13 一つの気付き
テレビ画面では、延々と『ファイターズ・クロニクル』が展開していく。「激熱サバイバルモード」にて、鈴緒の操る右近は百八連勝中だった。
それにしては、鈴緒の表情は暗い。どれだけ最終ボスの六ツ車を蹴倒そうとも、気分が晴れないのだ。加えて心なしか、身体も重い。
彼女の部屋をのぞいた金次郎が、テレビ画面を見て苦笑する。
「おお、さすがじゃのう。煩悩の数と同じじゃないか」
「おじいちゃん」
三角座りをしていた鈴緒が、気だるげに顔だけ持ち上げる。ペリドットの瞳は疲れ切っていた。
「一戦、いいかね?」
「う、んん?」
うなずきかけて、鈴緒は首をひねる。そんなことはお構いなしに、金次郎は体を滑り込ませた。
「ワシの稽古に、ちぃっとばかし付き合って欲しいんじゃ」
金次郎はどっかりと腰を下ろし、ゲーム機へコントローラーを差し込む。2Pとして割り込み、右近へ対戦を挑んだ。
「あたし、強いよ?」
ひっそりと鈴緒が笑えば、金次郎も歯を見せる。
「こう見えてワシも、なかなか特訓しておるぞ?」
金次郎は『ファイターズ・クロニクル』主人公の、左近を選んだ。
意外にも祖父は健闘していた。ハンディキャップを付けているとはいえ、勝率は三割だった。
「おじいちゃん、強いね」
鈴緒もどんぐり目を、くりくりと見開く。
「実は夜中にこっそりのう、練習しておったんじゃ」
白い口髭を揺らして、金次郎も得意げに笑う。そして、ひそかに眉を潜めた。
「本当は、舞御前を使いたいんじゃがな」
「ヒロインは、体力低い。上級者向けだからね」
しばし二人は笑い合う。
画面の中で丁々発止を繰り広げながら、金次郎は口を開いた。
「少しだけ、ワシの話をしてもいいかね?」
「オーケー」
「ワシは十五歳の頃、守り人の役目に就いた」
守り人、の言葉に鈴緒の手が一瞬止まる。すかさず金次郎の左近が、ダウンを奪った。
「……大変でした?」
かすかに声を震わせ、鈴緒は問うた。ダウンをした隙に、右近は二発ほど蹴りを食らう。
「まあ、色々あったさ。しかし従者がおったから、なんとかなった」
一つ笑って、金次郎は甲高い口笛を吹く。数拍置いてコツコツと、窓を叩く音がした。
ポーズボタンを押してそちらを見れば、大きな烏が器用に窓へへばりついていた。わずかに鈴緒は身をよじる。
「ワォ!」
「ワシの従者、狩穂じゃ」
金次郎が微笑めば、外の烏もコクコクとうなずく。そして小さく、カアと鳴いた。
何とも人馴れした仕草が愛らしく、鈴緒は窓を半分だけ開いた。窓枠に掴まった狩穂は、大人しく佇んでいる。
間近に見れば、烏の目はつぶらだ。睫毛も長い。目が合った鈴緒も、つい微笑む。
しかし金次郎の言葉を反芻し、真っ直ぐな眉をキュッと寄せた。
「待って。おじいちゃんが十五歳から、狩穂さんと守り人ですか?」
「そうじゃよ。従者との絆は一生モノであるからな」
「狩穂さん、とても長生きですか?」
艶々とした黒羽からは、老齢と判断出来ない。
驚愕する孫に、金次郎は大笑いする。
「そりゃそうだとも! ワシが死なん限り、こいつもゆっくりと老いていくのみ。そういうもんじゃ」
「本当、ですか?」
「ああ。お前もしたじゃろう、魂分けを?」
「タマワケ……あ、お菓子ですか?」
鈴緒の混乱する思考に、ピンク色の鈴カステラが現れた。あれの原材料を、アオネコは「鈴緒の魂の真ん中」と呼んでいた。拙くそのことを伝えれば、金次郎はしみじみと首肯する。
「そう。守り人はそうやって、従者に魂を分け与えているのじゃ。アオネコ様から超常の力を受けたとはいえ、我々はか弱い」
深い声音が、ひっそりと響き渡る。
再び腰を落とし、鈴緒もその声をじっと聴く。
「従者は文字通り、守り人に従う者。守り人の盾となり、時に矛となる存在じゃ」
「それは……とても勝手でひどい、思わないですか?」
傷ついた面持ちで、鈴緒は祖父を見据えた。
しかし返って来たのは、風格漂う笑み。
小柄な金次郎が、とても雄々しく見えた。
「勝手かどうかは、ワシにも分からん。もうずうっと前から、こうして来たのでな」
「そう、ですか」
「じゃが、しきたりのお陰で、ワシは今まで狩穂といられた。雛から育てた、弟分じゃからな。ワシは素直にそれが嬉しい」
同意するように、窓辺の狩穂も一鳴きする。
更に細く、金次郎は目を細めて微笑んだ。
「銀之介も、このしきたりについては知っている」
「え」
ぎくり、と鈴緒は細い体を強張らせた。これこそが、鈴緒を落ち込ませている一番の原因だった。
彼を人外の存在へと造り替えたのは、他でもない、彼女の意思なのだから。
そんなこともお見通しとばかりに、金次郎はこっくりとうなずく。
「ワシの傍にずっといたんじゃ。従者の体のことも、重々に理解しておるよ。だから自分を、責めちゃいかん」
「ごめ……」
「謝るなら、あいつに謝っておやり。お前に嫌われたと、ひどく落ち込んでおったからのう」
束の間、鈴緒は泣きそうな顔になった。
しかし唇をかみしめ、ぎこちなく笑う。
「ありがとう、です」
「さぁて、対戦を再開しようかね」
照れくさそうにはにかんで、金次郎はテレビへ向き直った。
「もちろん!」
鈴緒も背筋を伸ばして、コントローラーを握り締める。ポーズボタンを再度押した。
今度は鈴緒の、大勝だった。
銀之介は台所に立っていた。長身の彼にとって、日向家の台所は少し、いやかなり低い。
腰を屈め、彼は無心にキャベツを刻んでいる。
千切りキャベツは、すでにボウル二つ分も出来上がっていた。
ひょっこり姿を現した鈴緒は、その量に愕然とした。
「銀之介さんは、トンカツ屋さんをしたいか?」
ぽつりと呟かれた言葉が、リズミカルに動いていた包丁を止める。
いつになく強張った笑みで、銀之介は振り返った。
「いえ、気分転換に刻んでいただけです」
「とても、刻みすぎている」
かすかに笑い返したものの、鈴緒は次の動作を見つけられなかった。
視線をさまよわせる彼女へ、銀之介は少しだけ表情を和らげた。
「入りますか?」
「ん」
手招きされ、硬い声音でうなずいた。ほっそりとした鈴緒の足が、敷居を越えた。
彼女は室内中央のテーブルに、その身をもたれさせる。
しばらくの間、台所に静寂が訪れる。
手を洗った銀之介が、先に口を開いた。思い詰め、険しさを増した横顔は、より猛禽類寄りだった。
「鈴緒さんは、俺を、気味悪く思いましたか?」
「どうして?」
「あなたが死なない限り、俺は死にません」
そして、洗ったばかりの包丁へ目を落とす。
「例えば刃物で体を切り刻まれても、次の瞬間にはケロリとしています。不気味ですよね」
「違う!」
自嘲する彼へ、鈴緒は強い語調で否定した。お守り石の代わりに、胸元をかき抱く。
「銀之介さんは、恩人です! 気味悪くない!」
「鈴緒さんは、やっぱりいい子ですね」
眼鏡の奥の鋭い眼差しが、優しくほころんだ。
しかし鈴緒は、顔を歪ませてゆるゆると、力なく首を振った。
「いい子、違う。あたしのせいで……銀之介さん、死なないから」
「それこそ違う。お門違いもいいところだ」
うなだれる鈴緒のおとがいを優しく持ち上げ、銀之介は肩をすくめた。日本人離れした体躯のため、そんな仕草もしっくり来る。
「鈴緒さんを助けたくて、俺が勝手にやってるだけですから」
笑う銀之介を、鈴緒はおっかなびっくり見上げる。
「恨んで、いませんか?」
「元々捨てた命だ。恨むどころか、感謝してますよ」
「あたしを、捨てません?」
「鈴緒さんさえ嫌じゃなければ」
涙がこぼれ落ちるのをぐっとこらえ、鈴緒はしっかりと彼を見つめた。
「嫌じゃない」
強い語調で答えれば、銀之介は長い長いため息と共に崩れ落ちた。床に座り込み、再びはあ、と息を吐いている。
先ほどまでとの落差に、鈴緒は飛び上がって焦る。
「どうした? めまいですか?」
「……ホッとしたもので」
あぐらをかいた彼は、いつになく弱々しい笑みで鈴緒を見上げる。
「もしも嫌がられていたら、どうしようと思って。そうなったら、死にたくても死ねませんから」
「死んだら嫌よ」
「そう言ってもらえて、本当によかった」
はにかむ彼は頼りなく、どことなく子供っぽかった。
それ故、妙に可愛らしかった。
照れくさそうに本音をこぼした彼を愛しい、と感じた自分に、鈴緒はまた焦る。
そばにいたい、などという欲求すらも、じわじわと胸の奥底から浮き出て来た。
鈴緒にとってそれは、初めての衝動だった。
ミルク色の肌をイチゴミルク色へ変えた彼女に、銀之介もギョッとなった。
「うん? あれ、なんか汗かいてません?」
「かいて、ません。とても健康で、すがすがしいよ」
焦るあまり、鈴緒の日本語は一層怪しくなっていた。




