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毒殺された悪役令嬢は過去に戻り、今度は全員の破滅を設計する  作者: スナハコ
第5章

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46.全ての清算

 三つの馬車が、城門の前に並んでいた。


 朝の光が石畳を白く染めている。風はなく、雲もなく、ただ穏やかな快晴だった。処刑の日でも嵐の日でもない。


 それが――全ての決着の日だ。


      *


 最初の馬車は質素な黒塗りだった。王家の紋章はない。窓には格子。御者台に神殿の僧衣を着た男。行き先は――北の修道院。


 衛兵に両脇を挟まれ、アレクシス・ロイ・グランディアが石畳を歩いてきた。


 金の髪は手入れされていない。碧い目に隈が浮いている。夜会の華だった王子の面影は拘束の日々で削られ、簡素な灰色の衣服に王族の紋章はもうなかった。


 エレノーラは城門の傍に立っていた。クラウスが隣に。数歩離れてルドルフが腕を組み、国王の名代として処分の執行を見届けている。


 アレクシスが馬車の前で立ち止まった。衛兵が一歩引く。無言で与えられた、最後の時間。


 碧い目が城を見上げた。生まれ育った場所。もう二度と戻ることのない場所。


 そして――視線が動いた。城門の傍に立つ、深い赤みがかった茶髪の少女へ。


 長い沈黙だった。


「――すまなかった」


 掠れた声だった。虚勢も傲慢も言い訳もない。ただ疲弊した男の声。


 前世では一度も聞けなかった言葉。


 けれど。


「その言葉は、もう遅いですわ」


 穏やかだった。冷たくはない。怒りもない。ただの事実。


 アレクシスの目が揺れた。


 エレノーラはそれ以上何も言わなかった。罵倒も、赦しも、説教も。


(もう、いい)


 恨む気持ちはとうに消えていた。赦す気持ちも、ない。あるのは――ただ、終わったという感覚。


 アレクシスは何か言いかけ、やめた。唇を噛み、馬車に乗り込んだ。扉が閉まる。格子窓の奥に金の髪が見えた。


 車輪が石畳を噛み、黒い馬車が動き出した。北の修道院へ。王族の体面だけを残された――追放。


 ルドルフが腕を組んだまま、弟の馬車を見送っていた。表情はなかった。けれど顎が強張っていたことに、エレノーラは気づいた。


      *


 二台目の馬車には、エステリア公国の紋章が付いていた。


 セレスティア・ミルフィーユが衛兵に伴われて現れた。白い僧衣。簡素に束ねられた金の髪。聖女の華やかさは消えていた。


 エレノーラの前を通り過ぎる時、足が止まった。


 翡翠色の目がゆっくりと上がった。


「――負けたわ」


 小さな声だった。微笑みのような、諦めのような表情。


「最初から勝てなかったのかもしれないわね」


 エレノーラは答えなかった。答える必要がなかった。この女との戦いは、とうに終わっている。


 セレスティアは小さく息を吐き、馬車に向かった。背中が小さく見えた。聖女の威光を剝がされた、ただの十八歳の少女の背中。


(同情はしない。けれど――憎みもしない)


 二台目の馬車が動き出した。エステリア公国へ。


      *


 三台目の馬車は最も簡素だった。


 カタリーナ・フォン・ヴァイセンブルクが乗り込む馬車。かつての叔母。その行く末は、辺境の修道院への蟄居。


 カタリーナは衛兵に促されるまま歩いてきた。けれどその歩き方は変わっていなかった。背筋を伸ばし、顎を上げ、最後まで貴族の歩き方で。


 エレノーラの前で足を止めることもなく、一瞥すら寄越さなかった。


(最後まで折れない人だった)


 それは敬意ではなかった。ただの観察だった。


 三台目の車輪が回り、遠ざかり、やがて音が消えた。


 石畳の上に、轍の後だけが残っていた。


      *


 全てが、終わった。


 アレクシスは修道院へ。セレスティアは隣国へ。カタリーナは辺境へ。


 前世でエレノーラを陥れた者たち。毒を盛り、嘲り、利用し、追い詰めた者たち。その全員が――裁かれた。


 城門の前に立ったまま、空を見上げた。青かった。どこまでも澄んだ青空。


 復讐の達成感は湧いてこなかった。勝者の高揚も。あるのはただ――静けさだった。嵐の後の凪。


(終わった。全部。今度こそ)


「お嬢様」


 背後から声がした。


 振り返ると、マリアが立っていた。栗色の髪が朝の光に揺れ、エプロンの裾を両手で握りしめている。目が赤かった。


「マリア。泣いているの?」


「泣いておりません」


 声が震えている。


「……お嬢様。本当に――お疲れ様でした」


 その言葉に、胸の奥が温かくなった。


 マリアは最初からいた。前世の秘密も聖遺物のことも知らない。ただ自分のお嬢様を信じて、毎朝お茶を淹れて、ずっと傍にいてくれた。


「ありがとう、マリア」


 令嬢の言葉ではなかった。ただの十七歳の声。


「あなたがいなければ、わたくしは一人でしたわ」


 マリアの目から涙が溢れた。エプロンで慌てて拭う姿が、少しだけ可笑しかった。


「お嬢様――わたくしは何も。お茶を淹れて、お着替えを手伝って、時々お小言を申し上げただけで――」


「それが全てですわ」


      *


 足音がした。規則的で、無駄がない。


「エレノーラ様」


 クラウスが城門の傍に歩み寄った。銀灰色の髪に朝日が当たっている。


「全ての処分の執行を確認しました。書類の最終処理は午後に」


「ありがとうございます」


 事務的な会話だった。けれどその後の沈黙に、別の温度があった。


 クラウスの紺色の瞳が、エレノーラを見ていた。


「目が変わりましたね」


「え?」


「初めて会った時――怒りがあった。前世の痛みに燃える、強い光が」


 言葉を切った。この人にしては珍しく、言葉を探すように。


「今は――穏やかだ」


 一瞬、何も言えなかった。


 そして――笑った。仮面でも、鋭さでもない。ただの笑み。


「そうかもしれませんわね」


(怒りは、もう要らない。恨みも、復讐も――全部)


 痛みが消えたわけではない。ただ――それを支えにして立つ必要が、なくなった。


「帰りましょう、クラウス様」


「どちらへ」


「宰相府ですわ。午後の書類が待っています」


「……戦いが終わった直後に書類仕事ですか」


「日常ですもの。日常が一番大切ですわ」


 歩き出した。クラウスが隣を歩いている。半歩後ろでもなく半歩前でもなく、並んで。


 振り返らなかった。三つの馬車が去った方角を、もう見なかった。


 琥珀色の瞳に、怒りの光はもうなかった。あるのは――ただ、穏やかな朝の色だけだった。

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