15 ピエロのサウダージ
個人的に散々な心境で出向いたというのに、国富夫人は冷たかった。
「外人の方に、守り人が務まるのですか?」
玄関に現れた鈴緒を見るなり、着物で口元を隠しながら、ぼそりと呟く。
外人、という響きに、これでも半分日本人の鈴緒は跳ね返されそうになった。
表面上は自分を受け入れた分家とも、腫れ物扱いする学校の面々とも違う、明確な嫌悪感だ。私怨混じりに怒鳴りつけてくる牧音の方が、まだ可愛らしい。
いつかの博物館のように、鈴緒の足は玄関の外へと動き出したが、寸前で留める。
隣には、鈴緒に代わって怖い顔で国富夫人を見下ろす、銀之介もいる。廊下より下段の三和土にいるというのに、それでも夫人より上背があるのだから恐ろしい。
それに、誇らしげな顔で自分を見送ってくれた、祖父を思い返す。
串間青年の際には、鈴緒を蚊帳の外に置こうとしたのに、今日は頼ってくれた。
孫を信頼してくれているのだ。
祖父の気持ちに応えたい、と鈴緒は踏ん張って笑顔をひねり出す。
「祖父から、話も聞いてます。お人形さんのところへ、案内下さい」
「嫌ね、あなた。日本語大丈夫なの?」
「だ、いじょぶです」
臭いものでも見るような目に怯みつつも、ひくついた笑みで返した。
そこへ、鷹の目になった銀之介が追撃する。
「ご心配なく。鈴緒さんは奥さんが、差別感情から『外人』と仰ったことも理解していますよ」
「さっ……私は、そんな、差別という……」
きつく結った髪がはらりと一束流れ、国富夫人は真っ赤になった。
「それで、人形はどちらへ?」
焦る夫人へ、いっそ冴え冴えとした声音で、銀之介は畳み掛ける。
うつむいた国富夫人は、指先で廊下中央の扉を指さした。
「もう、あなたたちで構わないから。さっさとどうにかして頂戴」
「それではお言葉に甘えて」
どこか空々しい笑顔を返し、銀之介は鈴緒の手を取って廊下へ上がった。
怯えた目で夫人の横を通り過ぎた彼女へ、そっと耳打ちする。
「息子さんがお嫁さんの言いなりになって、海外で結婚式をしたものだから、異様に外国嫌いなんですよ」
「嫌いの気持ちは、息子さんとお嫁さんに言うべきです」
八つ当たりもいいところである差別感情に、鈴緒も顔をしかめる。銀之介も小さく笑った。
「これが日本の伝統、嫁姑問題ですよ」
「そんな伝統、ポイだ」
「同感です」
しみじみとうなずいた銀之介が、すりガラスのはめ込まれた扉の前に立つ。
扉には化生避けのお札が、びっしりと貼りつけられていた。
それらを二人がかりではがし、ノブを回す。
そして、扉を開いた。
「化生が狂い、暴れている」という話とは異なり、室内はしんとしていた。
遮光カーテンによって日差しも遮られ、むしろ冷え冷えとした空気が漂っている。
涼やかな空気に反し、中は猥雑としている。衣装ケースや段ボール等が散乱しており、どうやら物置部屋らしい。
まず銀之介が、続いて鈴緒が、半分だけ開いた扉より体を滑り込ませた。
この間にも、異変は見当たらなかった。ごちゃごちゃとした室内をぐるりと見て、鈴緒も小首をかしげる。
「お人形さん、いない──」
「オレサマ、オ前、マルカブリィィィ!」
出し抜けに、奇声が聞こえた。しかも、すぐ足元からだった。
慌てて視線を落とせば、赤い服を着たピエロの人形がそばに立っていた。そして鈴緒の足に飛び付き、頬ずりをする。
「ムシャァァァブリツクゼェェェ! モチモチオ肌ニィィ!」
「ひゃぅっ、やっ、何これ!」
恐怖心と羞恥心がごちゃ混ぜになり、鈴緒も奇声を上げて足を振る。しかし木製の両手両足で、ピエロ人形はがっしりとしがみついたままだ。ガラス製の目をぎらつかせ、真っ赤に塗られた口の奥から、尖った歯を見せる。
「マルカブリ! マルカブリィィ!」
「いい加減にしなさい!」
鈴緒の太ももへ噛みつかんとするピエロの頭頂部に、銀之介の拳骨がめり込んだ。手慣れたものである。
殴られた拍子に、ピエロは転げ落ちた。一度床を跳ねたところを、鈴緒の赤い糸が捕捉する。
「あなた、とてもハレンチ!」
「グェッ」
真っ赤な顔で憤慨する鈴緒の、真っ赤な糸でグルグル巻きに締め上げられ、ピエロはうめく。
しかし、フーフーと唸る鈴緒は止まらない。すぐさま糸を切り離し、新たに出現させたものを 銀之介の腕へ絡みつけた。
腕は彼の胸の前で交差される。もはや恒例となっているが、両手は光っていた。
床を飛び跳ねるピエロ目がけ、交差した腕から青白い雷球が撃ち込まれた。
「必殺、ツイン・スパークス!」
諦念の顔をする銀之介の背後で、鈴緒が技名を叫ぶ。これも恒例であった。
守り人の仕置きを受けたピエロは、ガラスの目玉を裏返し、ぐったりと倒れた。
仁王立ちの銀之介に半ば隠れつつ、鈴緒は動かなくなった人形を観察した。
威力の低い、いわゆる飛び道具を選んだ。人形の破壊にまでは至っていない、はずだ。
居心地悪く数分の時を過ごすと、頭を振って人形は小さくうめいた。
「ウウ……痛イ、体モ痺レテイル……ウールノ髪モ、ボサボサダゼ」
カタコトのままであるものの、意味を成す言葉を発した。二人はホッとする。
「ピエロさん、気分はいかがですか?」
安直な名前で呼びかけ、銀之介が人形のそばに膝を付く。
「ヨウ、銀ノ字。オレニハ、ペニーワイズッテ名前ガアルンダケドナ」
不機嫌そうにピエロ人形は応じたが、暴れる気配は微塵もない。むしろ、どうして自分が糸巻きにされているのか、不思議そうな表情を浮かべている。
表情が変わる人形に、鈴緒はやや面食らった。
この程度には慣れっこである銀之介が、かいつまんで事情を説明する。
曰く、島に潜む怪しい気配によって、化生たちが暴れていること。
加えてペニーワイズも、同じように狂ってしまったこと。
「アア、頭ガ痛イト思ッタラ、ソウイウコトダッタノカ……」
「いえ、頭は俺がやりました。グーで」
うなだれるペニーワイズへ、銀之介はにやりと訂正を入れる。当然、ペニーワイズはぐるぐる巻きのまま暴れた。
「丁重ニ扱エヨ! オレハコレデモ、アンティーク品ナンダゾ!」
「はいはい、ごめんなさーい」
甲高い罵声を受け流しながら、銀之介は軌道修正を図る。
「ところで理性を失う前に、妙なものを見かけたりしませんでしたか?」
「妙ト言エバ……ソウソウ。ババアガ昨日、酒屋ノ次男坊ト房中術ヲ極メヤガッテヨ」
「あ、そういう生々しいのは結構です。女の子もいますので」
「オット、色男ノオレトシタコトガ」
「それから鈴緒さん。房中術の意味は、調べなくてもいいですから」
携帯端末を取り出していた鈴緒を、いつになく険しい表情の銀之介が遮る。
きょとん、と鈴緒は緑の目をまたたく。
「どうして?」
「どうしても」
「分かりました……」
英語でもきっぱりと拒まれて、鈴緒はしょんぼりした。
「世ノ中ニハ、知ラナイ方ガ良イコトモアルノサ、オ嬢チャン」
訳知り顔で彼女をなだめたペニーワイズが、ふと天井をあおいだ。いや、遮光カーテン越しに外をにらむ。
ガラスの目玉には、警戒の色が見えた。
「ソウダ……時々、外カラ匂ッテ来テタンダ。変ナ匂イガヨ」
ガチガチと歯を鳴らす彼へ、鈴緒と銀之介は詰め寄る。
「その匂いが、よそ者か?」
「どんな奴です? 外見は?」
目の色を変えた二人とは対照的に、床を転がるペニーワイズは冷静かつ皮肉っぽい。
「ンナコト、分カルワケナイダロ。オレハ人形。ンデモッテ、ココニ放リコマレテンダ」
そりゃそうだ、と肩を落とした鈴緒と銀之介へ、「デモヨ」とペニーワイズも声を落とす。
「ヨソモノノ匂イハ、シテナイト思ウゼ」
「え?」
ヤマノモノと相反する証言に、鈴緒はまた大きくまばたきした。
その緑の双眸を、透明な青い目玉がひたと見据える。
「変ナ匂イダケドヨ、ナンテイウカ……懐カシサモアルンダ」
「懐かしい、ですか?」
「アア。郷愁ッテイウノカネ。オレニモ実ノトコロ、ヨク分カラナインダケドサ」
きょうしゅう、と鈴緒はサクランボ色の唇で、その言葉を復唱した。
世界のあちこちを飛び回っていた彼女にとって、それは掴みがたい、雲のような概念だった。




