14 人形の怪と恋心
日向家の茶の間に、大きな紙を広げる。
観光用のそれとは異なる、島の一世帯一世帯まで詳細に記載された地図だ。
赤ペンを持った銀之介が、その地図へ×印を書きこんでいく。
ヤマノモノを祀っている山や、串間家にも×印がつけられる。書きこまれているのは、化生が狂乱した地点だ。
「改めて見ると、一ヶ所に集中していますね」
覚え書きと見比べながら書き込みを終え、銀之介は眼鏡を押し上げた。金次郎も白い口髭を撫でつつ、地図をのぞきこむ。
「うむ。この家の裏手付近で頻発しておるの。意外にも『異なる者』という輩は、近くに隠れ住んでいるようじゃな」
「うーん。忌々しいというか、猛々しいというか」
顔を見合わせて苦笑する男二人の間から、鈴緒もひょっこりと地図を見下ろす。
「日向」と記載された横長の家屋から見て、北東の一帯に×印は固まっている。
他にも数軒の「日向」はあるが、一番大きな家屋はその横長のものだった。つまりはここ、本家ということだろう。
「ワォ、灯台下暗しですね」
鈴緒を襲った痴漢でもある、串間青年の家も、改めて見ると山を挟んだお隣さんであった。
なお串間青年は、現在本土の心療内科に通院しているという。
「髄まで化生に毒された場合は、お清めよりも薬の方がよく効く。医学は偉大ということじゃ」
とは、金次郎の弁だ。
加えて銀之介のアッパーによって肋骨が何本か折れたらしく、その治療も行っているらしい。どちらも経過は順調、とのことだ。
何本と言わず、全部折ってやれば良かった……と鈴緒がうっすら考えていると、茶の間の電話が鳴った。
今どき随分と古風な、黒いずんぐりとした回転ダイヤル式の電話だ。
電話に一番近い金次郎が、咳払いを一つして受話器を持ち上げる。
「はい、日向です──ああ、どうも、久しいですな」
しゃっちょこばった声を作ったが、すぐに打ち解けた調子で会話を続ける。
しかしその笑顔が、電話の主と話す内に、少しずつ曇っていく。
「ふむ、ふむ……そりゃあ困りましたな。はい。ではすぐに、孫を向かわせましょう」
孫、という言葉に、鈴緒は背筋を伸ばした。
また化生が狂ったのか、と心の中で構えを取る。
鈴緒の直感はやはり正しく、受話器を置いた金次郎は、険しい表情で彼女と向き合う。
「鈴緒や」
「はい」
「国富さんというお宅の化生が、今朝から言うことを聞かんらしい。人形に宿った、ツクモガミじゃ」
こくり、と鈴緒は小さく息と唾を飲み込む。
ツクモガミならば、彼女も既に見知っていた。串間青年に取り憑いていた者も、彼の腕時計に宿ったツクモガミであった。
「分かりました。そのお人形さんを、やっつけるですね?」
「まあ穏便にな。心配せずとも、まだ理性は残っておるらしい」
肩に力を込めてうなずく孫へ、金次郎はあぐらをかいて鷹揚に笑いかける。
「それに国富さんのツクモガミは、しっかりとした知性も持っておる。正気に戻し、可能であれば『異なる者』にまつわる証言も聞き取りなさい──姿や声を、見聞きしたのかどうか」
「了解です」
ようやくそれらしくなってきた正座をして、鈴緒はキリリと応じた。
血気盛んな孫を頼もしく見つめ、金次郎は隣の秘書を仰ぎ見る。
「銀之介。お前も鈴緒の手助けを、頼んだぞ」
「はい、心得ました」
地図上の国富家に×印を加えた銀之介も、生真面目な表情で応じた。
しかし、その声音と表情に。
「鈴緒? どうした?」
「なんでも、ないです」
鈴緒だけがつい、頬をほんのり染めてしまった。
いぶかしむ金次郎へ、慌てて首を振る。
自分の恋心に気付いて以来、鈴緒は折に触れて照れていた。
そしてそれを隠そうとし、余計に挙動が怪しくなっていた。
当然、同居人二人はそれを疑問に思う。
「鈴緒さん、ひょっとしてご機嫌斜めですか?」
車に乗り込んだ銀之介も、情けない顔になっていた。その顔のまま、後部座席へ乗ろうとする鈴緒を見下ろす。
当の鈴緒は、ぎくりと体を強張らせながらも、小さく首を振った。
「ご機嫌はまっすぐです」
「それじゃあ、服がお気に召さないとか?」
「いえ、気に召してる、です」
不自然に顔を反らして、ゴニョゴニョと答えた。手は、コーデュロイ地のジャンパースカートを撫でている。
ちなみに本日の装いのテーマは、『ロスト・チルドレン』であった。なんともニッチな映画を選択したものである。
膝上二十センチのスカートが少々気恥ずかしい、と言えば気恥ずかしいが、金次郎も可愛いと絶賛していたので文句はない。それに、足の細さに関しては自信もある。
助手席に座るのが、ただただ純粋に照れくさいのだ。
それに気付いているのか、いないのか。銀之介は真顔で手招きする。
「後ろに座られたんじゃ、話しかけづらいですよ。顔を見て、お喋りしたいですよ」
「お喋りより、運転に集中して」
「集中するから、はい隣。後ろに座るっていうなら、軽トラで出動しますよ? 同級生に見られたら、恥ずかしいだろうなあ。軽トラの荷台に乗ってるなんて」
「ずるい!」
だが口で勝てるわけもなく、鈴緒は照れ隠しに頬をむくらせて、助手席に乗り込んだ。こうなるのは分かっていたが、無駄な抵抗をしたかったのだ。
ついでに言い訳すれば、銀之介にお願いされるのも少しばかり嬉しかった。
わざとらしくすねた顔を作っていると、がま口ポシェットに入れた携帯端末が震えた。
取り出すと、父親からのメールであった。
シートベルトを締めつつ、それを開く。そして内容に、今度こそ本当に頬を膨らませる。
「いよいよもって、お父さんが社畜だ」
「うん?」
暗い声音に、車を発進させた銀之介が、首をひねって続きを促す。
「東南アジア行ったと思ったら、今度は西アジア行きだとのことです」
「具体的には?」
「インドネシアからトルコです」
「そりゃまた遠いなあ。相変わらず、世界中を飛び回っていますね」
「どちらも治安、良くないのに」
仕事の関係上、仕方がないとはいえ、つい顔が曇ってしまう。
うつむきがちな白い顔を、銀之介が束の間のぞきこむ。
「お守りでも作って、お二人へ送ってあげますか?」
「おまもりを作る?」
つられて顔を上げ、至近距離で見つめられている、と遅れて気付く。
「守り人特製のお守りなら、少々の災難を防いでくれますよ」
「ん、そだね」
視界いっぱいの柔和な笑みに、つい顔がにやけそうになるのを堪え、言葉少なに返した。
怪訝そうな顔にすらどぎまぎしてしまい、軽く自己嫌悪も覚える。二人きりの車中が、いつも心地良くてむず痒い。
早く国富家へ到着しないものか、と脳内で地図を思い浮かべながら念じる。
直線距離にすれば近いものの、川や森を迂回しての訪問となるため、その後十五分ほどかかった。




