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星のひかり  作者: 五十鈴スミレ
本編
73/101

七十幕 ジルベルト



 勉強会が終わるだいたいの時間は、前もって兄さまから聞いておいた。

 その時刻よりも余裕を持って、わたしはジルを捕まえるために玄関で待ち伏せしていた。

 部屋の前と迷ったけど、そのあとの移動のことを考えてこっちを選んだ。

 やがて、足音と共に姿を表したジルは、わたしを見て少しだけ目を見張った。


「逃げないでくださいね」


 すかさず、わたしはジルに向けてそう言った。

 何しろジルには前科があるんだから。

 二年と少し前、都で色々あったあとに、ジルは徹底的にわたしを避けた。

 それはジルが熱を出して寝こむまで続いたんだから、今回もそうなってもおかしくないと思っていた。


「逃げないよ」

「本当ですか?」


 念入りに確認するわたしに、ジルはかすかな笑みを見せた。

 よかった、怒りはもう治まっているようだ。

 これならきちんと話せるかもしれない。


「逃げたいな、と思わなくもなかったんだけど。そうしたら二年前から成長していないことになるし、今回は君から会いに来てくれるとはかぎらなかったし、ね」

「……来ちゃいましたけど」

「そうだね、驚いた。てっきり君にはもう少し時間が必要かと思ってたよ」


 その言いようからすると、逃げるつもりはなかったけど、しばらく距離を置くつもりはあったらしい。

 時間はたしかに必要だった。自分を落ち着けるために。

 だからこそあの日はパーティー会場に戻らなかったんだし、ジルもそのことは薄々気づいているはずだ。

 もっとも、わたしが自分の想いを自覚したことまでは、知らないだろうけど。


「場所を移しましょう」


 わたしはそう告げて、玄関から外に出た。

 誰にも話の内容を聞かれる心配のないところというのは、案外少ない。

 一番安全なのはわたしの部屋だけど、もうすぐ成人する身で男性を部屋に誘うのはあまりよろしくない。

 なら庭の視界の開けた場所ならいいだろうと、それもあってわたしは玄関で待ち伏せしていたのだ。

 おとなしくわたしのあとをついてくるジル。

 隣に並ばないのは、ジルなりにこの間のことを反省しているからだろうか。

 それとも単に、今のわたしとの距離感をつかみかねているんだろうか。


「何か、言うことはないんですか?」


 周りには低い草花しかない場所で、わたしはジルに問いかけた。

 数日前のことを言っているのだと、ジルになら伝わるだろう。


「謝ってほしい?」


 わざとなのか、怒りをあおるような聞き方に、わたしはむっとしてしまう。


「ジルのしたことは、許されないことです。それくらいはわかっているでしょう」

「わかっているよ。それでも、謝りたくないと言ったら、君は怒る?」


 一応、悪いとは思っているらしい。

 その上で謝りたくないのだと言うジルに、わたしは困惑する。

 どうして謝りたくないんだろうか。

 謝って、そこで終わりにしたくないから?

 そんな考えがふと浮かんでくる。


 あの時、わたしは勝手なことを言って、きっとジルを傷つけてしまったんだと思う。

 だからといって、むりやりキスしたことを正当化できるわけじゃない。

 それはジルもわかっているはず。

 なのに謝りたくないというのは、謝ることで問題を解決させたくないから。

 そこにある、もっと根本的な問題を、わたしに見てほしいから。

 そういうことなのかもしれない。


 本当に自分は謝ってほしいんだろうか。

 それよりも、もっと欲しい言葉があるんじゃないだろうか。

 謝罪よりも大切なことが、あったはずだ。


「……どうして、キスしたんですか?」


 疑問は、自然と口からすべり落ちた。

 待たないでと言ったとき、ジルは身をかたくしていた。

 言われたくなかったことなのだと、今ならわかる。

 どうして、それほどに動揺したのか。どうして、口づけという行為におよんだのか。

 謝ってもらうよりも、その答えを知りたかった。


「なんでもいいから、君に刻みつけたかったんだ」


 ジルの微笑みは、どこかはかなげだった。


「待たないでって、君は言った。それって、君への想いを捨てろってことと同じだよね。そんなことができるわけない。捨てられるほどの想いじゃないんだって、君に知らしめたかった」


 あの時の言葉を重く受け止めていたジルに、わたしは面食らった。

 そこまで深くは考えていなかった。

 ただ、待たせていることがとてつもない罪悪のように思えたのだ。

 キープくんという、自分にとって都合のいい存在にジルをしてしまっていたのだと、自分がひどく卑しく感じられて。

 衝動のままにジルに言葉を投げかけた。

 その結果があの口づけだったのだとしたら、なんというすれ違いだろう。


「エステル、僕は君が好きだよ。この気持ちは一生変わらない」


 海の色の瞳が、射るようにわたしを見つめている。

 まっすぐ向けられる想いが、熱量を持ってわたしの胸に押し寄せる。

 ジルが好きなのだと自覚してからの、初めての告白。

 今まで経験したことがないくらい、鼓動が早鐘を打つ。

 ジルにまで聞こえてしまうんじゃないだろうかと、変なことが気になった。


「簡単に、一生だなんて言わないでください」

「簡単じゃないんだけどね」


 目を合わせていられなくて、わたしはうつむく。

 ジルが息をついた気配がした。


「ジルがそんなだから、わたしは……」


 ジルに甘えてしまうのに。

 それを、悪くないと、心地いいと思えるようになってしまったのに。

 自覚した想いをなかったことにはできない。

 覚悟を決めないといけない。

 わたしは勢いよく顔を上げる。


「エステル?」


 わたしの様子がいつもと違うことに気づいたのか、ジルが不思議そうにわたしの名前を呼ぶ。

 そうだ、とわたしは気づく。

 この想いを伝えるのに、一番いい方法があるじゃないか。

 それは過去何度かジルに提案されて、冗談じゃないとつっぱねてきたこと。

 今なら、呼べる。


「ジルベルト……」


 想いを込めて、彼の名前を。

 目と目を合わせて、しっかりと。

 声は震えてしまっていたかもしれない。ささやくような小さな声になってしまったかもしれない。

 それでも、ジルの耳には届いたはずだ。


「……え」


 ジルの目が大きく見開かれる。


「ジルベルト」


 もう一度、今度はちゃんとした声の大きさで。

 聞き間違いではないんだと、わかるように。

 音に込めた想いを、受け取ってもらえるように。


「待って、エステル。それはどういう意味で……どんな思いを込めて、呼んでいるの? 言ってくれないと、都合のいいように解釈したくなる」


 焦っているようにいつもより早口なジル。

 めずらしい様子に、動揺してくれているのだとわかって、うれしくなる。


「わかりませんか?」


 問いかけながらも、わたしの胸はバクバクと鳴っている。

 ジルの想いは知っている。

 ジルがわたしが想いを返すことを待っているのだと知っている。

 それでも、告白というのは緊張するものだ。

 大きな期待と、ほんの少しの不安。

 わたしはきちんとジルに想いを伝えられているだろうか。

 ジルはわたしの想いを受け取ってくれるんだろうか。


「僕が、エステルと呼ぶのと同じだと。同じだけの想いを向けてくれているんだと。そう、思ってもいいの?」


 おそるおそる、といった様子で、ジルは確認する。

 その言葉に、わたしはこくんとうなずいた。

 ジルの頬が赤く染まっていくことに、喜びを感じる。

 正直、ジルと同じだけの想いを抱いているのかは、あまり自信はない。

 何しろわたしはまだ自覚したばかりで、対するジルの想いは年季が入っている。

 それでも好きだという気持ちは嘘ではないし、ジルと同じくらいの想いを返せるようになれればとも思っている。

 きっと、それでいいんだと思う。


「……夢でも見ているのかな」

「人の一世一代の告白を、勝手に夢にしないでください」


 口元を手でおおいながら、二年前に見舞いに行ったときと同じようなことを言うジルに、わたしも同じ言葉を返した。

 一世一代の告白というには、言葉足らずだったのは否めないけれど。

 それでも、ジルへの想いを伝えようと努力したつもりだ。


「触れてもいい? 夢ではないと確かめたいんだ」


 いまだに赤い顔のまま、ジルはそう言ってきた。

 夢だなんて本気でそう思っているんだろうか。

 それほどに、わたしの想いは信じがたいものなんだろうか。

 不安があるのなら、それを取り除いてあげたい。

 ジルが、わたしを甘やかしてくれるように。

 わたしもジルに優しくしたい。


「どうぞ」


 わたしは自分から一歩、ジルに近づいた。

 ジルの手がわたしの髪をすき、それから頬にそっと触れる。

 うぶ毛をなぜるような感触はくすぐったく、思わず肩をすくませる。

 親指が、わたしの唇をなぞった。

 数日前のキスを思い出して、頬が熱くなってくる。

 そのことに気づいたのか、ジルが微笑む。

 それは本当にうれしそうなもので、わたしの心まであたためられる。


「キスをしても、許される?」


 吐息のようなその言葉に。

 わたしは目を伏せることで、答えた。



 二度目の、触れるだけの口づけは、わたしにしあわせという言葉の意味を教えてくれた。







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