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シトリヒメの赤い糸と、眼鏡のお守り人形  作者: 依馬 亜連
本編

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12 異界渡りと盾

※血なまぐさい描写が、後半に少々ございます。ご注意くださいませ。

 埃臭い空気と共に、倉庫の奥から黄色い霧が流れ出ていた。

「危険だ!」

 鈴緒は飛び上がったが、男二人は落ち着き払っている。

「倉庫にしまってある、雲外鏡の影響ですよ」

 端的に説明し、呆ける鈴緒と目が合い、銀之介は一つ笑って詳細を語る。

「化生を映し、異界と通じる大きな鏡があるんです。鈴緒さんの言うように、危険なので倉庫に隠していますがね」

 話しながら行き着いた先には、鈴緒と同じぐらいの高さを持つ、円形の鏡があった。相当な年代物にも見えるが、鏡面は濡れたように輝いている。

 そしてそこから、黄色い霧がふわりふわりとこぼれ出ていた。

「どうやら串間のせがれが、異界へ渡ってしまったらしいんじゃ。今は鏡に頼るしかあるまいて」

 鏡を一瞥し、苦々しく呟いた金次郎は、鈴緒へも厳しい視線を向ける。

「鈴緒や。お前は見学、見ているだけじゃぞ? 危ないことはするでないぞ」

「分かってる、静かにしてる」

「いや、駄目だね」

 うなずいた鈴緒の代わりに、澄んだ声が拒否をした。同時に、鈴緒は肩にふわふわとした重みを感じた。

「アオネコ様!」

 アオネコがちんまりと、鈴緒の肩に乗っていた。体を丸め、器用にバランスを取っている。

「鈴緒には実戦に出てもらうよ。こいつはもう、正式な守り人なんだニャー」

 淡々とした氏神の言葉に、金次郎が唾を飛ばさん勢いで言い返す。

「馬鹿言わないで下さい! 異界渡りをするには、あまりにも経験不足です」

「経験なんざ死ぬ気でやって、初めて身に付くもんだよ。甘やかしは禁物だ」

 もっふりした見た目の割に、アオネコはスパルタであった。そして柔らかい肉球で、鈴緒の頬を押す。

「ほら鈴緒。鏡に突っ込め」

「ツッコメ、言いますが。おじいちゃん、行くなと言ってます」

 栗色の眉を、鈴緒は情けなく寄せた。鼻の周りを膨らませ、アオネコもムッとする。

「ええい、聞き分けの悪いジジイと孫だな。ほれ、見てみろ」

 足音も立てずに床へ飛び降り、アオネコは雲外鏡の前で二足歩行になった。そして両手を鏡へかざす。

 それまで、薄暗い倉庫の風景を反射させていた鏡の表が、たちまち変化した。かすかに波打つと、霧がうずまく奇怪な森の姿を映す。

 驚いたことに、それは映像だった。霧が流れ、でたらめに曲がりくねった木々が、ざわざわとうごめいている。

 そしてその中を、頬のこけた若い男が横切った。おぼつかない足取りだ。

「あ、串間さんの──」

「アアーッ!」

 男を見とめた銀之介を遮り、鈴緒が叫び、飛び上がった。

「彼よ! 彼がした、あたしに、チカン!」

「なんじゃとっ」

 金次郎も目を剥く。まさか、こんなところで痴漢に出くわすとは思わなかったのだろう。

 アオネコだけは、涼しげな表情のままだ。

「化生に取り憑かれて、破廉恥行為に及んだんだろうなぁ。悔しいよな、鈴緒?」

「うん。でも……」

 青い目を細めるアオネコへ勢いよく首肯したものの、鈴緒は途中で口ごもる。

 串間青年が痴漢であるならば、言いたいことや、やってやりたいことは山ほどある。

 しかし、金次郎は自分の身を案じてくれている。彼と「見学しているだけ」と、約束したばかりだ。

「人間は頭でっかちで、駄目だね」

 顔を振ったアオネコは、鈴緒の眼前へ跳ね上がった。

 そして、その細作りの顔の前へ両手をかざし、一つ打ちつけた。

 パシンと大きな音がする。

 音と共に、火花と白い煙が、肉球の間から飛び出た。


 たちまち、鈴緒の視界に霞が生じる。思考も、酩酊しているかのように朦朧とした。

 これもアオネコの力によるものだが、今の鈴緒にはそれを判断する力もない。

「素直な奴は、術もかかりやすくて助かるよ」

 とろんとした目付きの鈴緒を見上げ、アオネコはとても満足そうだ。

 そして朱色の着物を翻し、雲外鏡を示す。

「さあ鈴緒。あの男を捕まえるんだ。これは、新しい守り人の役目だよ」

了解(ガッチャ)、です」

 四方へ散らばる思考の中で、それだけを呟く。おぼつかない足取りで、雲外鏡の前へ立つ。

 ふらりと伸ばされた手は、鏡の中へと沈み込んだ。

 こんな怪奇現象にも疑問を抱かず、鈴緒は全身を鏡へ預けた。

「何をやっとるんじゃ、鈴緒ぉー!」

 金次郎が慌てるが、一拍遅かった。彼女の姿は鏡面に飲み込まれ、倉庫から消え失せる。

「あーあー。鈴緒さん、一人は危ないですよ」

 銀之介も少々慌てた様子で、それを追いかける。少し身を屈めた長身も、するりと鏡を通り抜ける。

 もちろん金次郎も、雲外鏡へ飛び付いた。

 しかし、彼が飛び込む前に、鏡は異界を映し出すのをやめる。

 ただの反射板に戻った雲外鏡は、金次郎の異界渡りを阻んだ。冷たい鏡面に、金次郎はしたたかに顔面を打ちつける。

 赤くなった鼻を押さえ、金次郎がうめく。

「アオネコ様……また、術を使われましたね?」

「さて、どうだろう。どっちにしろ年寄りの冷や水は、止めた方がいいんだニャー」

 首輪の鈴を鳴らして、アオネコは素知らぬ顔で言った。ただ、耳がかすかに倒れていた。


 改めて見る異界は、やはり気持ちの良いものではなかった。

 鈴緒が落ちた先にも、風がないのに揺れ動く、真紫の草が生い茂っている。そして、そこここで明滅する影があった。浮遊する目玉や、虫のように這いずる手があった。

 黄色い霧と紫の植物に覆われた、悪夢のような光景だ。

「オゥ……冗談やめてよ(ノー・キディング)

 魑魅魍魎と表現するしかない存在たちに、我を取り戻した鈴緒は低くうめいた。

「改めて見ると、不気味ですね」

 遅れて異界へ落ちてきた銀之介も、受け身を取りながら眉をしかめた。

 彼の異界渡りに、鈴緒は少しばかりたじろぐ。銀之介は、串間青年と何も因縁はないはず、だ。

「何故来た、ですか?」

「だって俺は、鈴緒さんの従者ですから」

 平然と言ってのけて、驚く少女をのぞきこむ。

「鈴緒さんこそ、一人でどうこう出来ると思ったんですか?」

「とても今、自信を見失っていました」

 辺りを見渡し、鈴緒が声を潜めて答える。それを聞き、銀之介は満足げに笑う。

「なら良かった。さっさと串間さんを探しましょう」

「オーケーです」

 鷹の眼差しで化生たちをうかがいながら、銀之介は不気味な繁みをかきわける。鈴緒も両手に糸を発現させ、注意深く後に続いた。


 あちこちに群生する低木も、手を伸ばせばぶるぶると体全体を振るわせる、薄気味の悪いものだった。


 黄色い霧に包まれた世界は、決して美しいものではない。顔をしかめて串間青年を探す鈴緒だったが、通り過ぎた光にしばし見とれた。

 色とりどりの光の玉が、いくつも宙に浮いていた。しかし何度か明滅したかと思えば、すぐに消えてしまった。

「銀之介さんっ。いま、キレイな光があったよ」

 興奮気味にスーツの裾を引っ張れば、剣呑さを取り払った笑みが返される。

「それはきっと、人間の魂ですね」

「魂? なんでここにある」

「異界と俺らの世界が、地続きだからですよ。きっと、博物館にいる人たちの魂でしょう」

 化生たちも、現世に出没しているのだ。異界から、人間の姿が知覚出来てもおかしくない。

 鈴緒は興味深そうに、緑の瞳を丸くしていた。そしてまた、またたく光の集団を視界に見とめる。今度は銀之介も、そちらへ振り向いた。

「あ、また!」

「はっきり見えましたね」

「みんなキラキラです。だけど一つだけ、黒でしたね。漆黒です」

「それは、牧音さんの魂かもしれませんね」

 毒の混じった声が、さらりと応じた。

「そんなこと、ない、わけでない、かも……」

 否定しようとして尻すぼみになれば、銀之介は意地の悪い顔でニヤリとする。

 人当たりはいいものの、案外ひねくれた男だ、としみじみ感じる。


 彼を従者にして良かったのかと悩んでいると、足に軽い感触がした。

 見下ろせば、それはジーンズだった。

 腰を低くして辺りを見渡せば、すぐ近くにブリーフが、そこから数メートル置いてカットソーが脱ぎ捨てられてある。

「これは、服、ですよね」

「まごうことなく服、ですね」

 隣を見上げると、銀之介も真面目顔でうなずいた。彼の傍らには、スニーカーも脱ぎ捨てられている。

「どうして服、落ちてるです──」

 首をひねった鈴緒は、びくりと肩を跳ねさせた。そして銀之介の腕へしがみつく。

「ぎっ、んの、すけさん! しりっ」

「うん? 私利ですか?」

今、お尻が見えたナウ・アイヴ・ソウ・バム!」

「へっ、お尻?」

 訝しげな銀之介も、鈴緒の指し示す方角を見やり、絶句した。


 背中というか尻も丸出しの若い男が、クネクネと動き回っていた。何故か、高級そうな皮の腕時計だけは装着している。

 眼鏡の位置を正し、銀之介が呟く。

「あれは……たぶん串間さんの、息子さんですね。服を着ていないと、ずいぶん印象が貧弱ですが」

「印象、いらないっ」

 彼に痴漢された出来事を思い出し、鈴緒は赤くならずに青ざめていた。

「そうですね。さっさと保護しましょう」

 困ったように笑い、銀之介が繁みから一歩出る。

「串間さん、分かりますか? 旭です」

 二人の声に、青年の動きが止まる。鈴緒も恐る恐る、彼へ近づいた。

 すると、辺りに自生する低木が察したのか、うごめいて彼の下半身を隠した。鈴緒はこっそり、異界の生物たちへ感謝する。

 たたずむ串間青年は、振り向こうとしない。そして骨の浮き出た背中は、途方もなく現実感に欠けていた。周囲の化生と、大差ないように見える。

 たじろぐ鈴緒に代わって銀之介が、更に距離を詰める。

「お母さんから相談を受け、探しに伺いました。僕と一緒に、家へ戻りましょう」

「あ……」

 穏やかな彼の口調に、串間青年から声がこぼれ出た。


「あああああああ!」

 そう思われた次の瞬間、青年は大きく手を振り上げて叫ぶ。獣の咆哮に近い声だ。銀之介も思わず足を止め、鈴緒は力なくへたりこんだ。

「話違う! とても怖いよ!」

「異界に渡り、化生に髄まで毒されたのかもしれませんね」

 涙声の鈴緒へ手を貸しながら、銀之介も低くうなる。

 両腕をぐるんぐるんと旋回させ、串間青年はなおもわめいている。

「全ての偏見に終止符を! 全ての概念を解き放て! しがらみから抜け出すのだ! 我は孤高にして、自由なりぃぃ!」

 言いたいことは、分かるようで分からない。おまけに呂律も、あやふやだ。

 ただ、彼なりの理由があって全裸になったらしい、ということは薄らと察知できた。

「こりゃ駄目ですね。正気の『し』の字も残っちゃいない」

 上着を脱ぎ、カッターシャツの袖をまくり上げた銀之介は、半ば呆れた様子だ。

 鈴緒の姿を串間青年から隠しつつ、彼女へちらりと目配せした。

「鈴緒さん。俺が串間さんを取り押さえるので、糸での援護をお願いします」

「わかっ──銀之介さんッ!」

 うなずく途上で、鈴緒が悲鳴を上げた。大音声で吠えていた串間青年が、いつの間にかこちらへ振り返っていた。

 そして口に咥えていた、細く鋭い凶器を握り直す。

 彼が高々と掲げたものは、包丁だった。


 鈴緒へ視線を向けていた銀之介は、刃へ一瞬遅れて気付く。

 それでは、手遅れだった

「全ての穢れに浄化を!」

 串間青年は、走り寄りながら刃物を振り下ろす。鈴緒を庇う銀之介にとって、逃げ場のない攻撃だった。

 二人の影が重なった。

 鈴緒が糸を伸ばす隙もない、あっという間のことだった。

「あっ……やっ……」

 唇を震わせ、鈴緒は戦慄し、後悔する。

 銀之介の首筋には、深々と鈍色の刃が食いこんでいた。

 黄と紫の世界へ鮮血をまき散らして、銀之介の足がたたらを踏む。


 だが、軸のぶれた足は途中で踏みとどまった。

 執拗に包丁をねじ込む串間青年の手首を、掴んで捻り上げた。

「鈴緒さん、早く!」

 口からも血を吐きながら、それでも銀之介が叫ぶ。刃よりも鋭い声と眼力に、鈴緒も無我夢中で腕を振るった。

 銀之介の四肢へ、赤い糸が巻き付く。

 そして彼の体は、包丁を突き立てたままぐっと腰を落とした。今回は右腕に、雷光がきらめく。

 正気を失った串間青年も危機を察したが、左腕に拘束されているためどうしようもない。

 あまりにも、両者の距離は近かった。

 周囲へ放電しながら、右腕が下から突き上げられる。

 鈴緒に「見せ技」と称されたライジング・アッパーは、串間青年の腹部のど真ん中へ、狙い違わず沈んだ。そのまま、光る右手を振り切る。

 高く打ち上げられた串間青年は、うごめく樹木に跳ね返された。電撃によって痙攣しながら、その貧相な体は地面を二、三度ほど転がった。

 そして、よだれを垂らしてようやく沈黙する。

 派手なモーションの割に、威力に欠ける技だ。串間青年も辛うじてだが、生きているようであった。


 しかし鈴緒にとっては、彼の生存など二の次、三の次。

「銀之介さん!」

 糸を消し去り、未だ血を垂れ流す銀之介へと駆け寄る。

 その身体を支えようと腕を伸ばしたものの、銀之介はしっかりと己の足で、地面を踏みしめていた。

 うつむいた彼はゴボリ、と塊のように血を吐き出した。鈴緒はまた悲鳴を上げた。

「死なないで、銀之介さん!」

「大丈夫ですから」

 痛みをこらえて笑った彼は、首に真っ直ぐ突き刺さった柄を握りしめる。そしてグッと、歯を食いしばる。

「やっ、だめぇーッ!」

 鈴緒がしがみつくよりも早く、深々と刺さった包丁が抜き取られる。再び、赤い血が飛び散った。


 もはや銀之介の左半身は、つま先まで真っ赤に染め上げられている。

 絶望的な光景に、鈴緒の白い肌は一層白く冷え切った。

「何してるか! 死んじゃう! 死ぬのだめッ!」

「死にませんよ」

 大粒の涙をこぼす鈴緒へ、包丁を握る銀之介は弱々しく微笑んだ。

 一時だけ、鋭い眼光で昏倒する串間青年を見た。そして包丁を、彼目がけて投げる。

 ぬらぬらと赤く染められた刃は、唯一彼が身に着けていた腕時計に刺さった。

 いや、それは腕時計の文字盤から上半身を湧き上がらせる、赤黒い小鬼を分断した。

「ツクモガミか。こいつが、串間さんを狂わせた原因でしょうね」

 暗い声音で、崩れ去る化生を看取る。

 そして首回りを濡らす血潮を、こぶしで拭い取る。

 長さ十センチほどの傷口は、徐々に塞がりつつあった。出血は、もはやほとんどない。

 血濡れた首筋へ手を伸ばしていた鈴緒は、人智を超えた現象に目を見張る。

「どう、いう」

「俺は従者ですから」

「え」

 鈴緒の小さな顔は強張り、ますます人形のようになっていた。

 しかし銀之介は暗い表情のまま、よどみなく言葉を続ける。

「従者は、守り人の盾です。守り人が生きている限り、何があっても死なないんですよ」

 淡々と答える彼が、とんでもなく遠い存在に思えた。

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