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星のひかり  作者: 五十鈴スミレ
本編
88/101

八十四幕 わたしだけを見ないで



 切ない思いを、そのまま言葉にすることはできない。

 それは、ジルを傷つけることになるかもしれないから。

 だったらどうすればいい?

 わたしだけじゃ駄目なんだと、ジルの周りには他にも大切なものがあるんだと。

 どうすれば、伝えることができるんだろう。


 息を吐いて、息を吸う。

 何度かくり返して心を落ち着かせる。

 大丈夫、ジルはわかってくれる。


「一つ、約束してくれますか?」


 わたしの言葉に、ジルはわずかに目を見張った。

 唐突すぎるのは自分でもわかっている。

 それでも言わずにはいられなかった。


 小さく、けれどたしかにジルはうなずいてくれた。

 それなら、言葉を尽くそう。

 わたしなりの言葉で、ジルに伝えよう。

 声が震えないようにと、もう一度深呼吸をした。


「わたしだけを見ないでください」


 はっきりと、わたしは思いを音にする。


「わたしを大事にしすぎて、わたし以外を排除しようとしないでください。ジルベルトの周りには他にもいろんな人がいます。あなたのことが好きな人、あなたのしあわせを願う人、あなたと一緒にいて楽しいと思ってくれる人。そんな人たちのことを、絶対に忘れないでください」


 イーツ家の人たち、兄さまを筆頭にわたしの家族、エレさんや、ジルのお友だち。

 みんな、ジルのことを大切に思ってくれている。

 わたしだけを見ていたら、もったいない。

 何より、狭い世界に収まってしまっては、きっとジルがしあわせになれない。

 わたしはジルに、もっと広い世界を見てほしい。

 もっと多くのしあわせに気づいてほしい。

 そう、願っているから。


「わたしを通してでもいいので、周りを見てください。親を、友だちを、知り合いを。あなたを取り囲む人たちを」


 わたしが言いきると同時に、ジルは瞳を伏せた。

 告げられた言葉を反芻するように。

 数秒にも、数分にも思える時間が流れた。

 ゆっくりと目を開いたジルは、わたしに微笑みかけた。


「わかっているつもりだよ」


 その声にはなんの気概もなかった。

 ただ、事実をそのまま口にしたような調子だった。


「僕にとって、エステルは特別すぎて。エステルにもらったものが多すぎて、たまに忘れそうになるけど」


 微笑みが、苦笑にすり変わる。

 ジルは握ったままのわたしの手に目を落とし、手に力を込めた。

 痛くはないけれど、絶対に離れないほどの力。

 それは何かを確かめているように思えた。


「エステルと僕の二人だけで、世界を完結させちゃいけないんだよね」

「当然です」


 世界に二人だけ、なんて神話やSF小説でもあるまいし。

 わたしにはジル以外にも大切なものがたくさんある。

 それは決して悪いことではなく、むしろいいことだと思っている。

 大切にしたいものがたくさんあればあるほど、日々を満ち足りた気持ちで過ごせるから。


「うん、大丈夫。アレクも、他の友だちも、……今の両親も、いるから。エステルと僕だけの世界に閉じこもってしまったりはしないよ」


 いつも、どんなときでも、ジルの言葉には嘘がない。

 大丈夫だと言うなら本当に大丈夫なんだろう。

 それはこれからのジルを見れば、わかることだ。


 こんなときに変かもしれないけれど、養父母と言わなかったことに、わたしは安堵した。

 ジルにとって両親とは、自分を傷つけるだけの存在だったんだろう。

 だから、なかなか親だと認められずにいた。他人なんだと、線引きしていた。

 そうして自然とあいてしまった距離は、きっと少しずつ縮めることができるだろう。

 ジルが、ちゃんと周りに目をやることができるなら。

 理解し合うための努力を怠らないのなら。


「それを聞いて安心しました」

「エステルは僕思いだね」


 にこり、とジルは笑う。

 わたしは恥ずかしがる心を奮い立たせて、ジルの手を少し強い力で握り返す。


「言ったでしょう、わたしはジルベルトが好きなんです。少々危ういところのあるジルベルトという人間を、大切に思っているんです」


 合わせた目から、つないだ手から伝わればいい。

 わたしがどれだけジルを想っているのか、ということが。

 それはまだ、ジルが向けてくれる想いには足りないのかもしれないけれど。

 いつか同じだけの想いを返せるようになる、という自信が、わたしにはあった。


「わたしがジルベルトをこの世界につなぎ止めるというなら、とことん足かせになってあげます。覚悟しておいてくださいね」

「頼もしいな」


 笑顔で告げれば、ジルの笑みが少し崩れた。

 泣きそうにも見える表情に、この人が好きだ、とわたしは実感する。

 わたしを守ると言ってくれたジルを、わたしが支えていきたい。

 迷いもためらいもなく、心からそう感じた。


「ありがとう、エステル。君のおかげで僕はこの世界を愛しいと思える。僕に関わってくれる人たちを、大切だと、そう思える」


 大げさだ、とは言えなかった。

 ジルの危うさを知っているから。

 わたしだけじゃないとしても、ジルにとってわたしが一番であることはわかっているし、わたしがいなかったらどうなるのかは想像もしたくないだろう。

 それくらい、大切に思われていることを、今のわたしは充分に理解している。


 ジルはわたしの手を掲げ持って、指先に口づけを落とした。

 ひゃっと声をもらしたわたしを見て、ジルはおかしそうに笑った。

 なんですかその顔は。しょうがないじゃないですかいまだに慣れないんだから。

 ジルはスキンシップが好きなんだろう。今までの経験からすると。

 過剰な触れ合いに慣れるには、もう少しの時間が必要になりそうだ。


「エステルを好きになってよかった」


 満ち足りた表情で、ジルは言う。

 わたしこそ、好きになってくれてありがとう。

 ジルがわたしを全肯定してくれるから、わたしはわたしでいられている。

 前世は前世って思えるのも、ジルのおかげでもあるのかもしれない。


 好きになってもらえて、うれしい。

 わたしもジルを好きになれてよかったと思っている。

 そんなふうに、素直に言葉にするのはどうしても照れくさくて。



 伝わりますように、と思いながら、ジルの手をぎゅっと握った。







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