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星のひかり  作者: 五十鈴スミレ
本編
82/101

七十八幕 その場に立つには



 その日は気持ちいいくらいの快晴だった。

 雲一つない空の下、イーツ家の庭に貫禄のある声が響く。


「本日はみなさんにご報告したいことがございます」


 庭に響き渡る声は、イーツ家の当主フェルナンドさんのもの。

 いや、正確には元当主というべきか。


「本日をもちまして、私の息子、ジルベルトに卿の座を譲ることになりました。どうぞ、これからもイーツミルグをよろしくお願いします」


 そう、頭を下げたフェルナンドさんの隣には、今日の主役であるジルがいる。

 彼は庭を、その場にいるすべての人を見渡してから、微笑んでみせた。

 それははかなげなものではなく、凛とした意志を感じさせる笑みだった。


「若輩者ですが、ラニアをよりよい地とするため、卿として力を尽くしていきたいと思います。父にも負けない働きができるよう、先輩方もご指導のほど、よろしくお願いします」


 よく通る涼やかな美声に、その場にいる全員が聞き入る。

 後半は、ちょうど一所に集まっていた卿の人たちに向けての言葉だ。

 先輩、とあえて気安く呼びかけることで、ジルは周囲の笑いを誘った。

 口の減らない生意気な後輩を演じてみせたのだ。


 和やかな空気は壊されることなく、拍手の音はしばらく鳴りやまなかった。

 ジルが養子であることを揶揄するような声は、どこからも聞こえてこなかった。

 それだけジルがみんなに、ラニアに受け入れられているということ。

 ジルはちゃんと自分の居場所を作っている。

 そのことが、わたしの胸を熱くさせた。


「さすがジルね、なかなかやるわ」


 ジルから目を離さずにいたわたしに、その人は声をかけてきた。

 はっとして彼女のほうを見やれば、こんにちは、と微笑みかけられた。


「エレさん、婚約者の方を放ってきていいんですか?」


 彼女の婚約者は卿家の嫡男だ。まだ跡を継いでいないとはいえ、卿となったジルに挨拶しないといけないだろう。

 どこにいるんだろうか、と視線をめぐらせてみれば、エレさんの婚約者は兄さまや他の卿家の人たちと一緒にいた。


「あら、あの人にもあの人の付き合いがあるから、つつましやかな私は遠慮しただけよ」

「自分で言ってたらつつましくも何もないと思いますが……」


 平然と言ってのけるエレさんに、わたしは苦笑を浮かべるしかない。

 相変わらず、はっきりしているというか、変なところで男らしいというか。

 まあたしかに、男性しかいないあの中にエレさんがいても、気まずいだけかもしれない。


「いいのよ、今は誰も聞いていないでしょうから」


 そう言ってジルのほうを見るエレさんにつられて、わたしも彼に視線を戻す。

 エレさんの言葉はもっともで、まだみんなジルに注目しているから、わたしたちが何を話していようと誰も気にとめないだろう。

 ジルは今は公家の当主に挨拶しているところだった。

 元々目立つ容姿をしているで、こんなに人の多い場でもすぐに見つけられてしまう。

 にこやかに公と話すジルを眺めていると、ふいに距離を感じてしまう。

 物理的な距離ではなく、精神的なもの。もっと言えば、立場的なものだ。


 今はまだ、わたしはあそこには行けない。

 ジルの隣で、ジルの責任を分けてもらうことはできない。

 それは配偶者や婚約者の役目だ。

 わたしがその場に立つには、まずは大人にならなければいけない。

 成人して、そこでやっとスタートラインに立てる。

 わたしがジルを支えられるようになるのは、それからだ。


「その花は、ジルに?」


 エレさんは、わたしの手元に視線を落とす。

 わたしが手に持っている、暖色でそろえられた小ぶりの花束へと。


「はい。このままだと、今日中に渡せるかわかりませんが」

「心配しなくても大丈夫よ。ジルのことだもの、何がなんでももらいに来るわ」


 挨拶をしたり、挨拶を受けたりと忙しそうなジルを見ながら、わたしは答える。

 それにエレさんは、心配することは何もないとばかりに自信満々に言った。

 励ましてくれているんだろうか。

 おとなしく見えて実は気の強いエレさんは、なんだかんだで優しい。

 別に落ち込んでいたつもりはなかったんだけれど、少しだけ気持ちが明るくなったような気がした。


「あの、エレさん」


 ジルの姿を目で追うのをやめ、エレさんを見つめる。

 両思いとなった報告はいまだにしていなかったことを思い出したから。

 エレさんの深緑の瞳と目を合わせたわたしは、そういえば、いつのまにかエレさんとの身長差がほとんどなくなっているんだなと気づいた。

 肉体的な変化を感じ取ることができると、自分の成長を素直に受け止めることができる。

 わたしは着実に、大人になってきているんだ。

 ジルを支えられる立場に、近づいてきているんだ。


「何が言いたいのか当ててあげましょうか?」


 エレさんはそう言って、くすくすと笑い出す。

 全部お見通し、といった様子のエレさんに、わたしはうっとつまった。


「最近のあなたたちを見ていればわかるわよ。特にジル。以前にもましてデレデレだもの」

「そ、そんなにわかりやすかったですか?」


 エレさんにはわたしの想いを伝えてあるんだから、わかってもおかしくないかもしれないけど。

 見ていればわかる、と言われると、最近の言動に問題があっただろうかと気になってしまう。

 ジルがデレデレなのはいつものことだとわたしには思えるのに、エレさんにはその違いがわかるらしい。

 エレさんの観察眼が鋭いのか、わたしたちがわかりやすすぎるのか。できるなら前者であってほしかった。


「どうかしら。私に観察グセがあるせいかもしれないわね」


 観察グセって……と、わたしは反応に困ってしまう。

 エレさんとジルって、実はけっこう似ているんじゃないだろうか。

 好きな相手をよく見ていることだとか、基本的に強気なところだとか。

 似たところを持つ人に惹かれるってたまにあることらしいから、エレさんの場合はそうだったのかもしれない。

 もちろん今は、婚約者さん一筋なのはわかっていますとも。


「今のジル、いい表情をしているわ。エシィちゃんのおかげでしょうね」


 エレさんにそう言われて、わたしはまたジルに目を向ける。

 ジルは兄さまを含めた友だちたちと一緒に話している。エレさんの婚約者もそこにいた。

 気負いのない笑顔を浮かべているから、何か楽しいことでも話しているんだろうか。

 いい表情、と言われても、わたしにはよくわからない。

 ジルがいつもわたしに見せる表情と、あまり変わりがないように見えるから。

 でも、逆に言えばそれは、自然な表情であると言えるのかもしれない。

 猫をかぶっているときのジルの笑顔には、温度がない。それをエレさんも見知っているんだろう。


「わたしはちゃんと、ジルの支えになれているんでしょうか」


 まだまだだ、ということはわかっている。

 現に今、彼の隣に立つことはできないから。

 それでも、少しでも、彼の負担を軽くできているのなら。

 彼の自然な笑みを、わたしが引き出せているのなら。

 心が震えるほどに、しあわせなことだと思う。


「充分支えになれていると思うわよ。彼が卿としてこの場に堂々と立っていられるのも、きっと元をたどればあなたのおかげ。私の想像が間違っていなければね」


 優しいエレさんはそんなことを言ってくれる。

 エレさんの想像がどんなものなのか、わたしにはわからない。

 けれど、わたしは彼女の言葉に、四年以上も前のことが思い起こされた。

 ハスを一緒に見た夏の日のこと。僕を僕にするのはエステルだ、とやわらかな笑みをこぼしながら言ったジル。

 なら、卿としてのジルを築いているのも、わたしなんだろうか。


 視線の先のジルがふと、こちらを向く。

 わたしを捉えた海の色の瞳に、たしかな喜色が浮かび上がった。

 エステル、とその口はわたしの名前を形作る。

 たったそれだけのこと。たぶん、ジルを囲んでいる人たちと、わたしの隣にいるエレさんくらいしか気づかなかっただろうこと。

 なのにわたしは、その場にうずくまって泣きたいような衝動を覚えた。


 ジルの支えに、わたしはなっている。

 ジルの笑顔を、わたしは守れている。

 ジルの心の奥底の、その一番大切な場所に、わたしが存在している。

 そのことを、思い知らされたような気がしたから。



 最後の覚悟が、決まった瞬間だった。

 これから先、わたしはずっと、ジルと一緒にいよう。







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