表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
シトリヒメの赤い糸と、眼鏡のお守り人形  作者: 依馬 亜連
本編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/39

17 落ちるはアリスのごとく

 暗い穴を、ずんずん落ちて行く。

 穴の入口も出口も、もはや分からない。

 それでも、己を捕まえようとする何かの感触だけは確かに存在し、四方八方から彼女を襲う。鈴緒は赤い糸を織り込み、網を作って自分を守った。傍から見れば、それは赤い繭のようだった。

 何重にも重ねたシトリ糸の中で、見えない脅威と、そしていつか来る終着点の衝撃に怯える。

 自分を捕まえんとする脅威は、徐々に遠ざかった。

 だが、穴の終わりは見えなかった。

 繭にくるまったまま、いつしか鈴緒の意識は途切れがちになっていた。現実逃避をするように。

 そして、うたた寝の中で夢を見た。



 夢の中で、自分は小さな子供だった。今でも平均よりはずっと小さいが、おねしょをしても、駄々をこねても許されるぐらいに小さい。

 幼子の自分は、あの秘密基地めいた砂浜で号泣していた。

 落とし穴に落とされたのだ。

 作り主は、島の子どもたちだった。幼い鈴緒と同世代あるいは少々年長の彼らは、見た目そのものが異分子である彼女を容赦なく攻撃した。数の暴力である。

「帰れよ、外人! 気持ちわるいんだよー!」

「知ってるか? おまえの目な、大人になったら見えなくなるんだぜ。変な色してるもんな」

「外人のくせに、日本語しゃべってんじゃねえよ」

 罵声と共に、彼らは幼い顔へ悪意を塗りたくる。穴の底で縮こまる鈴緒目がけ、水鉄砲の水も容赦なく吹きかけていた。

「やめて、やめてぇ」

 人形を抱きしめながら、鈴緒は両手で顔をかばう。そして力なく、懇願し続けた。


 弱々しい姿がまた、彼らの嗜虐心を煽り立てるのだろう。

 一層狂気じみた笑い声を上げて、彼らは砂浜へしゃがみこんだ。

「おい、砂団子ぶつけようぜ!」

「誰が一番当てれるか、勝負だな!」

「動くんじゃねえぞ、外人!」

 鋭い命令に、喉を引くつかせて鈴緒は固まった。

 だが砂団子を振りかぶったところで、少年たちは何かに気付いたらしい。

 一斉に、遠くを見た。


「うわ、やべ」

「逃げろ、外人の手下が来た!」

 上ずった声だけ残し、逃げ出す。

 鈴緒へ向かって吹きつけていた水鉄砲や、落とし穴用に使ったスコップも放り出して。

 穴の中にいる鈴緒にとって、外界の動向は分からない。泣き腫らした赤い目で、逃げる悪ガキたちを呆然と見送った。


 人気も物音もなくなった落とし穴を、ヒョロリとした影がのぞきこんだ。

 釣り目気味の少年は、ぶっきらぼうに細い腕を伸ばす。

「おい、早く出てこいよ」

「おにいちゃん!」

 ぶわり、と再び涙をこぼしながら、鈴緒はその腕にしがみついた。

「うわ、汚えな! 鼻水つけんなよ、ばか!」

 少年は顔をしかめながらも、鈴緒を引っ張り上げてくれた。そして砂浜へ立たせ、ワンピースに付いた砂をはたき落す。

 されるがまま、鈴緒はただただ泣き続ける。

「ごめんね、おにいちゃん、ごめんね」

「おれはお前のお兄ちゃんじゃねえ。名前で呼べよ」

 しゃくり上げる鈴緒へ、少年はずっと仏頂面だった。


 だがその、年不相応に鋭い眼差しが、しばし驚きで丸くなる。

「そいつの服、破けてる」

「え? あっ、うぁ!」

 少年に指さされ、鈴緒はようやく、抱きしめていた人形へ目を落とす。驚きのあまり、涙は束の間引っ込んだ。

 お気に入りの人形のドレスは砂だらけの上、袖の縫い目が裂けていた。落とし穴へ落とされた際に、破れたのだろうか。

「だいじなドレス……おじいちゃんが、かってくれた……」

 再び、鈴緒の緑の瞳が潤み出す。だが涙がころげ落ちる前に、舌打ちの音がした。


 音の出所は、少年だった。

「それぐらい直してやるよ」

「ほんとう?」

「たぶんだけどな。母ちゃんの見てたから、たぶんできる」

 やや乱暴に、少年は彼女の頭を撫でた。そして、小さくはにかむ。

「直してやるから、さっさと泣きやめ」

「うんっ」

 小さな両手で目じりを拭い、鈴緒も大きくうなずいた。


 意地っ張りな少年は、粗野な言葉の端っこに、いつも優しさを宿していた。

 幼い鈴緒は、少年が時々見せてくれる笑顔にいつも、温かい気持ちを覚えていた。

 きっと、初恋だったのだろう。



「ばかはあたしだ。全部、忘れていた」

 淡い思いにたゆたいながら、呟きと共に目を覚ます。

 その拍子に、夢の残滓が頬を伝った。


 さり気なく彼は、ずっと意思表示をしてくれていたのだ。

 自分のことを忘れていた鈴緒へ、心を砕いてくれていた。命を賭けてまで。

 見ず知らずであるはずの彼女の両親のことも、よく知っていた。

 お守り石の由来を知らない、と言った時には、悲しげな顔も見せていた。


 懺悔の痛みと共に、柔らかな感情がじわりじわりと内に広がる。

 これが郷愁だろうか、と鈴緒はぼんやり考えた。


 だが、いつまでも物思いにふけっているわけにもいかない。

 辺りを見渡して現状を把握し、げんなりとする。

 意識を失ったためか、糸は消失していた。代わりに彼女の体は、もぞもぞと動く紫の草むらに投げ出されていた。

 まごうことなく、異界まで落とされたらしい。夢でも現実でも、今日は落ちてばかりだ。この際、転落死をしなかっただけ、よしとしよう。

 己の中でそう結論付けながら、どうしたものか、と立ち上がる。

 今回は鏡を用いての、異界渡りをしていない。

 穴から落ちてきた場合には、どのように帰るべきなのか。

「霧のかたまりに、くぐって、逃げるかな」

 辺りを漂う人面蝶から小走りで逃げつつ、かつて銀之介よりもたらされた情報を思い返す。


 彼の顔を思い出し、涙がじわりとこみ上げる。

 しかし。

「鈴緒さん」

 その心細さが呼び起こしたのか、聞き慣れた低い声が、化け物だらけの世界に響いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ