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23.聖女の化けの皮・序

 聖都大神殿の浄化の間。百人を超える貴族と神殿関係者が、円形の祭壇を取り囲んでいた。


 高い天井から差し込む光が、白い大理石の床を照らしている。香の煙が緩やかに立ち昇り、空気が厳かな静寂に満ちている。


 年に二度の浄化の儀式。聖女が王国の大地に祝福を注ぐ、最も神聖な行事。


 エレノーラは貴族席の三列目に座り、静かに祭壇を見つめていた。


(前世でも、この儀式を見た。あの時の聖女は——)


 記憶が鮮明に蘇る。前世の浄化の儀式。セレスティアが祭壇の中央に立ち、両手を掲げた時——会場全体を包んだ、淡い金色の光。温かく、穏やかで、大地に染み入るような魔力の波動。


 あの時は疑わなかった。

 あれが聖女の力だと、誰もが信じた。エレノーラも。


(けれど——本当にそうだったのか?)


 三日前。エレノーラは聖都の古書院を訪れていた。


 マリアに同行を頼み、半日をかけて書架を探した。目当ての文献は奥の禁帯出棚にあった。『聖女の系譜——浄化の魔力に関する神殿記録』。二百年前の神殿長が記した、歴代聖女の魔力特性の記録書。


 その中に、明確な記述があった。


『真なる聖女の浄化の魔力は、必ず地脈と共鳴する。祭壇に触れた瞬間、大理石に金色の紋様が浮かび上がり、魔力は上昇ではなく下降の流れを取る。大地に還る力——それが浄化の本質である』


 下降。大地に染み入る力。


 前世の記憶を重ねる。セレスティアの魔力は——上に向かっていた。光は天井に向かって広がり、会場全体を照らした。華やかで、美しく、観衆を魅了する光。


 けれどそれは、文献に記された「本物の聖女の浄化」とは、流れが逆だった。


(見た目は華やかだった。だから誰も疑わなかった。わたしも——)


 この文献を、エレノーラは一昨日、ある人物のもとに届けていた。



      *



 神殿の長老、オルトリウス師。白髪の老人は七十を超えてなお矍鑠としており、神殿内で最も古い記録に通じた人物だった。


 エレノーラが文献を届けた時、名前は伏せた。「古書院で偶然見つけた興味深い記録を、神殿にお返ししたい」とだけ伝えた。


 長老は礼を述べ、文献を受け取った。


 それだけでいい。あとは長老自身の目が、真実を見つけてくれる。


(直接指摘すれば、わたしが聖女を陥れたと言われる。けれど神殿の権威が自ら気づいたのなら——誰にも止められない)


 祭壇の前に、セレスティアが現れた。


 金色の巻き髪が光を受けて輝き、翡翠の瞳が伏し目がちに祈りを捧げている。白い聖衣が床に広がり、その姿はまさしく「聖女」そのものだった。


 会場がどよめく。賛美の囁き。感嘆のため息。


 エレノーラはちらりと横を見た。貴族席の最前列に、アレクシスが座っている。金髪の第二王子は誇らしげにセレスティアを見つめていた。


 そしてもう一方——神殿側の特別席に、オルトリウス長老が座っていた。膝の上に、あの古い文献が載っている。


(読んだのだ)


 心臓が跳ねた。表情には出さない。


 儀式が始まった。


 セレスティアが祭壇の中央に進み、両手を石の祭壇に触れた。翡翠の瞳を閉じ、唇が祈祷の言葉を紡ぐ。


 光が生まれた。


 金色の魔力がセレスティアの手から溢れ、祭壇を中心に広がっていく。会場が柔らかな光に包まれた。温かく、華やかで、観衆を魅了する光。


 ——上に向かう光。


 天井に向かって広がり、シャンデリアの水晶を通して虹色に散乱する。美しかった。息を呑むほどに。


 けれど。


 エレノーラは長老の顔を見た。


 白髪の老人が、身を乗り出していた。皺の刻まれた顔に、微妙な変化が走っている。困惑。いや——疑念。


 長老の視線が、祭壇の大理石の表面に注がれていた。


(気づいた)


 文献に記されていた「金色の紋様」。本物の聖女の浄化なら、祭壇の大理石に紋様が浮かび上がるはずだった。


 祭壇は——白いままだった。何の変化もない。


 光は上に向かい、大地には何も還っていない。


 セレスティアの魔力は確かに強力だった。会場を照らすだけの力がある。けれどそれは浄化ではなかった。本に記された聖女の魔力パターンとは、根本的に異なるものだった。


 長老が隣の神官に何か囁いた。神官の顔色が変わった。


 儀式は続いている。セレスティアは目を閉じたまま、光を放ち続けている。何も気づいていない。


 エレノーラは視線を正面に戻した。顔には穏やかな微笑みを浮かべている。周囲の貴族と同じように、美しい儀式に見入っているだけの令嬢の顔。


(ええ、存じておりますわ。あなたの魔力が本物ではないことを——前世から)


 儀式が終わった。


 光が収まり、会場に拍手が起きた。セレスティアが優雅に一礼する。アレクシスが立ち上がり、賞賛の言葉を述べようとした——その時。


「少々お待ちを」


 老いた声が、会場に響いた。


 オルトリウス長老が立ち上がっていた。手に、あの古い文献を持って。


 空気が変わった。

 長老が儀式の直後に発言することなど、前例がない。


「オルトリウス師? 何か——」


 アレクシスが怪訝な顔を向けた。


「失礼。少し、確認させていただきたいことがございまして」


 長老の目が、祭壇の大理石に向けられた。


「古い記録によれば、聖女の浄化の際には祭壇に紋様が浮かぶとされております。しかし本日、それが確認できなかった」


 会場がざわめいた。


「加えて——魔力の流れです。浄化の本質は大地への還元。魔力は下降するのが本来の形です。しかし先ほどの儀式では、光が上方に向かっておりました」


 長老の声は穏やかだった。糾弾ではない。学者の疑問を述べるような、静かな口調。だからこそ——その言葉は重かった。


 セレスティアの顔から、血の気が引いた。


 翡翠の瞳が見開かれ、唇が微かに震えている。美しい聖女の顔に、初めて——亀裂が走った。


「あ、あの——それは」


 声が上擦った。動揺。明らかな動揺。


「セレスティア、心配するな」


 アレクシスが即座に立ち上がった。セレスティアを庇うように前に出て、長老に向き直る。


「古い文献の記述が正しいとは限らない。二百年前の記録と現在の聖女の力を単純に比較するのは——」


「殿下のお言葉は理解いたします」


 長老は穏やかに、しかし一歩も退かなかった。


「しかし、これは神殿の問題でございます。聖女の魔力が歴代の記録と異なるのであれば——調査が必要です」


 会場が静まり返った。


 神殿の権威。王族すら容易には覆せない。アレクシスの碧い目に苛立ちが走ったが、この場で長老の権威に正面から逆らうことはできなかった。


「……わかった。だが、聖女を不当に疑うことは許さない」


 苦々しく言い置いて、アレクシスはセレスティアの手を取った。


 セレスティアは俯いていた。金色の巻き髪が顔を隠している。けれど——エレノーラの位置からは見えた。握りしめた手が、白くなるほど震えていることを。


(焦っていますわね、聖女様)


 エレノーラは静かに立ち上がった。周囲の貴族たちがざわめく中、何食わぬ顔で会場を後にする。


 廊下に出た瞬間、マリアが駆け寄ってきた。


「お嬢様——今の、長老の発言は」


「ええ。予定通りですわ」


 微笑んだ。完璧な令嬢の微笑み。


 けれどその瞳は笑っていなかった。琥珀色の奥に、冷たい光が宿っている。


(化けの皮を剥がすのは、これからよ)


 長老が調査に乗り出せば、セレスティアは逃げられない。そして調査の過程で——教会経由の資金の流れにも、やがて光が当たる。


「マリア」


「はい」


「クラウス様に手紙を。『第一段階、完了』と」


「かしこまりました」


 神殿の回廊を歩きながら、エレノーラは背筋を伸ばした。


 聖女の翡翠の瞳に浮かんだ恐怖の色。あの顔を、冷たい床の上で死んでいった前世の自分に見せてやりたかった。


(見ていて。わたしは、もう負けない)


 回廊の先に、午後の光が差し込んでいた。

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