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星のひかり  作者: 五十鈴スミレ
本編
31/101

二十八幕 信じられるわけがない



 都に来て十日ほど。

 明日、ジルたちはラニアに帰る。

 別に領地に戻ればいくらでも会う機会はあるんだから、改まって挨拶する必要もないんだけど。

 ジルには聞きたいことがあったから、思いきって散歩に誘ってみた。

 ここは背の低い花しかない庭園。少し先にはわたしの身長より高い花木もあるけど、もしそこに人が隠れていたとしても、話し声は届かないだろう。

 いろんなところから丸見えだけど、その分、内緒話には適している場所だ。


「ジル、正直に答えてください。リュシアンさまのことをどう思っていますか?」


 聞きたいこと、とはこれのこと。

 リュシアンさまに敵意を向けているというのが本当なら、理由を知りたかった。

 制限君主制のこの国では、簡単に不敬罪になんて問われない。だからって放置していい問題かというと、少なくともわたしはそうできなかった。


「嫌いだね」

「! どうして……」

「どうして? エステル、他でもない君に、わからない?」


 ジルは心底不思議そうな顔をした。

 その言いぶりからして、わたしが関係しているということなんだろう。

 リュシアンさまとわたしの関係は友だち。ジルはわたしになぜだか執着している。と来たら……。


「わたしと仲良くしているから、ですか」


 嫉妬、ということだろうか。

 そういえば都見物の日にも何か言っていたように思う。


「僕とは“お似合い”だなんて、言われたこともないからね」

「そんなの、年齢を考えれば当たり前のことでしょう」


 ジルの皮肉げな言葉に、わたしはため息を返す。

 わたしとリュシアンさまの噂をどこかで聞いたんだろう。呼び方だとか、完全に二人きりにはならないようにだとか、いくつか対策を取っていても、広い王宮じゃ人の口に上ることはとめられないらしい。

 わたしがあと一週間もすれば領地に戻る、というのも大きいかもしれない。すぐにいなくなる人だから、気楽に噂できる。

 リュシアンさまに近しい人が真実を知ってさえいれば、問題にはならないからね。


「……エステルは、彼のことが好き?」

「友人として、好きです」


 ジルを刺激しないよう、正直にわたしは答えた。

 どうしてわたしが気を使わなくちゃいけないんだろう。

 別に誰と仲良くしようと、ジルに気兼ねしなきゃいけないことなんてないはずなのに。


「そっか。じゃあその言葉を信じてあげる。だけど……」


 一歩、ジルがわたしに近づく。

 もともとそれほど距離はなかったから、それだけで目の前に来ることになる。

 ジルの手がわたしの肩に乗って、不思議に思う間もなく引き寄せられた。

 何をされるのか、身をかまえることもできなかった。


 やわらかい感触が、わたしの頬、しかも唇のすぐ横に。


「おまじない。僕以外の男なんて見ないように」


 かがんでいたジルが身を起こす。わたしは呆然とそれを見上げた。

 視線の先には、形のいい唇。それが今、わたしの、頬に……。

 理解が追いついた瞬間、カッと全身が沸騰したかのように熱くなった。


「な、な……何を、考えているんですか!」


 わたしは我慢できずに声を荒げた。

 冷静になんてなれるはずなく、握った手も怒りで震える。


「言ったとおりのことだけど」

「ありえません。本当に大馬鹿者です。ここは王宮で、誰が見ているかわからない庭園です。それなのに今、何をしました? ジル、これは冗談ではすまされませんよ」


 何を言っているのか自分でもよくわからない。とにかく黙ってはいられなかった。

 髪や手への口づけなら、まだそこまで問題はなかった。

 でも、この国は挨拶でキスをするという習慣はない。

 遠くから見たら唇同士のキスに見えかねない頬への口づけが、冗談ですまされていいわけがない。

 幸いというかなんというか、ここから見える範囲に人影はいないけれど、誰にも知られなければいい、という問題でもない。


「冗談ですますつもりもないからね」


 しれっとジルは言う。

 いつもどおりの態度が、いつも以上に腹立たしい。


「本当に……何を考えてるんですか。何がしたいんですか。わたしは、子どもなのに」

「子どもでも、僕にとって一番大切な存在だということに変わりはないよ」


 ありえない、と頭を抱えたくなる。

 ジルの思考回路が理解できない。衝撃と困惑で頭の中がぐしゃぐしゃだ。

 もう、嫌だと思った。

 これ以上、ジルに困らせられたくない。


「信じられるわけがないでしょう。もう、これまでにしてください。あなたの遊びにはもう付き合いきれません」

「……遊び?」


 わたしの言葉に、ふとジルは表情を消す。


「他にどう言えばいいですか? 戯れ? 冗談?」

「僕の想いを、今までのすべてを、本当に遊びだなんて思っているの? エステル」

「信じられるわけがない、と言いましたよね」


 ひどいことを言っているのかもしれない、と自覚はしていた。でも口はとまらなかった。とめられなかった。

 ただ、ジルから逃げ出したくて。

 その一心で、ジルの様子に気を配る余裕なんてなかった。


「……君が言ったのに」


 感情の抜け落ちた声に、わたしはジルに顔を向けた。

 ジルはとても傷ついたような表情をしていた。


「一人は寂しいって。私に、一瞬一瞬を大事だと思えるような存在ができればいいって……そう言ったのは君なのに。その君が、この想いを否定するの?」


 覚えのない言葉。一人称の違い。違和感にわたしは眉をひそめる。

 ジルはいったい何を言っているんだろう?


「なんのことですか? そんなこと言った記憶……」

「そうだね、君は覚えていないかもしれない。でも本当のことだ。だから僕はここにいるのに」


 ジルはしぼり出すような声で語る。

 泣きそうだ、と思った。

 ジルがこんな顔をすることがあるなんて、思ってもいなかった。

 いつも無駄ににこにこしていて、何を考えているのかわからなくて。

 垂れ下がった眉。うるんだ瞳。激情を堪えるように握られた拳。風になびく白金の髪すらはかなげに見える。

 こんな、つらい、悲しい、苦しいと、全身で語るようなジルは、わたしは知らない。


「エステル」


 ジルが、手を伸ばしてくる。

 逃げなきゃ、と頭では理解している。また何をされるのかわかったものじゃない。

 でも、身体が言うことを聞いてくれなかった。

 ジルの手がわたしの手を捕らえて、引く。

 倒れ込むようにジルに抱きとめられて、そのままぎゅっと抱きしめられる。

 抱きしめるというより、しがみつかれているようだ、とわたしは思った。


「エステル、エステル……」


 まるで、迷子の子どもが母親を呼ぶように、ジルは何度もわたしの名前を呼ぶ。

 震えが直接伝わってきて、胸がしめつけられるような心地がした。

 どうして、ジルはこんなに動揺しているんだろう?

 わたしの言葉一つで、これほどに。


「……僕のひかり」


 こぼされた言葉に、ギクリとした。

 やっぱりあの夢で聞いた言葉は、現実のものだったのか。

 今それを知れたところで、どうすることもできないんだけども。


「僕のひかりは、僕だけのひかりではないんだね」


 かすれながらも、しっかりとした声で、ジルはそう言った。

 どういう意味、と聞く前に、彼はわたしを解放した。

 わたしが何かを言う暇もなく、手を放してすぐに身をひるがえし、庭園を去っていく。

 残されたわたしは、いまだに混乱したまま。



 春の風が、身体の熱を冷ましてくれるまで、わたしは庭園に立ちつくしていた。







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