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星のひかり  作者: 五十鈴スミレ
本編
77/101

七十四幕 当たり前のことのように



 ジルと想いを通わせてから、知ったことがある。

 どうやらジルは、釣った魚に餌を上げないタイプではないらしい。


 あれだけ全力で口説かれていたからこそ、手に入れたとたんにどうでもよくなるんじゃないかという懸念がないわけではなかった。

 落とすまでの過程を楽しんでいるんじゃないか、と。

 ジルの想いを疑うわけじゃないけど、男性にはそういう一面があるとわたしは知識として知っていたから。

 でも、ふたを開けてみれば、ほんの少しだけあった不安が消し飛ぶほどに、ジルは想いが通じ合ってからもわたしに対して甘々だった。

 ……甘すぎて胃もたれしそうなほどに。


 今日はシュア家でのガーデンパーティー。

 同じテーブルをかこんでいるジルは、わたし以外何も見えていないとばかりにじっと見つめてくる。

 少し前だったら、見ないでくださいときっぱり言っていただろう。

 けれど今感じるのは気恥ずかしさだけ。本当に、自覚しただけでこうも変わるものなのか。

 自分の心の変化に、戸惑っていないと言うと嘘になる。

 今のジルは兄の友人のロリコン変態野郎ではなく、わたしの想い人なのだ。

 いや、兄の友人なのもロリコンで変態なのも、何一つとして間違ってはいないけれど。

 好きという気持ちだけで、なんでも許せてしまう気になってしまう。


 そもそもジルはたしかにロリコンだし変態だけど、ごく一部の時を除き、きちんと礼儀をわきまえていた。

 実力行使に出ようとはしなかったし、わたしの外聞のことも考えてくれていたように思う。

 あくまで、ごく一部の時を除き、ではあるんだけども。

 だからわたしもジルを邪険に扱いつつも、嫌うことはできなくて。

 向けられる一途な想いに、心を揺さぶられて。

 そういったものが積もり積もって、こうしてジルのことを好きになってしまったんだろう。


「ねえ、エステル」


 名前を呼ばれただけで、跳ねる鼓動。

 重症だ、と自分でも思う。


 名前を呼ばれる、というのはしあわせなことなのだと、最近実感している。

 まだ兄さまに恋をしていたとき、冷たくも聞こえる兄さまの声が、名前を呼ぶときだけ少し優しく響くのがすごくうれしかった。

 名前を呼ばれるたびに、恋に落ちるような気持ちだった。

 今、ジルへの恋心を自覚して、改めて思う。

 わたしは自分の名前を呼ばれるのが好きなんだ、と。

 ジルの涼やかな美声が、とろけるように甘くやわらかくわたしの名前を呼ぶ瞬間。

 わたしの胸はうるさいくらいに早鐘を打つ。


「なんですか、ジル」


 内心を知られないように、平静を装ってわたしは尋ねる。

 心が読めるんじゃないかと勘ぐりたくなるくらいに敏いジルには、すべてバレているかもしれないけれど。


「名前で呼んでくれないの?」


 ジルは少しがっかりしたような表情でそう言ってきた。


「いつもは、無理です。……まだ」


 無理だと思う理由は二つある。

 一つは、単純にまだ名前で呼ぶのが恥ずかしいから。

 名前を呼ぶというのは、それだけで告白のようなもの。

 日常的に人前で告白できるほど、わたしはオープンな性格をしていない。

 もう一つは、こんなに人がいる中で名前で呼ぶのは、周りがどんな反応をするのかわからなくて怖いから。

 今は声を抑えていることもあって、話の内容までは聞き取れないだろうけど、ジルはたぶん今のことだけを言っているわけじゃない。

 何がなんでも隠し通したいとまでは思わないけど、今はまだジルとの関係をあまり周囲に知られたくはなかった。


 二人きりのときなら、ジルベルトと呼びたいとは思う。

 好きな人に名前を呼んでもらえるしあわせを、ジルにも味わってもらいたい。

 そうして彼の名前を呼ぶことに、彼を想うことに慣れたら、そのときやっと、人前でもジルベルトと呼べるようになる気がする。

 今はまだ、そのときではないから。

 待ってもらえている間は、それに甘えてしまいたかった。


「そっか。じゃあ少しずつ練習していかないとね、二人きりのときにでも」


 ふふっとジルは微笑んで、甘くささやく。

 わたしの気持ちを正確に読み取ってくれたらしい。

 本当に、ジルには敵わない。

 わたしのことをわかってくれているのは、それだけわたしのことを見ていてくれたからなんだと思う。

 そう考えると、むずがゆいような、くすぐったいような気持ちになる。


 次に二人きりになれる機会はいつだろうか。

 子どもとして扱ってほしい、というのは、常識的には正しいことではあるんだけれども。

 長い間わたしを想ってくれていたジルにとっては、生殺しみたいなものなのだということも、わかっている。

 だから、せめて二人きりのときは、ジルの望むものを差し出したい。

 名前も呼んであげたいし、過剰でなければ触れ合いたい。

 好きだと自覚した今は、わたしにもそういった欲求は当然のようにある。


「……エステル、あんまりそういう目で見ないで」


 ふいにジルはそう言って、顔を背けた。

 手で隠しきれていない頬は少し赤らんでいる。


「どんな目ですか?」


 言葉の意味がわからずに、わたしは首をかしげる。

 たしかにじっとジルを見てはいたけれど、そんなおかしな目はしていなかったつもりだ。

 ジルは横目でわたしの顔をうかがい、手を顔から離して困ったように笑う。


「物欲しそうな目」

「なっ!」


 ティーカップがカシャンと音を立てた。

 そんな目はしてません! と思わず怒鳴りそうになった。

 でも、そんなことをしたら目立ってしまうだろうから、ぐっと堪えるしかない。

 今のわたしはきっと、ジルよりも真っ赤になっているだろう。


「周りに誰もいなければ、期待に沿いたいんだけど、ね」


 艶を含んだ声が、笑みが、妙に色っぽい。

 海の色の瞳はこれ以上ないくらいに甘やかで。

 今度はわたしのほうが目をそらさなければいけなくなった。


「なんというか、ジルは隠すつもりがありませんよね」

「今さらじゃない?」

「……まあ、そうなんですけど」


 ジルはずっと隠すことなくわたしに想いを伝えてきた。

 変わったのは、わたしのほうだ。

 ジルの言葉を受け取るわたしの気持ちが、変わったから。

 だから、冷静じゃいられなくて、こんなふうにいちいち反応してしまう。

 こんなことじゃ、周囲の人たちにバレるのも時間の問題だと思う。


 もう少しだけ待って、というわたしの言葉を、ジルはこれでも一応、守ってくれている。

 ガーデンパーティーでわたしとジルが一緒にいるのは、毎回とまでは言わないけどいつものこと。

 それでも、二人の関係に変化があったことに勘づく人はいる。

 ジルは何人かの友人に何かあったのかと、ついに付き合いだしたのかと聞かれたそうだ。

 その問いに否定も肯定も返すことなく、あいまいにごまかしてくれたらしい。

 わたしはリゼには機会があれば話すつもりでいるし、友だちなら本当のことを告げても、と言ったけれど、口をつぐんでいられる奴らではないから、とジルは苦笑していた。

 わたしとの約束を守って、慎重に話す相手を選んでくれているのだ。


 でも、いくら明言しなくたって、わかる人にはわかってしまうだろう。

 察しのいい人なら、わたしのジルへの態度が前とは違うとすぐに気づくはず。

 ジルと両思いになってからすでに数度、同じガーデンパーティーに出席して顔を合わせている。

 どこまで秘密にしておくべきか、きちんと考えないといけないかもしれない。

 できれば成人するまでは、そっとしておいてほしいんだけれど。


 わたしはちらりとジルに目をやる。

 ジルのやわらかな微笑みを見て、わたしも表情をゆるめる。

 関係が変わっても、変わらずに想いを向けてくれる人がいる。そのことに、なんだか救われたような気持ちになった。

 何も差し迫った問題が起きているわけじゃない。

 今は、このあいまいな関係を、楽しむくらいの余裕が必要なのかもしれない。


「……ジル」

「ん?」


 呼べば、応えてくれる。

 わたしの言葉は何一つ聞き逃したりしないと言わんばかりに。

 まっすぐに、わかりやすく示される好意が、今はうれしい。


「今日のアーモンドクッキーはわたし一人で作ったんです。だから……」


 食べてほしい、と思いながら作った。

 ジルの好物だから、喜んでくれたらいいと。

 そう、素直に伝えるのは難しくて。

 言葉につまっていると、ジルはアーモンドクッキーを手に取った。

 わたしの見ている前で、クッキーはジルの口の中に消えていく。


「おいしい」


 ジルは笑顔でそう言ってくれた。

 ため息をついてから、柄にもなく緊張していたのだと気づく。

 味見はしたから、失敗していないことはわかっていたけど。

 おいしいと言ってもらえて、笑顔を浮かべてもらえて、すごくほっとした。


「はい、エステルも」


 ジルはクッキーをつまんで、わたしに差し出してくる。

 渡そうとしてくれているわけじゃなく、わたしに食べさせようとしているのだとわかって、どうするべきか少し迷う。

 ジルとの関係を秘密にしておきたいなら、その手を断って自分で食べるべきだ。

 俗に言う『はい、あーん』が、周りからどう見えるのかなんてわかりきっている。

 わかっていながら、わたしは正しくないほうの答えを選びとった。


「……しょうがないですね」


 苦笑をこぼして、素直に口を開く。

 舌の上にクッキーを置いた指が、わずかにわたしの唇に触れる。

 クッキーのくずがついていたのか、それとも別の意図があるのか、ジルはその指を舐めとった。

 口の中に、クッキーのものだけではない甘さが広がっていく。

 ジルは本当に、隠していてほしいものすら隠してくれない。

 そんなジルだから、わたしは冷静じゃいられなくなる。感情がむき出しになる。

 この人が好きなんだ、と実感させられる。


 もう、手遅れかもしれない。

 好きだという想いは日に日にふくれあがっていって、自分でも制御できない。

 まだ子どもだという事実がじれったい。

 きっとそれは、ジルも同じなんだろうけれど。


 こんな気持ちで、成人する日を心待ちにするだなんて、少し前は思ってもみなかった。

 変化した想いに、いまだに少し戸惑う自分がいる。

 それでももう、この想いはなかったことにはできないから。

 この恋を、なかったことにはしたくないから。



 ジルを好きでいる自分を、いつか当たり前のことのように受け入れられればいいと思った。







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