case.33「不信人投票Ⅱ」
中間テストの一限目が終了した。
A組の教室に休み時間の安堵はない。
生徒たちは休む間もなくノートや古典の単語帳を広げ、次なる筆記試験への最終確認に没頭していた。
「こんにちは。オレはB組の天竜天色、よろしくね」
張り詰めた空気を切り裂き、B組の実質的支配者である天竜天色が、朱殷実果を従えて教室へ足を踏み入れた。
一斉に、クラス全員の視線が天色へと集中する。
「ごめんね。テストの勉強したいと思うけど、話を聞いて欲しくて」
天色は教壇の前へと歩を進める。
朱殷は天色から一歩引いた位置で停止し、沈黙のまま周囲を牽制した。
「B組がなんの用だよ、話って……」
蘇芳レイヴンが、教壇に立つ天色へ射抜くような視線を向ける。
「異能実技についての話だよ。投票自体はまだ先だけどね、試験自体はもう始まっている」
天色は教壇の縁に両手をつき、言葉を落とす。
「それは……そうだけど……」
火乃宮朱美が腕を組み、不本意そうにぽつりと呟いた。
「オレはこの不信人投票、全員無記名での突破を望んでいるんだ」
天色はA組の生徒たちを真っ直ぐに見据え、明確な意思を提示した。
その真剣な表情に、教室内が微かなざわめきに包まれる。
「全員加点無しになるけれど、誰かにペナルティを押し付けたくはないんだ」
天色は教室全体へ視線を配りながら、理想論を説く。
「そりゃあ……それが良いけどさ」
紅桔梗志紀がノートから顔を上げずに応じる。
「誰かが名前書いちゃったら……ねえ……」
青藤葵が不安要素を口にする。
「だよね……」
錆御納戸雫が振り返り、葵へ同意の視線を送った。
「B組は全員無記名での投票に挑む予定だよ。A組の皆も無記名でお願いしたいんだ」
天色は右手を自身の胸に当て、誠実さをアピールする。
「でもそれ、B組が裏切らない保証はないよな」
色波樹が天色の眼を見据え、冷徹に指摘する。
「そうだね。でもそれはB組にも言えるリスクだよ」
天色は即座に切り返す。
裏切りのリスクは双方向に存在する。その論理自体に破綻はない。
「それ、言って良いのかよ……」
紺野爪戯がスマートフォンを弄りながら、呆れたように呟く。
「そうだね、でも嘘はつきたくないからね」
天色は爪戯へ視線を移し、淀みなく答えた。
徹底した誠実さの演出。
「でもさ~そっちには紙使いの花緑青さんが居るでしょ~?」
黒川玄が、緩やかな口調で本質的な脅威を突きつける。
灰塚こころは身を縮め、六大路辛と佐倉真白は静観を崩さない。
強矢翠柳に至っては、真白からの指示がないためか、この交渉自体に一切の興味を示していなかった。
「そうだね……キミ達が不安に思うのも無理ないよ」
天色は右手を顎に添え、思案するポーズをとる。
「じゃあ、A組の皆の前で痛めつけて言質を取ろうか」
直後、天色は満面の笑みを浮かべ、異常な提案を口にした。
教室内の温度が急激に低下する。
「ちょっ! 何もそこまでしなくても!」
朱美が弾かれたように立ち上がり、声を荒げた。
「でも、そうでもしないと不安なんだよね?」
天色は一切の悪びれもなく、笑顔のまま言い放つ。
後方に控える朱殷の口元が、不敵な弧を描いた。
「……っ」
朱美の額に冷や汗が滲む。反論の言葉を見失い、彼女は再び椅子へ座り直した。
「しなくて良い」
代わりに、玄が平坦な声で提案を却下する。
「そう……なら期待しても良いのかな?」
天色は玄を見つめ、確認をとる。
「まあ……考えておいて、ね?」
天色は踵を返し、教室の出入り口へと向かった。
朱殷が無言でその後を追う。
不穏な空気を残したまま、二限目の開始を告げるチャイムが鳴り響いた。
◇
二限目が終了し、再び休み時間が訪れる。
「B組に情報を得る、そう言った異能を持つ者がいると思う?」
爪戯が玄へ問いを投げる。
「居るんじゃないかな? 宿泊研修の登頂課題で、真っ先にA組に接触できた……ってなると索敵が出来る異能持ちが居るか、何か情報を得る異能持ちがいるとみて良いと思う」
玄は真面目なトーンで分析結果を提示する。
「で? それが何~?」
直後、玄はいつもの緩い表情へ戻り、爪戯へ問い返した。
「いや……どのタイミングで結果がロックされるか分からないと、紙使いの動きようがないかなーって思って」
爪戯はスマートフォンの画面に視線を落とし、推測を述べる。
「ふーん」
玄は生返事を返す。
その時、爪戯の手元からスマートフォンが滑り落ちた。
乾いた音を立て、端末が玄の足元へと転がる。
玄が身を屈め、スマートフォンを拾い上げる。
その瞬間、点灯した画面の表示が彼の視界に飛び込んだ。
ん……? なんだ、この……文字列……。
玄の眉間が微かに寄る。
開かれていたメッセージアプリの画面。そこには、意味を成さない不可解な文字列の羅列が表示されていた。
「ほい」
「どーも」
玄は表情を平坦に保ったまま、端末を爪戯へ返却する。
爪戯は何事もなかったかのように受け取り、鞄の中へしまった。
「ってかB組のどう思う?」
レイヴンが机に突っ伏し、疲労の色を濃くして言う。
筆記試験の手応えから、既に絶望の淵に立たされているようだった。
「無記名で突破するやつ? 無理じゃね?」
志紀が天井を仰ぎ、同調する。
「でもさ、他に名前書きたいって人いる?」
葵がノートのページをめくりながら周囲へ問う。
「うーん……無記名で良い気がするよね」
雫も葵に同調する。
「そもそもさーオレや紅桔梗って、異能で脅すくらいしかできることないんだよね」
レイヴンが机に顔を押し付けたまま、自嘲気味にこぼす。
「それを言ったらオレも……」
樹が顔の前で手を組み、重いため息を吐いた。
「黒川とかも同じようなもんじゃね?」
志紀が項垂れながら玄へ話を振る。
「まあ、オレは相手の精神を病ませて、票をコントロールできなくは無いけど……」
玄が事も無げに恐ろしい手段を提示する。
周囲のクラスメイトたちが一斉に表情を引きつらせた。
「でも結局、花緑青さんがいるんじゃ後出しジャンケンで負けるね」
玄は緩い笑みを浮かべ、結論を締めくくった。
「後出しジャンケン……ね……」
朱美が頬杖をつき、言葉を反芻する。
「……辛は本当に何もしないのかな……?」
爪戯が辛の背中を見つめ、ぽつりと呟いた。
「するっつっても、六大路も介入出来るんか?」
志紀が懐疑的な見方を示す。
「後出しジャンケンに負ける! そしてオレは次の数学でお終いだあああ」
レイヴンが両手で頭を抱え、悲痛な叫びを上げた。
◇
昼休み。
午前の筆記試験を終え、志紀とレイヴンは完全に魂を抜かれたように項垂れていた。
「この状態でB組に探り入れたりすんの? 無理じゃね?」
レイヴンが虚ろな瞳で呟く。
「最後社会だってよ……終わった」
志紀の口から絶望の言葉が漏れる。
爪戯は二人の惨状を哀れむような目で見下ろしていた。
その傍らで、辛は飲料を購入するため、スマートフォンを手にして教室を出る。
雫と葵も昼食の調達へ向かい、真白は自席で黙々と食事を開始した。
翠柳がその様子を羨ましそうに見つめている。
こころは身を小さく縮め、朱美は重いため息をついていた。
辛は食堂近くの自動販売機へ到達し、端末をリーダーへかざす。
購入した飲料を左手に持ち、ポケットへ端末を戻して教室への帰路につく。
「六大路君、ちょっとよろしいでしょうか?」
廊下の角を曲がった直後、花緑青小春が辛の進路を塞ぐように現れた。
「なんだ?」
辛は足を止めず、最低限の言葉を返す。
要求の内容は、既に演算済みだ。
「今回の不信人投票、投票先を天竜君にして欲しいんです」
小春は前置きを省き、単刀直入に要件を突きつける。
辛は視線を向けず、そのまま歩みを進める。
「B組の支配者の座から引きずり下ろすためか」
辛が冷徹に目的を言語化する。小春が慌てて後を追う。
「そうです。またとないチャンスと捉えています」
小春の足音が背後で響く。
「オレはA組のリーダーでもなければ、支配者でもない。オレが何かを言ったところで、A組の投票先を天竜に集中させられると思うか?」
辛は歩調を崩さず、現実的な障壁を提示する。
「それは……」
小春の言葉が詰まる。
「それにB組はどうなんだ?天竜に入れるのか?」
辛が追撃の問いを放つ。
過半数の票を獲得しなければ、不信人の選出は不確実なものとなる。
A組の票が割れる以上、B組内部からの反逆票は不可欠だ。
だが、現在のB組に天色を裏切るだけの統率力、あるいは反骨心が残っているのか。
小春は完全に沈黙し、回答を提示できなかった。
その時、前方の階段を駆け下りてくる生徒の姿があった。
焦りからか、その生徒は足を踏み外し、バランスを崩して前方のめりになる。
辛の身体が反射的に動き、転倒する生徒の身体を腕で受け止めた。
「大丈夫か?」
辛が短い確認の言葉をかける。
「は……はい……」
腕の中に収まった少女は、顔を朱に染め、上擦った声で答えた。
明らかな心拍数の上昇が伝わってくる。
「枯野さん……?」
小春が、その少女の名を呼んだ。
枯野アカハ。B組に所属する生徒だ。
「あーっ! 急がなきゃお昼無くなっちゃう!」
アカハは辛の腕から離れると、パニックを起こしたように走り去っていった。
廊下の奥から「ありがとう!」という高い声が反響する。
辛は何もなかったかのように、再び歩みを再開した。
「六大路君、最悪私は異能を使います。それで天竜君を──……」
小春は辛の背中へ向け、焦燥を含んだ声で宣言した。
一方、同時刻。
食堂に併設された購買部にて、昼食を選んでいた雫と葵の前に、天色が現れ声をかけていた。




