case.23「空虚」
大空蒼の独白。
ボクという人間は、空っぽだ。
何もない。
勉強もスポーツも普通。
上には上が沢山いるし、下もいる。
趣味も特にない。
何かに熱を上げ、のめり込める人間が正直羨ましい。
いつも退屈だ。
あくびをして、寝て、ただやり過ごすだけの日々。
ある日、『魔』の声が聞こえた気がした。
空っぽなボクと同じにしてしまえ、と。
だからボクは人を襲った。
熱を上げる人々の異能を、空っぽにしてやった。
◇
空気の壁に阻まれ、合流できずにいる黒川玄は思考の海に沈んでいた。
空使い……空気を扱う異能だけじゃなく、空、つまり『空っぽ』にする異能でもあった……。
異能のメカニズムは未解明だが、魔力的なエネルギーが原動力として使われていると定義されている。それが枯渇状態に陥れば、当然異能は使えなくなる。
しかし、時間と共にエネルギーは自然回復し、再び異能が使えるようになる。
「『一時的』に使用不可というのは……そういうことか」
玄はぽつりと呟いた。
背後の廊下にはB組の面々も姿を見せていたが、状況が掴めないのか、誰もが静観の構えをとっていた。
破壊された天井の向こうに広がる夜空。
蒼は空気を極限まで圧縮して不可視の足場を構築し、虚空に直立していた。
「かかって来いよ、半妖」
蒼は手招きをして六大路辛を挑発する。
辛の精神は極めて冷静であった。しかし、この混沌とした状況を収束させるには、蒼を無力化する以外の選択肢は存在しない。
五行のうち『土』の異能を励起させ、地面の一部を隆起させる。
それを足場として強く地を蹴り、上空へと跳躍した。
空中で『金』の異能を介して刀を生成し、一閃を放つ。
しかし、蒼は圧縮した空気の壁を展開し、その斬撃を容易く弾き返した。
辛は空中に金属の足場を瞬時に生成して軌道を変え、再び蹴り込む。
死角から何度も蒼に肉薄しては刀を振るう。
だが、そのどれもが強固な空気の層に阻まれ、刃が対象に届くことはない。
……しかし、何故この場の全員に空にする異能を使わない? いや、使えないのか……。
辛は超高速での三次元機動と斬撃を繰り返しながら、思考の演算を走らせていた。
条件がある。この場での火乃宮、決闘での一件。そして路地裏──……。決闘では色波は空にならなかった。性差か? いや、路地裏では男女関係なかった。それらを総合的に踏まえると、暴走、またはそれに近い状態の者……か。
「その顔、どうやら気づいたみたいだね」
辛の表情筋に特別な変化はなかったが、蒼は彼の僅かな挙動から察し、口を開いた。
「ボクの異能『空使い』は、対象の異能を空にする。けれど、誰でも良いってわけじゃない」
不可視の防壁に守られた蒼は、両手を広げて嬉々として語る。
「ボクはね、熱を上げる人々が羨ましいよ」
辛は蒼のその言葉を受信し、演算の最終解を弾き出した。
一定の出力に到達すれば対象になる、か……。
一方、地上。
雪崩れ込んでくる魔物の群れに対し、佐倉真白が光線で応戦していた。
魔物を正確に射抜くと同時に、上空の蒼へも照準を合わせる。
「制圧対象」
真白は機械的に宣告し、光線を放つ。
だが蒼は、破壊された建材の塵や埃、土煙を含んだ空気を凝縮し、真白と自身の間の空間に固定した。
真白の眼がわずかに見開かれた。
ブルーミング現象。高密度の微粒子を含んだ大気の層によって光が屈折、散乱させられ、照準が致命的に狂う。
結果として、真白の放った高火力の光線は空間で分散し、蒼の直前で霧散した。
「キミ達の攻撃は届かないよ」
夜空を背負った蒼が、不敵な微笑を浮かべながら言い放つ。
「何故こんなことをする?」
斬りつけながら、辛が問う。
「『魔』がそう囁いた気がしたから」
蒼は答えながら、空気の塊を不可視の弾丸として撃ち出す。
辛は空中に金属の足場を展開し、瞬時に軌道を変えてそれを回避する。
「そして今日! この近くに来ている! そう確信している!」
蒼は両手を広げ、高らかに宣言した。
「近くに来ている……?」
辛がわずかに眉を動かし、情報を要求する。
「そう、だから張り切って皆をボクと同じにしようって思ったんだ」
蒼は無邪気な狂気を孕んだ声で、言葉を続けた。
「同じ……?」
「そうだよ」
辛の問いに、蒼はすかさず答える。
「一か月程度じゃ理解できないのも無理はないよ。ボクっていう人間はね、空っぽなんだ。何も出来ない、何者にもなれない……何をやってもすぐ冷める」
蒼の表情から、すっと笑顔が消え失せた。
「クラスメイトは決闘までしてるのに、ボクと来たら……」
蒼は一度腕を下ろしたが、すぐに両手を顔の前で組んだ。
「でも、あの日の決闘は面白かったな。あんなに熱上げちゃって……でも空っぽにしたとたん、倒れちゃって」
蒼は再び笑顔を作り、無邪気に言い放つ。
辛は蒼の言葉を処理しながらも、戦術の再構築を進めていた。
奴は自ら攻撃を仕掛けてくる気配が薄い。おそらく、空気の壁を突破するために、こちらが出力を上げることを狙っている……。出力を限界まで上げれば、異能を空にする条件が整う。
蒼の真の狙いは、辛の異能を強制的に枯渇状態へ追いやること。そのための強固な防御陣形だ。
地上では、真白が天を仰ぎながらも、群がる魔物を撃ち抜き続けていた。
だが、真白と蒼の間にある淀んだ空気の層が、致命的に光線の威力を殺している。
「こ、こんなの」
「どうしたら」
錆御納戸雫と青藤葵は、力なく座り込んだまま互いの手を固く握り合い、震える声で呟く。
傍らには、異能を喪失して倒れ伏す火乃宮朱美。
真白は雫と葵を背後に庇うように立ち、口を開いた。
「錆御納戸、懇願」
その唐突な言葉に、雫が「えっ」と思わず声を漏らした。
真白は一瞬だけ、目線を雫たちへと向ける。
「ええ……言っておくけど、私の浄化は原理が分かってないと使えないよ? 原理不明だから、異能を消すみたいな芸当はとても……せいぜいドローンの電波くらいがギリギリ……」
雫は俯きながら、自身の能力の制約を早口で説明する。
彼女は浄化使い。呪いを解き、清める力を持つ。応用すれば電波を無効化しドローンを無力化できるが、構造や原理を理解していないと発動できないため、未知の異能そのものを無力化することは不可能であった。
毒に対しても同様で、成分を理解していなければ効果を発揮できない。
真白はその制約を完全に理解していた。
だからこそ、彼女は別の対象を提示した。
「空気の浄化」
真白は静かに、端的にそれだけを発した。




