case.36「ⅩⅢの影」
休日の前夜。
放課後の時間を削り、六大路辛はⅩⅢの実験棟へと呼び出されていた。
定期検査という名目で執り行われる、実験と拷問の境界線が曖昧な負荷測定。
限界まで精神と肉体を削り取られ、辛は冷たい床へと崩れ落ちる。
「……辛っ!」
待機していた父の北王が駆け寄り、意識の混濁する息子を抱き起こした。
直ちに治癒の異能が展開され、損なわれた細胞組織の修復が始まる。
辛は抵抗することなく、深い暗闇の中へと意識を手放した。
そして休日。
辛は自室のベッドで目を覚ました。
夜の間に北王が処置を終え、自宅まで運び込んでいたらしい。
家の中に父の気配はなく、ⅩⅢの呼び出しで既に出向いていることが推測できた。
「……」
辛は静かに布団の中から左腕を伸ばし、枕元のスマートフォンを探る。
充電ケーブルが接続された端末を手に取り、画面を点灯させた。
時刻表示は、本来の集合予定時刻をとうに過ぎている。
画面には、黒川玄からのメッセージが通知されていた。
「……寝過ごした」
辛は喉の奥で静かに呟いた。
休日の集まりに顔を出すと了承したものの、前夜の過剰な負荷により睡眠状態からの浮上が遅れたのだ。
画面を操作しようとした矢先、着信音が室内に響いた。
表示された名は玄。辛は迷わず通話ボタンを押す。
「辛君? 大丈夫?」
電話の向こうから、普段の緩さを潜めた心配の音声が届く。
「……すまん、寝過ごした」
辛は弁解を省き、素直に事実と謝罪を口にした。
「う、うん。大丈夫なら良いんだけど……オレ迎えに行こうか? 何処?」
玄の問いに、辛は僅かに思考を巡らせた後、自宅の住所を伝達した。
玄はクラスメイトへ一時離脱の断りを入れると告げ、通話は切れた。
しばらくして、玄関のチャイムが鳴る。
辛は部屋着のまま扉を開け、玄を招き入れた。
「お邪魔しまーす」
辛の背後につき、玄がリビングへと足を踏み入れる。
ソファへ座るよう視線で促し、辛は洗面台へと向かった。
「本当に大丈夫?」
玄が背中へ声をかける。
「ああ……さっきまで色々測定してた」
辛が洗面台の鏡越しに答える。
毎朝義務付けられているⅩⅢへの測定報告。玄の到着前にそれを済ませていたため、着替えにまで手が回っていなかった。
「測定……?」
玄は首を傾げ、リビング内へ視線を巡らせる。
一般的な家庭には存在しない、専門的な測定器具や医療機器が整然と配置されていた。
「お父さん、お医者さんなんだっけ……?」
玄は先日カフェで得た情報を確認するように問いかける。
視線は依然として並べられた機材を捉えていた。
「そう言えば弟君は?」
思考の延長で、玄の口から何気ない疑問がこぼれ落ちる。
その瞬間、洗面台に立つ辛の動きが完全に停止した。
「何故、弟のこと──……」
辛の低い声が響く。
クラスメイトの誰にも、弟の存在を開示した事実はない。
情報漏洩の経路が見当たらず、辛は冷ややかな視線を玄へ向ける。
玄の表情が微かに引きつる。
「あーいや! 写真がね! ほら此処に家族写真あるじゃん! これ弟君だよね?」
玄は慌てて棚の上に飾られた写真立てを指差した。
そこに収められていたのは、辛と弟の丁、そして父の北王の姿。
辛からの返答はない。彼は沈黙のまま洗面台を離れ、着替えのために別室へと姿を消した。
一人残された玄は、密かに安堵の息を吐く。
彼の中には、明確な前世の記憶が存在する。
かつての生で、辛は敵対する神に弟を攫われた。
そして、その手引きをしたのは他ならぬ玄自身だった。
家の中に弟の気配が欠落していることに気付き、無意識のうちに所在を探ってしまったのだ。
数分後、身支度を終えた辛が部屋から出てきた。
「すまん、待たせた」
「良いよ~」
辛の短い言葉に、玄は普段の緩い笑顔を作って返す。
辛はスマートフォンと鍵をポケットに収め、家を出る。
二人は並んで住宅街を歩き出した。
一定の距離を進んだところで、辛が静かに口を開いた。
「……弟のことなんだが……幽閉されている」
その言葉に、玄は目を見開いて歩みを止めた。
前世では攫われた弟が、今世では幽閉されているという事実に、玄の脳内で情報の再構築が行われる。
「何処に幽閉されてるの……?」
玄は探るような声色で問いかける。
「場所は知らない、ⅩⅢが連れて行った」
「えっ!?」
辛の回答に、玄の口から驚愕の声が漏れた。
かつての敵は神。しかし、現在の辛から自由を奪っているのは、この世界の秩序の象徴であるⅩⅢ。
「って……え? 辛君ってⅩⅢ目指してるんだよね?」
玄は混乱を隠せずに問う。
敵対組織への入隊を志願する理由に、論理的な整合性が見出せない。
「ⅩⅢに入ることが弟の解放条件、奴らが提示した」
辛は自身の行動原理の根幹を、感情を交えずに開示した。
「まじかー……」
玄は右手を口元へ当て、重い事実を反芻する。
数秒の思考の後、玄は歩き出し、辛の肩に自身の腕を回した。
「じゃあ一緒に弟君を取り戻すためにがんばろう!」
玄の顔には、屈託のない笑みが浮かんでいた。
「なんであんたまで……」
「友達でしょー協力しよ!」
辛の疑問を、玄は即座に切り捨てる。
前世での裏切りに対する悔恨。
今世では確実に味方として立ち回るという、玄自身の内なる誓いがそこにあった。
「ⅩⅢと言えば、そういえば出身中学校がⅩⅢの支部の近くだって話したよな?」
辛は肩の腕を気にする素振りも見せず、話題のベクトルを転換した。
「あー言ってたねそれ……」
玄は腕を離し、視線を前方へと戻す。
「誰が何処出身か分かるか?」
辛が具体的な情報の開示を求める。
「えっとねー……強矢君と佐倉さんが蒼界・紅桔梗君が天衡・色波君が白曜・青藤さんと大空君が星環・蘇芳君が緋迅・灰塚さんと火乃宮さんが蒼嵐・錆御納戸さんが無限・爪戯君が黄昏……オレは神ヶ原で此処は支部は近くにないよ」
玄は記憶のデータベースを検索し、指を折りながら該当者の情報を羅列した。
辛はその情報を脳内で演算し、意味の抽出を図る。
「裏任務や特殊任務に特化した謎多き学校・黄昏……異能研究・開発の教育に強みの無限……この辺はⅩⅢの息がかかってそうだな」
辛の口から、冷徹な分析結果がこぼれる。
「爪戯君と錆御納戸さんが……? B組にもⅩⅢの息がかかった生徒いるんだよね……なんか居すぎな気もする」
玄の額に一筋の汗が流れる。
偶然という言葉で片付けるには、あまりにも変数が偏りすぎている。
「辛君の弟を捕えてたり、大空君の事件では特別対策部に解決させたり……ⅩⅢってなんか、こう……」
玄は眉を寄せ、言語化しきれない疑念に形を与えようとする。
栄誉職であるはずのⅩⅢ。しかし、その根底には底知れぬ暗部が広がっている。
「なんか……こう、ふわふわと謎がある感じが……」
玄は天を仰ぎ、曖昧な言葉で印象をまとめた。
「刃ケ丘はⅩⅢの管轄だしな……学園生活は気をつけた方が良い」
辛は視線を前方に固定したまま、静かな警告を発する。
「学校に生徒にⅩⅢの影……かあ……」
玄は軽くため息をつき、複雑な事情を受け入れる。
二人はその後も他愛のない会話を交わしながら歩みを進め、やがて先行していたクラスメイトたちと合流した。
その光景から少し離れた人混みの向こう。
一人の人物が、抜き身の刃のような鋭い視線で辺りを巡らせている。
対象を見定めるような冷酷な眼差しは、やがて喧騒の影へと静かに溶けていった。




