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星のひかり  作者: 五十鈴スミレ
本編
39/101

三十六幕 やわらかなぬくもり



 養子になる前に、イーツミルグ、という家の規模と役割を説明された。

 ラニアの領地を治める公家と卿家のことは知っていた。

 イーツミルグは卿家の一つ。

 君に後を継いでほしい、と父になる人は言った。


 そのために自分は養子になるんだ、と僕は理解した。

 後を継がせたかったから、優秀な子が良かったんだろう。

 生まれてくる子は選べないが、養子にする子は選べる。

 ある意味、合理的かもしれないと思った。




 イーツ家の養子になった僕は、転校をした。

 そこで、彼に出会った。


「――アレクッ!?」


 初めまして、と言った僕に返ってきたのは、よろしくという声ではなく、人の倒れる音だった。

 そちらに目を向ければ、椅子から崩れ落ちて床に伏している子。

 栗色に近い金の髪は短めに切られていて清潔感がある。他の子と比べると若干着ているものが上質なように見えた。

 自分にはめずらしく心配という感情がわいてきて、少年に近づく。


「大丈夫?」


 声をかけると、彼は低くうめいた。

 まぶたが持ち上がり、薄く彼の紫の瞳が見えた。


――彼だ。


 目が合っただけでわかった。

 アレクと呼ばれた少年が何者なのか。

 僕をこの世界にひっぱり込んだ張本人。あの少女の片割れ。


「先生、彼を休ませてきます」

「あ、はい、よろしくね」


 生徒を落ち着かせていた先生が僕の言葉にうなずく。

 転校生に任せるというのはあまりいい判断ではないと思うけれど、先生も気が動転していたんだろう。

 これ幸いとばかりに、治療室の場所をアレクの友人と思わしき人に聞いて、アレクを連れて行った。

 治療室でアレクを横にさせると、彼はほっとしたのか気を失った。

 彼の寝顔を見ながら、僕は考える。


 正直、会うとは思っていなかったのだ。

 この世界からこぼれ落ちて、違う世界で生を受け、死に、また戻ってきた魂。

 狭間の番人としての役目で彼の魂を拾って、元に戻したのは僕だ。

 当然、この世界にいるのだろうとはわかっていた。

 同い年なのは、彼の行動によって僕がここにいるゆえに、落ちた時間軸が同じだったからか。

 世界の理というものはうまく機能しているものだ、と皮肉げに思った。


 なら、彼の傍に彼女もいるんだろうか。

 この世界で双子として生まれるはずだった魂だ。当然、引かれ合うはず。

 姉か妹か、もしくは母親か娘か。

 世界が違えば、時間の流れも同一方向ではない。

 あちらの世界での十二年前が、こちらの世界では過去になるのか未来になるのか、まったくわからないのだ。

 それでも、会えることなら……会いたい、のだろうか、自分は。


 よくわからなかった。

 どこかでしあわせでいてくれればそれでいいと、ずっと思っていた。

 それが、すぐ近くにいるかもしれない。

 会おうと思えば会えるかもしれない。

 ひどく現実味がなくて、ジルは先生に声をかけられても気づかずに、アレクが目覚めるまでぼんやりとしていた。




 それから、アレクとは親友と呼べるほどに仲良くなった。

 僕の無表情を気にしない子どもは初めてだった。


「表情がなくても感情がないわけじゃないだろう。何を考えているのか、よく見ればわかる」


 そう言ってアレクは笑う。

 そうか、彼にはわかるのか。と僕は不思議な心地だった。

 それはもちろん不快ではなく、うれしいという感情に近い。

 満ち足りるということを、しあわせという言葉の意味を、このとき僕はおぼろげに理解した。


 アレクと仲良くなっていくほど、彼のことを本人や周囲から見聞きするようになる。

 番人に衝撃をもたらした存在に会うかどうか、その答えが出る前に、アレクに妹がいることを知った。

 生まれて一年もしないという妹の他に、兄弟はいない。

 その妹があの少女である可能性は高いように思えた。

 この世界に、存在している。

 あのひかりの塊のような魂が、この世界で日々育っている。

 純粋に、うれしかった。


「エステルと言うんだ。いい名だろう」


 星。彼女にぴったりの名前だ。

 名前は家族みんなで考えたという。家族円満なシュア家らしくて微笑ましかった。

 エステル。エステル。

 心の中で何度もくり返し呼んでみる。

 彼女の、名前。




 アレクと友人になって一年も経ったかというころ。


「本当に来ないのか?」

「ああいう場は苦手なんだ」


 ガーデンパーティーは人脈を得て、情報を交換し、そして伴侶を探す場。

 イーツ家でも何度となく開かれていたし、父や母と共に他家のガーデンパーティーに呼ばれて行ったことも数えきれないほどある。

 けれど、シュア家主催のガーデンパーティーには、僕は一度も言ったことがなかった。

 アレクの家がイーツ家と同じ卿家で、実は親同士に交流があったことは、アレクと仲良くなってすぐに知った。

 同い年の友人の家のガーデンパーティーになぜ行かないのか。

 それは、エステルに会うのが怖かったからだ。


 アレクは、僕と出会ったことで前世の記憶を思い出してしまったようだった。

 本人から聞いたわけではない。「アレク、変わったよな」という共通の友人の言葉と、アレクの様子から勝手にそう推測しただけだ。

 生まれたころからの観察グセが役に立ったとも言う。

 前世の彼を知っている僕にとっては、うっかりとこぼす“俺”という一人称と、垣間見える大人の冷めたまなざしだけで充分だった。


 もし、エステルも僕とまみえることで前世の記憶を取り戻してしまったら。

 かつての自分を思い出す。

 泣きもせず、笑いもしない、両親に気味悪がれた自分。

 たった一歳で十六年の記憶を得てしまったら、エステルもあんなふうになってしまうかもしれない。

 シュア家の当主も奥方もいい人だと知っている。捨てられることはないとわかっている。

 でも、少しでも気味悪がらないと、なぜ言える?

 一度不安を抱いてしまえば、会おうだなんて思えなかった。


 自分が我慢すればいい話。

 そう思っている時点で、会いたいと願っていることに他ならないのだと、気づいた。

 エステル。彼女の名を心の中だけで唱える。

 実際に呼ぶ日が来るのは、もっと先のことでいい。




 そうとも言っていられない事態に追い込まれたのは、アレクの十一歳の誕生日だった。

 半分に折られた厚紙を手渡される。開いてみればそれは正式な招待状だった。


「おまえを招待する。必ず来い」


 ここまでやるか、と僕は頭を抱えたくなった。

 何がアレクを動かすのか、薄々はわかっている。


『君にとって大切な存在なのか?』


 次元の狭間での会話が頭をよぎる。

 自分……いや、狭間の番人は、その問いに肯定してしまった。

 あのとき彼の魂はほとんど世界に還っていた。どこまで覚えているのかはさすがにわからない。

 それでも、むりやりに番人を狭間から引っぱり出した彼だ。もし覚えていなかったとしても、会わせたいという本能にも近い欲求があるのだろう。


 エステルは現在二歳で、冬が来れば三歳になる。

 まだ、早いような気がする。会うのが怖いというのは変わらない。

 それでも、正式に招待された以上は、理由もなく断るわけにはいかないだろう。

 ため息をついてから、僕は了解、とアレクに告げた。




 その子どもは、ちょうどお昼寝の時間だったようだ。

 ベッドに眠る幼女を、アレクが揺すって起こす。

 彼女が、僕をその目に映した。


――見つけた。


 全身に電撃が走ったように思えた。

 それほどの衝撃だった。

 アレクと同じ色の紫の瞳は、けれど違う輝きを宿している。


――星のひかり、だ。


 日が沈んで、夜が始まるその瞬間の空を切り取ったような色。

 夕暮れに浮かぶ星のまたたきが見えるような気がした。


「見つけた、僕のひかり」


 小さな身体を抱き上げて、僕はそうささやきかける。

 エステルは訳がわかっていないのか、ぱちぱちと瞳を開いたり閉じたりする。


「だぁれ?」

「僕はジルベルト。アレクの友だちだよ」

「じうべうと? にーさまの?」


 舌っ足らずな声で名前を呼ばれたことに、言葉にできないほどの幸福を感じる。

 ああ、この子だ。番人だった僕にひかりを見せてくれた彼女だ。

 泣きそうなほどの感動を耐えて、ぎゅっとエステルを抱きしめた。


 まだ、エステルが前世の記憶を取り戻したのかはわからなかった。

 アレクみたいに倒れることがなかったのは、まだ脳が未発達で、情報をうまく処理できていないからという可能性もある。

 今倒れられでもしたら、アレクのときと比べ物にならないほど大惨事だろうから、正直助かった。

 けれどアレクという前例を思えば、きっといつかは思い出してしまうんだろう。

 もしこれから、少しずつ思い出していくというなら。

 それによってつらい目に合うことがあるとしたら。


 ずっと、傍にいよう。

 君を大切に思う存在がここにいるのだと、伝えていこう。



 僕はそう、やわらかなぬくもりに誓った。







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