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【五行を統べる半妖は】冷徹に異能学園の頂点を目指す――ⅩⅢ 現代群像戦線  作者: 神野あさぎ
一年生・夏休み

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case.61「風鈴祭Ⅱ」

 屋台から漏れる熱を帯びた光が、夜の闇を底から焦がしている。

 風鈴祭。

 浴衣姿の花緑青小春《はなろくしょう・こはる》は、喧騒の中を一人、あてもなく歩みを進めていた。


「はあ……まさかA組と会うなんて……」


 小春の唇から、重い息がこぼれ落ちる。

 単独で祭りを訪れている姿を視認されたことへの不快感。加えて、中間テストにおいて陥れようと画策した対象である六大路辛(ろくおおじ・かのと)と遭遇したという事実が、彼女の胸の奥に黒い澱を形成していた。


 その時、周囲のノイズを切り裂くように、風鈴の音が単発で響いた。

 小春の視線が、音の発生源へと吸い寄せられる。


 群衆の切れ間。

 そこに、一つの屋台が孤立して存在していた。

 周囲の人波はその一角だけを避けるように流れ、不自然な空白が生まれている。


「願い札……?」


 小春は足を引きずられるように歩みを止め、屋台の屋号を読み上げた。


 色褪せた赤い垂れ幕に、墨で記された三文字。

 陳列棚に並ぶのは、白い短冊、細工の施された鈴、鏡、櫛、紙刀。

 一見すれば子供向けの玩具に過ぎない。しかし、提灯の明かりに照らされたそれらの影は、光源の位置とは決定的に矛盾する方向へと伸びていた。


 その空間だけが、明確に異なる法則で運用されている。


 小春の喉が上下した。

 売り子は若い女の輪郭を持っていた。


 だが、その顔貌を認識しようと焦点を合わせても、網膜はただノイズを捉えるだけだった。

 女は左手で客に品を渡し、右手で短冊に朱印を押下する。

 そして、品を引き渡す直前。硬質な音を立てて、台を三度叩いた。


「お疲れね。これ、鏡。寝る前に覗いて『自分の目』を三度合わせて。願いは、声に出さずに――心の中で唱えるの」


 手鏡を受け取った女性客の身体から、強張りが抜け落ちる。

 内側から光が漏れ出したような錯覚。

 その直後、鏡の表面の奥で、白い糸状の影が蠢いた。


 隣の客は、買い求めた紙刀の表面を指先でなぞっている。


「切らないで、撫でて。いらないものを削げるから」


 紙の刃が空気を撫でた瞬間、客の背後にへばりついていた薄膜のような影が剥離し、刀の根元へと吸い込まれていった。


「何……?」


 小春は瞬きすら忘れ、その異常な光景に縛り付けられる。


 売り子へと視線を戻すと、その顔の定まらない唇が微かに動くのが見えた。

 脳髄に直接響くような、囁き。


 ――「もっと、見て」


 無数の風鈴が、突如として一斉に鳴り響く。

 大気中に滞留していた群集熱の係数が跳ね上がった。

 空気が粘度を帯びた熱を持ち、陳列された短冊の文字が青白く発光を始める。


 小春の心の隙間を埋めるように、異常な音と熱が流れ込む。

 彼女の瞳孔から光が失われ、その両足が操り人形のように前へと踏み出した。

 願い札の屋台へと、吸い寄せられるように歩幅を重ねていく。


 二歩、三歩。

 四歩目を踏み出そうとした瞬間。

 彼女の右腕が、強い万力のような力で引き留められた。


「花緑青!」


 鼓膜を打つ、聞き覚えのある鋭い声。

 その衝撃が、小春の脳内を覆っていた靄を瞬時に吹き飛ばした。


 瞳に焦点が戻り、自身の腕を拘束する人物を見据える。

 そこに立っていたのは、六大路辛だった。


「あれ……六大路君?」


 小春が目を瞬かせ、状況の不一致に呟く。

 視界の端から異常な屋台は跡形もなく消え去り、色彩とノイズに溢れた元のお祭りの風景が広がっていた。


「えっ願い札は?」


 小春は周囲へ視線を巡らせる。

 ありふれた屋台の列と、行き交う人々。

 先程まで眼前に存在していたはずの空間は、完全な虚無へと回帰していた。


「辛く~ん!」


 背後から、黒川玄(くろかわ・くろ)が右手を大きく振りながら駆け寄ってくる。


「六大路、いきなり走り出すから……なんかあった?」


 玄に続き、蘇芳(すおう)レイヴンも息を切らして合流する。

 辛は彼らと共に行動していたが、異常な気配を感知した直後、一切の予備動作なくこの場へ向かって疾走していた。


「さっき異様な気配を感じた。丁度この辺りだ……そしたら虚ろな花緑青が居て」


 辛は周囲の空間を冷徹な視線で走査しながら、状況の断片を提示する。

 小春の背筋に冷たい汗が伝う。


「特に変わりようは、ないと思うけど?」


 レイヴンが眉をひそめ、辛と同じように周囲を観察する。

 しかし、彼の網膜が捉えるのは平凡な祭りの光景だけだった。


「いえ……なんでもないです」


 小春は視線を足元へ落とし、それ以上の言及を避けた。

 事態が収束したと判断し、辛が小春の腕から静かに手を離そうとした、その時。


「あーーーーーーーー!」


 紅桔梗志紀(べにききょう・しき)が群衆の中から飛び出し、右の人差し指を真っ直ぐに突きつけて絶叫した。

 彼の視線の先には、辛が小春の右手を握っているという構図。


「おまえっ……そういう関係だった……?」


 志紀の脳内で情報が極端に処理され、誤った結論が口を突いて出る。

 辛は無表情のまま、小春の腕から完全に手を離した。


「落ち着いて。多分そういうのじゃない」


 玄が即座に介入し、志紀の両肩をしっかりと掴む。


 相手の目を真っ直ぐに見据え、事実の訂正を行った。

 志紀は首を傾げ、混乱の渦中から抜け出せずにいる。


「一応報告しとく? よく分かんないけど……」


 レイヴンがポケットから端末を取り出し、辛へ判断を仰ぐ。

 辛がⅩⅢ(サーティーン)の監査局への報告手順を構築しようと口を開きかけた、その瞬間。


 風鈴の音が、世界から完全に消失した。


 音だけではない。周囲を行き交っていた人々の姿が、空間を切り取られたように蒸発する。


「え……何!?」


 志紀が目を限界まで見開き、周囲を旋回するように見渡す。

 屋台の売り子すらも消え失せ、残されたのは五人の生徒だけだった。


「人が消えた……?」


 レイヴンの口から、現実を疑う声が漏れる。


 静寂の底から、澄んだ鈴の音が一度だけ鳴った。

 異常なまでに長く、耳の奥にへばりつくような残響。


 振り返った先。

 そこに、小さな祭壇が構築されていた。

 半ば崩れかけた紙灯籠と、雪のように降り積もった無数の短冊。

 その中心に、『誰か』が存在している。


 白い浴衣を纏い、肩口で髪を切り揃えた少女の姿。

 しかしその輪郭は常にブレており、質量を持った人間ではなく、発光体が人の形を模倣しているようだった。


「……願いを叶えましょうね?」


 少女の口元が三日月の形に歪む。


「何~!? 幽霊!?」


 玄の口調は緩いままだったが、その額には微かな汗が滲んでいた。


「面白い願いの人達」


 少女が呟き、極端に細い指先を一本、空中へ滑らせる。

 祭壇に積もっていた短冊の束が、重力を無視してふわりと浮遊した。


 次の瞬間、無数の短冊が刃のような軌道を描き、五人へ向かって殺到する。


「走れ!!」


 辛の短い号令が空間を叩く。

 五人は踵を返し、少女が位置する座標の逆方向へと一斉に疾走を開始した。


 背後から迫る短冊の群れ。

 少女の楽しげな笑い声が、空間の至る所から反響して追いすがってくる。


 バランスを崩し転倒しかけた小春の腕を、辛が再び掴み、強引に引き上げる。


「「なにこれええええ!!」」


 志紀とレイヴンの絶叫が完全にシンクロし、夜気を切り裂く。

 一直線に駆け抜け、屋台の列が途切れる境界線へ到達した。


 直後、視界が純白に染まり、物理法則が裏返る。

 屋台の明かりも、夜空の暗闇も、すべてが圧倒的な風の奔流に削り取られていく。


 ――チリン。

 鈴の接触音。

 風鈴の音が、まるで心臓の拍動のように直接脳髄を打ち据える。


 空気が歪み、足元の地盤が液状化したように波打った。


 白い少女のシルエットが急激に解像度を下げ、霧の向こう側へと溶けていく。

 だが、その声の波長だけは、確かな質量を持って残響した。


 ――「また、見にきてね」


 急速な収縮。

 五人の身体は、圧倒的な喧騒と熱気に満ちた元の現実空間へと吐き出された。

 レイヴンが膝に両手をついて激しく息を吐き、志紀は完全に腰を抜かしてアスファルトに座り込む。


 小春の肩も、酸素を求めて大きく上下していた。


「心霊現象……こっわっ!」


 志紀が夜空を見上げ、絞り出すように声を上げる。

 突如として現れた五人の乱れた姿を、周囲の通行人たちが怪訝な視線で遠巻きに眺めていた。


 辛は小春の腕から静かに手を離し、即座に自身の端末を起動する。

 四月(しづき)レンの回線へ接続。

 事象のデータを言語化しようとしたが、相手はすでに特級過去視を展開し、状況の全容を解析し終えていた。


『それは魔に憧れる狂信者による事象。魔を模倣した人間の悪意だな』


 スピーカーモードに設定された端末から、レンの冷徹な声が響き渡る。

 辛は表情筋を微塵も動かさずに情報を受信するが、残る四人の顔には明らかな恐怖と疲労が色濃く浮かんでいた。


「魔を模した人間……? なにそれ」


 玄が核心を突く単語に反応する。

 レイヴンは無言のまま右手を顎に添え、手持ちのデータとの照合を試みていた。


『相手にするな。呑まれるぞ』


 レンからの絶対的な忠告。

 通話が切断され、端末の画面が暗転する。

 未知の脅威との接触による精神的疲労を考慮し、本日はこれ以上の行動を避け、解散とする方針が暗黙の内に決定された。


 小春が辛の正面に立ち、深く頭を下げる。


「今日はありがとうございました」


 必要最低限の謝意を告げると、彼女は足早にその場を後にした。

 志紀が何かを言いたげに辛へ視線を送るが、辛は完全にその視線を黙殺した。


 夜が深まり、祭りの喧騒が徐々に温度を下げていく。

 遠くで、風鈴が微かな音を奏で続けていた。


 人通りの絶えた路地の片隅。

 一枚の白い短冊が、物理法則に逆らうように逆さまに揺れている。


 ――『叶えたい願い、ありますか?』

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