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星のひかり  作者: 五十鈴スミレ
本編
86/101

八十二幕 人形じゃない



 そのままのんびりとした時間を孤児院で過ごし、昼食は子どもたちと一緒に食べた。

 ジルはここに来たときはいつも、時間によるけどお昼やおやつを一緒にいただいていたらしい。

 ナーディアさんや他の先生方も子どもたちもそのつもりでいたようで、それなら遠慮するのも悪いかと、ご相伴にあずかることにした。

 たくさんの人たちと食べるご飯は賑やかで楽しくて、おいしかった。


 ジルの面倒見のいいところも見れたりして、わたしはふとある未来予想図が思い浮かんでしまった。

 将来わたしたちが結婚して、子どもができたなら。

 ジルはきっと、目に入れても痛くないくらいにかわいがってくれるんだろうと。

 自分の想像に照れてしまって、挙動不審になったわたしに、ジルは不思議そうにしながらも笑った。

 はかなげでも、甘やかでも、堂々としたものでもない、余計な力の抜けた等身大のジルの笑顔。

 そんな彼の隣にいられることが、わたしはうれしかった。


 昼食を食べて少ししてから、孤児院を発った。

 他にも行きたいところがあるとジルが言ったから。

 さらに一時間以上車を走らせて、降りたのは小高い丘の上。

 目的地とするには何もないところで、わたしは首をかしげずにはいられなかった。


「少し歩こう」


 そう言ってジルはわたしに手を伸ばす。

 この近くに彼は用があるらしい。

 それなら、わたしは何も言わずについていくだけだ。

 差し伸べられた手を取って、数分ほど歩く。

 気持ちのいい風が草木を揺らし、頬をなでていく。

 眼下に知らない町が見える場所で、ジルは立ち止まった。


「あそこは……」

「僕の生まれ故郷」


 思わずこぼれた声に、ジルは端的に答えた。

 え、とジルを見上げれば、何を考えているのか読めない、けれどどこかはかなげな笑み。

 車で進んできた道から眼下の町の名前がわかるほど、わたしは地理に詳しくない。

 それでも、ジルが生まれ故郷だと言うなら、本当なんだろう。

 こんな嘘をつく理由はないし、孤児院に連れて行ってくれたことからも納得できる。

 ジルはわたしに、自分の過去を見せてくれているんだ。


「ラニアではなかったんですね」


 町の名前がわからなくても、ラニアから出たことくらいは気づいていた。

 ここは隣の領地だ。

 孤児院はラニアにあったから、ジルの生まれ故郷もラニアだと思い込んでいたけれど、違ったらしい。


「そうだよ。両親は僕を捨てるために、違う領地まで行ったんだ」


 淡々とそう語るジルに、わたしはなんと言ったらいいかわからなかった。

 前世でも現世でも、親に愛されて育ったわたしには、ジルの気持ちは本当の意味では理解できないんだろう。

 誰よりも守り慈しんでくれるはずの親から、ほんの小さなころに見放された。

 それは、普段は気にしていないようであっても、確実にジルの心の傷になっているはずだ。


「……よく、ここが故郷だとわかりましたね」


 言葉に迷って、結局口にしたのはどうでもいいような疑問だった。

 ジルがイーツ家の養子になったのは八歳のとき。孤児院で四年お世話になったと言っていたから、捨てられたのは四歳くらいのときだろう。

 町の名前や場所を覚えていなくてもおかしくはない。


「記憶力がよすぎるんだろうね。家から捨てられた場所までの道のりをすべて覚えていたんだ。あとで地図を見ながらたどってみたら、この町だった」


 なんてことはないように、ジルはネタばらしをした。

 驚くべき記憶力と空間把握能力だ。

 けれど、ジルならありえなくはない、と思ってしまう。

 兄さまと並び立つくらい優秀なジルを、わたしは近くで見てきた。

 多少人間離れしているところがあっても、今さら驚かない。


「町には行かないんですか?」

「今もまだ両親がここに住んでいるかもしれないからね。顔を合わせる可能性があるなら、行かないほうがいい。僕の容姿は目立つだろうから」

「それは……たしかにそうですね」


 丘を降りる時間を含めても、ここから車で十分程度で行けるだろう。

 そんな近くにあるのに、どこよりも遠い場所のように思えた。

 もしかしたら、あそこにジルを捨てた人たちが住んでいるのかもしれない。

 そう思うと、憎らしいような、悲しい感情に支配されそうになる。


「僕は今、実の両親がどこで何をしているのかを知らない。たぶん、調べようと思えばできるんだろうけどね。知らないままのほうが、きっといいと思ったんだ」


 ジルの記憶力ならきっと、両親の顔も名前も覚えているんだろう。

 今はどうかわからなくても、昔住んでいた場所は知っているんだから、足取りをたどっていくことはきっとそれほど難しくない。

 そう知っていて、ジルは調べることなく放置しているらしい。

 単に興味がないのか、今さらだと思っているのか。

 ジルがそう納得しているなら、わたしが言えることは何もない。


「あそこは、僕が生まれた地。僕がそこで生きることを許されなかった地」


 その声は冷え冷えとしていた。

 ジルの目は、睨むような強い視線で、町を見下ろしていた。

 なぜか、ジルが遠くに行ってしまいそうな、そんな不安がおそってきた。

 わたしはジルを引き止めたくて、つないだままだった手をぎゅっと握った。

 それに気づいたジルの瞳が、こちらに向けられる。

 真冬の海みたいな冷たい色がわたしを映し、そこにあたたかな温度が生まれた。

 笑うことを失敗したような表情は、とても人間じみたものだった。


「父も母も、悪人ではなかったと思うよ。子どもに暴力を振るったり、最終的に捨てるくらいだから、善人とは間違っても言えないけど。僕を捨てることに、少なからず葛藤もあったように見えた」


 手をつなぎ直しながら、ジルは話し始めた。

 指と指の間に入り込むぬくもりに、わたしは安心する。

 この手が放されないうちは、ジルはわたしの傍にいるんだ。

 わたしはジルの傍にいてもいいんだ。

 今だけでなく、つらい過去に寄り添うことも、望んでくれているんだ。

 そう思えたから。


「あのころの僕は、子どもらしくない、不気味な子どもだった。この世界に生まれ落ちて、僕は人間というものに興味を持ったんだ。だから観察し続けた。自分も人間だってことに、気がついていなかった。僕は、できの悪い人形みたいな子どもだった」


 過去の自分を客観的にジルは語る。

 感情を抜かして、事実だけを。

 だからこそ余計に、わたしは想像してしまった。

 無表情に両親を、ただじっと観察し続ける幼いジルを。

 それはとても不自然で、とても悲しい姿だった。


「そんな顔をしないで、エステル」


 ジルはそう言ってわたしの頬に手を添える。

 優しいぬくもりに頬をなでられ、気持ちが落ち着いていく。

 わたしはどんな顔をしていたんだろう。

 悲しいと、そう素直に告げることはできない。

 それはわたしが言っていい言葉ではないように思えたから。


「ジルは……ジルベルトは、人形じゃありません」


 だからわたしは、それだけを口にした。

 ジルは人形じゃない、人間だ。

 人と同じように喜び、人と同じように悲しむ、ジルベルトという普通の人間だ。


「そうだね、今の僕は違う。僕を変えたのは施設の人たちや養父母、アレク。そして何より、エステルだよ」


 淡い青緑の瞳が細められて、笑みを作る。

 今のジルがいるのは、わたしの存在があったからだと、ジルは言葉で、表情で、伝えてくれる。


「エステルはたぶん怒るだろうけど、僕は実の両親に捨てられてよかったと思ってる。エステルに出会えたからね。エステルに出会うために必要だったんだと思えば、僕は恨むことなく、感謝すら捧げることができる」


 眼下の町を一瞥して、ジルは正直な心情をこぼす。

 それは開き直りではなく、自分の感情をごまかしているわけでもなく、本心からの言葉のように思えた。

 たしかに、この言葉には少し怒りたくなった。

 被害者であるジルが、どうして感謝するなんて言うんだ、と。

 わたしは、ジルを捨てた両親を、一生許せるとは思えないのに。


 けれどジルの言葉が嘘ではないことは、表情を見ればわかってしまう。

 何を言っても無駄なのだということも、わかってしまう。

 ジルにとっては今さらなことなんだろう。

 両親に捨てられたことも、そのおかげでわたしに会えたのだからかまわない、なんて本気で言ってのけるほどに。


「僕を人間にしてくれたのは、エステルだ」


 やわらかな笑みに、わたしは言葉をなくした。

 ジルは本当に心臓に悪い。

 つながれた手から、頬に添えられた手から、伝わるぬくもり。

 秋の風は冷たいのに、わたしの身体はどんどん熱くなっていくような気がした。

 ジルによって、わたしは茹で上げられる。



 こんなにまっすぐ想いを向けてくる人を、わたしは他に知らない。







2013/4/25 誤字修正しました。

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