははにかんだ。

「おじいちゃんは、あまり、変わってないですね?」

 あえて言うならば、記憶にあるよりも頭髪が薄い。だが、それは言わぬが花だろう。

「ワハハ! ここまで年寄りになれば、十年やそこらで大して変わらんのじゃよ。ところでお前、銀之介に意地悪はされんかったかね?」

「するわけないでしょう。心外です」

 背後から、ムッとした声が聞こえた。しかし銀之介を仰ぎ見れば、顔は困ったような笑顔だった。本気ではないらしい。

 続いてこっそり、金次郎が飛び出してきた部屋の中を見る。

 硬い表情の中年男性が、ちらちらとこちらを伺っていた。彼が不銅だろう。束の間視線が交差し、さり気なく目をそらす。

 金次郎も不銅の視線を思い出したらしい。名残惜しそうに、鈴緒を解放する。

「うっかりしておった。ワシは少しばかり、野暮用があっての。部屋で待っておってくれんか?」

「うん、分かりました」

 殊勝にうなずく鈴緒へ、金次郎はすかさずニヤリと笑う。

「ゲーム機も、準備しておるぞ」

本当(リアリィ)ッ?」

 目を真ん丸にして、鈴緒は飛び跳ねた。頬もうっすら紅潮している。

 嬉しくてたまらない、と言わんばかりの反応に、金次郎と銀之介はプッと吹き出した。

「焦らんでも、あれはお前さんのものじゃよ。銀之介、部屋まで案内してやりなさい」

「はい」

 トランク片手に歩きだした銀之介を、鈴緒はせわしなく追いかけた。


 彼女の部屋は奥まった場所にあったものの、日当たりの良い一室だった。

 畳の新鮮な匂いが充満するその部屋には、鈴緒が先立って送った荷物が届いている。

 とはいえ引っ越しになれた身の上なので、段ボールの数は必要最低限であるが。

 室内には他にも、勉強机一式に本棚、タンスも用意されている。どれも新品らしい。

 そして壁の一辺にはテレビと、接続済みのゲーム機まで置かれていた。

 ヨーロッパでも鈴緒が愛用していた、「ティン・トイ・ボックス」という名称の家庭用ゲーム機だ。

 至れり尽くせりの光景に、鈴緒はくらりと眩暈を覚える。

「日本人の、おもてなしの心、容赦ないです」

「恐縮です。鈴緒さんの部屋なので、好きに使って下さい」

 クツクツと笑いながら、銀之介はいつの間にか用意していた雑巾で、彼女のトランクの車輪を拭いている。

 汚れの取れたそれを部屋の隅に置きながら、銀之介は静かに障子へ手を伸ばす。

「それでは、ごゆっくり」

「銀之介さん、ありがとう!」

 笑顔が返される。そしてゆっくりと、障子は閉じられた。

 改めて、鈴緒は部屋を見渡す。

 ロンドンから持ち込んだ私物と、真新しい家具の香りが混ざり合う空間は、くすぐったくも居心地の良いものに思えた。

「でも。まずはゲーム!」

 レザージャケットを放り投げて、トランクを漁る。

 目ぼしいゲームソフトは、インターネットを通じて購入済みだ。

 日本版ティン・トイ・ボックス用のゲームソフトを購入している辺り、彼女のマニアっぷりがうかがえる。

 数本あるソフトの内、彼女がパッケージを開いたものは『ファイターズ・クロニクル』という格闘ゲームだった。

 格闘ゲームに、育成要素とロールプレイングゲーム要素が盛り込まれた「育成型格闘年代記ゲーム」というジャンルらしいのだが……それはこの際関係ない。

 重要なのは、彼女がこれの大ファンである、ということだ。ヨーロッパ版もやり込んでおり、それが原因でしばしば親に怒られていた。

「そういえば」

 ティン・トイ・ボックスを起動させながら、パッケージを見返す。

 二手に分かれた登場人物が、互いににらみ合っていた。右側が主人公チーム、左側が悪役チームだ。鈴緒の視線は、右側にいる短髪の青年に注がれていた。

「銀之介さんは、右近さんに似ている、かも」

 白いコートをなびかせた、鈴緒愛用のキャラクターを見下ろし、同時に気のいい秘書を思い出す。

 ガタイの良さや雰囲気といい、眼鏡といい、どことなく共通点があった。出会った時に覚えた既視感の原因は、これだろうか。

 とはいえゲームのキャラクターに類似していると言われ、喜ぶ人間は少ない。鈴緒自身、「ディズニー映画や、『トムとジェリー』に出て来そうな顔だ」とからかわれ、憤慨した経験が何度かある。

 その感想は心に留め、ゲームを起動させる。

 すぐさま難易度を最大まで引き上げ、嬉々としてコントローラーを握り直した。


 格闘ゲームモードを楽しみつつ、育成モードで右近を鍛え直しつつ、一時間ほど潰す。

 日本とヨーロッパでは、言語も違えば電化製品の規格も違う。ゲーム機やソフトも、相互干渉が出来ないのだ。

 よってデータも引き継げないのだが、まっさらな状態からやり直すのも一興だった。

 加えて登場人物の声も、ヨーロッパ版とは異なるため、何かと新鮮だ。右近の声が、日本版では若々しい点も驚きであった。

「ヨーロッパに行って、老けたんですね。苦労したのですね、右近さん」

 何かを納得し、頷いている鈴緒の耳に、外からの声が届いた。

「おぉーい、鈴緒やー」

 かすかに聞こえるそれは、金次郎のものだった。

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